表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編

死者の門 (短編19)

作者: keikato

 キッチンから女の口ずさむ歌が聞こえる。

 二つのグラスにワインを注ぐと、男はその両方に隠し持っていた毒を落としこんだ。

――死んでもいっしょだからな。

 恋人が手料理を食卓に並べ始める姿を、男はいとおしそうに目で追っていた。

 恋人が男の向かいに座ってグラスを手に取った。それから乾杯と口に出し、グラスを男の前にかかげる。

――乾杯、二人の未来に。

 男は心の中でつぶやいてから、女のグラスに自分のグラスを当てた。

 二つのグラスがカチリと鳴る。

 二人はほほ笑み合ってワインを口に運んだ。

「ウッ!」

 手から離れたグラスが床に落ち、女が胸をかきむしりながらイスからくずれ落ちていく。

 男はそれをじっと見ていた。

 毒入りのワインが、女を徐々に死の淵へと追いやっていく。

 少しずつ、少しずつ……。

 女の体が動かなくなった。

 男はネクタイをはずすと、その片方を女の右手首に結んだ。もう一方を自分の左手首にも結ぶ。

――これで二人は離れなることはない。永遠にいっしょだ。

 男はグラスのワインを一気に飲み干した。とたんに胸が焼けるような苦しさにおそわれた。

 玄関でチャイムが鳴っている。

 男はチャイムの音を聞きながら息絶えた。


 真っ暗な場所。

 男は一人で歩いていた。ゆっくりだが、足どりはしっかりとしている。

――あんなにしっかり結んでおいたのに。

 ここに来る間に離ればなれになってしまった恋人のことを思った。

 この漆黒では、恋人を探すことはかなわない。見えないものに誘われるように、男は闇の中をひたすら歩き続けた。

 やがて、わずかだが風を感じた。

 水の匂いもする。

 それからも闇の中を歩き続けた。

 やがて遠くの闇にかすかな明かりが見えた。

 男は明かりに向かって歩いた。

 進むにつれ、明かりが強くなってゆく。

 なおも歩き進んだ。

 水の匂いがさらに強くなる。

 ぼんやりとした薄明かりの中、男は自分と同じ死者たちが歩いているのを見た。

 その死者らとともに歩く。すると、はるか前方に大きな門があらわれた。

 門に近づくにつれ死者の数は増えてゆき、しかもみなが門に向かって歩いている。

 すでに集まっていた死者たちは、先頭が見えないほどの長い列を作っていた。そのだれもがうつむき無言であった。

 ばらばらに集まってくる死者たちは、ごくあたりまえのように列の最後尾に並んでゆく。

 だが男は、死者の列には加わらなかった。

 その前にやることがある。

 はぐれた恋人を探し出さねばならない。


 男は門に向かって速足で歩いた。

 列に並んだ一人ひとりの顔を確認しながら歩く。しかし、列のどこにも恋人の姿はなかった。

 いつかしら。

 男は門のすぐ近くまで来ていた。

「こら! そこの男、ちゃんと列に並ばんか」

 背後でどなり声がした。

 振り向くと、太い金棒を手にした鬼がいた。ただ背丈は男とさほど変わらない。

「キサマ、順番を守らないと痛い目にあわすぞ」

 鬼が金棒を振り上げる。

「そうではないんです。心中した恋人を探していたものですから」

 男はあわてて弁解をした。

「心中だと?」

「はい、いっしょに毒を飲んで……。死ぬとき、二人はネクタイで手首を結び合っていました。それがどうしたことか、ここに来るさなか、離ればなれになったようでして」

「その者はたしかに死んだのか?」

「はい、まちがいありません。わたしの目の前で息絶えましたので」

「では、オマエより少し前に死んだのだな。なら、ここへは先に来ているはずだ」

「すでに行ってしまったのでしょうか?」

 男は門の先をかいま見た。

「おそらくそうであろう。だが、疑わしいところがある。その者のことを特別に調べてやるから、ワシについてくるがいい」

 鬼は男を連れ、門の手前にある建物に向かった。


 建物はなにやら事務所のようで、鬼たちが忙しそうに立ちまわっている。

「死者の門を通り抜ける者は、必ずや死んでなければならん。それがまれに、まちがってやってくる者がいてな。いわばここは、その審査をしているところなのだ」

「では、まちがって来た者は?」

「むろん、ただちに生ける者の世に追い返す」

 鬼は説明を終えると、部屋の隅にある大きな水がめの前に立った。

「これに入った水は生ける者の世を映し出す。もしその者が生きておるなら、かならずや水面に映る。その者のことを考えながらのぞくがいい。ただし、見えるのは一度きりだからな」

 鬼に言われるがまま、男は水がめの中をのぞきこんでみた。

 水の表面が鏡のように張っている。

 さっそく恋人のことを思った。

 水の表面がゆらゆらとゆらぎ始める。

 なおも恋人のことを思い続けていると、人らしき影が水面に映し出された。

 ゆれがしだいにおさまってゆく。それにつれ、その姿がはっきり恋人だとわかった。

 恋人はベッドに寝かされていた。

 その顔には酸素吸入マスクがあてがわれ、腕には点滴の管がつながっていた。

 そばには恋人の姉がいる。

 この姉のことは、ときおり家に遊びに来ていたので男もよく知っていた。

「どうだ、見えたか?」

 背後から鬼の声がする。

「はい。病院のベッドで寝ています」

「そうか、見えたのか。ではその者は、ここには来ておらんぞ」

「生き返ったということでしょうか?」

「そういうことだろう。まあ、それも調べればわかるがな」

 鬼は男を残し、台帳の並んだ棚の前に行った。それから一番はしの新しい台帳を手に取り、なにやらパラパラとめくり始めた。

 男は水がめの中をのぞきこんで、ふたたび恋人のことを思った。しかし、先ほどのように水面がゆらぐことはなかった。


「一度きりだと言っただろう」

 いつのまにか鬼が背後に立っていた。

「やはり、彼女は生き返っていましたか?」

「ああ。ひとたびは台帳に名前が載ったのだが、それがなぜか消されておった」

 鬼は首をかしげてから話を続けた。

「理由はわからんが、その者は一度はこちらに来ておる。ところが息を吹き返し、どうも追い返されたようだな」

「お願いです。すぐにでも、彼女をここに呼んでもらえませんか」

「ここには厳格な掟がある。生ける者をここに呼ぶなどもってのほかだ。そんな勝手はできん」

「なら、せめてもう一度、彼女に会わせてくれませんか。でないと、死んでも死にきれません」

「それほどまでに、その者に未練があるのか?」

「心中までしたんです」

「では一度だけ会わせてやろう。だがそれは、その者をここに呼ぶのではなく、オマエがその者に会いに行くことになる」

 鬼はついてくるがいいと言って、男を伴いとなりの部屋に移動した。

 そこにはいくつもの桶が並んでおり、そのうちのひとつに男は連れていかれた。

「この桶は、生ける者の世界につながる入り口だ」

 鬼が桶のふたを持ち上げる。

 男は中をのぞいてみた。

 桶の底は真っ暗で、どこまでも深い井戸の底をのぞき見るようだった。

「一時間だけ、生ける者の世へ行かせてやろう。ただし時間がきたら、なにがあってもここへ呼びもどすからな。さあ、飛びこむんだ」

「ありがとうございます」

 男は桶のふちに足をかけ、すぐさま真っ暗な中に飛びこんだのだった。


 そこは夜の病室だった。

 ほの暗い中、恋人は白いベッドにいた。口に当てがわれた酸素吸入マスクの内から寝息が聞こえる。

 恋人の顔をのぞき見た男は、一週間前のことを思い出した。体調の異変に気づき、病院で精密検査を受けたときのことだ。

「激症型進行性のガンです」

 医者に告知され、ハンマーで後頭部をなぐられたような強い衝撃を受けた。

「手術すれば治りますよね」

「ガンはすでに末期の状態で、手術は体を傷つけるだけのことになります」

 医者の言葉に、かすかな希望を打ちくだかれた。

「では、あとどれほどの命なんですか?」

「長くても三カ月です。残された時間を有意義に使われてください」

「あと、たったの三カ月……」

 あまりのショックに言葉が続かなかった。

 自分が死の淵にいることを、男はどうしても恋人に言い出せなかった。話せば死に到るまでの間、もっとつらい時間を過ごすことになる。

 男はそう思ったのだ。

 鬼と約束した刻限が迫ってきた。

――待ってるからな。

 恋人に一言ささやいてから、男は酸素吸入装置のスイッチを切った。


「出るんだ」

 鬼の声で、男は桶の中にもどったことを知った。

「これで心残りもなかろう。さあ、オマエも死者の列に並ぶんだ」

 鬼が背を押して、男を建物の外に連れ出した。

「お手数をおかけしました」

 男は礼を述べ、死者の列の後方に向かった。

 列の最後尾まで行く。しかし、今度も死者の列には加わらなかった。遠く闇から集まってくる死者たちをじっと見つめていた。

 長い時間が過ぎた。

――かならず来るはずだ。

 男は恋人を待ち続けていた。……が、いくら待てども恋人があらわれることはなかった。

――また助けられたんだろうか?

 男は不安になった。

 そこで恋人のことを、もう一度あの鬼に調べてもらうことにした。死者の列に加わり、ふたたび門に向かって歩き始めた。

 門に着くと、

「先ほどはたいそうお世話になりました」

 男はあの親切な鬼に声をかけた。

「おお、オマエか。遅かったじゃないか。あれからなにをしておったんだ?」

 鬼が男のもとにやってくる。

「彼女を待っていたんです」

「その者は、ここには来ないと言っただろ。まだ死んでおらんのだからな」

「じつはそのことですが、彼女に会いに行ったとき生命維持装置のスイッチを切ったんです。ですから、かならずここに来ると思いまして」

「なんだと? オマエってヤツは、とんでもないことをするヤツだな。だがそういうことであれば、もう着いてもよさそうなもんだが……」

「そうでしょ。ですので、どういうことなのか調べていただきたいんです」

「しょうのないヤツだ。すぐに調べてやるから、オマエはこのまま列に残っておれ」

 鬼は文句を言いながらも、死者の台帳のある建物へと向かった。

 男はほかの死者とともに前へと進んだ。

 死者の門が目前に迫る。

 門の前では、鬼たちが死者の一人ひとりを審査している。

 自分の順番もそろそろとなり、気があせる男をよそに、鬼はなかなかもどってこなかった。このままでは恋人と離ればなれのまま、一人で門の向こうに行くことになってしまう。

――早く、いそいで……。

 男が何度も振り返っているところへ、台帳を手にした鬼が速足でもどってきた。

「意外と調査に手間どってな」

「で、彼女は?」

「その者は、今度こそたしかに死んでおった。ところがな、この台帳からは消えたままだ。それで時間がかかってしまったんだがな」

「どういうことなんです?」

「教えてやるがその前に、こちらとしても聞かねばならぬことがある。ワシの調べた者が、その者と別人だとまずいからな」

「ええ、なんなりと聞いてください」

「その者が海でおぼれていた者を助けた、そんな話を聞いたことはないか?」

「ありますとも。そのとき助けられたのが、なにをいうこのわたしですから。それが縁で、二人は知り合ったんです」

「それを聞いて安心したぞ。ワシの調べた者は、やはりお前の恋人であった」

「ならどうして、どうしてここに来ないんですか?」

「天国の方に行ったからだ」

「天国に?」

「もしやと思ってな。あっちの台帳を調べてもらったら、ついさっきその者が天国に行ったそうだ。残念だろうが、もうここには来ないぞ」

「でも一度は、ここに来たじゃありませんか。ここの台帳にだって、たしかに載ったじゃないですか」

 男は鬼にくってかかった。

「ワシも、それにだまされたんだ。その者が、ここに来るべき者だと思いこんでいたからな。だが考えてみれば、それはオマエのせいだったんだ」

「わたしのせい? わたしが、いったいなにをしたというんです」

「心中をしたとき、ネクタイで二人の手と手を結んだであろう。それでその者は、無理やりここに連れてこられ、台帳に載ってしまったわけだ。だが運よく、姉に助けられて生ける者の世にもどった。そこをオマエに生命維持装置を切られたんだが、今度こそ行くべき天国に行ったんだ」

「ですが、なぜわたしがここで、彼女は天国なんですか? どうして離ればなれに……」

「その者は人命救助という善行をした。だから天国に迎えられたんだ。かたやオマエは、殺人という悪行をしただろ。それでだ」

「そんなあ!」

「そら、オマエの番だぞ。あきらめて、さっさと行くんだ」

 鬼が男の背中を押した。

 男は背伸びをして門の向こうをかいま見た。

 そこは深い闇につつまれていた。

 川の水の匂いがした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 死者の門。どっしりとしたかまえの、黒い門が目にうかびます。恋人を待って死んでも死にきれない男。 こんな男ヤダーᕙ( : ˘ ∧ ˘ : ) はぐれた恋人をさがしださなねば→さがしださねば…
[良い点] 拝読しました。 とても不可思議な世界に迷い込んだようなお話でした。ネクタイで縛ったのに。こんなことってあるんですね。心中を決意する理由、彼女と離れてしまった理由などの背景がしっかりと書か…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ