中編
薄暗い室内に、衣擦れの音が響く。
「すまぬ、アーロン。
妾は国と共に生きねばならぬ。
例え行く先が処刑台だろうが、王国の栄華だろうが。
それが、妾の役目じゃ。
今更、その役割を他のものに託そうなど、思っておらん」
その目は決意を示すかのように、力強い目をしていた。
「だがな、アーロン」
そこで、今夜初めて彼女は私を見た。
その目は誰よりも優しく、そして、愛しい。
「子は、別じゃ。
妾は無理でも、せめて、我が子だけでも傍においてくれぬか?」
その発言に私は息を呑む。
「お子が…お子が出来たのですか?」
私の発言に、彼女は優しく微笑む。そして慈しむ様に腹を撫でた。
「あぁ。妾に子が出来るとはな。
これでも一応女だったらしいな」
これまで見た中で、一番美しい彼女の姿だった。
「後、数か月もすれば腹も脹らみ誤魔化すことは難しくなる。
妾は、4か月ほど療養することになろう。
全て手配済みじゃ。
表向きは病気ということになるだろうよ。
フフ、こんな時に痘そうになったことが役にたつとはな。
痘そうに打ち勝った、不滅の女王、か、フフ、おかしいことよ、の」
心底おかしそうに笑う。
私は俯いたままその話を聞く。
「どうしても、一緒に逃げてはくれない、と…」
そう呟いた声は、彼女の一瞥に遮られた。
「ぬかすな、アーロン。
何度も言わせるな、
妾は王じゃ。妾はやれん。
子をそなたに託したのちは、お主とは会わん。
そうさな、妾の為に、ドレスを作っておくれ。
お主が作ったドレスを妾はそなたと思う。
妾は愛しい人の子が産める幸せを手に入れることが出来るのじゃ。
人並みに人間らしい事が出来る。
それ以上、何を望もう?」
彼女の平坦で乾いた声が、彼女の心を代弁している。
心で泣いているのだ。
だが、王である矜持で彼女は泣かない。
私はただ、彼女を抱きしめた。
「もう2度と、お会いできない、とおっしゃるのですか?」
抱きしめても腕の中で微動だにしない彼女に乞うように囁いた。
「こんな、疱瘡の跡が顔だけでなく体にも残るような女に、お主も物好きよの」
彼女が乾いた声で笑った。
「…?アーロン、お主、泣いておるのか…?」
「…陛下の代わりに、泣いております…」
私の知らない間に涙が出ていたらしい。
止まることがない涙があふれ出る。
確かに、彼女の顔や体には疱瘡の跡がある。
なめらかな肌、とは言い難いかもしれない。
一般的にいう美醜でいうなら、外見は美しいとは言えないかもしれない。
だが、それが何だというのだ。彼女の個性だ。
疱瘡に打ち勝った、勝利の後だ。こんな愛おしい物はない。
打ち勝たなければ、私は彼女を抱きしめられなかったのだから。
痘痕に一つ一つキスを落としていく。
今だけは、私のものである彼女に、最大の愛を。
彼女は優しく私を抱きしめた。
私は、彼女を真剣に、愛しているのだ。彼女の強さも、脆さも、全て。
彼女は、決めたことは決して曲げない。
それが、どんなに辛くても、彼女が彼女であるために、決して自分を優先しない。
「アーロン、我が子を頼む。
妾と思って、大切に育ててくれ。
分かっているとは思うが、生涯母の名は言うまいよ」
「はい、陛下。仰せの通りに。」
それが、彼女と私の、最後の会話だった。
きっかり4か月後に、彼女は病気になり療養が必要だ、と王宮から発表があった。
口さがない人は、あれだけ人を殺したんだから、恨みで病気になったんだろう、といった。
純粋に王女の身体を心配する人もいた。
私はそれを王都内で聞くともなしに聞いていた。
その3か月後の満月が欠ける夜に、私の店の前に赤子が入った籠が置かれていた。
何と、男の子と、女の子の双子だった。
少しばかりのミルクと、おしめ、そしてわずかな衣類。
王宮のものは何一つない。
この中で一番高価なものは、きっとミルクだろう。
彼女は本当に私に子供を託したのだ。王家の子としてではなく。
最後に、彼女の字で書かれたカード。
ヴァイオレット、ニック
それ以外、何も書かれていなかった。
が、見紛う事なき彼女の字だ。
名前以外何も書かれていないのが彼女らしかった。
きっと私に伝えたいことは山ほどあったろう。
我が子を手放すのは容易ではなかったことであろう。
男の子は、彼女と同じ赤毛だった。
女の子は、私と同じ金髪。
籠の中に入っていたミルクを温め、赤子にあげながら、私は泣いた。
多分、人生で2度とこんなに泣くことはないだろう、と思いながら。
翌日、信頼できる筋に乳母の手配をし、双子はすくすくと育っていった。
夜泣きもあまりしない、健康そうな子供だった。
もちろん、彼女はあの満月の欠けた夜の翌日に、政務に完全復帰した。
快気祝いの祝砲が王城から聞こえたが、それが彼女の嘆きの声にしか聞こえなかった。
彼女と別れた後も、私には私の日常がある。
なにせ二人の子供の父親だ。
彼女の為にも何不自由させたくない。
そして、彼女が一番願った、人間らしい生活を子供達に送らせたい。
そう、私は私の仕事をしよう。
ドレスを作るのだ。
どんなドレスだったら、彼女を豪奢に魅せるのか。
どんなドレスだったら、彼女の疲れを癒すことが出来るのか。
どんなドレスだったら、彼女が笑ってくれるのか。
もう2度と会うことが叶わない彼女のために、私はドレスを作る。
どんな女性が着ても華やかに、幸せになれるようなドレスを。