壊れるその日2-3
カリ、カリカリ――
いつもとうって変わって、今日はしんと静まり返った教室にシャープペンの音だけが響く。今日は中間テストの初日だった
カリカリ、カリ――
俺も周りと同じようにただひたすらペンを動かす。
テストの点数はとても重要だ。
どんなに授業態度が悪くても、テストである程度の点を取れば成績はいいし、逆にどんなに授業態度が良くてもテストの点が悪ければ良い成績は取れない。ここはそういう世界だ。だから今日だけは、普段の授業でいつもお喋りしかしてないやつでさえ、静かにテスト用紙に向かう。それは授業態度はいいだろう俺も同じ。
カリカリ、カリ――
だが、俺は少なくとも授業は真面目に受けている。
だから、頻繁に手が止まる隣の席の奴とは違い、スラスラと問題を解いていく。
カリカリ、トントン――コト
問題はチャイムが鳴る十分前には終わっていた。最後の一文字を書き終えた後シャープペンで机の上を二回ノックし、ペンを置く。テスト問題を終える時の癖だった。
時間が余ってケアレスミスがないか、誤字がないかなどを簡単にチェックする。――大丈夫だろう。俺はすべてやり終えたことを再度頭の中で確認すると、後の時間はぼーっと黒板を眺めて過ごした。それを見た教師が満足そうな笑みを浮かべる。教師は俺がテスト問題が終わったことを理解しているのだろう。その後は二度とこちらを見なかった。
今日、五月十八日は、母さんの誕生日でもある。
けど別にこの年になって、いまさら大喜びで母親の誕生日を祝うという柄でもない。だから、誕生日といっても、特に何をしようとも思ってはいなかった。
「いらっしゃいませー! 本日新作ケーキ発売です! 発売記念は、なんと半額キャンペーンやってまーす! ぜひおひとつどうぞ~!」
だから、これは気まぐれだ。
偶然、帰り道に通りがかったケーキ屋で新作ケーキが発売していた。
売り子の女の子があまりにも元気で、こっちまで少しだけ元気にされた。
半額になったケーキの価格が、たまたま財布の中にあるお金ちょうどぐらいだった。
ふとその時子連れの親子がそばを通った。
ふと……夕暮れが目に映った。母さんの顔を、思い出した。
それだけ。
ただの気まぐれだ。
ただの気まぐれだったけれど、ちょっとだけワクワクしたのだ。久しぶりに。
俺がケーキを買ったら、母さんはどんな顔をするだろうと。
そういえば、ここ最近は母さんも仕事で忙しく、ほとんど話していない。
昔は仲が良かった気がするのに、ここ数年ぐらい、ちゃんと面と向かって話をした覚えがない。いろいろと俺と燐のことで迷惑もかけている。むしろ母さんにこそ、一番迷惑をかけている。だからほんの少しだけ、今日は特別なことをしてあげようと思ったのだ。
――それすら神様は、許してくれなかったけれども。
「よっす、カイ君~」
「よく会うね~? やっぱり俺らって運命でつながってる?」
「お、なに持ってんの、それ? ケーキ? へぇ~、ケーキか。誰かのお祝い? ……ちょっとそこの公園で遊んでいこうよ。どうせ暇でしょ?」
後ろから突然肩をポンとされたかと思うと、そこにはいつもの三人がニヤニヤと笑いながら立っていた。
「なんで……?」
いつもならいい……が、今日は……
「ほらほら行こうよ、カイ君~」
しかし逃げる隙もなく、腕を組まれ連れていかれてしまう。
そこからはわかりきった展開だった。
「カイ君って、いくら殴っても痛い顔しないよね? 鍛えてるの? ほらほら!」
最初はじゃれ合っている風に小突いてきて、それは決まりきった流れでいつしか暴力に変わる。
「ねえねえ、やり返さないの? ほら、ガードあいているよ。……こないの? じゃあこっちからいくよ。ボクシング、ボクシング!」
「ぐっ……!」
当然俺は手を出さない。けれど、いつもと違うのは、手に持っているものを守りながら、なんとか三人の攻撃をいなしていたこと。反撃しているとは思われないように、しかし手に持っているのものには絶対衝撃がいかないように……
「おしい! そこガード空いてるぜぃ!」
「……くそっ」
けれど、三人も当然そんなことわかっていた。むしろわかっていて楽しんでいた。俺が手に持っているものをかばうように攻撃を受け続けるものの、いたずらをするように後ろから一発、そしてまた一発と、次々にそれに攻撃を加えていった。
「ああ~、またがらあきだ!」
「落とすなよー。落としたらぐちゃぐちゃになっちゃうよー?」
「ていっ」という掛け声とともに放たれたチョップがとうとう直にそれにあたり、ついそれを落としてしまう。……これ以上やられたら、もう中身がもたない。そう思って衝動的に、声を上げた。
「おいっ、やめろっ!!」
そして落ちたそれを踏みつけようとしていたクラスメイトをにらみつける。
しかし……
「あぁん? なんだその目は?」
そう言われて、反射的にビクッと動きが止まってしまう。
目……? まさか……? やってしまった……?
けれどそれはもちろんいつもと同じ勘違いで、
「悔しいならやり返してみろよ、ほらっ!」
ぐしゃっとクラスメイトの一人が地面に落ちたケーキの箱を踏みつける。
その一撃は、中のケーキを駄目にするには十分すぎるほどだった。もう到底、中身が無事とは思えない。途端に、これまでにない怒りがこみあげてくる。せっかく買った母さんのためのケーキをダメにしたクラスメイトを、ぐちゃぐちゃに殺してやるたくなる。なるのに……
「残念~。せっかく落とすなってアドバイスあげたのに~?」
またしてもぐしゃっとケーキの箱を踏みつける。踏みつけるのに……俺はそれを見て、一歩も動けない。いや……動かない。
「やめ……ろっ」
口ではそういうが、決して手は出さない。
ただ見てるだけ。
それも、あえて怒りを抑えながら。
「やめ……ろって、言ってるだろ」
「やめないよ~。やめさせたければ、止めてみろよ!?」
あははと笑いながらクラスメイトがなおもぐしゃぐしゃになったケーキの箱を踏みつける。
俺はただそれを見続ける。
その後もクラスメイトはサッカーボールで遊ぶみたいにコロコロとケーキの箱を面白おかしく蹴り続けた。
やがて、クラスメイト達も飽きたのか、「そろそろ帰ろうぜ~? 俺はらへったわー」とまるでさっきまで普通の会話をしてたかのように当然に帰っていった。
後にはもはや原型をとどめていないケーキの箱と、棒のように突っ立った自分だけが残った。
足元を見る。
さっきまでは綺麗だった、今はぼろぼろになったケーキの箱が見える。
その中身がもうダメになっていることなど、わざわざ確認する必要もない。それはもう、悲しいまでにずたぼろになっていた。
今度は上を向いて空を仰ぐ。
目を閉じる。
そしてゆっくり、呼吸をした。
「……くく」
しかし数分して不意に俺の口から漏れ出てきたのは、予想外にも笑い声だった。
「くく……あっはっはっはっは!」
午後六時ごろ、空はもう薄暗くなって通りの電灯も点灯し始めている。公園の生垣では虫がかすかに鳴き始めていた。そんな中俺は、久しぶりに大声で笑っていた。
「あっはっはっは! あっはっはっは!」
周囲の住宅の中の人からしたら相当不審だっただろう。日もすっかり沈んだ公園で、若者の乾いた笑い声がする。その足元にはぐしゃぐしゃになったケーキの箱があって、しかしその前に立っている男の子は笑っていたのだ。空をかすかに見上げながら……
やがて、俺も笑うことに飽きたのか、自然と笑い声は止まった。
あとには空虚だけが残った。
俺はぐしゃぐしゃになったケーキの箱はそのまま放置して踵を返すと、何事もなかったかのように帰路に着いた。




