本当はずっと、知っていたんだ。1−8
「うあああ―――――――――――っ!!」
「おいっ……なんのつもりだっ、お前ッ!! やるのは私じゃない。あっちだ。離れろ!!」
「聞いてるのか、お前ッ! 私の命令だ、離れろ、人形ッ!!」
「うぐあっ……!」
白髪の少女に思い切り蹴とばされ、たまらずよろよろと後ろに退く。
鈍痛の走る頭で何が起きたかを必死に思い出す。
確か俺は……この白髪の少女に噛まれて気を失って……それでどういうわけか身体が勝手に動いて、燐を襲おうとした。けれどすんでのところで力の方向を変えて……そうだ、白髪の少女に攻撃したんだ。それから白髪の少女と取っ組み合いのようになり、今白髪の少女の反撃で後ろによろめいた。……細かい記憶はよく思い出せないが、だいたいのことは映画のレンズでも通すみたいに見ることだけはできていたから、なんとか状況は把握できる。
傍では「お、お兄ちゃんっ!」と燐が心配そうにこちらを見つめている。
「お兄ちゃんっ、大丈夫!?」
「うあ……があぁ」
けれど上手く口が動かない。
まるで言語そのものをまるっと忘れてしまったみたいに、喉から意味のない声だけが漏れ出てくる。
「お……おにい、ちゃん?」
そのせいで依然燐の表情には不安が色濃く残るが、俺の方はもう心配ない。それをもう一度だけ燐に伝えようとしたがやっぱり意味のある声は出てこなくて、俺は、まず今はと、視線を白髪の方に戻した。
視界の先では、白髪の少女が地面に膝をついてこちらをキッと睨みつけてくる。
「お前……どういうことだッ。あり得ないッ! 私の毒を食らって、生きてられることなんて、私の命令に逆らうことなんて……!」
目を今まで以上に赤黒く染めて、敵意をむき出しにして、白髪はこちらを睨みつける。
さっきまでの自分であればその圧に押されてあっさり後退していただろうが、今は平気だ。不思議と身体から強靭な力が湧いてくるのを感じる。あるいは、白髪の毒を受けたせいか……。ただ、今なら、決して白髪にも負けない。そんな自信だけが湧いてくる。
「ありえな――ぐはっ!?」
だからまだ膝をついて立ち上がれずにいた白髪に、先に追撃を加えた。
思い切り腹を殴り上げて、勢いのまま後ろに吹っ飛ばす。
白髪の身体が小柄で軽いから……だけじゃない。やはり明らかに、いつもより強い力を引き出せる。……と同時に、胸のうちから明らかに自分のものでない憎しみの感情も湧き出てくる。自分の限界を超えた力と相まってその感情を押さえつけることは到底できなさそうで、自分の意思が半分、あとの半分はその感情に支配されて、白髪の少女に追い打ちをかけた。
「ぐっ……うあっ……はっ!」
連続でパンチと蹴りを白髪に食らわせて、さらに白髪がよろめいた所をグイッと押し倒してさっき燐にしたみたいに、上に覆いかぶさる。
覆いかぶさって、最後の一撃を食らわせてやろうと思った。
そこで不意に、もはや両目だけでなく顔や肩も赤く染めた白髪が口にした。
「はっ、その目……! そうかお前も……お前もそこの女と同じ、ヘビになれる化け物だったってことか……ははっ。なんだ、滑稽じゃないか。ははっ」
その言葉を聞いて、つい俺の手がピタリと止まってしまった。
――それがまずかった。
「ふざ……けるなよ、お前っ!!」
俺の一瞬の隙をついて逆にすさまじい力で白髪は俺を押し返し、今度は俺を床に押し倒し馬乗りになった。馬乗りになって何度も何度も、俺の顔を殴りつけた。
「ふざけるなっ、ふざけるな……っ! ふざけるなよ、お前……ッ!!」
「お兄ちゃんっ!!」
燐が叫び声をあげる。
白髪のこぶしが一撃、一撃入るたび、俺の頭が左右に揺られる。
「お兄ちゃんッ!!」
再度燐が悲鳴を上げる。
その声に突き動かされて、俺はまた力を振り絞ってグイッと白髪の身体を押しのけ、血のにじむ口元を拭いながら立ち上がった。
「……ぐっ……おまえ」
白髪の少女は膝をついて体力を回復しながら、こちらの様子を伺う。
「があ……あ……あがあぁあ」
言葉を……口にした。
口にしたつもりだったが、それは言葉にはならなかった。
やがて膝をついていた白髪がゆっくりと立ち上がり、けれどこちらを力ない目で見つめて、言った。
「……今日は見逃しといてやる。でも次は、必ず殺す。……二人とも。……私の手で!!」
言って、振り返って、工場の闇の中に白髪は消えていった。
少しずつ輪郭が暗闇に溶け込んでいき、やがてその白い髪もふわっと煙が消えてなくなるように、その場から見えなくなった。
そうしてあたりに暗闇と静寂と、わずかな明かりだけが残されて数秒……燐が俺に駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
「あが……あ」
それに答えようと俺も振り向いてしかし、その瞬間に胸が裂けるような痛みに襲われる。
「うう、があああぁ――――っっ!」
「お兄ちゃんっ!?」
そしてすぐにまた、意識を失った。
目の前の景色が少しずつ黒く染まっていく中、「お兄ちゃんっ、お兄ちゃんっ!」と、俺を呼び続ける燐の声だけが、耳の奥に響き続けた。




