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とととてん  作者: くる
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壊れるその日1-4

 東京は、田舎に比べてはるかに楽だった。

 街は田舎よりはるかに発展していてしかし、住人は隣人の名前すら知らない。道行く人たちはすれ違う人に何の気も払わないし、学校でもクラスが違えば、またクラスが同じでも興味が合わなければ赤の他人と同じぐらい人間同士の関係性は希薄だ。それは俺たち家族にとってこの上ないもの。家の中で万が一蛇になることがあっても隣人にばれることなどまずないし、田舎みたいに道端で何気ない会話や動作を見られているんじゃないかとびくびくする必要もない。学校の友達も昔ほど親密な付き合いをしなくても友人関係が維持できる分、リラックスして学校生活を過ごせるようになったし、危険そうなクラスメイトがいてもそれは避けて他の無難な友人に集中すればいい。東京という希薄な街は、俺たち家族が過ごすにはもってこいの場所だった。おかげで小学六年から中学二年の始めまで、俺たち家族はたいした事件もなく、平穏無事な生活を送ることができた。俺も何人も友達ができて毎日のようにそいつらと遊んだし、中には俺を親友と慕ってくれる奴もいた。けれどその生活が再び崩れたのが、中学二年生の中盤だ。そのきっかけは昔と同じく、やはり些細なもので。

『あの子、気に入らない』

 そんな一部の女子から始まった燐に対するやっかみ……。燐は例の事件があって東京に移ってきてからというもの、すっかり前と変わってしまった。以前みたく大口を開けて笑うことはなくなり、周囲と話すことも極端に減った。……それが悪い方向に作用したのだ。燐の古風ながら整った容姿と、しとやかに長い髪を揺らす物静かなたたずまいは、異様に男子の視線をひいた。きっと『蛇になれるという秘密』が漂わせる雰囲気もあったのだろう。燐は決して学校で一番の美少女という風ではなかったが、校内ではなぜかいつも一番もてた。そしてそれがいつも、女子の嫉妬と反感を買った。

「きゃっ……」

「あっ、ごめーん。転ばせちゃった? 土禍さん」

「……いえ、別に」

「仕方ないんじゃない。存在感薄くて見えなかっただけでしょ? ××のせいじゃないよ、アハハ」

「…………ごめんなさい」

 燐は言わなかったが、時には軽い暴力を振るわれたり物を捨てられたりもしたらしい。けれどそこは内気で気弱な俺の妹。燐は何をされても怒るどころか、いつもいつも申し訳なさそうに「ごめんなさい」と謝り続けた。燐は何一つ悪くないというのに……

 だがそうして燐に対するイジメがエスカレートしていく中で、それはどこからともなくやってきたのだ。

「ホント土禍ってムカつくよね。なにあのすました態度。『ワタシは貴方たちとは違うのよ』ってか? ほんと死ねばいいのに。なんかないのかなー……あいつを貶める良い方法」

「△△ちゃん、本当にあの子嫌いなんだね~。……あっ、そういえば知ってる? 実はあたし土禍さんと同じ小学校だったんだけどさ……」

「え、そうなの!? 初耳! なんで言わなかったのよっ」

「いやいや、同じって言っても、土禍さんが六年生の時に転校してきただけだし特に仲良くもなかったし。で、ある日先生が漏らしてたんだけどさ――」

 始まりは、夏休みを終え二学期が始まって少し経った頃の、体育の授業中だった。その日はバスケットボールの授業で、軽い準備体操のあと生徒は各自ボールを持ってドリブルの練習をするように言われたらしい。そして燐がボールを取りに行った時、たまたまそばにいただけの何気ないクラスメイトに、燐は言われた。

「土禍さん、それ私が取ろうとしてたボールなんだけど」

「え……あ、ごめん。どうぞ……。私、他のでいいから」

「当然でしょ」

 バシッと、差し出されたボールをクラスメイトが荒っぽく受け取る。そして、言った。

「なに勝手に綺麗なボール取ろうとしてんのよ、ヘビのくせに(・・・・・)

「――――っ!」

 そう言われた時の燐の気持ちは、痛いほどまでにわかる。どうして、なんで? ――そう疑問に浮かぶより早く襲ってくる真っ白な絶望感。比喩ではなく学校生活や人生、今までに築き上げてきたものが目の前で全て崩れていくかのような喪失感。身体は動かし方を忘れてしまったみたいに上手く操れなくなり、頭は走馬灯のように失うモノを正確に計算する。それなのに事態を切り抜ける対処法は少しも考えられなくて、鼓動は静かに早くなり、周りの空気が異様に重くなる。そのせいで一刻も早くこの場から立ち去りたいという強い焦燥に駆られるが、逃げ場などどこにもない。たとえこの場から逃げられても、ばれてしまったというその事実、それは一切消しようがないのだから。

 その日学校から帰ってきた燐の青ざめた顔は今でもはっきりと覚えている。いつもみたいな遠慮がちの「ただいま」の声も、ごく小さな足音が滲ませる弱々しい気配も完全に消して――いや消したのではない、消えてしまったのだろう――燐は一つ前の家のリビングに現れた。それがただ事ではないことなどすぐわかって、俺は聞いた。

「ど、どうした、燐!? 何があった!?」

「…………」

「黙ってちゃわかんねえだろ! 教えろ、何があった!?」

「…………た」

「……なんて?」

「……ばれちゃっ、た」

「――――っ!?」

 その時の俺の衝撃もまた言うまでもないだろう。数年ぶりに味わう、しかし数年前とは比べ物にならないほど大きな絶望感。そんな絶望感を時間感覚がなくなるほど噛みしめた後、俺はようやく燐に尋ねることができた。

「……どうし、て?」

 しかし今思えばそれは最低の質問だったのかもしれない。この時一番動揺していたのは間違いなく燐だったはずなのに、同じく動揺していた俺はそんなことも気遣えず、半ば燐を責めるように聞いてしまったのだ。それが最後の一押しになったのかもしれない。

「わから……ない。わから、ないのっ。ごめん……ごめん、なさい。ごめんなさい、お兄ちゃん! ごめんなさいっ!」

 聞かれた燐は膝から崩れ落ち、とうとう大声を上げて泣き出し始めた。それは皮肉にも他の燐のどの声よりも大きく、静かな俺たちの家のリビングに悲しく響き渡った。


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