壊れるその日1-1
◆◇◆ Ⅰ:壊れるその日1
ゴールデンウィークが完全にあけた、五月八日。
俺は赤錆びた玄関ドアを開けて、外に出る。
今日は月曜日だ。五月晴れの空はそれに相応しく雲一つなく、爽やかな風を通す。アパートの前の街路樹から、日の光が数滴こちらに零れてくる。手で支えるドアは少しでも動くとギギギとぎこちない音を上げる。
「灰……今日私、仕事で夜遅いから、できたら晩御飯お願い」
「……ああ、わかった」
「それと、燐の分も」
「……ん」
部屋の奥から細い糸を通すように伝えてくる母親に答え、俺はドアから手を放す。そのままでは中途半端な所で止まってしまうから、俺は最後にぐっと手のひらで一押ししてドアを完全に閉める。
バタン、という音ともに、錆びを纏った鉄製のドアは家と外とを遮断する。
俺はそのまま通路を歩き出し、三階から一階まで階段で降りて学校へ向かう。
教室に着くと、もうすでに十五人ほどのクラスメイトがいて、朝の短い時間を精いっぱい世間話に勤しんでいた。
「あの映画見た? 絶対見ないほうがいいぞ。マジでつまんねえから」
「ゴールデンウィーク、海外行ってきたんだぁ。これお土産~」
「白髪の女の噂知ってるー? 最近出るらしいよー」
「今日からまた学校かぁ……台風でも来ねえかなぁ。そんで臨時休校とか」
朝日の差し込む教室にクラスメイトの黄色い笑い声が響き渡る。誰が開けたのか窓は全部開いていて、時折カーテンがパタパタとはためいている。その中で俺は教室の後ろ側を通ってごく自然に窓際の自分の席へと座る。黒板上方にある時計を見れば、また始業まで二十分はあった。……どうやって時間をつぶそうか。頬杖付いて目をつむって、しばし考える。
「…………」
考えてしかし、気づけば机に突っ伏して寝入ってしまっていたらしい。次に目を開けた時には、教室はひっそりと静まり返り、教師の低い声が波のよう教室を漂っていた。時計を見れば、すでに九時を回っていた。
「やってしまったな……」
教壇ではカッ……カカッと、教師が黒板にチョークを打ちつける。
ただでさえ重いまぶたが、寝起きでさらに重い。
俺は一応寝ていたのがばれないよう音を立てずにバッグから教科書とノートを取り出すと、すぐに注意を黒板に向ける。けれど中途半端に睡眠状態に入っていたから、いやに身体がだるい。うたた寝したのは完全に失敗だったと、若干の後悔を抱きつつ頭を切り替え、板書の内容をノートに書き写し始める。さっきはやけに静かだと思ったが、実際周囲に気を向ければ、多くの生徒がひそひそと内容のわからないお喋りに興じていた。
アハハー、
くすくす、
それでさー、
えー、いやだぁ~、
教師はそれらに気づいているだろうに、注意はせずに授業を進める。
いつの間にか窓は閉められていたらしい。外に見える空は青く晴れ渡っているのに、教室はまるで曇天のごとく空気が鬱屈としている。そこに教師の低い声とクラスメイトのひそひそ話だけが流れわたる。
俺はノートのページを一枚めくると、頭をからっぽにするかのように指を走らせ、ノートを板書の内容で埋め尽くした。
――キーンコーンカーンコーン
放課後になった。
今日はホームルームはない。授業が終わると、多くの生徒が足早に教室を出ていく。大半の生徒はすぐに始まるだろう部活のために。少数の生徒はより多く学校外での時間を過ごすために。そして後の残りは思い思いの理由で。
そんな中で教室には十人弱の生徒が依然残っていて、俺もまたそのうちの一人だった。とはいえ別に用があって残ってるわけではない。ただやることがないから、帰る準備もそれに合わせて緩慢なだけ。本当ならば動くことさえ億劫で、できればこのままここに一生座っていたいぐらいの気持ちだった。しかし例によってそれを許してくれないやつらがいる。俺が椅子の背もたれに身体を預けてぼんやり天井を見やっていると、そいつらは不躾に話しかけてきた。
「カイくーん、ちょっといいカナー?」
「俺らこれからアソビに行くんだけどさー、お前も来ない?」
「来るよなー、カイ? じゃないと……」
俺はそいつらを一瞥だけすると、面倒くさいと思いつつも残りの荷物を適当に鞄に詰め、気だるげに立ち上がった。こいつらを憎む気持ちは全くなかった。ただ「つまらない時間が始まるな」、それだけ思うと、少し身体が重くなった。




