週間脱皮
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
どうも、このトレーナーとか、靴下とかを裏返しにして洗濯機に入れられるのって、カチンと来るのよねえ。ウチは男所帯のせいか、みんなそろって「くるりんぱ」の刑よ。
旦那はひとり暮らしの経験がないせいなのか、この裏返しがしちめんどうだって言っても、なかなか共感が得られなくって。こーちゃんも、自分で洗濯をする身だったら、少しは分かるかい? この億劫さが。
父親の脱ぎ方を見て、ウチの子たちは学んだんだろうね。揃って、裾を一気につかみ上げて、おへそや脇の下丸出しで脱いでいくパターン。
やりやすいのかもだけど、服が裏返しになりやすいから、ざざっと直してもらえるとありがたいねえ。私もシャツを脱ぐ時なんかはこの脱ぎ方だけど、自分が直している分、余計に気になるわ。
こーちゃんは同じ? それとも袖から? 頭から?
特に文句をつける気はないけれど、服を脱ぐ機会なんかがあったら、大事にした方がいい点もあるわ。
聞いてみない?
学校における男子と女子の着替え。おそらく、多くの人が「差別」と感じた、通過点じゃないかと思うの。
今までは一緒の場所で着替えていたのに、なぜこの期に及んで、男女を区切らなきゃいけないのか。その手の知識を知らないというか、恥じらいがないというか、真っ白だった時期は、思い出してもまぶしい限りね。
私の学校では、女子が教室を占有。男子が体操服一式を持って廊下へと追い立てられる、という図式だったわ。着替えが済んだ人から、順に授業する場所へ向かうの。
体操着袋は、運動場に行く時は朝礼台に、体育館に行く時にはステージに固めて置いておくことになっていた。そして女子は着替えに時間がかかる分、授業前後で多少遅れたとしても、おとがめなし、というルールだったわね。
この状態。男子には非常に嫌な顔をされたわね。「どうして俺たちは、少し遅れただけで怒られるのに、女子にはそれがないんだ。不公平だろ」って。
互いの性差に、関心と心配りを持つにはまだ早い。男子がぶうぶう文句をいうのを聞いて、私は少しむっとしたけど、一理もあったわ。
体育が苦手な子は、一分一秒でも時間を稼ごうと、もたもた着替えているのも事実なんだもの。私は差別も甘さも同じくらいに腹が立つ人間だった。
だから私はいつも、体操着の上から服を着るようにしている。誰よりも早く着替えを終えて、授業に参加することで、少なくとも自分は汚い連中とは違う、ということをアピールしたかったんだ。
そんな私につられてか、着替えのペースが明らかに早くなる子が増えてきたけど、やがて私はおかしなことに気づくようになったわ。
その日の体育の時間も、窓や扉やカーテンを閉め切って、女子の着替えが始まったわ。
私はボタン付きのブラウス。前ボタンをはずして、袖を抜いたら、下に来ている体操着が出てくる。スカートの下もブルマーを履いているから、いざとなれば、もう数秒でアクションを起こせた。
教室をざっと見回す。みんなの中で、いつも着替えが遅い子の方を、じっとにらんでいたわね。「早くしろよ」ってせかす意味を込めながら。
その子はお腹のあたりに、両脇から手を突っ込めるポケットがついたパーカーを着ていたわ。私の視線に気づいているのか、いつもは袖からのろのろと抜いていく服を、今日は裾を掴んで、一息に持ち上げたわ。下のTシャツも一緒に。
へそから胸にかけて露わにしながら、脱いでいく彼女。その間、私は目をくぎ付けにされっぱなしだったわ。
だって、彼女がさらけ出す肌は、ことごとく赤かったの。
血の赤というより、カメラのフラッシュを焚いて、その明かりをもろに目に受けた時にできる、光の残像。あれと同じような色なのよ。
「えっ」と私が思った時には、もうへそのあたりから、じょじょに、じょじょに、彼女本来の肌の色に戻っていくの。そして着込んだ体操着に隠されて、すっかり見えなくなってしまったわ。
私は体育で二人っきりになった時、彼女に「お腹から胸にかけて、ケガでもしたの?」と尋ねたけれど、首を傾げるばかりで、はっきりとした答えは返ってこなかった。
気づいていないのか、隠し事があるのか……何とかして暴きたいと思うようになっていたわ。変わらず、体操着をあらかじめ着込んでおくことで、準備を真っ先に完了する見張り役としてね。
当時はまだ、年間を通して時間割がほとんど変化しない時期。体操着を使う曜日は、決まっている。次の体育が待ち受ける二日後のことを考えて、少しドキドキしていたわね。
家に帰って、すぐに体操着を洗濯機へ放り込もうとする私。けれど、たまたま母が洗面所にいてね、体操着を掴んだ母は顔をしかめたわ。「ちょっと汗をかきすぎてる」ってね。
そりゃ、朝から着こみっぱなしだったんだから、仕方ないでしょ、とも思ったわ。そう答えると、たまには学校で着替えなさい、と注意されたわ。
「クラスでひとりだけなんじゃない? 毎回、体操着を最初から着ている子、あなた以外にいる? いるんだったらいいけど、いないんだったら止めた方がいいわよ。みんなに合わせなさい」
空気を読め、と言われたわけ。で、その「女子はずるい。女子は特別」という空気を吸いたくないから、私は体操着を着ているわけ。相容れるわけがなかった。
二日後から始めた、着替える時の肌観測。真っ先に体操着の準備を整えて、教室を見やるけど、それは彼女ばかりじゃなかったの。
他のみんなの肌にも、同じようなものが現れる。色に関しては、青かったり、白かったり……あの光の残像が残し得る色が、みんなの肌にのぞくの。
そして、それは長く続かない。もって数秒間の不思議な「てかり」は、現れた時と同じように、さらされた箇所からどんどん、元の肌の色に戻っていく。
見間違いじゃないか、と何度も思ったわ。でも、目をこすったり、閉じたりしたら、この怪現象と、本当の残像の区別がつかなくなる。それでいて、いざ遠回しに聞いてみても、ほとんど首を傾げられて、満足な答えは返ってこない。
私の中のいらいらは募るばかりで、腹痛さえ覚えるようになり始めていたわ。
初観測から、一カ月半が経った、バレーボールの時間。
スパイクを打とうと、トスしたボールに合わせ、思いっきりジャンプして、上半身をしならせようとした私は、急激な腹痛に襲われたわ。
身体の内側からじゃなく、外側から強く殴られた感じ。たまらず、お腹を押さえながら、涙交じりのうめき声をあげて、転がっちゃったの。
尋常じゃない苦しみ具合に、私はすぐに保健室へ運ばれた。同伴してくれた保健委員の子が、体育館へ戻っていくのを見送ると、年配の保健の先生は私のお腹へすっと手を当て、体操服を脱がしにかかったわ。
でも、少し服の生地が動いただけで、治まりかけていた激痛が、お腹を走るの。私が痛がる様子を見て、保健の先生はベッドへと連れ添ってくれる。
その上へあお向けに横たわる私。先生はというと、薬が入った棚の戸を開いてヘラを取り出すと、いくつも並んでいる薬ビンの中からひとつを選んで、ふたを開ける。
棚とベッドはだいぶ離れていたのに、私のところまで、アンモニアに似た刺激臭が、かすかに漂ってきたわ。その得体のしれない液体を、先生は金属のヘラの上に、つつっと垂らす。
ヘラの表面にしっかりと薬を広げた先生は、私のそばへ戻ってくると、「ちょっと我慢してね」と言い置いて、先ほどめくりかけた体操着と、私の肌の間へ、そうっとヘラを差し込んでいったの……。
バリバリ、とくっついたのりをはがすような音が、私のお腹から聞こえた。
先のものよりましだけど、チクチクした痛みに、私が上体を起こしかけたところ「じっとしていて」と、止められたわ。とても低い声だった。
視界の端で、体操服の中で、ヘラの形をした盛り上がりが、右へ左へ動きながら、少しずつ首元目がけて、登り詰めてくるのが見える。
それにともない、はがす音も、ちくちくした痛みも、どんどん大きく、強く感じるようになっていく。
先生もヘラの動きに合わせて、ベッドのふち沿いに、私の枕元へと近づき……やがてヘラの先が、体操着の丸い襟元から、顔を出す。
動きと一緒に体操着もめくりあがっていったから、私はおへそから胸の上あたりまで、保健室の明かりの下へさらされているのは間違いなかった。
「もう大丈夫よ」という声と共にヘラが引き抜かれて、私は起き上がったけれど、自分の肌を見て、目を丸くしたわ。
私の肌には、無数の穴が空いていたの。それぞれが太めの針で刺したかのような、小さくても深い穴。
そして、私の体操着の裏側には、だいだい色をした針の山がびっしりと生えていたの。今朝がた、着込んだ時には少しもそんなものは見受けられなかったのに。
「ずっと前から、学校で同じ服を着続けると、汗をかぎつけて、これが生えることがあるのよ」
おばあちゃん先生は、額の汗を拭いながら、話してくれたわ。
「放っておくと、服を脱ぐのに、自分の肌ごと、はがさなくてはいけなくなるの。大事にならなくて良かったわ。ちゃんと着替えている人の肌は、常に生まれ変わり続けている。服を脱ぐ時、一緒にね。そういう人には、こいつは寄り付かないんだよ」