文学少女の窓と庭
その小さな窓から覗き見た景色は、美しすぎた。不自然なくらいに。
俺は夢魔だ。というと、語弊があるかもしれない。俺は人の夢を渡る“夢渡り”という特殊な能力を持っている。異能力というほどではなく、かと言って普通でもないこの力は、不思議なもので、人様の夢を覗きみると、それが次の日の活力に変わっている、気がする。あくまで気のせいなのかもしれないが。
俺が10数年夢を渡って経験から知っていることがある。人は夢に1つ窓を持っている。その窓は大きなものから小さなものまである。心が他者に対してオープンな人ほどおそらく大きなもので、小さなものほど、人との接触を拒んでいる。
普段、俺は大きな窓から人様の夢を覗き見ることが多かった。“夢渡り”は実際に自分を相手の夢に出現させ、やりとりをすることも出来たが、リスクがあるので、俺はあまり好まない。それよりも滅茶苦茶に破綻している人様の夢を見て、笑い転げる方が気楽でよかった。
その窓を覗いたのは出来心だった。上下のない夢の空間で、あまりにも小さな窓を見つけたのだ。好奇心をくすぐられた俺は、その日に限って小さな10cm四方の窓を覗いてみることにした。こんなサイズの窓を持つ者が、どんな人間なのだか知りたかったからだ。
そこには、庭があった。美しい庭だ。特に手入れがされているわけでもなく、あるがままに伸び放題に見えて、バランスがとれている。その中央はなぜかこんもり丘のようなものがあり、ひときわ大きな木が生えている。その根本に一人の少女がいた。なんてことはない、年は17歳くらいで俺と同じくらいに見える、凡庸な容姿の少女だった。彼女は夢の中で眠っていた。
__これは面白いかもしれない。夢の中で眠っている時、風景はその人の自然体を表す。このおかしな美しい庭が、彼女の本性ということになる。大体の人間が生活圏のものを思い描くのに対し、この自然は彼女の夢想したものだろう。しばらく見ていると、彼女の体が宙に浮き、少年の姿に変わった。__これまたおかしな夢が始まったものだ。
普通、人は夢の中に、自分自身を登場させることが多いと思う。だが、少女の夢はまるで映画のように、物語が進む。彼女は、物語の中の一役者に性別さえ変えてなりきっている。
庭は、もう庭ではなかった。そこはファンタジーの街となり、晴れ渡った空を飛空艇が飛び交っている。少女だった少年は、冒険家の祖父を手伝い、船で森の中にある川を探索する。だが、船はいつの間にか、底に穴が空いて沈んで行き、少年はは何者かに川底に引き込まれ……そこで唐突に話は終わった。
__ひどい悪夢だ。なんだよ期待させておいて。俺はちょっとばかり腹が立った。しかし、面白い。とりあえず一般的な普通の夢ではなかったことに満足しなければ。そろそろ、もう夢渡りをやめて自分の頭を休めよう。
俺は、滅多にないことだったが、こっそり少女の窓と自分の出入り口をつなげた。これをしてしまうと、他の夢に渡れなくなってしまうが、少女の次に見る夢が気になった。
少女は、見るたびに別の人間の姿になった。夢はその別人の姿で進んでいく。そして必ず悪夢で終わる。俺は、さすがに気の毒になってきた。
コンコン。
俺は少女が庭で眠っているときに、窓を叩いて見ることにした。
コンコンコン。
彼女は、いつもの夢に入りかけたが音に気づき、びっくりしたように起き上がって庭を歩いてきた。
「こんなところに窓があるなんて。それに今日の夢は自分自身が出てくるなんて、不思議だわ」
彼女はこちらを覗き込み、俺に気づいたみたいだ。
「まあ、本当に不思議、知らない誰かさんが出てくるなんて」
彼女が俺に関心を持つと、窓がスライドして開けられるようになった。俺はそこを開けて話しかけた。
「こんばんは。面白い夢を見る人。俺は夢魔です」
警戒心を解くように、茶目っ気たっぷりに話しかけると、彼女は目を丸くした。
「夢ってすごいわ。本当に。こういう時って、自己紹介とかした方がいいのかしら?夢魔さん、私は大崎唯よ」
彼女は夢だと思っているからなのか、俺の自称夢魔につっこまなかった。これ幸いと話を続ける。
「実は失礼ながら、たびたび夢を覗かせてもらってたんだけど、君の夢ってほとんど悪夢なんだよね」
「あらごめんなさい。でも夢って自分が見たいものを見れるわけでもないでしょう?」
「それはそうだね。だから今日悪夢を見る前に声をかけさせてもらったんだ」
「夢って心の声っていうじゃない?君はなんらかの原因で悩んでる。俺が力になれるかどうかは置いておいて、放置しておいていい状態じゃないんじゃないかと思ってね」
「__夢も上手くいかないものね。夢の中でさえ、私は自由に生きられないんだわ」
「どうゆう意味?」
「私は日頃人と会話なんてほとんどしない本の虫よ。青桐高校の図書委員、蔵書の陳列を諳んじることはできても、クラスメイトの顔と名前も一致しない」
__青桐高校?うちから徒歩10分のとこじゃないか。俺はそこの生徒じゃないが。
見知った名前が出てきたことに驚きつつ、窓が小さかったことに納得する。
「話しかけてみたらいいじゃない?俺は君、面白いと思うけど」
「話題がないのよ。テレビは見ない、ラジオも聞かない、流行のファッションもアクセサリーも、そんなもの買うくらいなら本に回してるわ」
「夢魔さん、あなたみたいな友達がほしいわ」
彼女が言うと窓が20cm四方くらいに広がった。俺は少し考えてから窓から腕を出した。
「はい」
「なあに?」
「友達の握手。また明日も会いにくるよ」
彼女はおっかなびっくり俺の手を握った。それを軽くシェイクして離す。
「また、来てくれるの?」
「うん。でも、そうだな。明日この夢を誰かに話してみること。こんなおかしな夢、なかなかないでしょ?家族でもいいし、クラスメイトでもいい。約束」
俺は彼女を悪夢から救ってやりたかった。彼女は人を拒んでいるわけではない、ただ、どうしていいのか、わからないだけなのだ。
「そうでないと会いに来てくれないのね?」
ちょっとしょんぼりしているけれど、心を鬼にして頷く。まあ、俺は嘘発見器じゃないし、たとえ嘘をつかれても本当のところはわからんのだが、彼女にはその発想はないようで、真面目に約束を果たそうとしている。
「またね」
そう言って俺は深い眠りについた。
次の日の夜、窓は30cm四方くらいに広がっていた。
「こんにちは夢魔さん。私、笑われちゃったわ。でも友達ができたの」
「クラスメイトに話しかけたのかい?」
「いいえ」
「同じ図書委員の子よ。カウンターに二人で立っても話題がいつもなかったから助かったわ」
「おかしな人ね。って言われたの。これってどうゆう意味なのかしら」
「じゃあ、俺も言うよ。君って面白いよね」
「それって褒めてる?」
「もちろん」
彼女は大きくなった窓を不思議そうに見ている。
「この窓って大きさが変わるのね。この窓がもっと大きくなったら、あなたときちんと向かい合ってお話ができるのかしら」
俺は、肯定も否定もしなかった。できなかったと言うのが正しい。彼女が本当に必要としている窓のサイズがわからなかったからだ。
次の日もまた次の日も、夢で彼女に会った。会わない日は、彼女の不思議な物語のような夢を眺めた。夢は悪夢もあったが、ハッピーなものもだんだんと増えてきた。窓の大きさは35cm四方にはなったが、それから変わらなかった。1ヶ月たち、2ヶ月たった時、彼女は悲しそうに言った。
「夢魔さん、私のはじめての友達。あなたと向かい合ってお話することはやっぱり無理なのかしら」
「……学校は楽しいかい?」
「ええ。友達も少しだけどできたの。楽しいわ。でも本も読みたいし、これ以上交友関係は増やさなくていいかなって思ってるの」
「友達を増やさないと、この窓は大きくならないのかしら。困ったわ」
「無理に広げることはないさ、これが君のちょうどいい窓のサイズなんだよ」
「考えがあるんだ。窓を大きくしなくても、君に会う方法なんてどうにでもなる」
俺はこの不可思議な夢を見続ける少女のことがすっかり気にいっていた。おそらく好きなのだと言う文学によって夢も、そして不自然なくらいに美しい心の庭も形作られたものなのだろう。しかも、俺を自分の夢に招き入れたいと言う。
「唯、君の一番好きな言葉は?」
「月が綺麗ですね、とか?」
「いいね。それでいこう。ねえ、君の学校ってさ、向かいにコンビニがあってその斜向かいにオンボロの中華料理屋があるんじゃない?」
「そうだけど、なんで知ってるの?」
「内緒。明日、放課後校門前にて待つ。真実を知りたければ来られたし」
俺はそれだけ言うと笑って窓から身を離す。会えるかどうかわからない。でも会えたらこれは奇跡だ。
「内緒って……」
「ね、知りたいでしょ?夢魔の秘密。俺は実体の君に会いたいけど君は違う?」
「そんなことないわ」
「いいじゃない。合言葉は『月が綺麗ですね』逢引っぽくて、スリリングで」
彼女は自分がやらかしたことに気づいたみたいで、あたふたしている。
俺は文学少女に会いにいく。
「「月が綺麗ですね」」
お互いの言葉がシンクロし、そこに真っ赤な顔の彼女を見つけ笑いかける。
「さあ、種明かしだ」
文学少女の見た悪夢は私自身が見たものをトレスしています。私自身が物語的な夢の見方で珍しいと聞いたもので、ネタにしてみました。