窓際の子猫
ミナクが部屋、と呼ぶ病室には、たくさんの絵が飾ってあった。ベッドの横にも、テレビの上にも、窓際にも。
きっと、今までずっとここで書いてきたんだろう、彼女は、とても絵がうまかった。
好きなものを選んでいいよ、と言われたものの、全ての絵に、前に見た桜のように繊細で、彼女の心がこもっている気がして、一枚に選べなかった。
ベッドの脇の花を置く机。そこに、ひときわ目立つ、子猫の絵があった。白黒だからよくはわからないが、三毛猫っぽい毛柄で、小さいかわいい子猫。
こちらを見るまん丸の瞳。やや尖った耳。ピンと立った尻尾。ぎこちなく動かす細い、でもしっかりした足。
__届きそうで、届かない__そんなことを思っているのだろうか、前足を懸命に、猫じゃらしへ伸ばしている。
なんだかまるで、櫻庭ミナクの生まれ変わりのようで、不思議なつながりを感じた。
「お、神谷くん、お目が高いねえー。その絵、私が1週間かけて子猫ちゃんを観察して書いた、超大作なんだよ」
ずっと子猫に見とれていた僕に、絵を描いた本人が言った。
え、じゃあそんないいものより、他の絵を……。
超大作なんかをもらっていいものか、と不安に思った僕の心を読んだのか、慌てて首を横に振る。
「いいのいいの、超大作でも自慢する人いないから寂しいんだよ。それに、ひざ掛けとってくれたお礼だし」
気前よく言った。
「……病院に猫って、連れてきていいんだ」
絵の感想でもなんでもなく、ただ疑問を言った僕にも、ちゃんと答えてくれた。
「ううん、これ書いたのは、ここじゃないんだ。おばあちゃんの家にいる猫が赤ちゃん産んだから、見にくればって言われて」
ミナクのお婆さん。きっと似ていて、優しいんだろうな。
僕は自分の祖母を写真でしか見たことがない。
キリッとした一重まぶたに、鋭い目。真っ黒に染めた髪をショートカットにし、灰色のメガネをかけ、白いラインが入った黒のツーピースを着ている。皺だらけの顔からは苦労が滲み出し、写真いっぱいにひろがる、怖いオーラをまとっていた。きっと、厳しい人だったのだろう。
対して、ミナクの祖母はどんな人だったのだろう、と想像していた僕に向けて発せられた彼女の言葉は、僕の想像とは全く違った。
「でも、私が行ったら怒られちゃった。お前の仕事は病院にいることだろうがって」
驚愕する僕に、彼女は言葉を続けた。
「結局、おばちゃんがなだめてくれて、特にもめずに済んだんだけど」
「おばちゃん?」
「ああ、私ね、母親がいないの。生まれたときからずっと、お父さんと、叔母ちゃんと、おばあちゃんに育てられてきたんだ」
僕と同じ、母さんがいない。おばあちゃんが厳しそう。おばさんに育てられた、というところも。似ている。
「病気が発覚してからずっとここにいるから、友達もいないし」
寂しそうに言って、窓の方を向いてしまう。
彼女の言う発覚してからずっと、というのはどのくらいなのだろうか。半年?いや、1年?
考えている僕なんか御構い無しに、次々に話し続けるミナク。まるで、悲しみや、苦しみを隠すように。
「だからね、神谷くんが私の部屋に来てくれた時は、本当に嬉しかったんだよ。無理矢理に誘っちゃったから、ムカついてきてくれないかと思ってた。人付き合いとか、苦手なんだ。まあ、看護師と医者としか接しなかったらそうなるか」
最後はいつものように笑ったが、どこか悲しげ。
看護師に聞いたら、事情や、病名など話してくれるだろうか。
いや、そんなの、彼女が望んでないはずだ。きっといつか、自分から話そうと思っているんだ。治った時に。