嫌われた理由
「ミナク最近、祐也とばかり一緒にいるじゃない?」
誰にも聞かれたくない、と女子トイレの奥に入ったほのかは、そう言って話を切り出した。
「え?あ、いや、あれは中江さんが勝手にこっちにくるからで…」
慌てて弁明しようと髪を揺らして首を大きく横に振るミナク。それに対しほのかは、分かっている、というふうに手で制すと話を続けた。
「希望にはそうは見えなかったの。希望と祐也、幼稚園からの幼馴染で家も近くて、仲が良かったのよ。恋人と思われるくらいに」
ほのかは壁に寄りかかって腕を組み、ふふっと控えめに笑った。時々いたずらっぽい八重歯が覗く、笑顔が似合う人だ。
「かっこつけて言い過ぎかもしれないけど、私からもそう見えた。あとちょっとで告白するって希望も言ってたし」
そんな仲だったなんて、知らなかった。私がここにきてから、中江さんと希望さんが話しているところなんてほとんど見たことなかったし、たまに仲が良さそうに話しているのもクラスメイトだからだと思っていた。
「そう、だったんだ」
「多分、祐也をミナクに奪われた、と思ったんじゃないかな。裕也がミナクのことを好きになったから、自分は捨てられたって」
「じゃ、じゃあちゃんと説明すれば!」
そうだ。あれは私が中江さんを奪っているんじゃない、私にはもう大事な人もいて、中江さんのことはむしろ迷惑してるんだって、ちゃんと説明すればわかってくれるんじゃないか。
「そんな証拠のない説明、希望が聞いてくれると思う?それに、考えたことないでしょ。小さい時からの大事な友人を、1週間前にあったばかりの人に取られるその気持ち」
いきなり、初めて聞くほのかさんの怒った声。
「え」
戸惑って、少し怖くなって、不本意に震えた声が出る。
考えたこと。確かに、無いかもしれない。
小さい時からの大事な友人。そんな人いない。みんな私から離れていって、それが当たり前だと思っていたから。
でも今はそんなことはない。
家に帰れば神谷くんがいて、学校でもみんながいる。
もし神谷くんがいなくなってしまったら。
もしまた、一人ぼっちになってしまったら。
想像ができない。想像したくないほど、悲しい。寂しい。苦しい。
ミナクがその結論に至って目を瞑った時、ほのかが組んでいた腕を解き、まっすぐミナクを見て言った。
「悲しいに決まってる。そのくらいわかるでしょ。あんたは思い立ったらすぐに行動する人間かもしれないけど、行動する前に他人の気持ちも考えて。振り回される希望がかわいそう」
ほのかがいきなり叫んだ。
その怒りは、大切な友人を守るためのまっすぐな思いだと感じた。
「ごめんなさい」
思わず、涙が出そうになった。
自分は、何も考えていなかった。
自分の考えだけで物事を進めようとして、そこにいる人の気持ちなんて、考えていなかった。
今までならそれでよかった。病室で一人きりの、あの頃ならば。
光希の大変さが、ほんの少しだけだけど、分かった気がした。この世の中のことを、私は全然わかっていなかった。私ならなんとかいけると自惚れていたのかもしれない。井の中の蛙のように、大海を知らないで、知ったつもりでいて、偉そうに光希を慰めていたんだ。そんなの、慰めになんてならないのにも気づかずに。
「謝って欲しいんじゃない。それだけで希望の気持ちは晴れないから、勘違いしないで」
「……」
「話は終わり。じゃあね」
うつむいたままの私から目を背けたほのかさんは、顔に似合わない冷たい声を放って出て行った。
「じゃ、じゃあね」
遅れて出した音は、もう誰もいないトイレに響いて、静かに消えていった。
しばらくぼうっとした。疲れて、頭がくらくらした。
絶望することなら、今までにたくさんあったはずなのに。一晩考え込むことだってあったのに。考えて考えて、倒れこむことだってあったのに。今さっきのは、今までに体験したことのない苦しみと、痛み。頭が痛い。
どれくらい、立ったままでいただろうか。
まだくらくらする頭をゆっくり持ち上げて、私はトイレから出た。
「……ミナクちゃん?」
待ち構えていたようにかかった声は、残念ながら中江さんのものだった。
そしてその声が合図だったかのように、頭の中を様々な言葉が流れ出す。
『考えたことないでしょ。』
『小さい時からの大事な友人を、1週間前にあったばかりの人に取られるその気持ち。』
『行動する前に他人の気持ちも考えて。』
『振り回される希望がかわいそう。』
「ごめん、今は無理」
気づくと、走り出していた。ズキズキし出した頭を振りながら、とにかく走った。校門を抜け、坂を下り、息がきれるのにも構わずに、荷物を投げる勢いで腕を振って、湧いてきた涙を払って走った。
苦しくなって、足が動かなくなって止まると、そこは駅前だった。
そこからは、もう何も考えなかった。
「おかえり、ミナク。遅かったね」
ドアを開けると、台所から出てきた光希。前に私が作ったエプロンを首から下げたままだから、夕飯を作っていたのだろう。
「ただいま……」
「どうしたの、ミナク?元気ないけど__っ」
暖かい神谷くんの体と、微かに聞こえる鼓動と、前髪にかかる吐息。毎日感じているはずなのに、どこか懐かしい。
「神谷くん……」
背中に、温かいものが触れた。いつも健康的な色をした神谷くんの手。ぬくもりは、そのまま頭を撫でた。初めて実感した心の傷は、彼の指が髪の毛を通るたびに、どんどん治っていく気がした。
「……気がすむまでいいよ。僕の胸なら、いつでも空いてるから」
耳元で、神谷くんはそう囁いた。
「……うん」
悲しみと苦しみを溶かして流れ出した涙は、エプロンにシミを広げていった。




