怒りと愛は裏表
「やっほ、かーみんっ!」
駅から降りて学校へ向かう通学路の途中で、いきなりかかる甘ったるい女子の声。後ろから呼ばれた、のだと思う。『だと思う』というのは、この呼び名のせいだ。まあ「かーみん」なんて呼ばれている人は珍しいだろうからきっと僕のことだ。
「……そう呼ぶなっていつも言ってるだろ」
「えー?いいじゃーん、か〜みん。なんか可愛い感じで?」
あっはは、と笑う彼女。何が面白いのかはよくわからない。
「かーみんこそ、あたしのことは彩音って呼んでくれないじゃん。あやねるって呼んでくれてもいいんだけど、うふっ!」
苗字の『神谷』から転じて『かーみん』。なぜか初めて会った時からそう呼んでくるこいつの名前は彩音、というらしい。苗字はなんだっけ。杉宮、いや、菅宮か。鈴宮だったっけか。
僕は興味のない人の名前は覚えない主義というか、覚えられないという変な記憶力をしているので、自己紹介されてから3ヶ月経った今でも名前を正確に覚えていない。
かーみん。気持ち悪い、嫌な呼び方だ。小学生の時にいじられた『みっちゃん』と同じくらいにぬるっとして、犬に舐められるときのようにゾクッとして、じとじとして、とにかく嫌だ。
ミナクに呼ばれるのならいいのだが、そこまで親しくしている気はない、そもそも名前もろくに覚えていないこの人から変に馴れ馴れしく呼ばれるのは、なんだかなぁと思ってしまう。
「ねえ、かーみんったらあ。無視しないでよー。彩音寂しい〜」
「……ごめん、どう反応していいかわからない」
「かーみんっておかしくない?ここまで女子に絡まれて鼻の下伸ばさないし顔も赤くならないんだよ? もしかして彼女と同棲してたりして。って、そーんなことないかぁ、かーみんに彼女なんているわけないもんね」
絡んでいるのは君じゃないか。
このわけのわからない人の言葉はほとんど聞いていなかったつもりなんだけど、ほんの少し耳から侵入してきた彼女の言葉はちょっと、いや、だいぶムカついた。
ちゃんと櫻庭ミナクというあなたとは比べ物にならないほど優しくて純粋で美人で普通に可愛い彼女いますし。
そのもしかして、彼女と同棲してますし。
僕のこと知りもしないくせにそうゆういい加減なことを言う人は信用していないのが僕だ。
ちなみに、ここまで絡まれて鼻の下を伸ばさず、顔を赤くしないのはこの人を"女子" として認識していないからではないだろうか、という自己分析。
「今年の文化祭でね、あたし、ソロパートもらったんだー。今練習中なんだけどぉ、絶対聞きに来てねー!」
文化祭だから、部活の話か。この人どこの部だったっけ。ソロパート、練習、というワードを聞く限り吹奏楽部か。吹奏楽部だとしたら何の楽器だろうか。そもそもなんで僕がこの人の演奏を聴きに行かなければならないのだろう。どうせたいして上手くないくせに、絶対聞きに来て、とは。その自信はいったいどこから出てくるのだろうか。
文化祭の日は休もう。
とりあえず離れて欲しいのだが、どう頼めばいいんだろう。
「へーえ、それで今日光希は機嫌が悪かったのかー納得納得ー」
家に帰ってからミナクに今日の出来事を話した僕は、あいつのことについて考えていた。
自己紹介された3ヶ月前。ミナクの病室に通っていた頃だ。
「こんにっちは〜!あたし、彩音って言います!よろしくね!」
図書室でいきなり話しかけられて、持っていた本5冊を彼女の足に落としてしまった記憶がある。なぜか僕の名前を覚えていて、
「神谷光希くんっていうんだよね、君。なんて呼べばいい?」
なんて言ってきたものだから、拾い上げた本をもう一度落としてしまった。
「……誰、ですか?」
「だから、彩音だよ。神谷光希くん、君のことはなんて呼べばいいの?」
だから、と言われても、僕が聞いたのは君の名前ではなくて君の正体についてなんだけどな、と思いながら少し考えて答える。
「……好きに呼んでいいけど?」
「わかった!じゃあ、かーみん。私のことは、彩音って呼んでね。あ、あやねるでもオッケーだよっ、うふふふっ」
勝手に話を取り付けられてよくわからなくなってきたのと、カーミンとかいう訳のわからないあだ名はどこから来たのかという疑問。あと最後のセリフのどこが面白くて、この人は自分で言ったことに自分で笑っているのかという疑問が折り重なって、
「……は?」
という一言に収まった。
「冷たい反応〜。かーみんってなんかいつもそうだよねー。感情がないというかー、冷静っていうかー」
感情がなくて冷静でいつもこうですみませんね。僕は、初めて会ったくせに"私はなんでも知っている"みたいな話し方をする人が昔から苦手である。自分が知らない他人からいつも見られているような気持ちになって怖いし、話したこともなかったのに僕の何を知っているんだと怒りが湧いてくる。
「光希、だめだからね」
気づくと、テーブルの向こう側から体を乗り出して僕を睨むミナクの顔が目の前にあった。
「え、なにが?」
「……なんでもない」
何かに怒っている様子の彼女だったが、何に怒っているのかは僕にはわからなかった。




