絶えることのない虹色の涙
あの日から、ミナクの笑顔は一段と明るくなった。真っ黒の大きな瞳は一切の迷いもなく透き通り、顔色も蒼白な以前とは比べ物にならないほどよくなった。
それと同時に、病気の方もよくなるはずだった。ミナクの病気、筋肉の麻痺は彼女の元気さに反比例するように広がっていった。
今日も部屋に来た。
麻痺は肘まで侵食し、ミナクは1人ではベッドから起き上がることができないほどだった。僕はベッド横の椅子に座って、横たわったまま美しい笑顔を全く崩そうとしない彼女の小さな右手にそっと触れ、聞いた。
「なあ、ミナク」
「なに、神谷くん」
すっかり定番となったこの話し始めに温かいものを感じる。
「死ぬのって、怖いの?」
その瞬間、彼女の表情が一変した。
顔から血の気が引き、動かない右手は冷たさを増す。
「こ、怖く、なんかないよ?うん、ない。なんでそんなこといきなり聞くのよ?」
嘘を言う時、彼女は必ず早口になる。自覚はないみたいだけれど、そこも彼女の素直なところとして僕は気に入っている。
「そんなこと隠してたって、何にもならないんじゃないか」
呆れて溜息をつく僕を見て嘘がばれたことに気づいたミナクは赤くなって、僕から目を逸らした。
「だって、5年以上もここにいるのに、今更怖いなんて、言えないよ。私の弱さは私が1番分かってるはずなのに、神谷君の前ではちょっと強がってるのかもね」
彼女が目を逸らした理由は恥ずかしいだけではなかった。声には少し震えが入っていて、泣いてることはすぐにわかった。
「ねえ、神谷くん。私、死にたくない。やっぱり、死ぬのは怖いよ。」
とうとう隠しきれなくなった悲しみは彼女の全身から溢れ出して部屋をいっぱいにしていった。
「私、神谷くんに会えてすっごく嬉しかった。一緒に過ごせて、すごく楽しかった。だからもっとずっと、一緒にいたかった。なのになんで。なんで私だけ死ぬのよ。なんでなの?!」
怒りの色が強くなった声色は僕を包みこむどころか抱きしめた。
「君が死ぬなら、僕だって死にたい。でも、僕はね、君が過ごすはずだった時間を、君の分まで生きるっていう、目標を作ってしまったんだ」
ミナクといるからこそ言えること。
「神谷くんは、なんで私に構ってくれるの?もうすぐ死んじゃうのに。悲しむことになるのに。なんで私の隣に居られるの?」
彼女は同じようなことを何度も繰り返し確認してくる。僕もそれに応えることで彼女に対する気持ちを再確認しているわけだ。
「そんなの、決まってるじゃないか。ミナクのことが、好きだから。だからそばにいたいんだ。悲しむことがわかっていても、君と別れるその瞬間まで一緒にいたい。ずっと」
最後まで聞いてから、ミナクは深く頷くと涙を浮かべながら少しだけ笑った。僕を包んでいた悲しみや怒りの霧はすっきりと晴れていく。
「そうゆうこと、さらっと言えるところが神谷くんの凄いところだよね」
「からかうなよ、本心なんだから」
ミナクは僕のむっとした顔がお気に入りらしい。
「ごめん、ほんとにありがと。私も神谷くんのこと好きだよ」
目頭が熱くなる。
「なんで神谷くんまで泣いてるの。もらい泣き?」
「先に泣いたのそっちだろーが」
そのまま、ずっと笑った。顔を真っ赤にして、目を潤させて心の落ち着くまで笑いあった。周りの看護師たちがなにか、と見に来るまで収まらなかった。
やっぱり、彼女といると思い切り笑える。
「神谷くんこそ、何か悩みないの?」
涙も乾いてきた頃に、今度は彼女が聞いてきた。
「最近、たまに暗い顔してるよ。何かあったのなら私みたいに洗いざらい話しちゃえ」
僕が彼女の嘘を見通しているように、彼女も僕のことをお見通しだった。
「毎晩、夢に見るんだよ。明日にはミナクがいなくなってるかも、って。もう君を、見られなくなるんじゃないかって」
収まったはずの涙が再び出てくる。止めようと拭っても拭ってもその勢いを増すばかりの涙。
「僕、すっかり、泣き虫、だね。ミナクよりも、弱いよ」
そんな僕に彼女は落ち着いた声で言った。
「ごめんね、私のせいだよね」
「違う、そうじゃない。僕が__」
ミナクは悪くない。違う。僕がいけないんだから。でもミナクはそんなことを受け入れなかった。
「私が悪いの。だから、泣き止んで。ほら、深呼吸。吸って…吸って…吸って…そのまま止めて__」
深呼吸、のあたりで声に笑いが含まれてるから、こうなるだろうなとは思った。だから僕は、そのまま乗った。
「死ぬよっ!」
やっぱり、彼女には僕を笑わせる力がある。僕に、再び前を向かせてくれる力がある。
嬉しくて、悲しくて、寂しくて、僕はずっと泣きながら笑っていた。