扉が閉じたらそこは闇。
「櫻庭ミナクちゃんと、何かあった?」
「私、ここに勤めてるの。看護婦長なのよ。あまり仕事してないけどね」
「な……」
医療関係の仕事とは聞いていたけど、ここで働いてるなんて聞いたことがない。1週間に1回はここにきている僕が、なぜ叔母のことを見たことがないのか。
その謎は、すぐにわかった。
叔母は、いつもかけている眼鏡を外していた。
眼鏡で人の印象が変わるというのは、本当なんだ、と思った。眼鏡を外した叔母は、いつも普通に向かって会話するその顔なのに、いつもに増して優しそうに見えた。
「伝言、もらってるわよ。ミナクちゃんから」
伝言……。聞くのが怖い。また「顔を見たくない」とか「大嫌い」なんて言われたらどうしよう。そんなことを思って、身構えた。耳を塞ぐ準備もできていた。
「『ごめんなさい。でも、神谷くんが悲しまないためにはこれしかないの。お願い』って」
悲しまないため。よく物語である言い訳だ。僕のため、とかこうするしかない、とか。そんなの、ミナクの倍は読書マニアの僕が知らないはずないじゃないか。
「光希、何かあったならなんでも話して。いつだって相談に乗る。だから__」
「大丈夫」
僕はおばさんの話を止めた。
涙がほんの少し残る顔、でも、笑った顔を向けて。
おばさんに、これ以上心配はかけたくない。
「大丈夫だから、心配しないで」
あとは、自分でなんとかするしかない。
次の日、頭の検査をした。
特に何もなかった。
倒れた床には最近は老人ホームなどで多用される、衝撃吸収タイルが使用されていて、僕の頭を守ってくれていたらしい。
それなら最初から検査しなければいい、なんて僕は思ってしまうわけだが。
そのあと、ミナクの病室に行くことにした。
くるなと言われたら行く。どこかの芸人みたいな考え方だ。でも、ミナクから何があったのかをすべて聞いて、僕の気持ちを伝えてからでないと諦められない。僕のため、だなんて考えなくていい。
検査室があった二階から、エレベーターで上る。
1510号室のドアが、開いていた。
それがなぜなのかはわからないが、僕は気持ちを落ち着かせてドアの前までたどり着く。
気づいた。
中は暗くて、ベッドには誰もいない。ミナクが部屋を抜け出したのではなく、ベッドの上は片付けられ、ミナクが飾っていた数々の絵もなくなっていた。
そこはもう、「ミナクの部屋」ではなくなっていた。
「……え」
僕は言葉を失った。
もう来ないで、という言葉が病室の移動という形で表されたみたいだ。
僕の、最後の思いは儚く砕け散った。まるでガラスの瓶を落として割ったように、粉々に砕けてなくなった。
ああ、終わった。
もう僕は生きる必要なんてない。
何も考えないまま、足だけが屋上に向けて動いていた。