大嫌いな君に、一生のお願い
次の日の朝、叔母は仕事のはずだが、9:00出勤だから8:30に出ればいいと言い、なぜか朝食を作って待っていた。
「……自分で作るのに」
「まあまあ、いいじゃない。作りたい気分だったのよ」
いつものメニューが自分で作るスクランブルエッグのサンドイッチなのに比べて今日は、ハムとチーズのホットサンドに焼いたソーセージ、飲み物まで用意されている。
随分豪華だ。まあ、いつもと比べてだけど。
「光希、最近全然食べてないでしょう。細くなってきたわ。運動しないんだから、ちょっとはたくさん食べなさいよ」
僕が椅子に着いたのを確認すると身支度をしに奥の部屋に戻る。
僕も急いで食べてお皿を流しに置き、服を着替える。
病院へ向かった。
僕の家からはバスで20分ほど、歩きだと30分と、まあまあ近いところにある。
いつものように受付で通行証をもらい、ゲートに通して25階に着く。
ミナクの病室の前でスライド式のドアに手をかけたその時だった。
部屋の中から、鼻をすする音が聞こえて来た。
いつものように、ノックして呼びかける。
「……ミナク」
返事は、ない。もう一度呼んでみる。
「ミナク?」
「神谷くん……」
か細い、いつものミナクではない声。
そして、次に聞こえた衝撃的な一言。
「神谷くん……もう……こないでよ」
慌てて、ガララッと音がなるのも構わずドアを思い切り開けて中に入った僕は、目を見開いて彼女を見た。
「な、なんでいきなり”来るな”なんて」
「…………」
彼女は答えなかった。
「答えろよ!」
静かに涙を流す彼女のベッドに駆け寄る。
涙を拭いながら、言った。
「お願いだから……。私のことは、今からでも、忘れて。ね、お願い」
「忘れる……?」
ミナクは静かに頷いた。
「そんなっ、忘れられるわけ、ないじゃないか」
「お願い。一生のお願いなの」
泣いているせいか普段より少し高い声で叫ぶように願うミナクを前に、僕は動けなかった。
するとミナクは、次々と流れ落ちてくる雫をタオルで止めながら、やっとおさまってきたところで、冷たく言い放った。
「……もう、神谷くんの顔は、見たくない……」
「__っ!」
それきり、彼女は布団を頭からかぶってしまった。しかし無理やりはがすわけには行かず、どうしようか迷っていると、その布団の中から、
「早く帰ったら?」
という、今までで1番低く、外の風よりも冷たいくぐもった声が聞こえてきた。
もう、僕はいうことが思いつかなくて、
「僕のこと、嫌いだったの?」
と聞くことしかできなかった。
そしてその答えは、
「嫌いだよ。大嫌いよ。そもそも、神谷くんをここに呼んだのはお礼の絵を渡すためだったでしょ?それはもうあげたんだから、神谷くんはここから出るべきだったんだよ。暇つぶしに私なんかに構ってないで」
「暇つぶしなんかじゃない!」
「じゃあ、なんだって言うのよ」
「僕は、僕は、君が__」
ミナクが好きだから。そう言いたかった。しかし、言いたかった言葉は僕の口からは出なかった。
「私のことが心配だったっていうの?病気のことも、何も知らないくせに、余計な心配しないでよ!」
「……ごめん」
謝る僕に、彼女は涙で枕を濡らしながら叫び続ける。
「謝るなら帰って!来ないでっ!」
看護師は、来ない。また彼女の方から止めるなと言われていたんだろう。前を通る人影はあっても、誰も入ってはこない。
「__わかった、帰るよ」
返事は、なかった。怒られるのを覚悟で少しだけ近づいて耳を澄ませると、不安定なリズムで吐き出される息の、スーハーという音が聞こえた。寝てしまったのか、寝ているフリなのか、僕には判別できないが、僕のことを拒んでいることはわかった。
静かにドアを開けて、外に出ると、もう医者や看護師の姿はひとつもなかった。
エレベーターを1階で降り、通行証を受付に返したところで、僕の記憶は途絶えた。