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愛する人は桜色に  作者: Halka
愛する人は桜色に
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楽しい時間は突然に終わり…

「あーっ!悔しいっ!」


そう言って始めた第2試合。

序盤は、僕がリードしていた。

自分のナイトで気を引いてから、ビショップで相手のルークをとる、という半分投げやりな戦法に出て、ポーンをどんどん前に向かわせる。

しかし相手のクイーンが早めに前に出てきてしまったのは誤算。縦、横、斜めと、全方位に動けるクイーンに軍隊がバラバラになる。そのまま危うくキングも取られそうになり、クイーンが届かない位置にナイトを置いて遠ざける。

こちらのクイーンも攻める。相手のもう1つのルークを倒し、ついでに意外と戦力になるナイトも倒し、ビショップも倒したかったのだが奥にキングがいるので諦める。

すると、いきなりミナクの手が止まった。


「ど、どうしたの、ミナクの番だよ?」

「…………」


呼びかけても、反応はない。


「ミナク?大丈夫?」


パチンッと目が覚めたかのように顔が上がる。


「……え、あう、うん。大丈夫だいじょぶ……」


語尾が濁る。

何か、悪い病気なんじゃないか、と思って


「先生呼ぼうか?」


とドアの方に向かおうとした僕を


「いや、大丈夫だから。なんでもない。ぼーっとしてただけだよ、本当に」


と、早口で捲し上げて止めた。


「そ、そう」


なんだか怪しい。念のため、やはり先生を呼んだほうがいいんじゃないか、看護師に見てもらっていたほうがいいんじゃないか、とか心配する僕に、


「ほらほら、今度はそっちが考え込んじゃって。神谷くんの番だよ」


と、いつものように笑う彼女。

本当に何もないのだろうか。

不思議に思いながらも駒を動かす。


「よっしゃあ!神谷くん引っかかったー!」

「え?」


いきなりガッツポーズした彼女。見ると、動かしたクイーンが相手のビショップにとられる。


「__っ!」

「ふふ、気づかなかったでしょ、罠張っておいたの」

「…………」


黙って今度はポーンを進める。プロモーション(昇格)というルールで、相手側の端にポーンを置くと、クイーン、ルーク、ビショップ、ナイトのいずれかの駒に変身できる、というポ○モンでいう"進化"、将棋でいう"成る"だ。これでクイーンに変えられれば、プラマイゼロ。しかし、ポーンは1マスずつしか進めない、目の前に敵がいると進めないので、とても地道な作戦だ。

僕の作戦を読み取ったのか、ミナクはナイトを巧みに動かして阻止してくる。


「そんな作戦、私には通用しない、よっと」


このように、チェスというのはなかなか頭を使うゲームである。

意外にもインドで始まったこのゲームは、8マス×8マス、合計64マスのボードで繰り広げられる。


「くそ、読まれた…」

「……神谷くん……」


突然ミナクが、消え入りそうな、泣き出しそうな小さな声で僕を呼んだ。


「どうしたの、ミナク」

「……手が……指がっ……」


ボードの上に出したまま固まった手を見て言う彼女の目から、涙が流れ落ちた。


「指が…?」


まさか__?


「動かないよ。どうしようっ……動かなくなっちゃったよ!」


そのまさかだった。いつもは下半身に押し止まるはずの麻痺が、手まで回ってきたのだ。


「せっ先生、呼ぶから、ちょっと待ってて__」

「どうしようどうしようどうしよう__!」


彼女は目を見開いたまま、僕の言葉も聞いていなかった。


「ミナクっ!」


突然、暖かい液体が僕の手に落ちる。

気がつくと僕は、感覚のなくなった彼女の手を優しく包み込んでいた。涙が僕の手に流れたのもそのせいだ。


「__神谷くん?!」

「大丈夫だから、落ち着いて。先生を呼ぼう。緊急ボタン、押す?それとも、僕が呼んでこようか?」


僕は、自分の行動に感じる恥ずかしさを隠すように早口で言った。


「よ、呼んできて」


やっと落ち着いて肘で緊急ボタンを押した彼女を置いて、病室から出る。

やはり静かな廊下に、医者や看護師の姿は__あった。

エレベーターの方へゆっくり歩く女性看護師の後ろ姿。


「あのっ」


慌てて追いかけて声をかける。


「はい、なんでしょうか」


振り向いた看護師の顔も見ずにとりあえず状況を説明する。


「櫻庭さんの面会の者です。緊急なんです。急に手が、手が麻痺してしまって!」


僕の早口についてこられたかはわからないが、急いでいることは伝わったようで、


「__先生を呼んできます。すぐ行きますから」


と、走って行ってしまった。しばらく病室に戻って待っていると、何やら注射器などを金属トレーに入れて走ってきたさっきの看護師と医者。

ずっと呆然と自分の手を見ていたミナクは、必死になる先生と、僕を見てこれまでのことを思い出したらしい。手が麻痺したショックで顔が青くなり、自分が泣いたことを思い出してさらにひきつり、僕が手を握ったことも思い出して今度は赤くなった。


「気分は?悪くない?手はまだ麻痺してる?足はどう?」


表情の変化などどうでもいい先生は、注射の準備をしながら聞く。


「気分は……悪くはない。手は……まだ動かない。足も同じ」


起きたばかりの頭をフル回転させて全ての質問に答えきった彼女は、まだぼうーっと目を瞬かせる。


「筋肉を徐々にほぐす薬です」


慣れたように彼女の手首に針を刺す医者と、慣れたように目を瞑る彼女。

その時、僕は見てしまった。

雪のように真っ白な手首についた、数えきれないほどたくさんの注射針の痕を。

一瞬、彼女の眉がピクリと動いたのだが、誰もそれには気がつかなかった。

彼はそのまま、


「あとで、落ち着いたら検査するから。それまで安静に」


と彼女に言うと、


「君も、もう時間だから帰りましょう。また今度来てください」


と僕に言った。

僕はそれをほとんど聞いていなかった。

彼女はどれだけの痛みと苦しみを受けてきたんだろうか。あれだけの注射に慣れるほどだ。


「帰って、神谷くん。私のことなら大丈夫だから」


ミナクは首だけこちらに向けて微笑んだ。


「……わかった。また明日来るよ」

「…………」


微笑みを絶やさずにこちらを見る彼女。一瞬、目が光った気がして振り返った時には、もう顔がこちらを向いていなかった。ベッドを背にドアを開けて先生と病室から出る。


「では、また」


短い挨拶で他の病室へ入って行ってしまった先生に頭を下げ、僕はエレベーターに向かった。

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