第27話
――彩暦635年5月14日
於:港町アルスツール
……――
がたんごとんと馬車がとまり、扉が開く。透がまず馬車から降りて、続いてセレスがゆっくりと降りる。二人そろって背伸びをして、海を眺める。強い潮の香りがして、地球でもあまり海に行くことがなかった透は少し気持ち悪そうな顔をした。
「大丈夫ですか?」
「んー……慣れないにおいだな、って思っただけだし、平気平気」
セレスの気遣いに、軽い笑みを浮かべて透は少しあくびをしてそれを左手で隠す。その左手には、包帯が巻かれていた。
ルーベリアの転移陣管理所で施設管理をしていた男性に言われた内容にショックを受けた二人は、その日はおとなしく宿に帰った。透は自分の【金】の力を知り、それで転移できないため旅の時間がかかることに対して気落ちし――セレスは、男性に言われた言葉の一つに不安を覚えていた。
再生できない。それは詰まり、セレスの使える【白】の治癒術が無効になってしまうのではないか、という不安だった。そしてそれは――的中した。
翌日セレスは自分の考えを透に相談し、実験してみることにしたのだ。とりあえず宿の部屋で、魔法薬や普通の薬草等を揃えた上で、透の指に傷を作る。
指先の切り傷程度であれば、《ライトヒール》の魔法で治療することは出来た。しかし、その魔法では治療できない手の甲につけた切り傷は、セレスの使える中で最も最高位の治癒魔法である《ブレッシングキュア》という骨折や部位損傷すら回復してみせる魔法すら弾き、その傷を残したのだった。
いくらか他にも治癒系の魔法を使ってみたものの、最低ランクの《ライトヒール》くらいしか透の体に作用せず、ポーションを傷口に注いでも、なぜか治療効果は発動せずに傷口を洗った以上の効果は得る事ができなかった。
その為、今も透の左手には民間療法として使われている傷の治りを早める力をもつ薬草を煎じた粘液を塗り、包帯で保護している。傷自体は治っているので透としては包帯をもう外してもいいと思っているのだが、少し残っている傷跡にセレスが悲しい顔をするため、今もこうして包帯を巻いているのである。
「さて、船ってすぐ乗れるものなの?」
「普通だと、無理です。……今回は、クラスマイン家の名前で、ちょっと割り込みかけさせてもらうつもりです」
街に入って港の方へ歩きつつ、昼食がてら屋台で魚のフライサンドを買ってから食べて。タルタルソースに似た白いソースの味に舌鼓を打ちつつセレスに問いかけると、セレスは少し思い詰めた表情でそう答えた。
「……それっていいの?」
「あまりよくはないですが、予約がない状態で船を待つとすると、ここであと1ヶ月は待つ事になります。ただでさえ転移できなかったんですから……って、あ、すみません、トールを攻めるつもりはないんですが」
「いや、それくらい気にしないでいいよ。……セレス、この前からちょっと、固くない?」
眉をひそめてセレスの言動に不安を覚えて、旅の途中では聞けなかった事を尋ねてみる。セレスはそう尋ねられた事に驚いたような顔を見せてから、両手でこめかみを抑える仕草をして、ため息をつく。
「……そうでした?むぅ……ごめんなさい、ですよ。わたし、『恩恵』の他は治癒しか取り柄がなくて、出会ってからずっと、トールに助けられてましたから……ん、その取り柄でトールをたすけられない事に、焦燥、感じてるみたいです」
「そんなに気にしなくてもいいのに。怪我が治らないくらいなら、地球にいた頃と変わらないから私は気にならないんだけどな。怪我しないように気をつければいいだけでしょ」
「またトールはそうやって簡単そうに言うんですから……いえでも、実際、バーサークロード・オーガ相手に無傷で戦えたくらいですから、自惚れではないのかもしれないですね……」
素直に自分の感じていた気持ちを吐露するセレスに、透は微笑みかけて問題はないと両手を広げジェスチャーしてみせる。その様子にセレスは先程までとは違う理由でため息をついてから、やや諦めたような視線を道路の先に向けた。
「とにかく、神国へ行くのを早めるのは変えません。トールに万が一の怪我が起きたら、というのもありますが……これ以上母様を待たせると、母様が無理やりわたし達を探しにやってきますから……」
「……そんなに、緊急扱いなの?」
「扱い、です」
気を取り直しても方針を変えない理由は、そこにある。ルーベリアで神国に行けないのが判明した時点で、転移陣を使って手紙だけをセレスが母親に送った。内容は、一度中断して帰宅するということ。それに加えて同行者が透……【金】もちであり、また異世界からの旅人で、魔法無効化能力であることをまとめたものだ。
――すると、驚きの返信1時間。内容は単純、『早く連れてきなさい』という一文のみ。単純明快かつ一目瞭然なその文章を見て、セレスは透の傷を心配しつつもルーベリアで薬草治療するのをやめて移動しながらの治療を続ける事にしたのだ。その移動の最中も、高額な早馬を使って追加の手紙がやってきている。内容は『何時になるの』『旅程はどうなっているか報告して』『早くしなさい』という非常に短く、かつ要求がストレートなものだった。
セレスは自分の母親であるため、このメッセージは『可及的速やかに全権限を使ってでも最速の手段で帰るように』という意味であることを理解していた。合わせて、『早く帰ってこないと探しに行く』という裏の意味も、読み取れていた。
透はその『可及的速やかに』という意味を「できるだけ急いで」という風に理解していた。だがセレスとしては、ある意味冷や汗をかく程に緊急であることを理解していた。
――急がないと、場合によっては入れ違いになったり、公爵としての名前を使って捜索隊を国外で使う、という可能性がある。
ただでさえ今年、転移陣の乱用で問題になったというのに、そういう事までしてしまえば公爵家としての名前にも傷がつく。そうなれば、他家……特に神国の武の公爵家であるアールヴェイド家に苛烈な追求をされるのは免れない。
だからこそ、セレスは早馬を使って『7月初旬には着くようにします』という手紙を出していた。これ以上は、母親を待たせる事もできないと理解して、自分の貴族としての名前を使う決心をしたのだった。
「という訳で、急ぎますよトール。運が良ければ、飛竜便が使える可能性もあります」
「飛竜便?」
「えぇ、普通の船とは違って……運が良さそうですね。アレを使った、飛空便です」
サンドイッチを食べてしまって口元を拭ったセレスは、透と再び歩きながら港の方を指差し……ソレを見て、透は驚愕の顔をする。
そこにやってきたのは、ラフィンの冒険者ギルドの建物ほどの大きさの『竜』が、着水する所だった。




