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井上が店を出ていってから、二週間以上経ちましたわ。このところ、罠を買うお客様が増えていますの。
いつもは服装が、その、奇抜な方ばかりなのですけれど、服装が、普通……いいえ、シックな方も買っていってますの。いつもの二倍の売上ですわ。
「そりゃメイビー草原の狩猟解禁日だからな」とはオズワルドの話ですわ。
「あそこに魔物がいるんですの?」
「おう、前行った北側は安全だが、そこからちょっと行くと魔物が出るぞ。この時期しか出ねぇアプグルンって奴がな」
「アプグルン……?」
「歩く木を想像すりゃ大体合ってる。そいつらは根っこや枝を手足として使い、獲物を根っこの方から入れて消化する。年に一度、実が熟してから人里へ向かう性質がある。どうしてかは知らんがな。次に実をつけるために養分を得たいのか、人里に近いところに実を落とし、自分の子孫を獲物が取りやすいところに残したいかのどちらかだと言われているが」
「何を獲物にしますの?」「動物や、人間を食うな。肉食だからな」
「……虫とかではありませんのね」
「虫食ってるだけで、あんなでっかくなるか。その割りに弱いから市街地に来る前に倒し易くてな。アプグルンの実は薬になるらしいから、冒険者はこぞってアプグルン狩りに出かける訳だ」
「人間を食べた木の、実を薬にするんですの!?」
「人間を直接食べているわけじゃあないからな。ここらの作物に使う肥料だって魔物を使っとる。その魔物が何を食ってたかなんて、考えてどうする。少なくともリコリスでは何も問題はねぇな」
「そう、ですの?」
「そうだ。アプグルンは近づいて直接攻撃しかしねぇ上に火に弱ぇから、遠くから攻撃するか、足止めすればカモになる。お陰で爆裂魔方陣や粘着魔方陣が売れてしょうがねぇ。年中こうなら左うちわなんだが」
いつも注文が入った時にしか製作しないオズワルドが、在庫として魔方陣を作るくらいには稼ぎ時のようですわね。
「嬢ちゃん、ドラゴンの血が切れそうだ。ひとっ走り買ってきちゃあくれねぇか」この工房にいるうちに、工房にある素材は見慣れてきましたわ。前まであんなに嫌だった、ドラゴンの血ですらも、この2、3日で慣れていきましたの。まあ、それまでが大変だったのですけど。
「構いませんが、その間、接客は出来ませんわよ」
「元はわし一人で切り盛りしていたのを忘れたか。そんなことより二軒右隣の素材問屋に行ってこい」
私は、工房を出て、素材問屋に向かいましたわ。気が重いですの。
オズワルドの頼みですし、ドラゴンの血を貰いに行く自体は悪くはないんですの。
近場ですので、すぐ素材問屋に着きましたわ。気が重いまま、ドアを開けましたの。
重いドアをゆっくりと開けた先には―――
「いらっしゃい」品の良いお婆様、この方はとても良くしてくださいますの。
その後ろにある――――
顔ほどもある虫の干したもの。
容器に入った蛇。
透明な花瓶のようなものに入った何かの目玉。
いつ来ても、いつ見ても慣れませんわね……
お婆様から、ドラゴンの血のおまけに飴玉を貰いましたわ。薬草の青臭さがするのですけれど、蜂蜜のような柔らかな甘さがして美味しいですわ。
昔食べた薬草キャンディを思いだしましたの。母方の祖母から貰ったことがありますわ。
ところで、前いた現実では、どうやって辻褄を合わせたのかしら。修学旅行中の児童を乗せたバスが炎上。バスからは児童25名が失踪。どう考えてもおかしいですわね。私が知らないだけで、そんなこともあるのかしら。
昔を思い出すのは、別に帰りたいわけではありませんわ。井上たちに言った通り、今が満たされてますもの。ただ、父も母も失踪ではなく、魔王討伐に巻き込まれてしまったのかもと考えただけですわ。
そんなこと、あるわけないのに。
仮に会ったとして、私は何と言うのかしら。
我ながらおかしいですけれど、言いたいことはいくつもあるのに、最初になんて言っていいか分かりませんの。
「嬢ちゃん、なんかあったか」
そんな気持ちで工房に帰ったのですから、顔に出ていたみたいですわね。
「何でもないですわ、貰ってきましたわよ。」
ドラゴンの血を渡してから、私はまた接客に戻りましたの。
渡してからしばらく経つと、誰も来なくなりましたわ。この数日間と全く違いますわね。
そう思っていると、ドアが開きましたの。
殿方とご婦人とお子様2人が入ってきましたわ。
一目見て、異質でしたわ。ここは冒険者向けの店なのに、この方々は冒険に縁の無さそうな、普通の家族連れに見えましたの。
ご婦人は店に入ると、ドア側を背にして、お子様を2人とも抱き締めていましたわ。まるでドア側から来る何かからお子様を守るかのようで、何か悪い予感がしましたの。
とりあえず、話掛けてみますわ。
「いらっしゃいませ。当店に何のご用でしょうか」殿方は大声を出しましたわ。「こんな時に何を言ってるんだ!?頼むからここに避難させてくれ!」
声を聞いて、オズワルドがこっちに来ましたわ。
「いきなり避難っちゃあどういうことだ。何が起こった」
殿方の次の一言で、私とオズワルドは目を見開いて驚きましたわ。
「魔物が侵攻してきたんだよ!アプグルンじゃない!オーガどもがこの国にきちまう!頼むからここに居させてくれ、頼むよ……」
詳しく殿方から話を聞いてみましたわ。
昼過ぎに、近隣国からオークなど魔物の大量発生がリコリス王宮に報告されたこと。王宮は、国境付近に兵を派遣し阻止しようとしたが、破られたこと。
そこで、城、城下町東、城下町西を最優先に守りを固めているが、その割りを食い、南は手薄になっていること。ご家族は中心街から南寄りに住んでいて、慌てて中心街にある工房に来たこと。
「何も関わりがないのは分かってる!でも後生だから、今だけは助けてくれ!」だそうですわ。
オズワルドは、いまいち信用してないようですの。
「そりゃあ本当の話か?」
「本当だ。王宮から『非常事態』が宣言された。これは噂だが、冒険者ギルドにも王宮からの依頼が来ているらしい」
「それなら、近々冒険者どもがここに来んな。嬢ちゃん、人数分椅子出してやれ。折り畳みので良い。その後は客が来るまで作るのを手伝え。落とし穴と粘着魔方陣だ」それからはもう、目の回る忙しさですわ。冒険者達が店に詰め掛けましたの。オズワルドの読み通り、落とし穴と粘着魔方陣を買い求める方しかいなかったんですの。
定番なのかしら。
冒険者達が詰め掛けている間、あのご家族は隅の方で縮こまっていましたの。気の毒でしたわ。冒険者で店いっぱいになるとなど、私は想像出来なかったのですけれど、オズワルドは……ああ見えて、必要がないなら作業コーナーを見せたくないみたいですわね。人を立ち入らせるなんて論外なのでしょう。変わっていますわね。
店の中がようやく落ち着いた時、オズワルドはシーツと毛布を持ってご家族に渡してましたわ。ドア側で眠らせる準備ですわね。部屋が無いとはいえ、頑なな気もしますわ。
そして、私にはショルダーバッグを渡し――
どういうことですの?
「罠が大量に使われる機会なんぞめったにねぇ。どう使われるか見て学んでこい。」
「危険でなくって!?」
「こいつの中には、罠が数種類入っている。それと嬢ちゃんの作った自動人形で十分だろう。罠士は運用方法も知っておかねぇとな。くれぐれも死ぬなよ」
こうなったら、何があっても聞かないのがオズワルドですわ。
気休めに防御魔法の掛かった白衣を来て、本当の戦場に赴くこととなりましたの。