サンダーソニアとエクソシスト
或る、壊されかけた端末の記録。
ガガガ……ピ、ピピ…ピー…
ピー…ガガガ…ザザ、ザザザ…
『些細な事が気になって仕方が無かった。今となってはそれが何だったのか思い出すことはできない。ただ幾つもの戦場を潜り抜けてきた自分の勘が”何かオカシイ”と囁きかけてくるのだった。言葉にできない不安が脳裏を掠め、彼女を連れ出してはいけないと警告してくる。
この部屋の中に入った時の微かな違和感が拭いきれなかった。無理にあたりを捜索してみるとこの場には少々不自然な袋が隠されていた。
恐る恐る開けてみると出てきたのは頭部。何者かの遺体らしきもの。
悪寒が背中を走る。これは? 一体だれのものなんだ。行方不明の仲間のもの? しかしそれがどうしてこんなところに?
思考が歪みだす。見なければよかったという後悔と、敵がこの中にいるという疑心が脳を苛む。
ここに隠せて殺せるのは、閉じ込められていた一人しかいない。そっと背後を盗み見る。彼女は「早くここから逃げないとまずいわ」と仲間と話していた。見ている分には普通の、いつも通りの仲間だ。だが、悪魔たちに追いかけられている今、その正常さはかえって歪に見えた。
「まずい、あいつらが入ってきた」
その言葉にハッと我に返る。見れば仲間の一人のMrがドアの外を伺っていた。その顔には焦りが見える。
「ドアをぶち破って来たようだ。幸いあいつらは足が遅い。今ならまだもう一つの扉から逃げ出せるぞ」
「だが」
「悩んでいる暇はない。出よう」
一瞬、手元の袋を持っていくか悩んだ。しかし取り出して持っていくには重たすぎる。自分ひとりならともかく、それで仲間を危険な目に合わせるわけにはいかなかった。
「あぁ、逃げよう」
見えた髪の色を確認してそっと十字を切った。どうかあなたの死後に安らぎがあらん事を。
その場を離れ、仲間の一人であるMrs.【聞き取り不明】の手を引いた。足の遅い彼女の腕を引いてそのまま走る。その最中後ろを盗み見た。容疑者の女は何食わぬ顔で俺たちについてくる。
しかし、一瞬その顔が笑みに歪んだ。驚いて立ち止まりそうになるが、後方に悪魔の姿が見えぐっと耐える。
そういえば、Mrs.【聞き取り不明】が銃を持っていたはず。
「すみません」
「ど、どうかしましたか? ロベルトさん」
自分の走るペースについていけない彼女に申し訳なく思いながらも「銃はまだお持ちですか」と聞いた。それに彼女は頷く。「貸して頂きたい」といえば彼女は銃を渡してくれた。
彼女は何も私を疑っていない。それは自分は人を疑うことしかできない矮小な人間だと気づかされるのには十分であった。
地球ではない、宇宙の小さな星にいても主への祈りは届くのだろうか。聖職者のくせして神を信じない私が今更神に祈るなんて、エクソシストの仲間が聞いたらひっくり返るほど笑い転げるだろう。それでも懺悔を、祈りを捧げずにはいられなかった。
嗚呼、主よ。どうか御許し下さい。
人を疑うことしかできない罪深い私に罰をお与えください。
そしてあの子は裏切り者ではないと証明をお与えください。
ここから逃げ出せる車の近くまでたどり着く。手を取っていたMrs.【聞き取り不明】の手を放し、俺は立ち止まった。
「ロベルト殿?」
Mrが不思議そうに声をかけてくる。それに答えず、私はマリアに銃口を向けた。
「ロベルト殿!」
「ちょ、ちょっといきなり何するのよ」
「すまない、俺はきっとここにきてから疑心暗鬼になっているのだろう」
これで何もなければ私は仲間殺しの犯罪者。きっと神ですら私を見捨てるだろう。
「俺は、貴女の事を仲間と…信用できない」
一瞬の沈黙。
重い静寂を破ったのはマリアだった。
「何言っているのよ! 悪魔がこの近くまで来ているのよ? そんな事言ってる場合じゃないでしょう」
「わかっているさ! 自分でも頭の整理が追い付いていないんだ。でも貴女をこのまま連れていくことはできない!」
「それならなんで私を助けたのよ」
「それはっ…」
そう、見捨てることだってできた。彼女を信じることができないなら初めから助けなければよかったんだ。なのに、なぜ俺は助けたのだろうか。
意味の分からない己の感情に不安や恐怖が芽生える。どうして信じることができないのだ。彼女は何もしてないだろう。いや、違う、彼女は悪魔だ。仲間だ。違う。そうだ。やめてくれ。やめるな。俺は思いたくない。思いたくないなら撃て。撃ちたくない。赤い血が流れれば彼女は人間だ。血が流れれば。全てがわかる。
信じたいのなら撃て。
「帰りましょうよ! 私たちで全員で!」
わめき始めた彼女の顔が歪む。その顔を自分は見たことがあった。悪魔に憑かれた者の顔。いや、違う自分がそう思っている、だけなんだ。
「あなたおかしくなってるのよ!」
「あぁ。きっとそうなんだろうな」
俺はそのまま彼女の足に銃を撃った。もう自分が何を考えているのか、わからなかった。
よろめく彼女。倒れようとする彼女を見て、やっぱり俺が間違えていたんだと安堵した。
束の間。
「どうして信じてくれないの? 意味が分からない。私が何をしたっていうのよ!」
彼女は倒れなかった。その足からは緑の液体が流れている。
「あーあ。バレちゃったら殺すしかないじゃない」
足に流れる其れを見て彼女の顔が不可解なほどに歪む。形相は人間のそれから異形のものへ。姿は人間のそれから歪に歪んだ巨体へ。彼女は姿を変えた。
「あ…そ、…な」
Mr.やMs.はその姿を見たまま硬直して動けなくなる。各言う自分もあまりの恐怖に一瞬足が竦んだ。自分の首へ伸ばしてくるその手が捕まる寸でのところで再び銃のトリガーを引いた。
その音にミスターは意識を取り戻す。そして慌ててMs.の腕を引いて車へと逃げ込む。背後で「ロベルト殿! はやくっ」と声が聞こえた。逃げようとしたところで甘い芳香が鼻を掠めた。
「っ…」
くらりと意識が揺れる。意識の境界が曖昧になり、気が付けば自分は地面に倒れていた。
「ロベっ」
「行け!」
吠えれば彼は迷いの表情を見せた。しかしそれもつかの間の事。彼は悔しそうな顔で唇をかみしめた。
「すまないっ…」
閉じられる扉の向こうからかすかに聞こえた。
そして車は砂埃をあげ、スピードを上げて去っていく。
どうか罪のない彼らに幸せがあらんことを。
車が走り去る奥、太陽が姿を現し始めていた。
もうすぐ夜明けがくる。
美しい風景をただ、ただ、ただ、見つめていた。
けれど心は澄んでいた。
きっと彼らは町に戻り、人を呼んできてくれるだろう。そうすればこんな人体実験施設は消える。自分の死は、無駄では……無駄では。
「かっわいそう! あんなに助けてあげたのに見捨てられて逃げられるなんて!」
言うことが効かなくなった身体が持ち上がる。目の前に不愉快な悪魔の顔がにたりと笑みを浮かべていた。
「あーあ。可哀そうな神父様。どこまでも不幸な神父様。誰にも理解されない神父様」
「人間なんてそんなもの。自分さえよければいいのだから。ねぇ、人なんて辞めてしまいましょう」
「復讐しよう。それがいい」
「理解しない奴らに復讐しよう」
「そうだ、それがいい」
「自分に素直になりましょう」
がくりと項垂れるしかできない自分の耳を蠱惑的な美声が撫でる。少しずつ、何かが這いより、侵食していくようだった。思考が塗り替えられていく感覚がおぞましくも心地がいい。
「そう、だな」
ぼそりと言葉が漏れる。
「わかってくれたのね」
「あぁ、もう悩むのは疲れた」
もう何もできない体ならどうなったっていいだろう。
悪魔たちは笑い声をあげて自分を歓迎した。彼らも俺のようにたくさん悩んで人を辞めたのだろう。悩むことを辞めてしまえば楽なものだった。何も、怖くなかった。
「俺は素直になろう」
「えぇ、神父様だから…」
にたりと微笑むその額に銃口をあてる。
「俺はまだ生きていたい! こんなところで死んでたまるか!」
トリガーを引く。悪魔の額にバチュンと穴が開く。瞬間、自分を拘束していた手が離れた。そのまま再び地面に体が落ちる。使える力すべて振り絞って立ち上がった。
「俺は死なない…。死にたくな」
ふいに体が宙に浮かんだ。赤いものが目のまえに飛び散る。自分が鉤爪によって引き裂かれたのだろう。
あぁ、死んだなあ。自然にそう思った。むしろまだ生きているほうが驚きである。
懺悔をしなければ。
地面に落ちた感覚もしない。急速に失われていく情報の中、最後に見たのは可憐なサンダーソニアの花だった。ザザ…
父と子とザザザザ…聖霊の御名によって ザザザザザ…
Amen』
ピピ…ピ…ピーーーーーーーーーーー。
これは或る神父の懺悔の記録である。
花言葉:祈り、祖国への思い、望郷