ヒペリカムと魔王の部下
「運命とは最も相応しい場所へとあなたの魂を運ぶのだ」
なんていう言葉は一体誰の言葉だっただろうか。もう思い出すことは出来ないが、それは嘘だったのだとよく思い知らされた。
我が主を見ていれば強く思う。アレだけ人を愛し、幸せを願っているのは神と比ではない。なのに愛しむ人に憎まれるのは最早誰かの策略にしか思えない。
それでも彼は己の幸せを犠牲に人を幸せにしようとする。彼だけじゃない、彼の父も祖父も曽祖父も、先祖代々人を想い、人を愛し、人に憎まれ散っていった。なんて哀しい因果か。それでも目の前の小さな背中はそれを背負う。そして立つ。
「魔王は産まれ、倦まれて、疎まれる。それが摂理。愛して愛されないのが魔王」
哀しい筈なのに楽しそうに笑う青年は、もうどこか壊れかけているのだろうか。それともとうの昔に壊れてしまったのだろうか。
「クレナイ様」
部屋に飾ろうとしていたヒペリカムの花をテーブルに置き、いつまでも外を見ている主に小さく声をかけると、少し赤みがかった茶色の髪を風に踊らせて彼は振り返った。
「どうかした?ゼロ」
「クレナイ様、もう夕暮れです。そろそろテラスで外を眺めるのはおやめください」
「何を言ってるんだ。この夕暮れを見るために俺はここにいるんだぞ」
世界が今にも終わりそうな朱い夕陽を見るため、彼は私に背を向けた。そして全身にその光を浴びようと両手を広げる。それが今にも無くなりそうで、このまま溶けて消えてしまうのではないかと思うほどに儚かった。思わず捕まえても、腕からすり抜けて消えそうなほど弱々しい。そんな雰囲気がこれから先、数刻後には訪れる彼の死を強く感じてしまって思わず涙が溢れた。
「ゼロ……泣くなよ……」
「そんな事を言わないで下さい。せめて、せめて私だけでも貴方の為に涙を流したい」
「ははっ……そんな事を言ってくれるのは後にも先にもお前だけだよ」
主の言葉一つ一つが、彼自身の死へと近づいているようで心が苦しい。本しか読まない柔らかい手が私の頭を撫でた。それすらも哀しさを感じさせられて涙が止まらなくなった。
「もうすぐ、双子の勇者のご到着だ。そろそろ準備を……」
「嫌で御座います。貴方を死ぬとわかっていてどうしてそんな事が出来ますか」
我儘だった。これまでの魔王がそうだったように、今回もそうでなければいけない。頭では分かっているのに心がごねる。喪いたくなかった。
「ゼロ」と優しく呼ばれ、そこでキツく抱きしめ過ぎた事に気付いた。フッと力を抜くとすぐに主は振り返った。宝石のような綺麗で優しげな瞳が真っ直ぐ私を見つめる。そして「これは定められた運命だ」と笑った。どうしてそんな綺麗な笑顔を浮かべられるのか、世界中から裏切られたも同然なのに。どうして魔王の子だからと諦められるのか。
「でも、これ以上お前みたいな思いをしなくていいように俺は子を作らなかった。もう辛い思いをしなくていいぞ」
だから大丈夫と言おうとしたのがわかった。聞きたくない。諦めた言葉を彼の口から聞きたくなかった。
「貴方はどうなるのですか」
自分の問いかけに困ったような顔をした。それは自分の事を忘れていたとでも言うようで。
「貴方はそうやっていつも他人の幸せばかり優先させる。貴方自身の幸せは?私は貴方に幸せになってもらいたいだけなのに……! どうして……」
どうして自分の幸せを見つけないのですか。
言葉は詰まり、嗚咽として溢れた。こんなに泣くのは初めてでどうしていいかわからなくなる。伝えたい言葉は沢山あるのに涙が邪魔して言えない。
自己犠牲じゃない幸せを見つけて欲しい。
誰にも縛られず自由に生きて欲しい。
幸せになってほしい。
私の想いと主の思いは交わらないのだろう。だからこそ、こんなに苦しくなる。
「逃げ、逃げてしまいましょう。こんっ、こんなの理不尽すぎる…!」
こんなにも優しい人なのに。世界はそれを知ろうともせずに彼を葬ろうとする。嗚呼、無知とはなんて残酷で罪深いことなのか。
「勇者、なんて。人間なんて、大嫌いです。みんな、幸せになんて、ならないじゃないですか」
勇者なんて居なければ、人間なんて居なければ。世界に私たち2人しかいなければ、貴方は人に焦がれて狂う事なんてなかったのに。
魔王であろうとしなくてよかったはずなのに。
「ゼロ。そんな事は言うもんじゃないぞ。人はお前が思っている以上に、優しくて暖かい」
そんなの貴方の幻想だ。
「俺はその暖かさを護りたい」
クレナイ様は陽だまりのように笑った。無邪気な子供のように、この人は心から信じている。本当にこの人は狂ってしまっていた。
ならもう私に出来ることは、貴方のそばにいる事だけだ。
冷たい風が引き裂くように吹き付ける。主の好きな白い花が、手折られた。
「ごめんな、お前だけ護れない」
「…そんなの、気にしませんよ」
涙を拭いて立ち上がれば、主の瞳はヒペリカムの実のように艶やかな美しい赤色が私を優しく見つめている。その夜明け色の瞳に見えないはずの星が見えた。
「クレナイ様。最後に約束してして下さい」
「なんだ?」
「生まれ変わったら、自分の幸せを考えて生きて下さい」
真っ直ぐ見据えたら、彼は苦笑しながらも頷いた。
「嗚呼。約束するよ」
見上げる綺麗な顔にはもう、儚さはなくただ決然としていた。けれど、星のような瑠璃色の瞳は変わらずに優しげな光を宿していた。
主が決めたのだから私自身も決めなくてはいけない。共に死ぬ覚悟を…いや、自分が死んでも主を生かす。
「それと配下として貴方の右腕にしてください」
「配下じゃなくて相棒にしてやるよ」
「私を……俺を貴方が死ぬ一秒前まで側に居させてください」
「おいおい、それじゃまるで告白だ。俺は男を娶るつもりはないぞ」
屈託無く笑う顔を見るのはこれが最後だろう。自分が先に逝くだろうから。
その時パリンっと割れたような音がした。瞬間、お互いに身体を強ばらせる。 嗚呼、時間が来てしまった。こんな平和な時間が永遠と続けば良かったのに。
立ち尽くすしかできない私に、主は「俺が死ぬ一秒前まで側にいるんだろう?」と笑った。隣で死ぬことを許された事が嬉しくて悲しかった。
「我が命に代えて、貴方を御守りすると誓います」
「あぁ。信じてるぞ、ゼロ」
「勿体無きお言葉……」
跪き頭を垂れたから、きっと俺の涙は見えなかっただろう。
戦場となるだろう魔王の座で静かに佇む。隣では気怠げな、それでいて鋭利な 刃物のような殺気を纏う主人が玉座に座っている。
扉が開かれた。小さな双子の勇者に笑顔を浮かべたメガネ魔術師の青年。僧侶と思わしき犬耳の少女、スレンダーな盗賊の女。さっと見るだけでもかなり腕が立つとわかる。
身体の奥からフツフツと湧き上がる闘争心。彼らと早く一戦交えたいと思う心に笑えてくる。私も狂っていたのか。
ベルベットのように滑らかに語る主の横で獰猛な心を抑えるのに苦労した。主が立ち、杖を現し言い放つ。
「さぁ何時でも掛かっておいでなさい」
その言葉を切っ掛けに、わたしは葬るべく走り出した。
――――――――――
身体はもう、血を流し過ぎて冷え切った。死の足音が聞こえてくる。身体を起こそうと動くが口から血が溢れるだけで意味をなさない。
「くれ……さ、ま」
近くに倒れる主はもうピクリとも動かない。俺だけが逝くつもりだったのに。貴方が死ぬ一秒前までそばにいると、命に代えても守り抜くと誓ったのに。
伸ばした手は届きそうで届かない。力尽きようとした時、誰かが手を握る。それが勇者の手だと気づくのは随分かかった。少年は私の手を主の手に導いてくれた。これが勇者と崇められる所以か。
「(ありがとう)」
声にはならなかった。伝わっただろうか?
今まで主を憎む人間が嫌いで堪らなかったが、自分も人間の事を何も知らなかった事に気付いて何も変わらないと知った。今この時だけは少し好きになってもいいようにも思う。同時にどうしてそこまで主が執着したのかもわかった気がする。
(暖かったなぁ…)
とろとろと眠気が襲ってきた。このまま身をゆだねてしまおう。
もし願いが叶うなら、こんどは貴方より、はやく、うまれ…はや…く、しねま、す…よ、に
どこかで、ヒペリカムの花の香りがした。
花言葉:悲しみは続かない