イチリンソウと魔王
イチリンソウと魔王
むかしむかしあるところに、おうさまがいました。
そのおうさまをひとは"わるいまおう"とよびました。
たくさんのひとがかなしんでいるとき、ゆうしゃがあらわれました。
ゆうしゃは、こまってるひとをたすけ、かなしんでるひとをたすけてあげました。
そして"わるいまおう"をやっつけました。
みんなえがおになって、しあわせにくらしましたとさ。
それなら神様、魔王の幸せはどうなるのですか?
――――――――――
「"みんなしあわせにくらしましたとさ"…か」
俺は題名すら読めないくらい擦り切れた絵本を閉じた。そして、それをテラスにある一輪草の横にそっと置く。とっくに内容を覚えているのに、この本を手放せないのは何故なのだろう。人は未練とでも言うのだろうか。
暫く考えてから、自分にはもう必要のない知識だと思って考えるのを止めた。
俺はこの世界に魔王として生を受けたその日から"勇者"に殺されるのを待ち続けている。そこには俺が何かしたからという理由はなく、俺が"魔王"だからというだけだった。
『魔王は諸悪の根源』
不幸なのを、自分のせいではない誰かのせいにしたいという願望。
作物が不作なのも、人生が上手くいかないのも、人間関係も、己の欲にさえ誰かのせいにしたかった。世界での俺は虚構の存在であって実在する存在だった。
小さい頃は憎まれる理由がわからなかった。どうして自分は憎まれなければならないのか。どうして俺は他の人間のように愛されないのか。己に聞いても誰に聞いても答えのない問いだったけれど、大人になればよくわかった。
たった1人の犠牲で多くの人が幸せになれるなんて素敵すぎて反吐がでる。
それなのに歴代の魔王の系譜…俺の祖先は揃いも揃って忠実に魔王であろうとした。そして、最後は勇者と戦って死ぬ。誰もその運命に逆らおうとしない馬鹿ばっかだった。
そこまで考えて自嘲気味に笑った。俺もその馬鹿の1人で、自分の死でみんなが幸せになるならそれでもいいと思っているから。そこまで自分がドMだとは思ってもみなかった。
「魔王は産まれ、倦まれて、疎まれる。それが摂理。愛して愛されないのが魔王だ」
父がよく口にしていた言葉。それは呪いのように俺の頭から離れない。きっと死ぬ直前まで。
「クレナイ様」
ふと声をかけられ振り向くと、短髪の白銀が風に靡く男が立っていた。唯一、自分が素直になれる世界でたった1人の幼馴染の、お目付け役の部下。
「どうかした?ゼロ」
「クレナイ様、もう夕暮れです。そろそろテラスで外を眺めるのはおやめください」
「何を言ってるんだ。この夕暮れを見るために俺はここにいるんだぞ」
世界の終わりのような赤い朱い夕日に再度体を向ける。全身にその光を浴びるように手を広げれば、夕日を浴びて身体中が真っ赤に染まった。
クレナイという名に相応しい程に身体中が赤く染まる。きっと次にこの身体が赤に染まる時は自分が死を迎えた時だろう。
「……っ、クレナイ様ッ」
背後からキツく抱きしめられた。回された腕がギュウギュウと締め付ける。肩にかかる重みがこんなにも愛しく感じるのは、世界で彼だけが俺を俺として見てくれるからだろう。
「ゼロ……泣くなよ」
「そんな事を言わないで下さい。せめて、せめて私だけでも貴方の為に涙を流したい」
「ははっ……そんな事を言ってくれるのは後にも先にもお前だけだよ」
肩越しに見える銀髪をゆっくりと撫でる。そうすれば筋肉質な腕が余計俺を強く抱き締めた。頭一つデカイ図体の男が震えてる。それをいつもなら笑って押し退けるが、今はそうしようと思わなかった。
「もうすぐ、双子の勇者のご到着だ。そろそろ準備を……」
「嫌で御座います。貴方を死ぬとわかっていてどうしてそんな事が出来ますか」
「ゼロ」
俺は振り返ろうと体を捩った。それに気がついたのかゼロが力を抜く。野生的な顔だちが涙に濡れていた。青い透き通るような瞳が揺らいでいる。
「ゼロ、これは運命だ。俺は決められた事を全うするだけだ」
「でもそんなの貴方じゃなくたって!」
「俺じゃなくてはダメなんだ。俺は魔王の子だから」
端整な顔が再び歪んだ。その濡れた頬に手を伸ばし涙を拭う。それでも後から後から涙は溢れた。
「でも、これ以上お前みたいな思いをしなくていいように俺は子を作らなかった。もう、辛い思いはしなくていいぞ」
だから大丈夫。と言い切ろうとした時、頭同士がごちんと当たった。いや、正確にはゼロが頭をぶつけてきた。こいつ、石頭なの分かっているのだろうか。クッソ痛い。
「お……い、ゼロ! せっかく人がいい話にしようとしてるのにお前は……」
「貴方はどうなるのですか」
「え?」
熱く怒りを煮え滾らせた青い瞳が俺を射抜いた。それは魔王である自分でさえ竦ませるような熱い純粋な怒り。目を逸らしたいのに、逸らせない。
「貴方はそうやっていつも他人の幸せばかり優先させる。貴方自身の幸せは?私は貴方に幸せになってもらいたいだけなのに……! どうして……」
声に詰まり嗚咽を漏らす。そんな彼がただ、ただ愛しいと思った。子供のように駄々をこね、泣きじゃくる大きな体が震えてるのがたまらなく愛しかった。
頭を撫でよう腕を挙げようとしたら、彼は耐えきれなくなったのか崩れるように座り込んだ。それでも、縋るように俺の服だけは離さない。俺はただ、ただ泣き続ける彼の白銀の髪を眺めていた。白銀の髪が夕日色に染まってキラキラしている。まるで、本に描かれていた海のようだった。
「逃げ、逃げてしまいましょう。こんっ、こんなの理不尽すぎる……!」
嗚咽を漏らしながら、彼は絞るように声を出した。そんな事出来るならとうの昔にそうしているのに。
「勇者、なんて。人間なんて、大嫌いです。みんな、幸せになんて、ならないじゃないですか」
ずっと彼はそう思っていたのだろうか。そんなことはないのに。
「ゼロ。そんな事は言うもんじゃないぞ。人はお前が思っている以上に、優しくて暖かい」
「そんなの……っ」
「俺はその暖かさを護りたい」
例えそれが俺自身の死でも。
数多くの俺を憎む非力な人間の為に。
風が強く吹く。冷たい夜の足音はテラスにある一輪草の花弁をむしり取って飛ばした。
「ごめんな、お前だけ護れない」
「……そんなの、気にしませんよ」
涙を拭いてゼロは立ち上がった。その目にはもう迷いや憂い、哀しみは無かった。何処までも続くようなスッキリとした空色をしている。
「クレナイ様。最後に約束してして下さい」
「なんだ?」
「生まれ変わったら、自分の幸せを考えて生きて下さい」
何を言うかと思えば、また彼は突拍子も無いことを言う。でも、もし本当に来世があるなら…それもいいのかもしれない。
「嗚呼。約束するよ」
頷くと、熊のような大きい身体に似合わず。ゼロはひまわりのように笑った。
「それと貴方が生まれ変わったら、私をまた配下として貴方の右腕にしてください」
「配下じゃなくて相棒にしてやるよ」
「私を……俺を貴方が死ぬ一秒前まで側に居させてください」
「おいおい、それじゃまるで告白だ。俺は男を娶るつもりはないぞ」
笑うとゼロは眩しそうに目を細める。その時パリンっと割れたような音がした。瞬間、お互いに身体を強ばらせる。それが意味するのは一つ、勇者がお出でになったということ。俺は勇者と思って相対すべく歩きだした。背後で、戸惑いや葛藤の色を見せるようにゼロが俺の名を呼んだ。
「ゼロ」
「え?あ、はい」
「俺が死ぬ一秒前まで側にいるんだろう?」
振り返れば泣きそうな、嬉しそうな顔をしたゼロがいた。俺たちには怖いものなんてもうなかった。
「我が命に代えて、貴方を御守りすると誓います」
「あぁ。信じてるぞ、ゼロ」
「勿体無きお言葉……」
そして俺たちは戦場となる魔王の座へ向かい、俺は腰を下ろした。雰囲気は盛り上げるに限る。隣でゼロもひっそりとしかし、力強く佇んでいる。
そしてそう時間も経たないうちに扉は開いた。
「やぁ、待っていたよ。双子のおチビ勇者様」
「魔王クレナイ! お前の命を貰い受けに来た」
「僕と兄さんの……いや、世界の平和のために灰にかえれ!」
「おチビ勇者様は威勢がいいな。お前らにこの私は負けない」
だって世界で一番幸せだから。世界でただ一人俺を分かってくれる人が共にいてくれるから。
笑えば勇者もその仲間も武器を構えた。俺は玉座から立ち上がり腕を振るう。禍々しいほどに美しい、あまり手に馴染まない等身大の杖が手に収まる。
「さぁ、何時でも掛かっておいでなさい」
死ぬ覚悟は、とっくに出来ている。
花言葉:孤独な愛