乙女の涙
未だにロンからの事情聴取を受けているアスカは退屈な表情を顔に浮かべ、木で作られた机が激しく揺れる程に足をバタつかせる。
事情聴取と言っても、アスカにかかる負担は皆無と言っていい。
(て言うか、見てる方が辛いのだけど……)
負担。と言えど、それは身体的な負荷では無く、精神的な話。目の前に広がる光景と部屋を埋め尽くさんばかりの魔力をずっと当てられていれば、体より先に心が疲れる。
「ねえ? 何時まで続くのよ?」
アスカは遂に我慢が出来ず、目の前に座るロンへと声をかけた。
この太った男。机を挟み、アスカと対面するように椅子に座ると羊皮紙を机の中央に置き、念動力系、尋問専用の魔法『ブラッシュバック』を発動している最中だ。
「も、もう少しですから」
そう答えるロンの額は汗にまみれ、魔力が渦巻くようロンの体を取り巻いている。
実はこの『ブラッシュバック』と言う魔法。専門の魔法師だけが使用可能な魔法なのだ。
特別な魔法だけあって極めて立証性が高く、アスカが無実である事を証明しようとロンが息を巻いて発動させた。
だが、専門の魔法師で無いが為に酷く時間がかかっていた。
「ね、ねえ? 本当にやめにしない? あなた端から見たら瀕死に近い人だよ」
「ですが、それではアスカさんの無実が証明されません!」
いや、長時間に渡って他人の苦しんだ姿を見るのが数倍、嫌だから……。
鏡で見せてやりたい。そう思える程に今のロンは酷く凄まじい姿だ。
「それにあと少しで完了しますから」
そうロンが言い終わるな否や、渦巻く魔力が机に置かれた羊皮紙へと狙いを変え、溶け込むようにのめり込んでいく。
「で、出来ました! これで事件の様子が分かりますよ」
「あはは、何て言うか……ご苦労様」
「それより早く確認しましょう!」
「わぁ、バカ! まずは汗を拭きなさいよ」
机から乗り出すロンの体は汗だく。アスカはタオルを投げて渡してやる。
せっかく奮起して羊皮紙に写し出したのに汗によって滲んで見えません。では話にならない。
「えぇと、では失礼して」
この時、アスカは予測して置くべきだった。
事件が起きた瞬間を投影するのが、この魔法が真髄とする事を。
そして、何が写し出されているのかを。
「ア、アスカさん……、これって僕が見て良かったのですか?」
タオルで流れ出た汗を拭き終え、羊皮紙に顔を近づけたロンが掠れた声を出した。
「見て良かった? って見なきゃ内容が分からないじゃないの?」
そう言ってアスカは机に乗り出し、羊皮紙へと視線を向ける。
羊皮紙。もとい、投影された風景が目に入った。
広い部屋、それは今、二人が居る宿の部屋だと一目で分かる。
問題なのが、そこに佇む少女の姿。
ぶっちゃけ少女とはアスカなのだが、その姿をロンに見られたのが憐れでならない。
白い下着姿でアスカの白く美しい四肢が露になっている。それでいて、今まさに上の下着を着けようとする格好がバッチリと羊皮紙には写し出されていた。
「死んで記憶を失えぇぇぇぇぇぇぇ!」
「ち、ちょっとアスカさん!? これは不可抗力ですからぁぁぁぁぁぁ」
赤面したアスカが放つ鉄槌を華麗に避けるロン。
何故、その体型で素早く動ける? 素朴でどうでもいいような疑問でさえアスカの心には一寸たりとも湧かない。むしろ、殺意一色だ。
「ア、アスカさん! お、落ち着いて、落ち着いて下さい!」
「これが落ち着けるかぁぁぁぁぁ! 一度ならず二度までも見て、私の知り会った男共は裸しか興味がないんかい!」
机を持ち上げ、ロンに投げつける。
向かってくる凶器を転がるようにロンは避ける。凶器と化した四角い木の机は勢い余って壁に激突し、鈍い音を鳴らして脚が弾け飛ぶ。
「ま、待って下さいよ! それにちょっと言葉が変になってますがぁ!?」
「問、答、無、用!!」
壁際に追い込まれ、へたりこむロン。それを見下ろす位置にまで詰め寄ったアスカ。
観念したのか、それとも恐怖のあまりなのか、ぎゅうっと音が鳴るぐらいに目を瞑る。
「はぁい、そこまでぇ」
不意に聞こえた第三者の声。
声の発生源へと二人は目を向ける。そいつは金色の短い髪を右手でかきながら近づいてきた。
「キ、キリしゃん!」
ロンは安堵からか、その翡翠の両目からは溢れんばかりの涙が湧き上がった。
「なにがあったか知らんけど、アスカも落ち着いたらどう?」
ポンポンとアスカの肩を数回叩き、座り込むロンへと近づき、手を差し出す。
「で、なにがあったんだよ?」
手を取ったロンを引っ張り起こすように腕を引き、後ろにいるアスカに振り向く。
「だってアレが写るなんて思わなかったから……」
「はぁ? アレってなんだよ?」
アスカの顔がさらに赤く染まる。堪えきれないのかキリとの視線を外すかのようにうつ向いた。
不意に、キリがこの部屋に入ってくる時に開けた扉から風が吹き込む。
「うん? なんだよこれ?」
ロンとアスカの喧騒。その間、地面に落ちた羊皮紙が吹いた風に乗ってキリの足に当たった。
「あ、駄目! それは見たら駄目なんだから!」
「おい、まさかこれが原因か?」
羊皮紙を手にしようとするキリの問いにアスカはコクコクと風を切るかのようなスピードで頷く。
「ほい。そんなに大事な物だったら、ちゃんと持っとけよ」
中が見えないように裏返しにしてアスカに渡す。
手渡された羊皮紙を握り締め、アスカは再びうつ向き押し黙ってしまった。
「で、結局なにがあったか教えてもらえる?」
アスカは今すぐには話が出来ない。そう悟ったキリはロンに意識を戻し、問いただす。
「えっと、この宿が破壊された原因を調査しに来たんですけどーー」
そこでロンの話は唐突に部屋に入って来た女性によって遮られた。
と言うよりは、入って来た女性にキリが釘付けになったからだ。
「あ、あ、あの時の……」
甲高く、掠れた声で震えた指で女性を指す。
お洒落な丸型の眼鏡。スラリとしたスーツ姿で下はスカート。そこから見えるベージュ色のストッキングは汚れ、無数に電線している。
まるで、何かに傷つけられ裂けたかのように……。
キリは硬直する。ついさっきまで追走して来た女性が目の前に現れた事に驚く。
「昔ね、私の父親が言ってたのよ」
「はい?」
意外にも落ち着いた声。両手を腰にあて、女性はゆっくりと息を吐く。
「放火魔は火をつけた瞬間は興味が無くて、むしろ火をつけた後が一番興味があるらしいのよ」
「はぁ……」
それが何なのだ? そう言ってやりたいが、変に怒りを買って、再びあの恐怖を味わうのは御免だ。
ならば、ここは大人しく聞いておくのが、無難と言うもの。とキリは瞬時に思考を働かせる。
「だから、一旦は現場から離れて再び戻ってくるそうよ」
口角を上げ、にっこりと笑いを浮かべる。
「で、戻って来て正解だったわ。まさか、本当に戻って来てるとわねぇ」
最後の言葉だけが低く、それでいて殺気を含んだ声色だった。
つまるところ「やっと見つけたぞ、このクソ野郎」らしい、と言うか話の途中で逃走を計れば良かったと、キリは後悔する。
刹那、女性は身を翻しキリへ突撃する。
逃げようにも、扉は女性の背後。窓をかち割っていこうにも時間があまりにも無い。
黒服の襟足を掴まれ、見事にキリは囚われた。
反撃を許す暇無く、女性のヘッドロックが無情にも炸裂する。細い腕がするりとキリの首に巻き付き、呼吸が詰まる。
「さあ、きっちり落とし前つけてもらうわよ」
がっちりと首を縛った腕と手を緩める事なく叫ぶ。
(ギ、ギブギブギブ! つか、結局誰なんだよこの人!? 俺は何もしてないのに!)
引き寄せられ、キリの視界を埋め尽くすように広がるスーツの光景。鼻にツンとくる香水の匂いが息苦しさを強化する劣悪なアイテムに今は思える。
バシバシと女性の背中を叩き、ギブアップの意思表示をするも一向に首を締める力は緩まない。
(し、死ぬ! 真面目に死ぬ!)
もがき、苦しい時間が永遠に続くかと思ったその時だった。
「お兄ちゃんに仇なす輩はメアが許しません!」
声が聞こえ、首に巻かれていた腕が勢いよく、そして乱雑に外れた。
視界がクリアになり、決して新鮮な空気とは言えないが、埃混じりの空気を目一杯吸い込み咳き込む。
「あー死ぬところだった」
首もとを擦り、目尻に涙を浮かべながらキリは顔を上げる。
すると、ひらりと水色の髪をなびかせ、メアが心配そうな顔を覗かせてキリの目の前に現れた。
「もう大丈夫ですよ。メアがお兄ちゃんに危害を加える輩を倒しましたから」
「えっ? 倒したって!?」
メアの言葉に一抹の不安が過る。
メアが立つその背後、先ほどの女性が痙攣しながら倒れていた。
後頭部には小さなナイフが刺さった状態で……。
「な、なにやっとるんじゃお前はぁぁぁぁぁ!!」
紛れもない殺人。
メアにしてみれば兄が襲われているのを見かねて助けたのかも知れないが、殺すのは如何なものか?
「いや、そう言う問題じゃない! 殺しちゃ駄目でしょうが!」
「なにを慌てているのですか?」
首をかしげ、目を見開いてメアは不思議そうに、まるで人を殺す行為に関してどうして疑問を持つのかが理解出来ないように。
「キ、キ、キリさん! とりあえず応急処置か何かしないと」
ロンも慌てて女性に近づき、容態を確かめるようナイフが刺さった頭を視診する。
幸いにも血が出ていない事を喜ぶべきか、いやいやここで喜んだら駄目だ。少なくとも人として。
「幸いナイフが止血の役割を果たしてくれてますから急いで運びましょう!」
「お、おう」
ロンは視診から導いた考えをキリに伝え、病院に連れて行こうと女性抱き上げ、肩を貸すように腕を持って支える。
キリもそれに習い手を差し出した時だった。
「えい!」
実に可愛らしい掛け声と一緒にメアがナイフの黒い柄を掴み、引き抜いた。
「だから、なにやっとるんじゃお前はぁぁぁぁ!!」
メアの両肩を掴み、激しく前後に揺さぶって、再び叫ぶ。止血の役割を果たしているナイフ。そうロンが言っていたのに引き抜けば惨事は免れない。
血の雨が降り注ぎ、部屋一面が紅血の海が広がるはずだった……。
「あれ?」
後ろからアスカが疑問の声を上げた。
「ねえ、キリ。その人生きてるんじゃないの?」
「はあ? 後頭部にナイフ刺されたんだぞ、生きてる訳が……」
「じゃあ、ちゃんと見なさいよ! その人の頭を」
傷口なんてあんまり見る物ではないが、そろっと薄目を開けて抱えられている女性の頭を見る。
「ほ、本当だ。傷が無い」
長い黒髪。そこにあるはずの傷口が無いのだ。ナイフが刺されば必ず出来る傷が……。
「ちょ、ちょっと、そのナイフ貸せ!」
そう言ってメアが持っていた黒い柄をしたナイフを取り上げる。
ナイフは、ナイフは……。
「何だよ、これ?」
手にしたのは黒い柄。ただそれだけで、刀身がなかった。刀身が付いていたと思われる窪みでさえ、黒い柄からは見つける事が出来ない。
「おい、刀身は?」
柄から視線を外し、メアに目を向ける。ナイフを抜きとるフリをして刀身を隠したかもしれない。
だが、それは邪推だと、すぐに思わされた。
メアが使っていた青いフード。その中に入れようにも抜き身の刀身を瞬時にしまうには、あまりに時間が足りない。
しかし、柄が当たった衝撃で人が倒れるなんて考えられない。ましてや後頭部に『刺さって』いたのだ。
「お前、一体どんな魔法を使ったんだよ?」
魔法。その言葉が自然にキリの口から漏れたのは、ごくごく自然だと周りにいたロンやアスカは思う。
メアはフードの中に手を入れ、キリ達に見えるよう紺色の細長いケースを取り出した。
キリは取り出されたケースを手に取って恐る恐る開いてみる。中は透明な筒が一本、規則的に刻まれた数字、先端は細くて長い針。
「ちゅ、注射器?」
呆気にとられた声で再びメアに視線を戻す。中身は液体だったのか、使われたあとが薄い線が縁に着くように残っていた。
「メア特性、その名も極楽睡眠薬! って、お兄ちゃん? なんで、そんな怖い顔で近付いて来るの、って痛い痛い!」
キリのアイアンクロウがメアを捕らえ、目一杯の力で握り締める。
「おのれは、薬なら薬って早く言わんかい!」
「それはお兄ちゃん達が早とちりしただけであってメアには関係……、って、ギャー!!」
握り締める右手により一層、力が入りメアの頭がはち切れるほどだ。
「と、とにかく怪我じゃ無くて良かったですよ。キリさんもその辺で許してあげれば……」
ロンが抱えていた女性を仰向けに寝かせながら二人に声をかける。
「そうそう、メアをいじめても意味がないよって、さらに痛みが増してますよーー!!」
キリの細腕を両手で掴み、引き離そうとするメアの努力は、なすすべなくキリの力によって粉砕された。むしろ、一段と力が入る。
「ダメだ、こいつ全然反省してねぇから」
「反省してます! 反省してますから手を離して下さいよ」
バタバタと地団駄を踏むように動き、涙声で訴えるメアは、ぐぎゃあ! と、さらに暴れる。
「ね、ねぇキリ。さっきから『お兄ちゃん』って呼ばれてるけど、もしかしてその子、妹なの?」
「あ! そっか説明してなかったけ」
アスカから頭を掴んだメアの事を訪ねられ、ようやく力を緩め解放してやり、一連のやり取りを傍観していた二人に話す。
「え~と、話すにしてもどこから話せば良いのかって言うか、むー」
すでにメアが妹だと言うのはバレている(ただし、キリは認めていない)。これから行くニヴルヘイムの事を話すにしても、どこから初めれば良いのかが素直に分からない。
「お、お兄ちゃん。それより時間があまり無いんですけど……」
目尻に涙を浮かべ、両手で頭を抱えながらメアは告げる。
時間がない。それは白銀の世界に囚われた母親の事をメアは言っているのだろう。
「アスカ、さっきコイツも言ったけど俺達には、あまり時間が無いから手短に言う。俺は今からコイツと一緒にニヴルヘイムって言う所に行く!」
勢いよくアスカの肩を掴み、顔を近づけて、そう告げる。
その青碧色の瞳を大きく見開いたアスカは話の内容を理解出来ないと思う。
要点を絞るにしても、あまりに酷い説明だから。
だけど、キリは知っている。
ーー彼女、アスカが絶対にこういう時、どうするなんて事は……。
「分かった。また困り事なんでしょ、私も行く」
キリの口端が自然に上がる。
まさにアスカらしい答え、すぐにメアと共に行かなかったのはアスカなら、アスカなら手を貸してくれる事が分かっていたから宿に後戻りして来たのだ。
「じゃあ準備はいいですね?」
そう言ってメアはフードから紫色を四角い箱みたいな物を取り出した。
「それは?」
「テレポート用の魔具です。これで一気に町まで行きますよ!」
固まって下さい! とメアは告げ、キリとアスカ、それぞれの手を繋ぎ三人は円となった。
「なあ? これって何の意味が?」
「キリお兄ちゃん、覚えてないですか? 魔族が使う魔法をなんと言っているか?」
あっ、と吐息を漏らし目を開けてメアを見る。
なるほど、彼女が俺の……つまり魔王である秘密を知っていれば『魔術』の存在も知っていて当然か。
「ロン、調査はまたの機会にしてくれよ」
三人の輪から魔力を帯びた風が吹き出し、キリの髪を揺らす。
それに構う事無く、そうロンに告げる。
「はい、キリさんも気をつけて下さい」
引き締まった表情で頷くロン。
風が一層強くなり、キリ達、三人の体が光に包まれていく。
「ああ、お前もな」
そう言い終わると同時に三人を包む光が輝きを増し、そして消えた。
死んだ筈の母親を探すため三人が目指すは、氷雪の国ニヴルヘイム。
別名、死者の国。
これがキリ達、ランザーク城下に住む全ての人達にとって重要な転換点になるとは誰も想像出来なかった。




