魔界と人間界
魔界と人間界。
世界が二分した理由や時期などは、もはや古い文献にしか残っていない。
ただ、二つに割れたと言っても、陸は続き、空だって魔界と人間界で何かが違うなんて事もない。
そんな魔界に建つ、小さな木造建ての家の庭先で一人の少年が剣を振るっていた。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
雄叫びと共に、手に握る黒い剣を、木にぶら下げたサンドバッグのような形をした砂袋めがけて振り下ろす。
風を切り、砂袋の硬い表面に剣があたると、カンッと心地よい金属音が辺りに鳴り響く。
「……っ!」
動くたびに少年の金色に輝く髪が揺れ、珠のような汗が飛ぶ。
金髪頭の少年の名前はキリ=ロザリオという。
歳は今年十六になったばかり。色白な肌に、彼の父親から引き継いだその緋色の瞳は、打ち付けた衝撃で揺れ動く砂袋を、射殺すようなーー殺気を込めた視線を向けていた。
練習台であるそのサンドバッグに重ね描くのは、彼の父親の姿。
心の中をうごめく憎悪の感情を、ぐっとキリは堪えながら、もう一度体重を乗せた一撃をそこへ見舞った。
彼の父親は世界の大半を治める魔王である。
そしてその魔王を父に持つ者として、金髪ツンツン頭の彼もまた、正式な跡取りでもあり、そして魔族でもあった。
魔王とは、文字通り魔界の王を指し示す。
傍若無人、悪逆無道。おおよそ人が考え、想像する通りの魔の者を統べる王たる地位は、俗に言う世襲制によって引き継がれていくのが主であり、少年キリは生まれながらにして次期魔王候補筆頭でもあった。
ちなみに今、魔王になれば、キリが生まれるずっと前に人間との戦争に勝利し、魔族側が手にいれた世界ーー約7つの国と地域を治める事ができる。
「キリ様! ここにおられましたか」
そんな恵まれた環境下に居ながら、ただ一人静かに剣を振るう少年の側にそう言って駆け寄ってきた者がいた。
キリも鍛錬していた手を止め、声が聞こえた方向へと意識を向けた。まあ誰が来たのかは、彼も大体見当がついているのだが。
「何だよ」
キリがそう言って、後ろを振り返ると、そこには大きめの黒いシルクハットとスーツを着た老いた人間のような姿をした魔族がいた。
名前をアスタロという。
白い髭がトレンドマークの、そしてキリの世話役でもある老人アスタロは、ぜぇぜぇと荒い息を吐きながら慌てた様子でこう告げた。
「何? ではありません! お忘れですか今日は魔王様であられる、キリ様の御父上が人間界の侵攻から帰ってくる日ですよ。お出迎えに参らねばなりませんぞ!?」
その時、金髪頭の少年は、凄まじいほどの健尾をその顔に浮かび上がらせた。それこそ老人アスタロですら見たことが無いほどに。
「嫌だね。あんなクソ親父と会うなんて」
どこか皮肉めいた声音で、キリはそう声を上げる。
「何を仰いますか。次期魔王候補筆頭たるもの、たとえ親子であっても現魔王様に対して礼を欠くような立ち振る舞いは許されませんぞ」
「だとしてもだ。嫌なものは嫌なんだよ、アストロ」
「キリ様……」
アスタロが驚く。が、そんな事には構わず、キリは剣をふり続ける。
家も与えられ、衣食住が揃った環境を提供してくれている父親だが、キリは彼に対して絶対に許せない事がある。
それはキリの母親を殺した事だ。母親は人間界出身の人で、戦争の際に偶然にも父親に見つかり、妾にされたらしい。
つまりキリは、純血な魔王では無く、人間と魔族のハーフだ。
しかし、キリの外見は人間の姿だ。恐らく、人間である母親の遺伝だろう。
魔王の跡取りと言う話は本来、腹違いで生まれた純粋な魔族の兄が受け継ぐはずだった。
が、兄は人間との戦争で奮戦するも、不運にも人間達による奇襲を受け、戦死した。
父親は跡継ぎ問題が発生するのを抑制する為、後釜として、次男坊であるキリを連れてくる話が持ち上がったのだ。
魔王の城から離れた家に住んでいた所を、魔王である父親自らが襲い、キリを連れ去る時に母親が反抗した為、殺されたのだ。実の父親によって。
「しかし、あの事件は……」
アスタロが弁明しようとするが、キリは聞く耳を持とうとしない。
「嫌なものは嫌だ。仮に面と向かったら刺し殺してしまうよ」
ぐるぐると剣を回し、剣先を真上に突き上げてキリはそう告げる。
「ならばやってみるがいい」
突如、邪悪な声がふりかかる。
振り返って声の主を見ると、そこには屈強な身体に全身が黒く、背中には漆黒の翼を携えている人物が立っていた。
その人物こそがキリの父親でもあり、世界の大半を治める魔王だ。
「……っ!?」
キリは突然現れた父親に剣を向ける事が出来ない。
不意を突かれたからではなく、彼から出ている強大な威圧感がキリの体を強ばらせる。
「ふん、何も出来ないクセに口だけは立派か」
全く動かないキリを見て魔王である父親は嘲笑う。
ニタリとした口元がキリの復讐心を駆り立てる。
「はっ、一体どんなご用ですか父上様」
震え出しそうな手と、無限に沸き上がる殺意を懸命にこらえる。
「貴様の様な腰抜けに用など無い。あるのはアスタロにだけだ」
「なんだと……」
頭に血がのぼるのが分かる。
腰抜け呼ばわりされた事はもちろん。その言葉が沸き上がる殺意を引き出す鍵と変貌するような感覚。
「私に剣先すら向けられない腰抜けと言ったのだ」
そう言って魔王は踵を返して戻っていく。
「待てよ……」
剣を持つ手に力が入る。
殺れるか? 殺れないか? ではない。
今、殺るんだ!
気付けば体が先に動いていた。
「待ってって言ってんだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
大きな咆哮とともに、心臓へと狙いを定めた突進を繰り出す。
ーーゴバッ。と風を切る音と共に、目の前に立つ父親ーー復讐の対象者へと距離を詰める。
しかし、キリの突進攻撃を魔王は僅かな跳躍だけで真上に避け、空振りしたキリのいる場に落下し、キリを叩き潰す。
「未熟だな。怒り任せの剣で、私に傷をつける事は出来んよ。正直、がっかりだなお前には。これなら人間界の奴らの方が強い」
そう告げ彼は去って行った。
ーー負けた。
挑んでも、挑んでも。挑み続けて仇をとろうにもこうして毎回負けてしまう。
悔しさに身が焦がれる思いが全身に駆け巡り、そして苦い思いとしてキリの心に残る。