不審な訪問者
見慣れない宮殿の中を闇雲に歩くその足取りが重い。今自分がどこにいるのかもわからなかった。とにかくあのユウナという女が教えてくれた浴場までの道のりを目指す。
俺は魔王なんだぞ。この世界の王になる男なんだ。それがいったいどこをどう転がって勇者なんぞに。それも女の……。
今は頭にターバンを巻いている。どうやら勇者一行の魔術師が掛けた魔法でこのターバンをかぶっている間は男になれるようだ。俺はそっと自分の胸を押さえてみた。
「ちくしょう。なんだこの体は気持ちが悪いな」
そう呟くと目の前に宮殿の浴場を現す文字が書かれた扉が見えた。中に入り服を脱ぐ。鍛え抜かれた筋肉が男らしく思えたが、このターバンを取ってしまえばすぐさま女の体になってしまう。
「くっ。さすがにターバンをかぶったまま浴場に入るのは気が引ける。だが致し方ない」
全裸の男が頭にターバンだけを巻いた姿を想像してほしい。この世にこれ以上滑稽な姿などあるものか。
俺はそっと浴場の扉を開ける。中に人がいないことを祈った。こんなみじめな姿を他のものに見られるくらいなら風呂になど入らぬ方がましだ。
遠くに見える桶から沸き立つ湯気で辺りがもやもやと霞んでいるが誰もいないようだ。安心して風呂に浸かれる。風呂は嫌いではない。
下半身をタオルで隠したまま浴槽へと歩き出した俺だったが、すぐに足を止める。湯船に人影が見えたからだ。
「うっ。先客がいたのか」
「? なんだ。勇者か」
湯船に浸かる先客はこちらの存在に気づくと立ち上がった。まだ相手の顔は見えないがすらりと伸びた長身のシルエットが浮かび上がる。声で薄々気づいていたが、長い黒髪のその人物は恐らく女だ。
「悪い。ここは女子風呂だったか。表の札を見落としていたようだ」
慌てて言い訳を並べる俺を咎めることもせず、彼女がこちらへと近づいてくる。そこで初めて彼女の顔を認識する。きりっとした眉に鋭い眼光それでいて女性特有の柔らかな物腰。そんな彼女が俺の前までやってくると、浴槽脇に丁寧に置かれた長身の槍を取りあげる。
「ま、待ってくれ。俺はただ、入る風呂を間違えただけなんだ」
よもやその槍で俺を貫こうというのだろうか。俺は思わず身構えた。
「なにを気にすることがある? お前も女であろう」
そうだった。俺は今、女。むしろここが正解なのだ。
「だが、世間上お前は男ということになっている。あんまり変な場面を見られることの無いようにもっと注意した方がいいぞ」
そう言って彼女は自身の身長ほどある槍を軽々と一回転させる。その鋭利な刃先が光を放って俺の横を通り過ぎた。
「な。なにを……」
「蜂。お前の横を蜂が飛んでいたからな。撃ち落しただけよ」
彼女の言う通り、足元には真っ二つに切り落とされた蜂の死骸が落ちている。だが俺が釘付けになったのはそこではなく、真っ裸の彼女だった。
「え……あっ……すみません」
思わず敬語になった俺は後ろを向いて謝る。そんな俺の態度に対して気にするわけでもなく彼女は横を通り過ぎて行った。
「ふっ。まだまだ甘いな。お前は。この程度でなにを動揺してるんだ」
そんな捨て台詞が聴こえてきたが、俺が動揺するのは当然だろう。俺が男だと知られたら、先程の槍で思う存分貫かれたことだろう。
風呂から上がった俺は火照った体を冷ますと風呂場を後にした。幸いあれ以降誰かが入ってくることはなかった。しかし先程の女の身のこなしからして、勇者の仲間なのだろう。
そんなことを考え、最初に目を覚ました自分の部屋へ戻ろうと歩き出した俺はすぐに硬直する。
「あれ? そういえば、どうやってここまで来たんだっけ……」
この建物はわざと敵から逃げられるように複雑な構造をしているようだ。他事を考えながらここまで来てしまった俺は、今自分がどこにいるのかもわかっていなかった。
「弱った。どうやら道に迷ったようだ」
途方に暮れた俺だったが、ここでじっとしていても仕方がない。ともかく見覚えのある道を進めばいいはずだ。
そう思って闇雲に歩き始める。程無くして見覚えのない渡り廊下の前にたどり着いた俺はもはや右も左もわからない状況に陥っていた。
「だぁーもう。広すぎるだろ。ここ」
自分が方向音痴なことを棚に上げて喚いたが、助けが來るはずもない。いつもならここでシバルが助けに来てくれるはずなのだが。残念なことにここには敵しかいないのだ。
「っ」
そこで俺ははっとした。どこか懐かしいこの感覚。この気配。
それは闇の力を持つ者の気配だった。もちろん周りに分からない様、魔力を抑えているようだが、俺には分かる。
思わず渡り廊下へと歩み寄った俺はそこにあった小さな窓から下を覗いてみた。もしかしたら、シバルたちが俺を助ける為に使いを寄越したのかもしれない。そんな安易な考えが頭をめぐる。
どうやらここは宮殿の2階部分らしい。ここからすぐ下を歩く者達の顔が良く見えた。
俺が闇のものだとすぐにわかったのは小柄な少女。彼女の背中には鉄球のようなものが鎖で結ばれている。
「あいつは確か七天魔将の一人、サーシャとかいう鉄球使いだったはず……」
俺はその少女の少し前を歩く男の姿を見て思わず声が詰まった。口元に無精ひげを蓄え、黒いローブに身を包んだ男。彼の名はレイバーン・アウグスフ。魔王軍の副将だ。正直俺はあいつが好きになれない。うちに黒い影を秘めた謎めいた奴なのだ。そして驚いたことに彼らを連れて歩くのは、リーマ王国の兵士。敵対する両者がこうも堂々と宮殿内を並んで歩いているというのが不思議でならない。
「レイバーンの奴。一体なにをしてるんだ?」
彼らが入って行った宮殿奥の部屋の方へと自然に足が向かっていた。