踏むべき訳
「今日の練習はここまでです。きっと疲れているでしょうから、早めに帰宅してくださいね。」
そんな掛け声を聞くと、僕はすぐさま壁際によって壁にもたれ掛かる。
つ、疲れた……。顔を上げるのも、声を出すのもいやなくらいに……。
けれど、僕がここまで疲労するのも無理はない気がした。なぜなら、今の今まで卓球にかけてきた雷火達でさえ、今にも倒れそうなくらいに疲労しているのだから。汗の量も、まるて土砂降りの日に、傘をささずに外をであるいたような量になっていた。
と、そんなことを思っていたら、突如汗がしたたっているであろう体を持ち上げて、瀬永先輩が僕の前まで歩いてくる。
「練習どうでしたか?いきなりきつ過ぎたでしょうか?」
そういって、持っていたタオルを僕に渡してくれる。
僕は疲れて下を向きつつも、それをありがたく受け取り、顔にタオルを押し当てつつ返答した
「いえ、きつ過ぎというほどではないです。まぁ調度いい程度ですよ。」
少し見栄をはっているものの、強くなるにはこれくらいが必要ならば、調度いいような気がした。
「ふふっ、とてもいい返事をしてくれますね。」
瀬永先輩がそうほほえんでくれるとすぐさま、けれど、と言葉を繋いだ。
「流石に私達と同じ練習メニューにしなくてよかったです。」
その言葉に対し、僕は疑問というか、不安をおもいつつ聞き返す。
「『私達と同じ練習メニューにしなくて』ですか?」
「あら、言ってませんでしたか?あなたは軽めの練習メニューにしていたこと。」
「聞いてませんでしたよ。」
さりげなく雷火達と同じくらいしか疲れていなかったことを、自分で誇っていたといのに、完全に過信だと言われた様な気分になっていた。
「まぁ具体的にいうと、上下運動を減らしたり、細かな基本技術を増やしたり、あ、けどフットワークは最重要なので減らしませんでしたけど前後運動を少し―――――」
「これ以上詳しく言わないで下さい。」
鬱になってしまいそうなんで。
「というかですね、顔をあげてくれませんか?下を向かれたままでは話しにくいこと山の如しですよ。」
瀬永先輩が諭すようにそういった。けれど僕は了承しない。
「失礼なのはわかっているんですが、顔をあげるのは僕にはできないです。」
「むぅ、なんでか言ってくださいよ。」
汗により、服が体にはりついているうえに微妙に透けていて、欲情してしまいかねないからですよ。胸が強調されすぎていて、いまなら部員全員の胸の大きさをあてれそうです。
なんて言えるはずもなく黙りこくる。
そんな僕をみて、瀬永先輩が落胆したようにため息をついた。
「嫌われてしまったのでしょうか。」
思わぬ誤解をさせてしまい、焦って誤解を解こうとした瞬間、突如燈浬が瀬永先輩の斜め後ろから口を出す。
「今のところ、瀬永先輩A、安川さんD、雷火B、私B、吉田さんA以下、といった感じかしら?まぁ私にはどうでもよいのだけれど。」
「A……か。」
もっと大きいかと思っていた。けれど少し顔をあげて胸を見たら納得をする。ついでに鼻血もでそうになったけれど。
そんな燈浬の言葉を僕は理解したのだが、瀬永先輩は不思議そうな顔をしていた。
「何の暗号ですか?」
「いえ、なんでもないですよ。ところで燈浬は何しにきたんだ?」
僕がそんな疑問をなげかけると、燈浬が、忘れていたわ、と言葉を繋ぐ。
「瀬永先輩、少し残って練習をしてもいいでしょうか?」
燈浬が瀬永先輩にそういうと、瀬永先輩が微笑んむ。
「勿論ですよ。けれど、帰るときは出来るだけ気をつけてくださいよ。夜道は危険なんで。」
確かに、少女が一人こんな汗だくで帰っていたら、男としては襲いたくもなりそうだ。
そんなことを想うとひどく心配になって、僕も口を出した。
「僕もここに残って練習してもいいでしょうか?」
瀬永先輩はその問いに対して、ほんの一瞬浮かない顔を浮かべた後に、苦笑いをしながら返答した。
「あなたならそういうと思いましたよ。まぁあなたも一応男なのですが、襲うような心配はなさそうなので許可します。」
「ありがとうございます。」
そう一礼すると、ガクガクの足を無理矢理持ち上げ立ち上がる。
そんな様子をみてか、燈浬が声をかけてくる。別に心配そうな顔はしていないけれど。
「無理はしなくてもいいのよ。私個人の意志なのだから。」
「いや、無理なんてしてないよ。第一、燈浬なら男に襲われても何かしらして助かりそうだしな。」
心配してここに残ることを悟られないように、僕はカモフラージュの言葉も付け足して返答する。
けれど、燈浬の反応は、完全に普通ではなかった。
「そうね、私は男なんかに負けるわけがないわ。絶対に負けたりなんて……しない。」
ほんの少しながら、けれども確実に燈浬の声は小さく、なおかつ弱気になっていた。
それに、目もふせがちになっている。
そう燈浬をみて、声をかけようとした瞬間、突然上から何かが落ちてきて、僕はそれに踏み倒された。
「おっと悪いな、お前がいたこと気づかなかったせ。」
倒れた僕の上から雷火の声がする。
「確かに、僕が台に隠れるように座っていたならば、僕がここにいると気づかなかったかもしれないが、僕は明らかに台の隣でたっていた!気づかない訳がないだろ!」
「私に踏まれた状況で、なおかつ無駄に長いツッコミありがとな。」
そういうと、雷火が「よっと」という掛け声と共に、僕の上から降りる。
「でもな、苗代を踏んじまったのには訳があるんだよ。」
「なるほど、僕を踏むべき訳があったのか。」
「いや、ちょっと衝動的に台を飛び越したくなった訳だ。」
「ならわざわざ僕がいる台をとびこす必要はない」
「話は最後まで話は聞けって。正式には、苗代の手前の台の隣の台を飛び越そうと思ったんだ。」
「飛び越そうとしたわけか。」
「で、飛んでみたら苗代を踏み付けていた。」
「話が急展開過ぎる!?」
「まぁ簡単にいってしまえば、一台飛ぶつもりで二台の台を飛び越していたんだな。」
「今すぐお前は卓球部をやめて陸上部に入るべきだ!」
「確かに走るのは好きだ。けどな、私は卓球の方が好きだ!」
「てかなんで雷火ちゃんってスポーツとか習ってたのか?」
「いや、スポーツは習ってねーな。まぁ自主練はやってるけどな。」
「自主練って例えば何をしてるんだ?」
「あんまし皆と変わんねーぜ。」
「とりあえず聞かせてくれないか?」
どうせ、普通じゃないことを承知の上でそう尋ねた。いっそ変な事を言ってもツッコまないで―――
「一日三時間は必ず走ってるくらいだ。あと筋トレは二時間だな。」
「確かに、雷火ちゃんはおかしなことをいうと思っていた上で、それにツッコむのはよそうと思っていたけれど、流石にツッコませて頂くけどな、確実にそれは皆行っていない!というか学校と部活と食事と自主練で一日が終わるじゃねーか!」
「あんまし長いツッコミすんなよな。聞きにくいだろ。」
「僕から長いツッコミをとったら何が残る。」
「そうだな、今着てる卓球のユニフォームと靴とラケットと凡人並のツッコミセンスが残るんじゃねーか?」
と、雷火が僕にぼろくそいうと、「おっと、皆帰ってるし私も帰るか。」といって、卓球場に出て行った。
「ところで燈浬ちゃん、自主練はいつまでやるんつもりなんだ?」
「あと30分程度で切り上げるつもりよ。私は多球練習を行っているから、あなたは好きにやっておいて頂戴。」
つまり、燈浬にしては珍しく、気を使って遠回しに一人の方が捗る(はかどる)、といいたいのだろう。
「わかった。それじゃ僕も練習しておくよ。」
そういって僕も、卓球の多球練習用ネットを用意して、自分なりの練習を始めた。
竹内燈浬(以下燈浬)「春ね。」
苗代弘御(以下弘御)「なんだよ突然。」
燈浬「らしくもない、といいたいのかしら?」
苗代「正直な所、そういう意味だよ。」
燈浬「私も、次の季節が夏でなければ、決してそんなことぼやかないのだけれど。」
苗代「『ぼやいた』じゃなく、限りなく『話題を振った』に近いけどな。燈浬ちゃんは夏が嫌いなのか?」
燈浬「ええ、嫌いよ。夏になる直前に、公転を逆周りにしてやりたいくらいに。」
苗代「 でも夏はわりと好きな人が多いイメージがあるけどな。何が嫌なんだ?」
燈浬「機械に熱がこもってしまうのよ。クーラー代が酷く高くなってしまって洒落にならないのよ。」
苗代「確かにそれは大変そうだな。ただでさえクーラーを使うと光熱費が跳ね上がるんだし。」
燈浬「とりあえず、春が終わってしまう前に全基本卓球用語講座を終わらせてしまいましょう。」
苗代「このペースだと一年はかかりそうだけどな。」
燈浬「中陣ドライブ型についてよ。弘御君説明して頂戴。私中陣嫌いなのよ。」
苗代「別に構わないが。えっと、中陣ドライブ型はその名の通り、中陣でドライブを主戦する型です。短く出す、『ストップ』をする、といった方法が有効ですが、多少上手い人が相手だと、『台上ドライブ』やその他のテクニックで返してくるので注意してください。」
燈浬「『ストップ』の説明ってしていたかしら?」
苗代「雷火ちゃん達に聞いてみないとわからないな。」
燈浬「それならさっさと帰宅用講座を終わらせましょう。」
苗代「それじゃ基本卓球用語講座、終わります。」