宣誓、狂気 ②
「悪くないのが辛いというのは中々味わえない出来事ですね。……本当に穏やかな気持ちになります。危うく自分を忘れてしまいそうだ」
苦笑しながら草の上で横になっているリーゼが呟く。空は青く穏やかだ。雲の流れまでも遅く、リーゼが此処に居ることを祝福しているようにも見える。
もしくは縛りつけ呪うようにだろうか。
「いいんじゃない? 君が君を忘れても、それを気にする人は居ないでしょう?」
山脈の外にも内にも。外では少なからず居るにしても、数年も過ぎてしまえば再度過去の名として扱う者ばかりだ。
いや、とリーゼは内心で否定する。
「一人、居ますよ。気にする奴が」
「へぇ? 誰?」
「……ユーファは、気にするでしょうね。アイツには先約がありますから」
こんな所で安閑と過ごしているのが知られれば何を言われるかわかったものではない。
案外何も言われず、今度こそ愛想という愛想を尽くことも考えられる。
未練であるのは誰が見ても明らか。それはリーゼの持つ人間らしい感情の一つ。
「ああ。あの子か。強そうな子だよね。副将軍になるのも早いし。将来面白そうなことになりそうな子だ。……ん? あれ? もしかして君、彼女と恋仲なの? 聞かせてよ」
口にしてから突然楽しげになったリバルドに苦笑を漏らす。色恋の話は人の興味を惹きやすい。それは二十座と呼ばれる人種でも例外ではないらしい。
「内乱の後に別れました。……正直に言ってもいいですか?」
「うん。それなりに噂は聞いてるしね」
僅かに躊躇い。
「……ユーファたちを囮に使ったんです。アイツはまだ子供だったので問題はなかったんですけどね。一日後には助け出せましたが……内乱後にそれを明かしたところで殴られました」
「ふぅん。……それぐらいじゃないでしょ?」
笑みは変わらず。揶揄するでもなく受容するでもなく、興味だけを向けられる。
普通ならばそれで納得するというのに。
女の勘か。それとも、二十座としての勘か。
「……勘弁してください。流石に、振られた理由を詳細に言わされるのは心が折れますよ」
「振ったというより君が捨てたんじゃないかと思うけど……。まあ、いいや。でもちゃんとあるんだね」
呆れと共に頷いた彼女の様子にリーゼは疑問を顔に浮かべ瞬時に理解した。
「はい。そうですね、戻る理由としては上等でしょうか。……ただ、納得してもらえるんでしょうか。これで?」
「今までの次々変わる理由よりはいいと思うよ。それにしても、理由を探すのは本当上手だよね」
「全部失敗していますし上手いとは到底いえませんけれどね」
これまですでに一月以上が経過している。集落の人とも仲を深め、小さい子供から告白まがいのものまでされているのが現状だ。
心と身体もすでに山脈に馴染んできていることが、本質的にリーゼが保守的なのだと感じさせた。
「でも、それで行くんでしょ? 行ってらっしゃい。無事に村長から許可をもらえるといいね。ダメだったら、結婚しちゃえばいいよ」
「あっはっは。そうですね、叔母さんだったら喜んで」
「私は操を立ててる人が居るからダメかな」
「そっちの方が驚きです。本気で」
がさつな彼女の言葉が意外だったのか。それとも彼女にそんな女らしい感情があるという事が驚きだったのか。
どちらにせよデコピンを喰らったのは、女心を読み取れなかった罰だろう。
「そういう事を言っていると本当に結婚させるよ。ほら、行きなさい。私もそろそろ旅に出たいんだから」
「それが本心でしょう。わかりましたよ、叔母さんのためにも頑張ってみせます」
苦笑しながら立ち上がり、歩き出す。
高原を抜けて畑の前を通る最中に少年や少女はリーゼへと笑顔で手を振るう。
子供たちとも今日でお別れとなれば思うところもあるが、しかし心を取られるわけにはいかない。
「……毎回思ってるなこれ。いいや、今日こそは」
王国語で呟きし村長の家を開けると、そこにはいつも通りに老人が柔和な笑みで座っている。
「おや。昨日は来なかったから諦めたかと思ったよ」
「いいえ。俺は外に出ますよ」
宣言し、僅かばかりの時間が経ってから椅子に座れば。
老人は笑顔で問いかける。
「ではオエリカは何故……外に出ようと思うんだい?」
幾度も問いかけられたものだ。老人もよく飽きないなとリーゼは苦笑しながら、表情を改めて躊躇いがちに言葉に出す。
「……好きな相手がいるんです」
「ほう」
老人は先ほどのリバルドを彷彿とさせるような笑顔となった。
「ご要望の通り、特務部隊総員でやってきたぜ聖騎士さんら」
夜の闇。虫の声も、獣の遠吠えもしない王都から僅かに離れた平原に二つの影が存在していた。
遠めからでもわかる戦意。影は巨大な棺桶を背負い、もう一つの影は闇に溶けるような黒剣を担いでいる。
「ありがとうです、わざわざ。王国語が苦手です、なので拙い言葉は勘弁してくださいです」
友人と接するように朗らかな口調で葬儀屋アクァルが笑いかける。その間にも全員の警戒は崩れない。
僅かでも動きを見せればそこで戦端が開かれるのだと両者は理解しているのだ。
『戦う前に聞かせてくださいイニーさん。問いに対する答えを』
聖皇国語に切り替え手を伸ばす。彼が求めるのは先日の問いかけに対するものだ。
裏切りに関しては問うまでもないと結論付けたのだろう。
『確か、罪と悪。善と罰。生と死。どういう風に考えているかでしたか』
イニーは考えるように目を伏せて、口角を上げる。
『人を殺すことが罪。人を殺すことが悪。なるほど、それは正しいのでしょう。死とは損失です。失われた者が戻ることなくないのです、一つしか存在しないものが無くなるのは惜しいものだと思います』
聖皇国語がわからないものは怪訝そうにイニーへと視線を向けて。理解する者は珍しいものが聞けるように頷く。
『確かに罪であり悪ですね。いつか償いと言う名の粛清が齎されるのは間違いがないでしょう。それが人か否かはともあれ。しかし――』
言葉を区切り、凶悪な笑みを見せる。
『殺すことは生の肯定だと考えています。生きる者を殺すのは、命を奪うのは相手への賛辞でないと何故考えられないのですか?』
イニーは嗤う。
『悪は否定。善は肯定。少なくともそう考えています。死はソレを両立させる行いなのだと思いませんか? 相手を讃えるからこそ殺すのです。相手の生を否定したいわけではなく、相手の全てを肯定したいからこその殺人なのですよ』
『……理解は示せますが。いいえ、理解も出来ませんね』
『兄さん、コレは、狂っていますよ』
妹が忌々しげに顔を歪めればイニーは更に笑みを深める。
「愛している相手でしてね。すでに振られていますが……」
「ほうほう。そんな相手に会うために、外に出るのかね?」
問いは当然だ。未練を追うためだけに出るなんて誰もが馬鹿らしいと答えるだろう。誰もが馬鹿らしいと呆れるだろう。
それでも。だからこそ。
「はい。そうです。好きな相手の近くに居たいと願うのは当然でしょう?」
「……嫌がられたら、ダメだろうがねぇ」
「その時はその時ですよ。それに……それと……やっぱり死んだ奴らを背負うのは、自分の我がままでも責任がなくとも、行います」
最初の日。否定された言葉をもう一度リーゼは紡ぐ。
「へぇ。死者の無念を背負いながら、女を愛すのかい。それは、なんともねぇ。贅沢すぎることじゃないかい? オエリカ、お前にソレが行なえるのかい?」
「やりますよ」
行なえずして何が人間かとでもいうようにリーゼは、笑顔を見せる。
すでに半分は投げやりだ。何度も失敗を重ねた交渉。これでダメなら後に残されるのは開き直りしか残っていないのだから。
「それに……。死んだ奴の無念なんて、生きている奴がやらないと晴れませんからね」
イニーは言う。
『死者には無念があると、僕は思います。志半ばで死ぬのですから当然でしょう。それに対しては多少なりとも申し訳なく思いますよ』
『罪悪感からですか?』
『いいえ。もっと殺せただろうにと。寂寥からとでも言いましょうか。彼らの死は無意味なのです』
リーゼは困ったように笑う。
「死んでいった部下たちを弔えるのは、家族だけだと思います。そして、俺はあの部下たちを家族だと思っています。だから……だからアイツらの想いを背負っていきたい」
「なら、オエリカが愛する者と死者たちの無念。どちらか一つを選べと言われたらどうするんだい?」
『無意味とは……また言うものだね。彼らは僕らのお喋りを聞いていて暇じゃないかな?』
アクァルの問いにはダラングが首を横に振ることで返答される。
互いに準備をしているという事なのだろう。
ならば。
『問題ないようですね。しかし意味があるのですか? 殺した者として言いますが、僕は彼らの死に対して何も思いません。殺し合いをしたことで技術を盗みはしますが、死は多少なりとも満足を与えてくれますが、食事を一々覚えているほど無意味な事はないでしょう』
死を生きるために必要なものなのだと。生きていくために殺す必要があるのだと。
イニーは、生と死と同列に語る。
『それと同じことです。殺される者に意味はありません。殺す僕に愉悦があるだけです』
『ならばイニーさん。……貴方は誰だろうと殺すのですか。それが子供でも大人でも。殺してしまえば自らが死ぬ事になる相手でも』
「勿論、両方を選びます。出来ずして俺が俺で居る事は出来ない」
『状況によります。殺すために生き残る必要がありますから』
「だから、山脈の外に出してください。俺はあちらで生きたいんです」
リーゼが示した意志に、老人は――
『とは言え単純に言ってしまえば……行き足掻く者の死は綺麗でしょう。だから、殺します』
イニーの言葉が終わる前に、ムーディルの術式『墓標の天幕』が戦端を開く。
しかし予測していたのように黒剣使いもまた術式を、否。
神具を、説き放つ。
『まず笑え、ディエレッカ』
先日の言葉と同じもの。同時に炎が吹き上がり動き出す。
『次に泣叫べ、ディエレッカ』
炎は、増幅される。帝国の如き雪の中でなおも灼熱を滾らせる。
『――次は止めておこう、僕の可愛い妹。それは死にそうになったら使っておこう』
動きを兄が止めた時にはすでにルカとイニーが彼女の方向へと飛び掛る。
それを防ごうと足を動かす彼の前に立つのはニアスとヒロムテルンの二人。
「言葉はわかんねーが、軽く俺らと踊ろうぜ」
「やれやれ。僕は姫様以外とは踊りたくないのだけれどね」
肩をすくめるヒロムテルンの腕が蛇のように動き、アクァルの頬をナイフで切り裂く。更に炎を剣に纏わせるニアスが身体を低くしながら切り上げる。
先制を成功させたのは当然のように特務。
「困ります。乱暴はいけません。しかし遊ぶのならお相手します」
棺を盾のように、鈍器のように使いながら彼らの戦闘もまた始まった。




