踊り狂う者 ④
「ッ!」
即座に痛覚を遮断し、更に腰に下げていた土を撒き術式で土煙を作り出す。正面から来るであろう敵の術式を警戒してだ。
アヴェト鉱石により作られている砦内では石畳に対して術式は使えない。だが、氷術ならば可能だっただろう。リーゼが土術以外に適正を持ちまた術式の才能に乏しくないのならば。
「おいおい避けろよアンタ。あー、流石に正気に戻さねぇとな」
煙の中で呆れ声は響き、煙の中を駆け出し扉の向こう。リーゼの肩を狙った張本人へとニアスは駆ける。
残される形となったリーゼは外に出ようとして、煙が僅かに動くのを感じ、咄嗟に横へと避ける。
「な!?」
術式は一度放たれれば途中で軌道を変えるのは難しいと一般的には言われている。
だがその常識が、外された。
避けたリーゼを追尾し球状の術式がリーゼの顔を狙い反転する。
「途中でだと!?」
自身で口にしながら、まるで巷で流行している小説に出る小者の悪役だと脳裏を掠め、必死でその一撃を避ける。だがその術式に意志でもあるかのように肩を貫き術式は役目を終えて消え去る。
一撃を喰らった時点で扉の内側を危険だと判断しリーゼは屋上へと足を踏み入れれば、そこにあったのは常識を覆す攻防だ。
高速で迫る五つの術式を、ニアスはまるで踊るように曲線的に避けていく。近づくことが出来ていないのは相手の技量によるものだろう。術式に加え、立っている緑眼の男が短剣を振るうのも問題か。
「おい隊長さん、危ねぇぞ?」
剣を持たないから行えるのだと、そう思うことはリーゼには出来ない。例えどんな重量の武器があろうとこの男は踊るように並の敵ならば圧倒できるのだろう。
「六種を同時操作ってのは、並じゃないよな!」
更に七種を扱いながらも同時並行してリーゼにまで術式は向かってくる。
炎、水、氷、風、闇、光。
雷と土を除いた自然操作系術式。闇と光は単なるめくらましの効果しかないとは言え、目の前で弾けられてしまうと数秒の間は視覚に頼る事は出来なくなるだろう。
「うちの部隊じゃ並だぜ。つっても、ここまで複雑に操れんのはこいつだけだがな」
術式が肩を抉り貫き、先ほどまで無事だった肩は、あと僅かで千切れるような状況となる。痛みを遮断していなければ僅かなりとも苦痛の声を上げていたかもしれない。
「早く、どうにかしてくれ! 次はその男の目的を叶える自信があるぞ!」
初撃は避けられるだろう。だがその次を避けられる自信はない。
この言葉が気に入ったのか、それとも必死さが坪に嵌ったのか。ニアスは笑い声を上げて、楽しそうに動く。
動きは熟練。まるでどこから術式が来るのかをわかっているかのようだ。そして、幾つかの術式をかいくぐり、強引に男の攻撃範囲にもぐりこむ。
其処に、死線があった。前方から閃く短剣と、後方から嘲笑するように迫る術式。それに対し、やはりニアスは笑う。
「ちょっとは理性があんのか? 少しばかり甘ぇぞ?」
ニアスが後方に炎の壁を展開し、前へと突っ込む。短剣は首を切ることも出来ず威力が減衰し肩と腕に突き刺さるのみ。
「さっさと正気の戻れっての馬鹿野郎!」
腰を捻り顎に拳を当てて脳を揺らすように振り切れば、男はその場に倒れニアスはゆっくりと男の腰ある眼帯らしき布を巻いていく。
「それでそいつは? 流石にいきなり殺しかかられる覚えはないんだが。いや、それ以上に、血族かもしかして」
両肩をだらりと下げた状態で止血術式を展開。血が外に出るのだけは防ぐ。だからと言ってこれ以下がないわけではないが。
腕が吹き飛ばされなかったことだけは幸いだろう。一度無くなってしまえば中位までしか扱えない者では元に戻すことが出来ない。無論、失った部分もリーゼ程度の術士では半月以上は治癒に時間がかかるのだが。
「そこらも含めての自己紹介だあな。こいつはヒロムテルンだぜ。おい起きろ馬鹿。暢気に眼帯外すなよ。命がいくつあっても足りねぇだろうが」
言いつつ、ニアスは倒れる男の脇腹を蹴る。骨が数本折れた気がするが、これが彼らの挨拶だと言うのならば恐ろしいの一言に尽きる。
蹴りを放つ理由は多分に腕や肩に突き刺さる短剣への腹いせなのだろうが。
「ん? あ、ああ。ごめん、ごめん。ちょっと油断していた。あれ、ニアス。怪我をしたのかい? 珍しいね。君なら別に傷を負わないはずだけれど」
涼やかな声が通る。眼帯に覆われて顔が見えないが、おそらく年齢は人族に換算して二十代半ば。銀色の髪には先日は暗いため気づかなかったが、僅かに緑の髪が見え隠れしている。
「隊長さんの命令でな。早くしてくれなんて女にしか言われたくねぇっつーのによぉ」
「……そういうのが欲しいなら娼館にでも行ってろ。リーゼ・アランダムだ。ヒロムテルン」
「ああ。なるほど。……肩に傷を負わせてしまったようですね。申し訳ありません。僕の名はヒロムテルン・ドランクネル。緑眼『千里眼』の血族です。傷、申し訳ありません。こんな所で術力を消耗させるのは問題ですね……」
「いや、そもそも治せないぞ、俺は。お前は……もう治してるのか」
止血だけで終えているリーゼとは違い、ニアスはすでに短剣を抜き傷の修復を行っている。肉が盛り上がり皮膚が作られていく光景は僅かばかり気味が悪い。
これが上位術士と中位術士の差なのだろう。
「え? ……それは、なおさらすみません。ニアス、早くリベイラの所へ連れていった方がいいんじゃないかい?」
眉尻を下げて申し訳なさそうに言う姿は、そこだけを見れば普通の性格に見える。
ただ眼帯を付ける事により性格が変わったという事は何かしらの条件があるのだろう。
「どうせ次はリベイラで最後だから丁度良かった所だ。まっ、こうなりそうな気はしてたからだしな」
「ああ、思い返すとよく無事で居られたな俺。……とりあえずそれほど気にするな。無事で済む気はしてなかった。しかし、血族か。後でもう少し話を聞かせてくれ。この状態だと互いに面倒そうだ」
紛れもなくリーゼの本心だ。血族の強さや実力。ヒロムテルン個人の事について多少は気になる所があるにしてもこの状態では互いに落ち着いて話すことは出来ない。
ただ先ほどの攻防で異常さの片鱗は掴むことは出来た。
「次に話す時はソレをつけたままで頼む。理由は知らないが」
「はい、気をつけます。本当に申し訳ありません。償いはいずれ戦場でしますよ」
「そこまで気にする事でもないっての。あと敬語はいらない。コイツらがそこらを無視してるからな。それじゃあ、また」
本当に軽い挨拶だけをしてリーゼとニアスは屋上から出て行く。
階段を下りて通路を進む中で一つだけ疑問に思った事をニアスに対し問いかけた。
「ヒロムテルンの奴はもしかしなくても眼を狙う光景があるのか? 何度か術式を食らって心臓を狙われない事が不思議だったんだが」
「気づかねぇ程にゃ馬鹿じゃねぇんだな。詳しい事情は知らねぇがそういうこった。深く知りたいなら後でアイツに聞けよ」
「確かにな。他の奴から聞いちゃ意味がない。それより軍服、まだ縫えば使えると思うか?」
すでに一着がダメになった事にどこか貧乏臭く嘆く姿にニアスが鼻で笑った。
人物像を掴み損ねているのか、それとも馬鹿にしているのかは判別が難しい所だろう。
「好きな服を買ってこいよ。あの研究馬鹿二人もルカも俺も外に出るための服ぐらいあんぜ。潜入調査もやることがあるしな」
「本格的に暗部だが俺にはその機会があるとは思えないな。顔がそれなりに売れてる自覚はある。それに、軍服の方が好きって言うのもあってな」
「軍服置いてる娼館なんて滅多にねぇぞ? 物好きな奴も居たもんだな」
「そういう意味じゃない。わかってて言ってるな?」
馬鹿話をしながら通路を進んでいくと蝋燭が等間隔で配置されているやけに明かりの強い通路へと出た。足元を見るのも難しい場所から、先まで見通せる程に明るい空間だ。
代わりとでも言うように熱気は南部の如き暑さになっているのだが。
「これな、リベイラの奴が転んで怪我されるのが馬鹿らしいって多くしてんだよ。正直やり過ぎだと思うんだがあいつやめねぇんだ」
拷問だと思えるような暑さに理由があった事にリーゼは僅かばかり驚く。理由は少しだけ馬鹿らしいものの、そのような配慮が出来る人物が特務に居た事に対してだ。
通路の先を進んでいけば、道の先には確かに木製の扉が一つ。
「おいリベイラ開けるぞ。お前待望の患者だ」
中へと入れば、蝋燭が大量に設けられている通路とは違い、またほぼ物のない砦内の部屋とはまた違った心地よい涼しさを感じる事が出来た。
向かって左の壁には数個のベッド。そしてその反対の壁には机があり。その前に白衣と下着だけを身に着けた豊満な胸の女が座っていた。
「怪我人かしら。それとも病人? 重症だったら手術が必要だけど。貴方みたいに頭が悪いなら手に負えないわよ?」
おそらく二十代、リーゼと同い年ぐらいか。短めの癖のある金髪と青い瞳はリーゼと同じ王国人なのだと確信させる。
そして視線を入ってきた二人へと向けて。
「ふぅん。英雄なら心の病気ね。私は生憎とそこらの専門じゃないけど?」
「ハハッ。違ぇな。わかってんじゃねぇか」
「……初対面で皮肉を言われたのは、あまり多くないよ。リーゼ・アランダムだ」
苦笑をして自己紹介を軽く済ませる。元とは言え英雄だと知っているのならばそれ以上は無意味だと判断したのだろう。
「ギルハンベータ将軍とうちの父には交友があったし、内乱時にも貴方を見たことがあるのよ。別に信奉者とかではないから安心してね。私はリベイラ・ヒストネク。見ての通りに医術士だから。とりあえず肩の治療をするから前に座って、あと痛覚術式を切っておいて。死臭が酷いから後で臭い消しの粉を渡すわね」
言われるがままにリーゼは前に座り、指示されて痛覚を無効化をしている術式を解除する。
痛みが脳に走る。灼熱の鉄を押し付けられているような痛みにリーゼは歯を食いしばり耐えた。腐っても軍属と言う意地を見せたと言っていい。
「二つはヒロムテルンの術式ね。綺麗に刳り貫かれてるから問題ないわ。かなり染みるわよ。痛かったら言って頂戴。意味はないけど」
リベイラの言葉と共に、冷たい何かが傷に入る込む。神経を刺すような激痛が走り意志とは無関係に指が動く。
「はい気を抜いて、楽にしてね。……息を吸って、吐いて。痛みに集中してみて。いいわね、ええ。貴方は眠りにつくところよ」
一瞬だけリーゼの意識がとんだ。宙に浮かんだような浮遊感は刹那。しかし気がついた時にはすでに痛みはなく、両肩を見ると流れていた血は止まり肉が新たに生まれている。
一般的にはありえない現象だ。身体系術式で肉体を回復させる事は出来るとしても基本原則としては他人の身体を癒す事など出来るはずがない。
「まだ私にしか使えない方法だから気にしないで。理論は教えられるけど多分わからないでしょうから不要よね。部隊長としては私が他人の傷を癒せる、という事だけ覚えておいてちょうだい」
「相応の知識と技術力を必要とするって所か。わかった」
「いつ見ても鮮やかな手並みだな。天才医術士様は流石だな。その要領で夜の世話もしてくれねぇか?」
「貴方が不能になったら努力はしてあげるわ。面倒を見る気はないけどね」
軽口を叩きながらリベイラが包帯を巻く手は止まることなく、僅か数秒で作業が全て終わる。
すでに肩を回しても軽い痛みが返ってくるだけで活動自体に支障は出ないだろう。
「まっ、こいつが特務部隊の一人でリベイラだ。医術士だが戦闘もアンタに負けないぐれぇ出来ると思うぜ?」
「人は殺さないわよ? なるべく私は多くを生かしたいし。戦闘に出ても人を殺さずにいるから宜しくね?」
言われた言葉に頷きを返す。この部隊にいるのだから彼女の台詞もまた並の覚悟ではないのだろう。殺さずに終わらせるのならば、相手を圧倒する実力が必要なのは確かだ。
「編成とか考える時にゃリベイラにも相談しておけよ。全員の身体について知ってるからな。防音性も悪くねぇぜ?」
部屋には窓が一つあるものの、その窓は居様に分厚い。ここから誰かが逃亡するのを防ぐのを目的としているためだろう。
しかしそれ以上に快適そうに見えるのは大きい。
「……思うんだが、ここに患者って来るのか? 下手をすると他の部隊員に殺されそうな気がするんだが」
「ええ。実際に何人かは死んでるわね。言うだけ無駄だから何も言わないけど、私は困る話よ?」
「どうせ殺してんの大半がイニーだろ。研究馬鹿二人がわざわざ遊ぶ必要もねぇしな」
先ほど見たイニーの性格を考えれば、それもまた納得できてしまう話であり。リーゼの肩が少しだけ落ち込む。
一癖も二癖もある者をこれから指揮しなければならないと言う苦痛なのだろう。
「そろそろ部屋に戻る。疲れたからよく眠れそうだ。ああ、そういえば訓練日程はあるか?」
「いいえ。私たちは各自で動いてて忙しいからないわね。仕事の時にはルカとかに声をかけて集めなさいな」
「ちなみに俺らが外に出る時は一応アンタの許可が必要だぜ。まっ、あんまり外出る事ねぇけどな。俺以外の奴は」
「そりゃそうだろうな。というかイニーなんかを外に出したら大事件が起きるんだろう?」
殺人中毒と言うべき子供を街に解き放った瞬間にどうなるか、それは眼に見えて明らかだ。そこまで理性が飛んでいないと言い切れるはずもない。
「そこは微妙な所かしらね。あの子、それなりに理性はあるから。逃げる算段がつけばやりそうだけど」
「……優秀な異常者ほど厄介な相手はいないな。さて、本当にそろそろ戻る。治療、礼を言うよ。……何度か世話になる気もするがな」
一日でこの有様なのだから、下手をすると毎日でも来ることになる確率は非常に高い。
治療自体に問題はないのだが、わざわざそれを受けようと思うほど物好きでもなく。
「あら。気にしないでいいわよ。治療は私の生き甲斐だしね。下半身の事以外なら相談に乗るわよ。女にもてないって事は範囲外だけど」
「わざわざ相談する意味がないだろ。それじゃあニアス、案内を頼む。道中が少し怖い」
道順は覚えているのだろう。ならば、案内よりも護衛としての側面をもった頼みだ。
命令としなかった事を怯えと取られるか、慎重と捉えるかは別れる所だろう。
二人は部屋を出て通路を歩く。通路の中は先ほどまでとは違いやはり薄暗い。
「ああ、初日おめっとさん。誰かに嫌われなかったのは行幸だったな。それともそれが英雄殿の処世術かい? 残念ながら有効だったみてぇだな」
突然振り向いたニアスの顔は、悪意を貼り付けたような笑顔。
歪に曲げられた口は毒がもれ出ているように見え、また瞳には怒りが渦巻いている。
リーゼのみに向けられている者ではないのだろう。いうなれば、全てに対してか。
「判断は難しいけどな。……お前にも嫌われてないって解釈でいいのか?」
「俺はそこら辺を後に回して考える男でよ。まっ、ルカとヒロムはテメェを気に入ったみてぇだったからな。初日は甘くしてやんよ。
狂人にも仲間意識はあるのかそれだけ言ってニアスの足が止まる。
右を向けた最初に紹介された部屋だ。最短経路を進んだのだろう。経路がいくつもある時点でこの砦がやはりまともではないと言う確認が出来た事になる。
「朝礼とかねーからゆっくり寝ろや。明日になりゃ仕事の一つでもあんだろうしな。あばよ」
ひらひらと手を振って入り口へ向かう背を見送り、リーゼは今日だけで何度目になるのかわからない溜息を吐いた。
何もする気がわかないのか、部屋に入りふらふらとベッドの上へと倒れこむ。
「本気で、疲れた」
思い返すのは今日正式に顔を会わせた面々。
アイルカウ、イニー、ムーディル、ダラング、ヒロムテルン、リベイラ、そしてニアス。
いずれもまともとは言いがたい面子なのだ。常人が正面から相対してはすぐに感化される羽目になるか、死ぬだろう。
「アイツ、ニアスも何かのタガが外れてるんだろうが」
今日一日ではそれを理解する事はできなかったが、近い内に知る必要があるのだろう。最期に見せた世界を憎悪をする目。それは下手をすると、リーゼに振りかからないとも言えないのだから。
「何にせよ、もう今日は寝よう」
瞼を閉じればリーゼの意識は即座に眠気に食われて落ちたのだった。