三話 郷愁、宣誓
「何が起きている?」
不満そうに呟いたウィニスが曲刀を手に通路を歩く。侍るのは、第二、第三、第四特務を率いる各隊長。
「私の部下が逃げたようです。薬惜しさに逃げるはずがないのですがはてさて?」
とぼけるように口笛を吹きながら言う女に同意するように、第二特務と第三特務がそ知らぬ顔で頷いた。
王都で暴れる、いや暴れるというよりは狼藉を働く男たち。兵士たちは隊伍を組んで王都を駆け回っているが、まだ二人を殺しただけに過ぎない。
「チッ。私も出るぞ。第一特務らにも命令を下しておけ。騎士殺しのついでに奴らも殺せとな。第三特務、貴様は罰を覚悟しろ」
それでも口笛を吹き続ける第三特務隊長に舌打ちをしてウィニスはシルベスト不在の中で全ての指揮を執る。
幸いにして被害はまだ少ないもののこれが一日でも続けば、いやこれ以上続いてしまえば治安の悪化は免れないだろう。
「面倒だ、非常に面倒だが……。ふん、八軍は表に出せぬからな。特務隊長らは軍服を着ていき殺せ。いい機会だ、それなりに派手に立ち回り八軍の存在を知らせてこい」
命令を下し、ウィニスはこれから混乱に乗じて砦から抜け出そうとする者への対処を行なわなければならない。
幾人の死体が出るかは、ともかくとして。
「ああ、くそ。あまり人を割けないのが痛いな」
「手伝おう」
文句を流すウィニスへと声をかけたのは、道化師のような格好をしたエグザ。階級的にはおそらく、ウィニスと同等かそれ以上。
所属が所属。暗部の統括を行なっている立場なため公式には階級などは存在しないが。
「……すまないなエグザ殿。貴方は特務を率いて城下へ向かってくれ。城の警備については担当する軍が行なうだろう」
「了解した」
特務は城下に出て、聖騎士らに強襲を仕掛ける。その途中で第三特務を見かけることがあればそれを殺す。
わかり易いが、しかしどちらも時間との戦いとなるだろう。
「イニー・ツヴァイと私。ハルゲンニアス・ワークと三人。エルトニアスの双子とアイルカウ。三方から攻める」
簡素な物言いと共にエグザはイニーと姿を消し、双子は第四特務を見繕いキーツやルカと出撃し。
そしてニアスたちは。
「襲撃してから一日しか経ってねぇのに忙しねぇこった。んじゃ、行くか」
そんなやる気のない声と共に、砦の外へと足を進める。
「まさか逆に強襲を仕掛けられるとは」
文句を言いながらも、振り落とされる棺を避けると同時に左右から熱気が迫る。エグザが氷の壁を作りだし、炎を防ぐ合間にイニーは屋根の上へと避ける。
「少し騒がしいのでお手伝いでもしてあげようかと思ったのですが……まさか鉢合わせをするとは私たちの縁は少々深いようですね」
飄々と言葉にするが間違いなくそれは嘘だろう。そうでなければ路地裏を潜んで歩いていた二人に丁度良く鉢合わせることなどは無いはずだ。
殺気を感じる方角に来たと言われれば多少真実味は増すだろうけれど。
「兄さん」
「はいはい。無駄口叩くなってことだよね」
肩をすくめながら振り回される棺。大振りの中で僅かに生まれる隙を突こうとすれば妹が炎を操りその隙を潰す。
ならばと妹を狙おうとすれば、無差別な炎術を放つため近寄るに近寄れない。
炎はそのまま妹の支配下に置かれるのが更に厄介だ。
「特務に居る双子とは大きな違いですね。あのお二人にも貴方がたぐらいの力量があればいいと言うのに」
そうなったとすれば、戯れにイニーが殺す範囲に含まれる。余りにも弱い相手は、積極的に殺さないのがイニーだ。
殺人に飢えていれば別だが、基本的に殺す機会が恒常的に与えられている現状ではわざわざいつでも殺せる相手を殺す意味もない。
「ならば特務は不要だろうな」
エグザが呟き、炎に対抗するために氷の靄を身体に纏わせて突撃を行なう。炎の渦を抜けてその手に持つ棍による刺突を行なうが。
「おっと。妹に手を出してもらうのは困りますよ。悪い虫が付かないように気をつけているのですから」
いつの間に取り出したのか、長剣を投げることで棒の軌道を変える。そして妹は一歩下がり、黒剣を振りぬく。
完全には避けきれず仮面に掠り、そのままやはり屋根の上へと飛び上がる。
「厄介な二人組ですね。殺し甲斐がありそうです」
「……少々厳しいな」
エグザがこの場に居る者よりも頭一つ飛びぬけているとは言え。その相棒となるのがイニーでは、意味がない。
目の前に居る双子は連携を得てとする者たち。純粋に戦力が倍になるわけではないが立ち回り次第では二十座に匹敵する実力を持つ。
表に出ることはないため人の口に上がることがなく知名度はないものの、いやだからこそ厄介な相手だ。
「僕らはこれでも神具の効果を使っていてこれですから、本当に厳しいお人らだ。……そうそう。イニー・ツヴァイさん。貴方に問いたいことがあります」
双子もまた屋根の上へと飛び上がる。周囲に人の気配がないのは、恐らく危険な気配を察して家から出てこないからだろう。
それはこの場に居る全員にとって都合がいい事だ。
「兄さん?」
「聖職者としてね、気になるんだ。……貴方は何故、人を殺すのですか?」
言葉の合間にもイニーとエグザは隙を伺うが、言葉に翻弄されて隙を消すような相手ではなく。また妹も瞬時に動けるように炎を従えている。
「貴方にとって他者の殺害はいかなる理由を持って行なわれるのですか。それは貴方にとって罪ではないのでしょうか、悪ではないのでしょうか。そして貴方にとって善とはいかなるものであり、生とはいかなるものなのでしょう」
問いは、神に仕える者として発せられるものだ。
人を殺すことは罪であり、償いを課せられる悪だ。聖皇国では、人族を殺せばどのような存在であれ罰せられることが確定している。
無論、神の手足である聖十三騎士は除外されているものの、基本的には人殺しは悪だ。
「殺人血族ならば、仕方がないでしょう。彼らは殺すことを己の本能としている唾棄すべき者です。しかし貴方は、ただの人族に過ぎない。血族でもなく、殺害方法に快楽が介在する余地もない。単なる悦楽を得るために行なっているようにも思えず、戦闘狂でもない。確かに貴方は殺人狂ではあるのでしょう。だからこそ何故、殺すのでしょう」
理解できぬ者を理解するためではないだろう。
彼の問いは、不可解な問題に向き合おうとする学者の目だ。真理を得ようと思考する哲学者の思考だ。
「中々興味深い話ですね。では前置きはその辺にして殺し合いを再開しましょう」
それをバッサリと切り捨ててイニーは膠着状態を動かすために無差別に物質生成術式を展開する。
低位術式が基本的に封殺されている現状、有効打となるのは物質生成。
下位術式は構成を解かれてしまうが、すでに実体として存在する物質生成ならばその式が崩されることはない。
「物質生成は神具に対抗するために編み出されたという説と武具を作り出すために編み出されたという説がありますがどう思いますか?」
「さぁ? 大差はないでしょう」
「……兄さん。この人は、殺しておいた方がいいのでは?」
癇にさわったのか、それともイニーから発せられる殺意の異常さを感じたのか妹は険しい目を向ける。
しかしそれには、アクァルは苦笑だけを返した。聖皇の命令だからか。それとも別の予感があるからだろうか。
そこを判別することは妹であるアルネにも難しい。
「イニーさん。どうだろう。今裏切ればそこのエグザさんを殺しても構わない。三対一ならば、苦戦はするけれど問題なく殺せるだろう?」
「問題はないでしょうが、僕を気にしないその方は厄介ですよ?」
と言いながらしかし、イニーは背後からエグザへと物質生成を展開。屋根が幾十の槍へと変質しエグザへと突き進む。
「イニー・ツヴァイ。お前はそうするだろうな」
苦い声で舌打ちを漏らし、しかしエグザはイニーへ向き直ることなく三人から離れるために退く。
「……兄さん、この人は危険です」
「同意するけどね。聖皇様が宣託したことだよ?」
口調にあるのは信奉ではないとイニーは感じる。僅かに端から滲むのは諦念だ。どうにもならない存在から押し付けられる者が持つ諦めの感情だ。
「統括さん、諦めて死なれても困りますがこちらは殺さないで下さいね」
鼻歌でも鳴らしそうな顔でエグザへと短剣を放ち、更にそれに同調するように双子も棺を振るい、黒剣を操る。
三方向から来る即席の連携。二人であった時と比べて稚拙だが、それでも数の脅威。
本来回避も困難。例えルカであろうとも生き残る目が極少。
暴力の嵐が吹き荒れる場所を、エグザはすり抜ける。
「流石」
「……本当に厄介だ」
「怖い人ですね」
棺を受け流し、炎と共に繰り出される黒剣をイニーの作り出した短剣をぶつけることで無力化して、短剣すらも棍で巧みに弾いていく。
合間合間で術式を用いて地面を凍てつかせる一箇所に固定させず。逃げながらも確実な攻撃を行なう。
そもそもが、暗部の統括。それは決して安閑としたものではない。
一人で戦い生き残り、そして一人で逃げる。どこに居たとしても絶対の生存をしなければならない立場。
故に、イニーと二人で戦うことでは性能を十全に活かせなかったが、敵に回ったことによりその枷も取り払われる。
「ですが、最初からこちらを気にせずに戦えばよかったのでは?」
「……臣民に被害が出る」
なるほど、と頷きながら会話をする様子を見てイニーが裏切ったとは二人には思えず。
これが罠なのではと言う予感を与える。
「なるほど、大した信頼です。曲がりなりとも共に戦う仲間というわけですか」
「……退きますか?」
「ん? 逃げるのですか?」
イニーが問うときにはすでに妹が炎を撒き散らしながら逃亡を始めていた。
エグザが反転して追ったとしても先日見せた手並みから考えれば、ここで追ったとしても無意味だろう。
「あはは。困りましたね。これでは僕が殺されてしまう」
行なった事実に対して弱さも迷いも思案も声色にはなく、何かを喜ぶような声で呟く。
それは、エグザと殺しあうことへの歓喜か。それとも無思慮ゆえの楽観か。
「……不問には処さない。他の部隊を潰す」
「ふふ。現時的な判断が下せる統括は嫌いではありません。それにあの状況では貴方が悪いですしね」
イニーは、そういう存在だ。即座の裏切りも幾多の虐殺も行なうと理解していれば防ぐのは容易い。だからと言って許されるわけではないにしても。
ここで殺すのならばやはり、とっくの昔に首が地面に転がっていておかしくはない。
「次からは、裏切る前提で部隊を組む」
「隊長さんなら最初からそうしていたでしょうに。貴方は人を育てるのには向いていますが、人を指揮するのには向いていませんね」
自分を棚に上げるような物言いにエグザは小さく息を吐く。確かに向いているわけではないだろうが、それを問題の種である本人から言われてしまえば僅かに気にも障るというものだ。
「どちらにせよ、一月か二月は覚悟した方がいいだろう」
「そのぐらいが妥当でしょうね。やれやれ、世の中はままなりません。これでも己を律することをしているのですが」
どこまで本気かわからない事を呟いてイニーとエグザは、まずは他の部隊へ連絡を行なうために当初の襲撃地点まで走り去る。
そして。
「……ぁはぁ~。死ぬかと思ったねぇ?」
調子の外れた声で路地からフードを被ったパルリンクが顔を出す。
「どきどきだねぇー? 殺人好きな人とは戦ったら死んじゃうってだんちょーさんも言ってたしねぇ」
更にその後ろに有翼族のトィルハーがふわふわとした現実味のない声で同意を示した。
二人は戦闘の最初から最後まで、そこらにあった家に押し入り内部から観察していた。バレれば死ぬ危険を犯して、しかし情報を得るために。
「リンちゃん、もー少し強めにかけるー?」
「んふぅ。お願いぁい。少ぉしだけ醒めてきちゃったよぉ。薬も打っておこうかなぁ?」
「それは怖いからダメだってばー。あんまりお薬を打つと夢の中に閉じ込められてこわいよーって言われたでしょー?」
白い粉を懐から出して舐めようとするパルリンクを止めて、トィルハーは精神系術式の中でも士気をあげる際に使われやすい術式を展開する。
痛みや恐れを忘れさせる戦場用の術式。言ってしまえば、薬となんら大差ない危険度の術式だ。
「んぁっはぁ。うへへぇ。それじゃぁ皆ぁに伝えにいこぅ。騎士さんの居場所もけんとーついたしさぁー」
「うん。でも皆、もう一人ぐらい倒しちゃってるかなぁ?」
会話をしながら、慎重にこれ以上は悪いことが起きないようにと願いながら二人はこの場から姿を消した。




