信仰、郷愁 ④
「帝国騎士がいるって言うのは笑えないわね」
三人目の帝国騎士は首を断ち切られてその場へと転がった。三人の子供たちは顔を真っ青にしてそれを見ている。
死者を見た恐怖ではない。理解できない太刀筋を見たが故の恐怖だ。
「何をしていたの貴方たち。可能な限り教えてくれないかしら。私の役目じゃないけどこうなったら仕方ないもの」
溜息を吐きながら、短剣一つで帝国騎士を討ち果たす。おそらく三人の子供たちではまず不可能。一人の騎士にすら苦戦するのが関の山だ。
だから、これが実力差。重ねてきた年月と、潜ってきた修羅場が違う。
「誰が言うかよ、お嬢ちゃん」
腕を飛ばされた男は凄絶な笑みを浮かべて、破裂する。
その破裂すらも予想していたようにユーファは風術を自分と後ろに立つ三人の子供に展開し血が付着するのを防いだ。
「……あ、ごめんね。ルエイカちゃんたち。こういう光景は見せたくなかったんだけど」
生きている者はもう誰も居ないことを確かめたユーファは大きく深く溜息を吐いて困った表情で三人へと言葉をかける。
普通の少年や少女ならば心に深く傷を負うような光景であると同時に、副将軍の強さに憧れるだろう。
生憎と、この三人からしてみると畏怖を抱く強さだったが。
「い、いいえ。私たち、えっと。少しは慣れているので」
彼女らの年齢はおそらく十代半ば。裕福な暮らしでないならば死体の十や二十、諍いの二つや三つは経験している。
ともすれば殺し合いだって行なっているだろう。それでもユーファから見れば、頼りない震えだ。
「そうは言ってもね。顔、真っ青よ?」
特にそっちの子とフードを被ったままのパルリンクを指差す。確かに顔も青く、手も震えている。
ただ、妙な様子だった。死を恐れているのではなく、ユーファの短剣捌きを恐れているような、敵対者がよく向けるような目だとユーファは感じる。
「あ。いいえ、大丈夫です。ほら、パルリンク。大丈夫だから、ね?」
フードの上から抱きしめて赤子をあやすような手つきで撫でるルエイカの表情は昼間に見た時のように慈愛に満ちていた。
何故だか母親を想起させるその姿。
「トィルハー。お願い」
「あ、うんわかったよー」
呆然としていた有翼族トィルハーが急いで頷き、小さく声に出して精神系術式を紡ぐ。簡単な沈静術式だ。学べば子供でも使うのは容易だろう。
前提として誰が教えるのだろうということがあるが。
「……踏み込むことに意味はありませんね」
口の中で呟く。義理のない子供の過去を無闇に知るなんて愚かな真似はできるはずがない。救うことなど出来るはずがない子に手を伸ばす悪趣味を持っていない。
「うちに来てお風呂にでも入る? ああ、でも他の子を探すのが先かな?」
短剣についた血を振り払うと柔らかい微笑みを浮かべる。先ほどまで行なっていた戦闘の気配を微塵も感じさせない雰囲気だ。
狂犬だってもう少しべたつく殺気を撒き散らすだろう。
「あ、はい。他の子を探し……たいのですがもう二人も見つけたところですし」
「あー。でも、帝国騎士と会ったら怖いでしょ? それに見つけられるみたいだし、ね?」
にこにことしたユーファの言葉は、半分は善意だがもう半分は副将軍としてのもの。
要は追求はしない、だから他の騎士を見つける手伝いをしろと言うことだ。数がどれ程のものかはわからないまでも、百人単位で潜入されるほど暗部は無能ではない。
そうだとして、潜入している数は最高でも二十人。全てを同時に相手できるほど強いユーファではないが、潜入しておきながら大勢で動く意味はない。
「あ……。はい、わかりました」
そもそもこうなったのは、トィルハーの失敗だ。二人がこの市民街の下流に来たのは帝国騎士がいることの確認。そしてユーファが居る前で漏らしてしまったのだ。
帝国騎士が居ると。
後は家の中へ乗り込んで切り払って、終わり。術式を使わせる間もなく対応させる間もなく。電光石火で厳酷苛烈。
ルエイカの前で困った顔をしていたのが嘘のような豹変振り。しかしそれが副将軍という女だ。守りに長けると言われたユーファですらこの戦闘振り。ならばこれ以上、また同格と呼ばれる者も同じなのだろう。
「それじゃあ次に行こう。……大丈夫。あまり聞かないから。でもね、ルエイカちゃん。あんまり危ないことはしない方がいいよ。お金のためだろうけど」
三人に向けられた言葉は純粋な心配だった。金のために帝国騎士の様子を探るという依頼なのだと判断したのだろう。
子供たちが生き抜くには危険を承知で仕事を行なうか、盗むか身体を売るか。
「はい。ありがとうございます、ユーファお姉さん」
心配を向けられ、ルエイカは抱きしめながら困った顔で礼を口にする。
彼女の心配は多少外れてはいるもの、概ねでは間違いではない。生きるために行なっていることだ。仕事をしなければ団長は彼女らを見捨てるだろう。
「でも。……やるべきことですから」
「そうだね。でも、子供のうちからあまり背負い込まない方がいいよ。いつかきっと潰れちゃうから」
覚えがあるのか、それとも誰かを思い出しているのか。どこか遠い目で言ったユーファにルエイカは曖昧に頷いた。
言われたところでそうなるまで人は実感できるわけがない。幾ら聡くとも同じこと。いや、聡ければ聡いほどにと言うべきか。
「帝国騎士の排除が無事に終わったら報酬は払うわね。そのついでに貴方の友人が見つかるといいのだけど」
子供たちの頭を撫でながら言うも、パルリンクは相変わらず萎縮したように小さくなっているばかり。
流石に子供にこうも恐れられてはユーファと言えども傷つく。それを表に出さないのだから更に怯えられてしまっているのだが。
「他の子の特徴とかはある?」
先導を、白い翼を僅かに揺らしながら歩くトィルハーに問いかければ、僅かな躊躇いと共に言葉が返った。
「えーと。私と同じくらいの子供でー、あとは種族が皆違いますよー」
「うーん。見つけられるといいけど」
ルエイカと聞いたのと同じぐらいしか言われず、苦笑して四人は王都を歩く。当面は、帝国騎士を目標として。
「おう馬鹿共。今日も反骨精神バリバリかよ」
ニアスが荒くれ者と暗部の数人を前に立っていた。他の皆とは城への合流前に別れてきたためこの場には居ない。
「おう大将ぉ。えっへっへ。なんだぁ? 今日はどうすんだよぉ?」
ニアスが子飼いにしている屑たちだ。実力も低く、薬と酒だけを楽しみに生きるだけの者だ。そんな小者にも使い道はある。
「馬鹿共。テメェらに仕事をくれてやる」
男たちは金さえ貰えればどんな仕事でも行なう。金のためなら人も殺すし、何でもやる。
暗部はニアスに同調する者たち。それ程腕が立つ者ではないが、忠誠心は確かなものだ。
彼らもニアスと近い目にあったような者たち。しかし、王国へ自ら復讐しようと思えない男たちでもある。
「幾らだ大将ぉ! へへへへぇ。何でもやるぜぇ。殺しかぁ? 情報でも集めてくんのかなぁ?」
「ニアスさん。どこで何をするんですか?」
荒くれ者十人。暗部の者が六人。それらを率いる代表が問う。問われたニアスは、やはり笑う。
「城壁の陣を破壊しろ。手段は問わねぇからよ。成功すりゃそれでいい。失敗したとしても、それで構わねぇ。俺の名前は出すなよ? 金貨五十枚。終わったらくれてやる、高飛びでもなんでも好きにしな」
先に金貨を一枚各自に投げれば、荒くれ者は厭らしい笑みを浮かべ。暗殺者は確りと頷く。
飛行を阻害する術式陣。そして最大である戦略級術式を防ぐ最大防護の陣。
それらを破壊されれば王都の破壊も夢ではない。とは言っても。そこの警備は常に厳重だ。無策で行えるはずがない。
「適当にやれよ?」
「無論です。成功すれば、城ぐらいは壊せるのでしょう?」
暗部の男が自信ありげに言う。ニアスはその言葉に頷き、内心では全くと言っていいほどに信じてはいない。
そもそも始める前に怖気づく可能性だって高いだろう。そこまで気概のある者ならば独自で動いているはずだ。
だからニアスにとって彼らは手駒であるが部下としては三流。
「んじゃな。期日は、三日ぐれぇだ。破壊されたのが確認されたら動くぜ」
それだけを言い残してこの場から去り、彼が次に向かうのは別の寂れた小屋だ。人の気配が少ない場所だ。
「……おう。居たか。屑共」
ドアを開け、床をブチ抜くとそこから地下へと下りる通路が現れた。
ひんやりとした空気が漏れ出る中へと大した警戒もせずに入り、通路の先を進んで上にある扉を開く。
まず最初に、厭な臭いが鼻につく。顔を出し、小さな部屋
居るのは異様な雰囲気を漂わせた男たち八人。それぞれ顔に深い傷跡や火傷のある男たち。
そのどれもが暗く冷たく鋭い眼光でニアスを睨んでいる。
「……なんだぁよ第一特務。俺らに声をかけたんだぁってこたぁ面白ぇことなんだろうなぁ?」
八人の男たちが漂わせるのは酒と血と薬と吐瀉物のすえた臭い。
鼻が曲がるほどの悪臭は喉元からせりあがる吐き気を催させる。
「よぉ、第三特務ども。テメェらの隊長にケツ穴掘られてきたか。いい話だ薬中。この都市をぶっ壊すぞ。テメェらにも利がある話だろ」
王都に僅かでも穴を開けることが出来るならば、八軍砦に居る彼らは喜び勇んで外へ出るだろう。
この八人はその中でも飛びっきりの際物。ニアスが認めるほどに狂っている人材。外へ出るためにどのような方法を使ったのかはわからないが、恐らくリーゼが聞けば耳を塞ぐような方法だろう。
「ひゃははははぁ。馬鹿じゃねぇのテメェ。まだそんな与太話やろうとしてんのかよぉ。テメェらぁ、いいなぁ?」
「ウキキキキ。殺してもいいんだよな? ぜーんぶ犯して殺してやんよ」
「うひゃぁはぁ。ガキは俺のだ、俺がガキを殺すんだよぉ」
八人は己の欲望に喝采を挙げる。周囲に監視の目はあるだろう、ニアスが会ったことは知られないようにわざわざ地下通路まで作ったのだ。
何より彼らは重罪人。危険と実力がありながら、その精神性が余りにも乖離していたため実験材料として使われている者たちだ。
イニーのような単なる殺人狂ならばわかり易いだけ随分とマシだ。彼らの多くは性犯罪と猟奇殺人を繰り返す者。また異常な欲望を破壊へと結びつける者。
「薬の準備は万端かよ屑共」
「ひゃは。当然だよ糞が。隊長だって俺らが殺してやんぜぇ」
到底不可能、とは言えない言葉だ。彼らは元々が重罪人。砦内でも地下に隔離されている者たち。
力量をとっても特務と劣らぬ者たち。投薬によって思考能力が落ちているのが珠に瑕と言ったところか。
「期待はしねぇが、精々派手に暴れろよ。笑ってる王都の糞ったれを消しちまえ」
「言われずともよぉ!」
反吐が出るような笑い声を上げながら、狂犬以上の狂犬が王都へと解きはなれる。
ニアスはその笑い声を背中で聞きながらすでに地下へと戻った。アレ以上はここに居る意味はないとして。
「……屑と馬鹿が遊んでる間を上手いこと泳がねぇとな」
彼らすらも捨石に過ぎない。本命は、誰をも信じないニアス自身。
壁の破壊も王都の破壊も、全ては些細な事だ。ニアスは目指すのはこの国への復讐なのだから。
「成功すりゃ御の字。失敗して死ぬならそれでよし」
好機は今しかない。王が不在で、聖騎士が現れている現状。これ以上の好機などそうそうあるものではない。
聖将軍や国王の護衛である兄妹。またアナレスや城に在中している将軍たち。それらに対しての手は打てない。打ちようがない。
「まっ。死なないならそれが最善だがな」
呟いてニアスは城へと向かって歩いた。顔には隠しきれない狂喜を浮かべて。




