信仰、郷愁 ②
昨日は寝てしまいました、すみません。
「例えばですが。誰かをここで殺したとします。その人物は死んで月へ向かうと言いますが、では心だけを壊された場合はどうなるのでしょう。生きているのでしょうか、死んでいるのでしょうか」
ふらふらと路地裏を歩きながら唐突にイニーが問いかける。
問われたエグザは何も答えず歩く。
「もしも生きているのならば我々の魂とは何なのでしょうね。生と死はどういう意味を持つのでしょう。不思議ではありませんか? 幾ら強くとも死は平等です。平等に誰にでも訪れる。強さは他者からの死を遠ざけるものでしかありません」
語られる言葉はこの世の理に対する問いかけだ。
「ならば強さに意味はあるのですかね。あるのならば生と死にどんな意味があり、何故意味がないのでしょう。あえて言うとすれば死に抗うことこそが生に意味があるとする行動なのではないでしょうか?」
「遊びの議論に付き合う気はない」
長々と楽しそうに語っていたイニーの言葉を一言で切って捨てる。
それでもイニーは笑顔を崩すことなく歩く。
外を歩くのがどれ程ぶりかを覚えていないだろう。牢獄に居たからではなく、己の性質が故に外に出る事を許さない身だ。
「おやおや。僕はこれでも暇を紛らわす気遣いはあるのですよ。貴方ほど強ければ生と死について答えを出していると思ったのも事実ですしね」
「生と死は同じものだ」
「おや深い。ですがその二つは明確な差異があると思いますが。生きることは動くことであり奪うことです。ですが死は止まることであり奪われた後です。表裏であるのはわかりますが同質であるとは思えませんね」
きっと心から考えているわけではない。単純に、浮かんだ言葉を並べているだけだ。
死を与える存在が言うにしては余りにも軽い言葉の羅列。もしかすれば言っている瞬間は本心であるかもしれないが、明日には言ったことを忘れているだろう。
「死と生。永遠の思索問題だと思いませんか。僕らのように誰かを殺すものならば考えてしかるべき問題とも言えますよ」
「考えているとは思えないな」
「これは手厳しいですね。けれど僕は誠実であろうと思っているのですよ」
「殺気を撒き散らしながら言う事ではない。そして己に誠実である者ほど厄介な者は居ない」
イニーが歩けば、死に対して敏感な歓楽街の男たちはそそくさと視界の外から逃げていく。歩く警報機のようなものだ。
隠す気があるとは思えないこれは、おびき寄せることを目的としている、のだろう。相手に逃げる気がない時にしか使えない方法だが。
「実際に相手が出てくるとは思えませんね。無策で無謀でしょう」
歌うように言う。決して綺麗とは言えない、掠れた声で。まるで、何かをわかっているように。
「無意味な事を言うのは、やめておけ」
「さてさて。これでも貴方に配慮する気概はあります。無駄に死ぬ気はありませんので」
立ち止まる顔には笑みが浮かび、両手の内側、身体の内部へ埋め込んでいた短剣が肉を破り突き出る。
「ならばいい」
言うエグザの片手にも、鉄で作られた五ロートにも及ぶ木製の細長い棒が握られていた。
つまりは。
「何でわかったのですか? おかしくありません?」
やや不器用な王国語を口に出した青年の声が二人の耳に入るよりも早く二人は動く。
イニーの術式により短剣が壁から作られ、更にエグザが無音で移動。下から棒を振り上げる。
「おっとと。えっと、あまり気にしないで下さい。目的のうち一つは会話をしにきただけですが」
振られる棒を、青年は紙一重で避ける。
「王国語が下手なんですね聖皇国語で構いませんよ、僕もこの方も話す事は出来るので」
放たれた短剣を掴み、その青年は更に迫る短剣を全て弾き、更に後ろから迫ったエグザの刺突を避けた。
「それは本当に楽だ。ありがとう。いや、王国語は聖皇国語と似てる分だけ難しいよね。僕らは帝国語ならまだ得意なんだけど」
青年は背に黒い棺桶を背負い、縦縞の商人風の服を着込み、やけに弱弱しい笑みを見せる。
「では自己紹介を。初めまして、イニーさんエグザさん。僕の名前はアクァル。大したことはないのですがイニーさん」
言葉を交わす合間にも三人は決して動きを止めない。
前衛をエグザに任せイニーは中距離から短剣を作り出す。互いにまだ小手調べ。そうなってしまうのは、アクァルと名乗った青年が持つ神具が原因だ。
準格神具か、主格神具。棺桶がどういう効果を持つのかわからないが、最悪カウンター型の可能性もある。
「裏切りませんか?」
「……なるほど。それは予想外です、悩ましい」
言葉を理解するが、流石に即座に手の平を返せはしない。ここに居たのがニアスだったら、行なっただろう。だが前に居るのはエグザ。ここで二対一を行なったとして殺せるかは怪しい。
この場で最も生き残れない選択肢を選ぶほど命を捨ててはいない。
「いえ。今日の用事はそれだけなのです。それに何より、私は非番でして。聖皇国は王国と事を構える気はないのですよ?」
「他国の者を勧誘するのならば文句は言えないだろう」
エグザの棒は走るも、それを楽々と避けながらアクァルは、棺桶を背から外し、振り回す。
「うぅん。いや、手加減をされていますがちょっと厳しいですので。次は互いに本気でやりましょう。だから『目覚めてください、神の僕』よ」
僅かにエグザが待ったのは知るためか。それとも棺から発せられる威圧に気おされてか。
棺が、開く。
ギ、ギ、ギと鈍い音を奏でながら僅かに見えるのは、白い腕。
「それでは、顔見世はこのくらいで。さようなら。ああ、それと。次に会ったら聞きたいのですが、貴方たちは己の罪を自覚していますか?」
白い腕が落ちると同時、三人が居る一帯が白い靄に包まれ、アクァルの気配が霞むように消えうせる。
「……イニー・ツヴァイ」
「ええ、不意打ちなんてしませんよ。しかし、準格でしょうね。気軽に使っていますし。主格だとすると随分と幅の広い能力なようで厄介ですが」
手に持った短剣を腕の中に戻し。後を片付けることのないイニーに代わり、短剣に使われた穴をエグザが戻していく。
推測できる能力は棺の中に入っているものを使った何かか、棺自体が内部に入れたものを操るかといったところか。
「全くもって、意気地のない方でしたね。僕と貴方相手では敵わないというのはわかっていたのでしょうが。何故貴方も本気でやらなかったのですか?」
「……違和感だ」
それだけを答えると二人は僅かだけ警戒をして、ニアスらに合流するために動く。
第四特務は弱くはない。第一特務でありニアスらと比べる方が間違いであり、一般的な軍人と対すれば、一対一ならと言う条件化で容易く勝利する事が出来るだろう。
そもそもが犯罪者集団。荒くれものだ。それが術式を学んだだけの存在。
「……あはー。私にゃ付いていけないなーこれ」
屋根の上で呆然とした顔でエルトニアス妹が眺めていた。視力を術式で強化して、なんともなしに先を見れば、まず彼女の常識ではありえない光景は視界に入る。
「ねぇねぇ兄さん。どう思う?」
「おいおい俺の可愛い妹。ぶっちゃけ、理解できねぇ。神具ってすげぇな」
二人が見るのは、第四特務が一方的に蹂躙されている光景だ。
まるで海岸線のようなでこぼこの形をした黒い鉄の塊を片手に、妹が眺める彼女は視認も出来ない速さで第四特務を殺していく。
「でも準格よあれは。あまりに自然に使っているもの。主格なら代償を気にして使えないでしょ?」
「アレは元々の力って可能性もあるんじゃないっすか?」
「いいえ。だとするとあの程度ではないわ。ふふ、自然に勝てないでしょうね。いい動きはするけれど、格が違うわね。対抗できるのはイニーかルカか、後はヒロムだけじゃないかしら?」
何故だかとても楽しそうに言うダラングの姿に二人は苦笑いしか返す事が出来ない。
幾多の死を、それも一応とは言え味方だった者の死を前にして冷静に見ていることは出来ない。
「どうする? 出る?」
「無謀だろ。可哀想だと思うが、まだ死ぬ気はないな」
二人はそう結論付けて、ダラングは早々と立ち上がり屋根を使い一つの壁を作り出す。上に乗っていた二人は作られた弾みで中へと落ちるが些細なことだ。
命を失うことに比べれば。
『何故わかったのですか? 説明を求めます』
『視線が不自然すぎたのよ。執拗にこっちを見ようとしなかったもの、黒剣使いさん』
聖皇国語での会話を、落ちた二人は内容こそわからないまま耳に入れて足音を忍ばせて逃げようとするが。
『下の二人からが宜しいですか? 後が宜しいですか?』
「下の二人から殺してくれると嬉しいけれどね」
「あっはっは。無理無理無理!」
「死にますって!?」
黒剣使いは笑みを浮かべ、勿論ダラングの言葉通りに動こうとはせず。
後方から迫った炎弾を受けた。
「殺せた!?」
「誰だ!?」
轟々と燃え盛る炎が黒剣使いの顔に当たる。緩い術式構成ならば生きる目もあるだろう。顔は焼け爛れるだろうが。しかし、見る限りの炎に不備は見られない。
だと言うのに。
『物質として存在しない低位術式など効きませんよ。そもそも炎ならば高位炎術でも意味はありませんけれど』
土術を含めて、術式でその形を維持する低位術式は準格神具持ちには効果がない。
いや、今のはそういう事ではなく。
『炎を操る……というより従えるかしらね?』
炎弾が解ける。そして、じゃれ付くように黒剣使いの周囲に渦巻いた。
「ハッ。横着してたらダメだなやっぱ。おいヒロムテルン、とりあえず前に立てよ」
「これだから神具持ちを相手にしたくないんだ。前に立つと死ぬ可能性が高くなる」
背後から剣を抜き切りかかったのはニアスと短剣を操るヒロムテルンの二人が行なった襲撃を黒剣使いは炎による目くらましを用いて避ける。
そして、それをダラングは眺める。何もせず、観察するように。
「……ニアス、ヒロムテルン。聖皇国語は話せるかしら? 自然に無理そうね」
「学が無くてなぁ」
「古帝国後と連合公用語なら。でも聖皇国語は人族以外が覚えるの難しいよ」
別の屋根に飛び移った黒剣使いに、百を越える氷槍が降る。避けたとしても他の特務が居る現状では一度後手に回ったこの状況では上手くいけば死ぬだろうし、悪くすれば捕縛される。
現状で本隊を殺すことが無理と判断した黒剣使いはもう一度だけ舌を打つと、呟く。
『……兄のように上手くやれないか。『まず笑え、ディエレッカ』』
呟くと共に、炎が動く。既存の術式に見えて決して違うとその場に居る全員がわかる動き。
「なんスかありゃ!」
「う、うわぁ。ちょ、ちょっと。聞いてないですよー。あー、もう。第四特務の人たちせめてこのぐらいやらせればよかったのに!」
家の壁に穴を開けて顔を出した二人が驚愕と共に呆れたような笑みとなる。
まるで術者の意を即座に受けるように炎が動いていた。一個の命、とまでは言わないまでも。
手足のように動き。巨人のように燃え盛る大きな炎がのたうつ。
「……俺もこんぐれぇの神具が欲しいもんだ」
「奪えばいいんじゃないかな。君と炎は相性良さそうだけれどね」
ニアスの軽口にヒロムテルンが苦笑気味に笑い、炎の巨人が拳を振りかぶり、降ろされる。
家の半分ほどもある巨体から繰り出される拳は僅かに近寄るだけで肌を燃やす。
「中身どこ行った?」
「自然と逃げたわよ」
氷の膜で自分の身体を覆い炎の影響を遮断しながらニアスの問いに答える。
周囲を見渡してもすでに姿も形もない。複雑に絡み合った路地裏のどこかへ潜まれとすれば、下手に追えばどちらが狩られる立場になるのかわからない。
「んじゃこれを始末した後は帰るとすっか」
「ん? いいのかい?」
眼帯をしたままのヒロムテルンはどうでも良さそうに問いかける。そしてムーディルもまた屋根の上から目を細めて炎の巨人を眺めている。
三者三様。
放っておけば、この路地裏における被害は広がるだろう。だがこのまま放っておけば大火災となるだろうし軍も近いうちに駆けつける。
だからと言って消火するような特務らではないが。
「あー、副長ー? 消さなくていいんすか?」
「そ、そうですよー。これ消さないと不味いんじゃ……」
双子が口を揃えて問いかけるもニアスやヒロムテルンは巨人の拳を避けながら笑い研究者二人を横目で見る。
釣られて見れば、研究者二人は何事かを呟きながら巨人の姿を観察している。
「しばらく遊ばせておかねぇとその二人が五月蝿ぇぞ。怒りを自分に向けられて嬉しいならいいんだがよ」
しばらく。それはかろうじて軍よりも早くエグザが来るまで、巨人の活動は続いた。




