二話 信仰、郷愁
王都から出ておよそ一月。最後の三日間はやや駆け足での移動となったため、不眠不休での移動となった。
そして、ようやくリーゼの目には山脈を背にした城壁と、天まで届きそうなほどに立ち上る煙。
ここまで最短距離を進むために森の中を抜けてきた二人の姿はもうすでにボロボロ。叔母としか話していなかったリーゼは都市の前に着くと、拳を突き上げる。
「着いたぁ!」
「どうしたのいきなり。着いたけど、相変わらず煙が凄いなあ。もう少し晴れてるといいのに」
やや冷静な突っ込みを食らい恥ずかしそうに落ち着いたリーゼは都市の門番に事情を説明し、都市の内部へと入る。
鉱山都市エジッホォの名で呼ばれる都市。ここは山脈との交易都市でもある。
もう少し正確に言えば、山脈の許可を取りこの都市は山脈の鉱山を掘っている。現在は『まだ』採掘許可が降りているのだろう。
「製鉄所が結構ありますね」
「うん。色々と採れる場所だからね。ここは石焼きがウローガと石焼ピラックが美味しいよ。後はケラカの卵焼きとかね」
街中を歩きながら、二人は顔を動かしながら周りを見る。
まだ昼間という事もあってか歩く人々には活気が満ち溢れている。服装は鍛冶屋や製鉄所の従業員として汚れてもいい作業着を着ている者がほとんどだ。
上手く建設計画が立てられたのだろう、製鉄所のある場所と人が寝食を過ごす場所が首尾よく分けられている。
また鉄などを運ぶためか道幅は広く歩きやすい。
この都市を立てた人物のきめ細かさがよくわかる町並みだ。
「とりあえず、どこかで何か食べませんか?」
「領主館へ行こう。ここの料理は美味しいけれどまずは仕事を先にしないと、でしょ? 私はいらない竜の素材でも売ってくるから先に行っていて。ほら、あの先に見える館がそうだから」
「いや、何か食べたいんですけど」
「うーん。これは私が言うことじゃないと思うけどね。君はここの領主だってこと、忘れちゃダメだよ?」
「……ああ。なるほど。そうでしたね」
つまりは、長らく放棄していた領主としての責務を先に果たせという事なのだろう。
あまりそういう事を気にしないリバルドが言うのだから、余程重要な役目なのだという事はリーゼでもわかる。
早足で立ち去ってしまったリバルドを呆然と見送り、仕方なく言われた先、坂道の上に立つ領主館へと向かう。
向かう途中で住民から好機の視線を向けられるも、それを気にせずに歩き。
「……すみません、誰かいませんか」
息を一度吸い、やや緊張気味に扉を叩いた。一度叩き、反応を確かめる。
すると内部からバタバタとした音が響き。
「誰ですか! こっちは今山脈との会合で死活問題なんだ! ……誰ですか貴方。旅人? 宿屋は中央通りにあるよ」
「いえ。軍からやってまいりましたリーゼ・アランダムで」
最後まで言葉は言えず、名前を聞いた瞬間に扉を開けた青年の目が一気に輝く。
「リーゼ・アランダム! とうとう来て頂けましたか! 貴方は拒否していましたがこの都市で得られる金銭の十分の一は貴方のものなんですからね。ああ、これで前向きな忙しさだ! 家宰! リーゼ・アランダム様がやってまいりましたよ!」
先ほどまで静かだった館は一気に騒然となる。
内から外への大騒ぎ。
「あぁ? 旦那のガキが来たって? 今更かよ! ったぁく!」「それはそれとして早く山脈に取り次いでください!」「うひゃ! 誰ですか今お尻触ったのぉ!」「よーやくかいな。でもこれで山脈とも」「え、え? ど、どうしたんすかこれ」「お前寝てたな? よし、とりあえず都市十周な」「少し静かにできないのですか!」
呆然と、まさかここまでの騒ぎになるとは思わなかったという顔で館を見上げる。
その間にも騒ぎは大きくなり、まるで館が動いているかのようにすら見える。
「……若い者が失礼をいたしました、リーゼ・アランダム様。どうぞ中へ」
中から現れたのは初老の鬼族。
丁寧な物腰は鬼族ではあまり見られず、額にある角はやや小さい。
「はい。失礼します」
言葉と共に、一歩中へと踏みいれると同時に、老人は目尻に涙を浮かべ丁寧に腰を折り白髪に染まった髪が下へ緩やかに落ちる。
「お帰りなさいませ、リーゼ・アランダム様。ギルハンベータ様のご遺言に乗っ取り、今日からこの都市の権利を貴方様へお譲りいたします」
「拒否します」
丁寧な言葉を、リーゼは困った顔でしかし即座に拒否する。確かにメリットは大きいだろう。この都市で得られる収入の十分の一。莫大な資産が入るのは確かだ。
しかし同時に、それはここに縛られることを意味する。
「……冷静ですな。では、こちらへどうぞ。色々とお話したいこともございます」
先ほど目尻に浮かんだ涙はどこへやら、老人は無表情になりリーゼを館の中へと招き入れる。内部は聞こえてきた声の通り、幾人もの人間が書類の束を持って走り回っている。
誰も彼もが忙しそうにしている中で老人は平然と二階へと登り、やや居心地の悪そうな顔でリーゼもその後ろを付いていく。
「長い間こちらには来なかったのには、理由がおありですか?」
威圧するような印象はない。それでもどこか後ろめたく感じるのは罪悪感からだろう。
正式に軍へは放棄を申請したので正確に言うならここはリーゼの所領ではなく、更に言えば貴族位も飾りのようなものだ。しかし実際的な問題として、交易はリーゼが窓口に立つことになる。
「いえ。……したいことをしていましたので」
「正直ですね。貴方の父君もそうでした。こちらに全てを任せて、ご自分は好きなようにしているのですから」
裏で動いていたとしても、正式に手を回していたとしても。言い訳が許されるのならば当時のリーゼはまだ二十歳にもなっていない若造だ。
更に当時はそれで何の問題もなく動いていた。己の目的に邁進するリーゼとして大した事ではないと記憶の底に落としてしまったのは仕方がない事だろう。勿論、言い訳に過ぎないのだが。
「さて。今回の件、どこまでお聞きでしょうか?」
執務室だと思われる部屋に入り、机の前に座ることなく老人は部屋の中央にある椅子へと座り、椅子の前にある机へ肘を付ける。リーゼもまた対面にある机へと腰を降ろした。
面接のような雰囲気を漂わせる空気にやはり居心地の悪さを感じるリーゼをよそに老人はリーゼを見つめた。
「いえ。山脈が、俺……私でなければ交渉をしないと言うことまでですね」
「はい。その通りです。これまでは貴方がおらずとも何の問題もなく交易……というよりは鉱山の採掘は許可されてきました」
そこで一度言葉を区切り、老人は疲れをにじませる顔色で息を吐く。
「しかし貴方が軍に戻ったという話を聞いたのでしょう、山脈の民は貴方を交渉人として立てるのが筋ではないかとこちらに伝えたわけです」
「そこまでは、聞いています」
「ならば話は早いですな。貴方には交渉をして頂きたい。こちらは鉱山の採掘さえ出来るのならばそれで構わないのですから。それ以上は貴方の手腕ですな」
要はここに駐留する事になるのか、それとも無事に王都へと戻れるのか。それをリーゼの手腕次第と言うことになるのだろう。
失敗した場合はリーゼが失う代わりに山脈とのパイプを繋げられる。それを王が重視するか否かでリーゼの進退が決まることになるだろう。
「……重いですね」
「残念ながら。ここに住む者がかかっていますからね」
最悪の結末はリーゼが交渉に失敗する事だ。そうなった場合、無理に採掘を続けようとすれば山脈の民は妨害を、言葉を選ばない言い方をすれば採掘者たちを殺すだろう。
山脈と接する鉱山都市は三つ。それが全てなくなれば鉄などの資源は半減すると言っていい。
「わかりました。必ず成功させます」
「ええ。お願い致します」
後戻りはもう出来るはずがない。そして、失敗してもいいと言う気持ちで挑む事も出来ない。
リーゼの肩に国の未来と、鉱山都市で働く者の人生がのしかかる。
それは、内乱以来に感じる重み。
「あーと。……とりあえず、腹に何かを入れたいのですけれど」
重みを感じながら、しかしそれはそれとしてリーゼの腹が鳴った。
意気込みがあっても三大欲求には敵わないという事だ。
「ふふ。そうですね。腹が減っては戦は出来ぬと言いますし。すでに作らせていますので、呼んできます。ここでお待ち下さい」
軽く、しかし丁寧な身のこなしで老人は立ち上がり部屋の外へと出て行く。
それを見送り、リーゼは肩の重みに押しつぶされるように机に突っ伏した。重い。あまりにも重過ぎる。
数万、ともすれば数十万以上の人生。鉱物が取れぬからと言って住む者が即座に死に絶えるわけではない。そして、それ程の数を軍で養えるはずもない。
「そうなったらいっそ、全員軍人にして一気に帝国でも分捕るしかないよなぁ」
数に物を言わせた物量戦。推定される死者は、数十万か。おそらく武器や防具もまともな物が支給されるわけもない。
更に訓練だってまともに受けられないだろう。
素人を率いる者もおそらくは素人。前線の壁となり死者の山を踏み越えて雪国である帝国へと攻め込む。あの雪原地帯では訓練をした兵ですら足を取られるのだ、素人は為す術もなく死んでいく。
目的は勿論、鉱山資源だろう。山脈と王国が敵対した場合、帝国から攻め入られることを考えればまだこちらに悪意のない帝国と事を構えるのが得策だが、それは最悪の中で選ぶ選択に過ぎない。
最善はやはり無事に交渉を終えること。
幾多の未来を頭の中で考えながらもう一度、机に突っ伏したままリーゼは大きく溜息を吐いた。
「笑えるほど愉快な想像だ。悪夢でしか見たくない光景だね」
そうして戦端が開かれれば聖皇国と六連合も静かに座すはずもない。更に五連盟を味方に引き入れる必要も出てくる。
前のような小規模の戦乱ではなく、今度こそ大陸の覇者を決める戦乱となるだろう。
「……導火線に火を点ける役割は御免だな」
避けられず来るであろう未来への口火を切る役割を好き好んで行なうような男ではない。
むしろ可能な限り、準備が整うまでは引き伸ばす方を好む男だ。
完全なものはこの世に存在しないまでも、それに近づける努力ぐらいはするだろう。勿論、己の力が及ぶ限りでだが。
「さてと。山脈との交渉を早く終わらせて戻らないとなぁ。……アイツらは好き勝手やってないといいんだがなぁ……」
戻った時に何人か居ない場合の未来が容易に想像が吐いてしまうため、王都に残してきた特務を思いリーゼは先ほどよりも深く溜息を吐くのだった。
そして何事もなく時間が過ぎて、食事を取る。
先ほどリバルドに聞いたとおりに石で焼かれた料理が中心だ。そのせいか独特の味わいに舌鼓を打ち、ここまで来た甲斐があったとでも言うようにリーゼは並べられた料理を口に入れていく。
「……昼からこんないい食事を取っていいんですかね」
「いいのではないでしょうか。これから山脈の民と交渉するのです、あまり食べられないでしょう」
「そういえばそうですね。……そういえば、叔母……リバルドさんを知りませんか? ここに来る前に少し別れたところなんですが」
あの口ぶりからしばらくすれば来るだろうと思ったリーゼが問いかける。
それには老人も首を傾げた。つまりまだ館へは来ていないと言うことなのだろう。
竜の素材を売るのに難航しているのか、それとも商魂逞しく最も値を付ける相手でも探しているのかもしれない。
「こちらに来られましたらお通ししましょう。さて、山脈の民からの連絡があるまでこの館で休んでください。どうせですし、ギルハンベータ様のお話でもしましょうか」
「ギルの、ですか?」
リーゼの顔が愛想笑いのような、困惑するような、引き攣るような表情になる。
万感の思いだろう。良くも悪くも。思い出す限りいい思い出と呼べるものが数少ないからか。
とは言え。おそらくこの老人は鉱山都市の経営を行なう者だ。そこまで有能な者が、ギルハンベータを語る。
つまりリーゼの知らない一面を語ってくれるのかもしれないという期待があるのも事実。
「……では、夜の時にでもお願いします」
「はい。……この都市を作ったギルハンベータ様の、私の知る限りのことをお話します」
言葉の意味を問う前にぺこりと頭を下げて老人は静かに部屋から立ち去る。
「マジかよ」
思わず素の声で呟いてしまうくらいには、リーゼは驚いたのだろう。
あのギルハンベータ。緑髪将軍。粗野で粗暴を具現化したような男。
それが少し歩いただけでもわかる程に過ごしやすい都市を作った男なのだ。
「………………マジかよ」
呆然とした、はっきり言って馬鹿みたいな顔でもう一度、リーゼは呟いた。おそらく内心で妙な敗北感でも抱いているのだろう。




