狂気、信仰 ②
「軽いねぇ、なんとも言えないぐらい軽いよ」
術式を一切使わず、その灰色は盗賊たちを駆逐していく。
身体系術式も使わずに、リーゼの目でどうにか捉えることの出来る速度。もしもこれで術式を使ったらどのようになるのかすらも想像ができないほどだ。
「強くても困るけど、この国は大丈夫なの? これだけの相手を放置してるほど余裕ないものなの?」
首を傾げる灰色、いやリバルドは今のところフードを被っていない。だから髪が凄い勢いで揺れると同時に、盗賊たち数人が一気に倒れる。
風のような速さとでも形容すべきだろうか。それとも雷のような速度とでも評すべきだろうか。
「二十人規模の盗賊だとそれなりに準備がいりますよ。それに山の中ですから地の利は本来山賊にありますからね」
術式があまり使えない敵だろうと、だからこそ警戒は人一倍だ。兵が来たと悟られれば全員は一気に逃げ出すだろう。
そのために近くにあった村には最低限防衛をする兵を立たせておけばいい。後は被害があるとしても作物などで済む。
無駄に血を流さないのも一つの手段だ。それに、王領とは言え西側。一軍では左遷先とまで言われる地域だ。そこに居る兵士たちの意気は決して高いとは言えない。
北の湖から敵が来る可能性は低く、更に山脈を越えて敵が来るなど誰も考えない。
だらけてしまうのもまた当然だろう。
「面倒くさいね。でもこれで村のご飯をわけて貰えるからよしとしようか」
「ここの主要産物はチマあたりですね。穀物庫の中身はありましたけど、そこまで期待しない方がいいですよ」
荷物を全て持つリーゼは、まさしくお荷物とでも言った所だろう。
策も戦法も介在する余地のない圧倒的な殲滅とでも言うべき光景。もしもリバルドがリーゼの指揮下でその戦力を振るってくれるのならば、大抵の出来事が用意に解決できるだろう。それと同時にかなりの苦労を背負い込むことを考慮すれば痛し痒しだろうか。
「それでも食料を少しぐらいは貰えるでしょ。旅人はいつどこで補給できるかわからないから貰えるところで貰っておくもんよ」
「俺が居るから軍用の食料をある程度は貰えますけどね。叔母さんどのくらい前から山脈に居たんですか?」
リバルドは思い出すように指を折り、少し悩んだ後に口を開く。
「君が南部に行ったあたりになるのかな。凄い速さで走る獣車を見たけど、アレに乗ってたでしょ。結構強そうな人も居たみたいだし。声かけようとしたけど、空と大地の交差が合あるなら会えると思って声かけなかったけどさ」
徒歩だと考えて計算するとそこまで前から山脈に居たわけでもないのだろう。
というよりは山脈に着いたと同時に王都へと向かったと見て間違いはない。
予想以上に忙しない生活を送っているようだ。
「よくわかりましたね南部に居たって」
「後から聞いたんだけどね。南部はいい所だったでしょ? 寒くないし」
「暑かったし、そこまでいい思い出だったってわけではないですね」
肩を落としたリーゼが思い起こすのは敗北の記憶だ。決定的な敗北。最初から最後まで敵の手の平の上で踊っていた戦い。
払拭するには、次こそ道化師団の先を読まなければならないだろう。
「それは嫌だね。折角の旅行なんだしある程度は遊ばないとね。何? 女の子の胸とか見れなかったの? 南部の娼館は激しい子が多いらしいけど」
「行ってませんし、行ったとしても叔母とそういう話をしたいとは思いません」
「そう? ギルハンベータはどこの娼館が良かったのがよく語ってたけどね。でも私だったら相手にしたくはないなぁ。結局、女は道具としてしか見てなさそうだったしね」
「言われても俺はどういう反応をしたらいいんですか……。ああ、全員捕まえましたか」
ふと気がつけば回りには元気に走りまわる敵は居なくなっていた。そして、リーゼの眼前に土で身体を固定されて座っている。
数は二十三人。王領の盗賊団と考えれば規模は中々と見ていいだろう。五十人以上となれば危険と見なされて即座に排除となるが、三十人に満たないのならば後に回されやすい。
おそらくリーゼらが通りかからなければまだしばらくは見過ごされていただろう。
「うん。他には居なさそうだね。他に居るの?」
「い、いやせん! 本当です!」
殴られた男が腫れた顔で必死で叫ぶ。ここまでの叫びなのだから本当なのだろうが、リバルドは残念ながらそれすらも安易に信用しない。
「何? 本当?」
無表情で男へと近寄り、指をまず一本。へし折る。
「グ、ァ、アアァァアア!」
「五月蝿いし大げさ。別にわき腹を露出させられたわけじゃないでしょ。それで? 本当? まだ他に居るんじゃない? 他の盗賊団とか居るならそれも言った方がいいよ。貴方の他に聞ける奴は二十ニ人も居るんだから」
無表情で淡々と詰まらない作業でもこなすようにリバルドは問いかける。
一切の容赦がなく、強者ゆえの警戒心の薄さもない。いっそ臆病とも取れる行動だがそれがリバルドの強さを支えるものかと思うも、しかし気軽に聖皇国に赴く身軽さを考えれば不自然だ。
「……いいんじゃないですか?」
少し離れたところに拷問を続けるリバルトを呼び寄せ、万が一にでも捕まっている盗賊団に聞かれないよう小声で、更に耳に口を寄せて言うも。
「警戒するに越しておくことはないでしょ。なんなら殺してもいいわけだし」
「俺のためだからって警戒しすぎです。俺だって易々とは殺されませんよ」
つまりは、それだけの理由。リーゼを守るために最大限の警戒を払っているだけなのだろう。
誰かを守るに警戒のし過ぎと言うことはない。リバルドが一人ならばどのような苦境を乗り越えられる人材でも、リーゼの弱さを考えればそうは言えないのだ。
「君は自分の価値をわかってないね。呼ばれている現状で死ぬと山脈は王国と敵対に近い関係になるよ。そうなると私も当然、王国と敵対しないといけなくなる。外に出た者だからと言って無関係ではいられないからね」
「……そこまでなんですか?」
思わず引き攣った笑みでリーゼは問うが、頷くリバルドの顔は真面目なもの。
いかに山脈に住む者たちの仲間意識が強いとは言え、外で育った者に向けるには重過ぎる。
「君みたいな事例は珍しいんだよ。山脈の歴史でもそう多くはないからね。子を為したのなら、それは外界の子だけど。君は外の者との間で生まれたわけじゃなくて彼が認めて子にしたんだから」
「それはまた……ありがたいけれど面倒ですね」
大切にするにも、仲間が意識を強くするにも限度があるという顔で言うも、リーゼがどうにか出来る話ではない。
彼らの事情であり、それを押し通す力がある以上は文句を言った所でどうにもならない。
「君くらいの歳で心配されることなんて滅多にないよ? 本当ならこっちに来るのは十年ぐらい前が良かったんだけどね。後は、君が雑貨屋をやってる時」
「なら何でその時に呼ばなかったんですか?」
「うーん。好きな事をやっている人を呼び戻すわけにはいかないでしょ? だから軍に戻されたらしいなら、来させないといけないからね」
リーゼの髪が風により、僅かに揺れた。そしてやや乱れた髪を戻すために手で戻す。
つまりこの状況は、山脈へ行ってなかったリーゼの自業自得と言うことになる。
それ以上に山脈との交易を止めてしまったことは、明らかな罪だろう。
「ギルはそういう事を全く教えてくれませんでしたね、そういえば」
「山脈の成人は十四歳だからね。その歳になるまでは放置しておいていいと思ったんじゃないの?」
内乱がなければ何事もなく山脈に戻り、話し合いでも何でも出来ていたのだろう。
過去の話など言ったところでどうにもならないが。
「……とりあえず村へ戻りましょう。俺も周囲を警戒するので」
「わかった。それじゃあ行こうか」
盗賊たちを引き連れて、リーゼは僅かに重くなった足取りで、リバルドは軽い足取りへ村へと向かい、静かに歩く。
「イニー・ツヴァイ」
「あはははあぁ?」
「やめろ、ひゃめ、ひ、ひぃ」
投げ込まれた人間が生きるために最大限の努力を払う。無駄なと言えば無駄。しかし、美しいと言えば、美しい。
イニーにとって人の生は苛烈であるべきものだ。鮮烈であるべきものだ。
希望を持つ者が、活力に溢れる者が、明日を疑わない者が死ぬ瞬間をこそイニーは愛す。
その点で言えば。
汚れた金髪が揺れると同時に命を失った男は落第点。最初から絶望している相手を殺したところでイニーとしては僅かばかりの楽しさを得るに過ぎない。
「……ああ。お見苦しいところを。何か用ですか?」
先ほどまで正気とは言えない笑い声を漏らしていた当人とは思えないほど冷静になったイニーは、牢獄の外に居るエグザへと問いかける。
瞳に浮かぶのは愉悦と嘲笑。この世に居る全てを殺せるものと確信するおぞましい殺意。
きっとイニーは目の前にいるエグザですら殺す機会があると思っているだろう。
「仕事だ。聖十三騎士の撃退」
「殺すのが難しそうですね。だから貴方が居るんでしょうけれど、わかりました。ツマミ食いはしても?」
「いいとでも?」
「冗談です、貴方を前に無礼は致しませんよ」
扉を開けた瞬間に飛び掛ってもおかしくない殺意こそが最大の無礼だろう、と言うものは今ここには居ない。
他の罪人もイニーと同程度の罪を持つ者たちであり、イニー以上に使い難い者たち。
彼らは人と接することをせず、人の言葉に耳を貸さず、自己世界に閉じこもる。
「久しぶりの外ですね。どのくらい経ちましたか?」
じめじめとした牢獄でイニーは笑う。その身は傷だらけ。明らかに自分で付けたであろ傷だ。ルカでもないのに自らを傷つけるのは他者を殺す代用か。
「二月は経っていない」
言葉にイニーは、更に笑った。とても愉快だと、楽しすぎるとでも言うように。
いや、楽しいのだろう。これから起こる全ての事が。何もない牢獄なんかに居るよりも遥かに。
「なら、早く行きましょう」
「先に汚れと臭いを落とせ」
「ああ、そうでしたね。気にする余裕がなかったので」
楽しそうに弾むような足取りで進むイニーとは対照的にエグザの足取りは重い。この存在を開放したことを悔やむように。
しかし何を思おうと何を考えようと、全てはもう始まっている。
「聖十三騎士。どのあたりかはわかりませんが、殺せれば良し。殺せそうにないなら殺せるように努力ぐらいはしましょう。ついでに他の人を殺せるのならば悪くないのですが」
鼻歌を鳴らしながらイニーは歩き、エグザは内心だけで溜息を吐く。
彼が出てきた以上、無関係の犠牲は必然として生まれてしまうだろう。
王都を一人の少女が歩いていた。どこか楽しそうに、どこか嬉しそうに。
人目を惹くような容姿ではない、しかし人は彼女を見ると何故だか振り返る。人並ではありながら、やけに印象に残るのは慈愛を含んだ笑顔からだろうか。
まるで全てを抱きとめてくれるような。まるでここで会うことが運命とでも言うような。
何かを錯覚させる少女。
歩く場所は、危険の薄い大通り。しかしそれでも、少女が一人で歩いているのはやや目立つ。
だからと言うべきだろうか。それともそれこそを運命と呼ぶべきなのだろうか。
「ん? 君、お母さんは一緒じゃないの?」
そんな少女に声をかけたのは軍服を着た少女。覇壁と呼ばれる五軍の副将軍。
たまたま暇を持て余した彼女、ユーファは一人で歩く少女へと問いかける。言葉に少女は僅かに驚き、やはり笑顔で首を横に振るう。
「いいえ。ちょっと、友達とはぐれてしまったんです。でもこんな所で綺麗な人に会えたんですから運がいいのかな」
弾んだ声で、どこか的を射ない言葉をする彼女にユーファは少しだけ困った顔をして、首を振るう。
ここで会ったのも何かの縁と考えたのだろう。
「ええと。良かったら一緒に探しましょうか?」
「ん。いいんですか? ありがとうございます。友達は七人居るんですが……。多分みんな、バラバラに動いていると思うんです」
単純な迷子というわけでもなさそうな彼女の様子にやはりユーファはやってしまったという顔をするも、一度自分から言ったことを曲げるわけにはいかないとでも思ったのか、小さく溜息を吐いて少女へと向き直る。
「うん。わかった。ええと、そうね。あ、とりあえず名前は?」
警邏の仕事を五軍の副将軍がやる。滅多に見れない状況だ。特務あたりが見れば腹を抱えて笑うほどに。
少女は彼女の問いに慈愛を含んだ声と顔で答える。
「ルエイカです。宜しくお願いします、綺麗なお姉さん」
チマ …… トマト的なもの。
 




