一話 狂気、信仰
物事はいつだって唐突だ。
「おい、エル妹。付いてこい」
「え! な、なんですかー。私まだ処女ですよ! ハルゲンニアスさんは格好いいですけど、流石に夜のお相手は遠慮したいなーって」
「どうでもいいっつーか処女に興味ねぇしまだ朝だ」
しかし、唐突だからと言って難しくないわけではなく、むしろその難度は跳ね上がる。
「あんま殺さずにお願いしゃーっすニアス副長」
「暫定隊長ってのもだりぃなぁ……」
いつも通りの囚人服を着込むニアスに対して、エルトニアス妹はカラフルなワンピースを着ている。肌寒いだろうがそれでもそういう服なのは女性としてお洒落をしたいという気持ちなのだろう。こんな軍でお洒落なんて襲われやすくなるだけだろうが。
兄の方はと言えば、いつも通りに軍服。気だるそうな顔でベッドの上から妹に手を振っている。
「服はそのままでいいぞ。シルベスト将軍が呼んでるだけだ。んで、お前は今から暫定副隊長な」
「……え。何で私なんですかぁ? もう、本当勘弁してくださいよぅ。リベイラさんとかでいいじゃないですかぁ」
涙目というより必死の懇願をする妹にニアスは薄く笑って、首に親指を当てて横に移動させる。つまりは、逆らえば首が飛ぶという意味なのだろう。二重の意味で。
「隊長さんが指揮について教えてんだろ。その腕試しみてぇなもんだ、多分な」
煙草を吸いながら歩くニアスの背を追って、妹は歩く。背中には当然のように大槌。最近になって使い始めた武器だが、相手を叩き潰すという感触がどうにも妹には合っていたらしく小さな戦闘を行いながら段々と手に馴染むようになってきた。
「あー。楽な仕事ならいいんですけど。この間みたく、狂獣三頭を二人だけで殺してくるとかは嫌ですねー……」
リーゼが居ない現状では特務は大々的に動く事が出来ない。正確に特務を指揮できる人材が居ない。稀にルカが一人で動いて不要な存在を消すぐらいが精々だ。
それを見かねた心優しい副将軍が嫌がらせとして双子やニアス、ルカに仕事を回しているが。
「ああ。安心しろよ。今回は獣狩りじゃねぇし、お前ら二人じゃねぇからな」
「……いえ。全く安心できないですよそれー。えー、何をどうするんですか? まさか竜でも全員で殺してくるとかですかー?」
乾いた笑いで問いかければ、ニアスは底意地の悪い笑顔で振り返る。
こんな顔をすれば嫌でも勘付くし、リーゼならば嫌な予感が的中したと肩をすくめるだろう。
「竜の方がマシな相手だ。ったく。隊長さんが居ねぇ間は暇潰せると思ったんだが、当てが外れたぜ」
途中、妙な雄たけびを上げながら二人に突撃した男の頭を陥没させながら、二人は何事もなく将軍の部屋前へと到着。
「ども、入りますよっと」
軽い声と共に将軍の執務室へ入れば、珍しく機嫌の悪そうなシルベストの顔が二人の視界に入る。冷静沈着の鉄面皮と呼ばれる男の不機嫌な顔など一年に一度見られればきっと以後は表情を動かす瞬間すらも見られないといわれる男の、不機嫌そうな顔をだ。
「……どうしたんすか」
「大した事ではない。特務、命令だ。総括殿と共に王都に入っている敵を二人撃退しろ」
「へいへい。撃退でいいんすね?」
「殺せるようなら殺しても構わん」
「えっと。すみません、相手の名前とかは……?」
トントン拍子に進む中で、妹は小さく、そしてとても申し訳なさそうに手を上げて会話に割り込む。
沈黙は一瞬。溜息を吐いたシルベストは視線だけでニアスへと指示を出し、言わせる。
「聖十三騎士。竜の方がよっぽどマシな相手だろ?」
言葉を聞いてもぽかんとした顔で、妹は首をかしげる。まるで、名前に心当たりなどないかのような振る舞いにニアスの顔が訝しげなものになり、ああ、と頷く。
「アンタは元親衛隊だし、そりゃ知らねぇか。将軍、こいつを連れて部屋で説明すんで、指示書下さいよ」
「持っていけ。私はしばらく外へ出る。後のことはウィニスに任せる」
「うっす」
背中を押されるように妹は出て、またニアスも嘲笑するような笑みを浮かべてから部屋の外へと出て行く。
中の重苦しい雰囲気に耐え切れなかったと言えばそれまでだが。
「ええと。説明は部屋でですか?」
「つーか他の奴も呼ばねぇとなぁ。あの人が来るって事は完全に本気だろうが、いやそれも違ぇのか? 単に殺すだけなら陛下が出ればいいが、もしかして陛下は王都に居ねぇのか?」
ぶつぶつと妹を無視するように歩く姿を追い、妹は考えてみる。
竜よりも厄介だという聖十三騎士。何故厄介なのか、人型でありながら竜と同じぐらいの力を持っている、それだけならば対処方法はリーゼから僅かだが教わったように幾つもある。それでも厄介だというなら質の違いという事になる。
竜が持つ破壊の暴力。それ以外の、毒の力など。そういう類の厄介さなのかもしれない。ついでに隣から近寄り攫おうとした第四特務の頭を潰した。
「ああ。下手な考えなんとやらだ、てめぇは考えても無駄だと思うぜ」
「え、私そんなに顔に出てましたかー?」
「すげぇな。んじゃ研究室に全員呼べ、アイツと一緒に」
「了解でーす」
妹と兄の二人に他の面子を呼びにいかせ、溜息を吐いて振り向く。
気配はない、だからただの直感だ。
「……エグザさん、居るっしょ」
頭を掻きながら何もない方向に声をかけると、まるでその場所が溶けるように変化した。
何もない場所から現れたのは灰色の帽子に白い導師服を着た、仮面の男。
背にあるのは一本の棒。それがおそらく武器なのだろう。
「イニー・ツヴァイと共に行動する事になった。指揮権はこちらが持つ。責任も」
「……アンタが出るって事は本気なんすか? 聖騎士と事を構えるなんて正気じゃねぇっすよ」
かつてニアスの上司だった男であり、王国暗部を統括する者。
国王の左腕と暗に呼ばれる存在。イニー一人を押さえ込むのは造作もない事だ。
だが、その多忙さを考えてみるに本来こんな所に出てくるとは思えない人物でもある。
「殺す気がなくとも、殺す時もある。そうだろう」
「まっ、確かにそうっすね。んじゃ、イニーはアンタに任せます。他には?」
「アイルカウは千変万化と共に行動する。第四特務を好きに使っても構わない」
「……ああ。キーツっつー奴っすか。了解了解、んで第四ね。まっ、わかりました。こっちは好きにやりますんで。後の処理は任せます」
言葉を交わした後、エグザは先ほどと同じように溶けるように姿を消して、見えなくなる。現在監獄に居るキーツを正気に戻すために第四特務の一人でも持っていくのだろう。
しかし、となればニアスの顔には僅かな不安が生まれる。
「聖騎士相手にこんだけの用意ってのは、完全に殺る気だろうが……。これで失敗したらどうするつもりだ?」
体よく特務の何人かを始末する計画なのではないかと言う不安。リーゼが居ないのはそういう意味では不安要素だ。
居るならば最悪だけはどうにか免れるのではと言う期待だけはある。前回は無理だったものの、一度の失敗で評価が最低になるほどでもない。
「ま……。死んだら死んだで、そこまでだな」
あっさりと不安や心配を投げ捨てて、ニアスはおそらくルカとイニーを除いた全員が集合しているであろう研究室へと向かう。
特に急ぐこともなく研究室へ向かえば、二人を、いやリーゼも含めて三人を除いた全員がすでに集合済み。
双子は首をかしげているが、ルカが見つからないからなのだろう。
「ルカとイニーは別行動だ。つーか、相変わらず前が居ねぇってのが不安要素過ぎるなおい。んで、俺らの目的は聖十三騎士の捕縛か殺害だ」
「あ、すみやせん。聖十三騎士ってなんすか?」
奥に座っていた兄が手を挙げて問いかける。ヒロムテルンやダラング、ムーディルは何を言っているというような目で見る。そしてリベイラは、大して気にもせずに医療器具の点検をしていた。
此処ではその反応が普通だ。むしろ、今まで知らなかった二人が異常だとも言える。
「あー。誰が一番上手く説明できんかね。ダラング、どうだ?」
「構わないけれど。聖十三騎士は自然に言うなら、聖皇国の特務部隊ね。全員一流の術士で聖皇に使える神官。殺すと別の人材が補充されるらしいけれどね」
「なるほどっす。つまり敵もイイ性格してるんすね?」
どこか的を射た表現をする兄に妹は顔を青くして、他の皆は逆に納得したように頷き、隣に居る者の顔を見る。
心の中でこいつみたいなのが相手かとでも思っているのだろう。リーゼが居たら鏡を見ろとでも言っていたかもしれない。
「んで。俺ら全員で捜索して撃退か殺害だな。第四特務も使うみてぇだから、あーと。妹と兄、んでダラングは第四特務を率いて捜索しろ。まっ、基本的に武器が特徴的だから見つけ易いだろ。んで、今回は屍使いと黒剣使いが相手だ。単体で見つけたら小手調べに襲えや。んじゃ各自適当に遊べ」
妥当な、それ程破綻してはいないといえる命令を下し、指示された三人は面倒くさそうな顔をしながら外へと出て行く。
残ったのは、ニアス、ヒロムテルン、ムーディル、リベイラ。
四人で動くのならばバランスの悪くはない面子だ。どのような局面にでも対応できるのが特徴と言うべきか。
「それで、どうするんだいニアス。撃退が目的だとしても難しいだろう。会って交渉でもして退去願うのが一番じゃないかい?」
「捕まえられれば、我としては神具の解体が行なえるのだ。その方が良いであろう」
「無理ではないでしょうけど、どれほどを犠牲にすることになるのやら」
正面から殺し合いをすれば、特務に敗北はないだろう。犠牲を度外視すればという前提だが。
二人を相手にして半数が生き残れば十分だろう。準格、主格神具持ちというのはそれだけの相手だ。
リーゼならば落としどころを探るだろうし、まともな隊長ならある程度の犠牲を出しつつの撃退で満足する。
けれど、此処に居るのはハルゲンニアス・ワーク。
「好きなように動こうぜ。何を狙っても意味ねーしな」
最初から全てを諦める男。そんな男に率いられる特務は、部隊ではない。単体の怪物となる。
「前と同じであるな。では行くぞ」
「うーん。そうだね、死んだらその時はその時か」
「死なせないわよ? 絶対にね」
三人が準備を終えるために各自の部屋へと戻り、ニアスも煙草に火を点けて戻る。
心の内に予感がある。死の予感だ。
おあつらえ向きに相手は屍使い、王国では通称『葬儀人』と呼ばれる相手。聖十三騎士中、序列三位。
もしも『墓碑職人』と『葬儀人』の二人が揃えば死者の扱いには困らないとでも誰かが嘯いただろう。
「……なんで隊長さんが居ねぇ時にこんな面倒くせぇ事になるんだかねぇ」
心から、ニアスは笑みを見せた。
頭に浮かぶ計算は、王不在の現状とリーゼ不在の現状から最善を求める。これは、最悪でも王都を破壊できるのではないかと。
「シルベストもなにやら不在で、ウィニスは勘こそ鋭いものの仕事で忙殺されんだろ……。アナレスの野郎が唯一の不安要素だが、王の不在ならアイツも厳しいな。暗部の中で使える手駒は少ねぇが上手くいきゃ……。うし、今が好機って所か」
口の中だけで言葉にして計画を頭の中で浮かべる。所詮は即興、リーゼのように綿密な策など練れはしない。
しかしその場にある物を使い最適解を、最短距離を求めるのはニアスの得意するところ。
「王都転覆。とりあえずは、防壁と術式陣の破壊からか。んで、そこを終えりゃ……。まぁ適当だな」
先のない、その場だけの策。露見すれば今度こそ命を失ってもおかしくない。
だからと言ってそこまで先を考えるほどニアスは命を惜しんではいない。己が目指す目標のためならば。
「はは。色々と楽しくなりそうでいいね、燃える運命じゃねぇか」
通路を歩きながら燃え盛る憎悪を隠そうともせずニアスは嗤い続ける。
今回こそは、全てを滅茶苦茶に出来ると考えながら。
勿論、全ては瑣末ごとに過ぎないのだが。




