昔々(プロローグ)
山脈の成立ちは非常にわかりやすい。
追われた者たちの行き着く場所。その一言で表せてしまう。
罪を犯した者。恐れられた種族。数は少ないが、狂獣との間に出来た子供。
そういう存在が最後の望みをかけて山へと逃げ延びて、集落を作った。
特徴的なのは術式の発展による利を受け入れないことだろう。
坩堝という国が弾かれた者たちの流れ着く場所で、生を謳歌する。
山脈という場所は弾かれた者たちの流れ着く場所で、死を受け止める。
微かな、しかしそれはとても大きい違いだ。
最初に山脈に住み着いた集団は何を考えて居たのかと思いたくなるほどに。
そして。考えたくはないが、リーゼはそこへ向かっているのだ。
義父の仕事を引き継ぐために。
あの山脈で生まれ、外を望んだ男の後を継ぐために。
「叔母さん、少し早いです」
「うーん。君はもう少し身体を鍛えた方がいいんじゃない? この調子だと付くまでに一月ぐらいかかるよ?」
とは言うものの。基礎体力があまりにも違いすぎる。
息を切らす軍服以外の、旅人風の格好をしたリーゼと、飄々とした顔で大きな荷物を背負う襤褸を纏ったリバルド。
二十座に近い、いや帝国では二十座が十四座と呼ばれている女だ。残念ながら王国では何を為したのかが余り聞かれていないため、二十座が十八座あたりが妥当だろうといわれているものの。
実力は本物。
そんな超一流の術士とただの軍人。二人を比べてしまうとリーゼの体力が無いと言われるのも当然だが、比べる対象が間違っているといわれてしまっても間違いない。
「別にそれでもいいですよ。帰りは適当に獣車でも使うんで。それより、何で徒歩なんですか?」
「徒歩の方が早いでしょう?」
振り向いた際に灰色のざっくばらんに切られた長い髪が揺れた。見せる笑顔からは余裕と、この徒歩での旅を楽しんでいるような表情だ。
身体のラインは残念ながらマントによって見えないが、引き締まった肉体は健康美を感じさせる。
「叔母さんは旅慣れてるからですよ。俺みたいな現代っ子は獣車使わないと厳しいんで」
「うーん。やっぱり鍛えた方がいいよ。山脈に住んでるなら一週間不眠不休で山脈を北から南を横断できるよ? 私は帝国の山脈出身だからこっちの山脈は無理だけどね」
「ああ、叔母さんは帝国の未踏山脈からですっけ」
思い出しながら口にする。実際に義父であるギルハンベータとの血縁はないが、それでも彼女がリーゼにとって叔母なのは山脈出身者という理由。
後は、同じ種族だからか。
「そうよ。色々旅をしているからね。一番大変だったのは聖皇国を旅した時かしら」
悪戯っぽう表情で語る顔には苦労などは伺えないが、リーゼの顔が思わず引き攣る。
それは流石に、本来ありえてはいけない話なのだ。
「聖皇国って……。よく無事でしたね」
人族を頂点に置き、その他の種族を穢れた者として排斥する大国。
かの国では十座が六座にして聖皇ギトス・トリスメルが自らを唯一神と称し、人族以外を奴隷として扱う国である。
「あはは。二度行ったけど、いやぁ、厳しいよあそこ。前は福音って四人に殺されかけたし、最近は聖十三騎士ってのが居てねー。一人一人はそこまで強くないけど、連携が凄かった。主格神具持ちと準格神具持ちで構成されてるからさー」
「やけに聖皇国語の発音が上手いですね……。しかし噂だけは聞いた事ありますけど、装備の質が良すぎる暗殺者ですよね」
貴重な神具を使った部隊。王国で言う特務に該当する部隊だ。更に言ってしまえば、神具を扱うには適正があり、その資格を持つ者が普通のわけがない。
聖将軍を思い浮かべればわかりやすいか。彼女は征剣に認められるような性格をしている。だから、例え他の人物が征剣を扱おうとしても認められなければ扱えない。
それと同じように人族で構成された十三人の手練。敵に回すことなど考えたくはない連中だ。
「君ももし戦う事になったらまずだ分断しないとダメだよ。その後で五人同時に相手すれば勝てるから」
「叔母さんの常識と他人の常識を一緒にしないでくれませんかね?」
主格か準格神具を持つ敵を五人相手にするのは普通は出来ない。例えるのならばルカを五人、またはイニーを五人相手にするようなものだ。
一人ですら普通ならば泣いて逃げ出すような相手を五人を前に対峙したら泣く間もなく殺される。
「まー、君は今回の旅、絶対に安全だ。私の術式は生き残ることに賭けては他の追随を許さないからね」
「叔母さんを相手に勝てる相手がそこらを徘徊してるんなら王国の治安はあってないものですよ。そもそもですね、俺が旅を滅多にしない理由があるんです」
余程リーゼが悪運の女神に愛されているのでない限りそんな事にはならない。
とは言っても。リーゼは愛されては居ないが、おそらく好かれているのだろう。
「こんな姿なせいか、基本的に盗賊が寄ってくるんですよね」
「退屈しない人生はちょっと羨ましいよね。それじゃあ盗賊退治でもして少しは世界に貢献しようか」
鼻歌混じりで森の中で隠れ潜む集団へと叔母は歩いていく。離れると次は何に巻き込まれるのか考えたくもない危険なため、リーゼは仕方なくその後ろへと着いていった。
そして王都。
「お、ねぇねぇアルネ! 王国の本だよ。これはちょっと買うしかないんじゃないかな」
彼と彼女が背負う物は大きかった。
「はいはい。そうねクァル兄。でも宿屋を見つけてからね」
周り向けられる視線は好奇。
眼鏡をかける商人風の青年が背負うのは黒い棺。縦縞の服を着て、腰にはポーチ。
「えー。いいじゃん。どうせ金は腐るほどあるんだしさー」
片眼鏡をかける神官姿の女が背負うのは黒く、分厚く、禍々しく無骨な鉄の塊。
「クァル兄。まずは寝る場所の確保からでしょ」
「ところで、聖騎士のうちで厄介だったのは誰なんですか?」
「葬儀屋と黒剣使いかな。あの二人の連携は凄いよ。逃げに徹してた状態とは言え、ちょっと肝が冷えたかな」
「えー。でもなぁ」
「はいはい。まずは仕事を片付けてからにしましょう」
リーゼらが山脈へと向かう中。王都に二人の聖騎士が到着した。




