踊り狂う者 ②
「……元気だったか? いや、それにしても綺麗になったな」
「あら。捨てた女にかける言葉としては最悪ね。それとも惜しくなったの?」
悪戯に微笑む顔には悪意などはない。それは随分と感情を隠すのが上手くなったのだと言うことを突きつける。
関われなかった時間が、誰かここまで彼女を変えたのか。それを思えばリーゼの痛みは更に深くなる。それが己の罰なのだと理解しても。
「頷いたら殺されそうで怖いな。第一大隊なら、次期副将軍か? そうだとすればおめでとう。今の内に言っておく」
「あら察しが早くて何よりよ。でも」
そこでユーファはちらりと居心地の悪そうなアインスベを流し見る。
「まだしばらくは副将軍の地位は無理でしょうね。それじゃあ私は忙しいから。用があるなら五軍の砦へ来れば、暇な時に聞くわよ? それじゃあね」
突風のように過ぎ去ったかつての恋人ユーファを見送る。迷うもなく堂々と過ぎ去る姿はどこか眩くみえる。それは自身への信頼が為せるものであると同時に、自分を預けることの出来る存在が居てこそなのだろう。
「それで? ユーファがなんだって?」
「……謀略の気配がする。何かを企んでいるようだ、それに気をつけろとな。私に渡さぬのは構わないが、人は変わるのだと言うことは忘れるぬようにな」
時は人を変える。ベルグであろうと、リーゼであろうとそれは変わらない。
ならばユーファだけを特別と見るのは、いや愛した女だけを特別とするのは男の悪い癖なのだろう。
「ああ。そうするさ。ただ、愛する女の頼みは断れないだろ? 俺にしたってお前にしたってな」
「……お主らの関係が今ひとつわからぬのは歳のせいだろうか?」
「歳で理解できるようになることなんてあんまないだろ。それにユーファに関しては策謀っていうのはわからないな。教本に載ってもおかしくない戦術を使う奴だ。アイツは元来王道しか歩めない女だろうに」
戦術にもそれが色濃く浮き出る程に実直な性格であり守りの戦いに置いてはおそらく王国軍でも五指の指に入るだろう。それ故に覇壁とまで謳われるようになったのだから。
「さてな。こればかりは直感に過ぎぬさ。さて、私は仕事があるので戻るとしよう。八軍の砦は王城の裏にある。……気をつけろ、死ぬのではないぞ」
三つの城壁を抜けた後にアインスベはそう言って離れていく。
後ろ姿を見送り、兵たちの訓練を横目に歩けば確かに砦らしき物は見れた。
「いやいや。これ監獄だろ」
他の砦は小砦のように見えていた中、八軍の砦らしきものは異様さが際立つ。
白塗りの壁は術式を逸らすアヴェト鉱石だろう。城壁や重装鎧にも使われているソレは王国が最も採取量の多い鉱石だ。帝国が喉から手が出る程に欲しがる物と言い換えてもいい。
それはともあれ。さすがに、最も奥に存在するその砦に対し全てアヴェト鉱石を使うなど馬鹿げていた。更に言えば、門らしき部分には鉄製の閂が嵌められて内部からは出られないようにまでなっている。
「実際に監獄、なんだろうな」
今日だけで幾度目ともなる溜息を吐いてリーゼが近寄ると、門の近く建てられた小屋から兵士が二人表れ不審そうな目を向ける。
「何者だ。ここは八軍の関係以外は立ち入り禁止と」
「あ、貴方はリーゼ・アランダム様ではないですか!?」
冒険者風の姿をしたリーゼを半分は親切で、もう半分は義務で止めようとした男の声を遮り、歳若い、リーゼと同年代に見える青年が大きく声を上げる。
声に小屋の内部に居た兵士まで顔を出す始末だ。
「あ、あの俺! 貴方に憧れ軍に入ったんです、当時十四歳の天才指揮官、敵の名を刻むために味方の名を減らすための指揮。それに憧れて、才能はあんまなかったんで門番なんですけど、あの! 握手を」
捲くし立てるようにして口に出された言葉が、青年が吹き飛ばされることによって停止する。言うなら彼は悪手を打ったのだろう。
「は?」
思わず手を出そうとしたリーゼの前を、破砕音と共に鉄で作られた閂が折れその半分が青年を吹き飛ばし、残り半分がリーゼの目前へとザクリ、という音と立てて突き刺さる。
「ふむ。運は悪くないようだな。今のがあたっていれば、八軍流儀の迎えとしていたのだが。ようこそ、リーゼ・アランダム。歓迎する」
紺色の髪に冷たいというよりも常に怒りを抱いているような風貌。もしも眉間に皺が寄っていないのならば素直に美人と賞賛したくなるような顔だ。
背後で聞こえる「ピラトンクー! お前、故郷に婚約者が居るって!?」という声すらも隠れそうな緊張感がリーゼその女性の間に満ちる。
「副将軍、ウィニス・キャルモス殿」
「ほう。知っていたか。耳は良いのだな。姑息でないのならば素直に笑顔で歓迎する事が出来たものを」
リーゼには前に立つ女が、副将軍ウィニスが笑ってる姿が想像できない。声の端々が滲む嫌味が原因だ。だがそれでも上司。挨拶はしなければと動こうとして
「行くぞ。貴様の補佐が待っている。多分な」
颯爽と振り返り歩き出す。破壊された門の奥にはまるで冥月へと誘うような暗い闇が広がっている。そこを歩くのかと考えれば僅かに意気も沈むというものだ。
「……アレ、大丈夫か? いや考えてもだな」
歩く前に振り返った青年は手足が痙攣しており、助かりそうには見えなかった。王都だというのに余りにも衝撃的な光景だ。だがそこまで気に掛けるわけには行かずリーゼは小走りでウィニスの後ろへと付く。
「リフティー殿にはお世話になりました。多く助けて頂きまして」
「ほう。兄の名を覚えていたのか。副官を最初に捨てる男は人の機嫌を取るのも上手いようで兄も安心しているだろう」
揶揄する口調は紛れもなく悪意に満ちている。会話を打ち切ろうとする姿勢もよく理解できるためリーゼはそれ以上何かを言う事が出来ずに終わった。
これ以上は、薮蛇にしかならないのだろう。
無言で通路を歩き、僅かに明るい場所へと出る。内部は予想以上に広い。中央の吹き抜けから見るに全部で四階。最奥の壁には階段が作られている。
「ハルゲンニアス・ワーク。何処に居る?」
苛立たしげなウィニスの声が反響するのを聞きながら僅かに鼻腔を突き刺すような臭いに顔を顰める。つい先ほども嗅いだものがこの砦内に充満していた。
すなわち、血と肉と死の臭い。
「炎の巻き付く短剣か」
ウィニスに聞こえないように口の中だけで呟く。前を歩く彼女の背中に縫われているのが八軍を示す物なのだろう。光術により光を放つ天井にも同じものが彫られている。
「ん? あれは」
見上げていれば四階の通路で人影が見える。ソレは赤と金色のやけに派手な斑模様の髪。
「三秒で降りてこい、さもなくば首を落とす!」
「へいへい。仕事してきたんで勘弁して欲しいんすけどねぇ」
四階から、その男は、ハルゲンニアス・ワークは飛び降りる。
段階的に風術を展開したのだろう、落ちる速度を殺し音もなく飛び降りた姿を見ると同時に、ウィニスもまた瞬時に其処へと移動し曲刀を振り抜きハルゲンニアスの首を断ち切る。
「は?」
「三秒で降りろと言ったはずだがな。……こんな子供騙しをして、どういうつもりだ?」
曲刀を鞘へと収めるが、其処には確かに首を断ち切られたはずのハルゲンニアスの姿がある。ならば、何かしらの術式を利用いた幻影なのだろう。
「いやいや。アンタの前に素で姿を現すなんてできねぇっすよ。アンタもそう思わねぇか? 隊長さん」
肩に手を回され、煙草の臭いに驚き横を見る。すると、いつの間にかその男がリーゼの隣に立っていた。
種族は人族。服装は囚人服。挑発するようなへらへらとした笑顔に、煙草を口に銜えている。おそらく顔付きから年齢はリーゼよりも十程度は上だろう。
だが、深い青色の瞳は先ほどのユーファとは違い混沌としており何も見通すことが出来ない。怖気が走るような瞳の中には殺意が詰まっているのが直感的に理解できた。
「余り私を挑発するな。殺すぞ、狂犬」
「いやいや。仕事してきたばっかなんすから大目に見て下さいって。将軍殿との甘いあまぁい時間が減って残念だってのを俺にぶつけんのはやめてくれると嬉しいんすけどね」
怒りを逆立てするような声色は意図的に作ったものだとしても、低いながらも高いと感じる声はどこか人の調子を狂わせる響きがあった。
「ふん。貴様ごときにこれ以上を使うのは、時間の無駄だ。リーゼ・アランダム。貴様はソイツから話を聞け。私は仕事に戻る」
先ほどと同じように身を翻し、右手側の通路へと去って行く。ならば将軍の部屋も同じようにあるのかもしれない。
残されたのはリーゼとハルゲンニアスだけ。
「……リーゼ・アランダムだ。宜しく頼むハルゲンニアス・ワーク」
「はっ。そんな堅苦しく行くのはやめようぜ隊長さん。俺のことはニアスとでも呼べよ。んで、さっきは面倒な事をさせんな。こっちは他の奴のおもりだけでも忙しいんだよ。んで説明はされたか?」
紫煙を口から漏らしさっそくとでも言うように崩した言葉を使うては指揮官として見過ごすことは出来ないだろう。軍の規律を無視する軍人ほど信用の置けない物は居ない。
「いや、何も聞いていない。噂ぐらいだな。それで? 他の部下は何人だ?」
だがそこに口を出すほどリーゼは命知らずではなかった。常識外れの軍だ。わざわざ口調など些細な事を指摘して気分を害させるのも面白くはない。
それに何よりも、目を見ればニアスが上官を殺せる男かどうかは容易に知る事も出来た。
「今は、あー、この間一人殺されたから七人かね。他のところに出向してる奴も含めりゃ十人は行くだろうが考えなくていいぜ」
「……笑えないなそれは。そんな簡単に死ぬのか。ところで、名称は?」
「八軍第一特別任務実行部隊。特務舞台か狂人部隊って呼ばれる事が多いかね」
「それで素性も概ねわかった気がするな。罪人だって言うのは、本当か?」
苦い顔を隠そうともせずに問われた言葉に、ニアスは振り返る。
浮かべるのは心底厭らしいと思える笑みだ。
「ハッ、ご明察! 英雄様、死と血が香る八軍でも最悪の狂気部隊へようこそ」
大仰な口調と動作で頭を下げるニアスに思わず頬が引き攣るのを誰か責められるか。
七人の罪人部隊。実力は、そこらの兵などとは比べ物にならないもの。要は、殺すのを躊躇する程に有能な狂人たちなのだろう。
「暗部を隠れ蓑に後ろ暗い仕事をか。アインスベの野郎。やっぱろくな仕事じゃねぇな」
一度断ったのは正解だった。そして、栄光などとは無縁の場所だと言うことも。だがそれは妙にリーゼを納得させ、直感させる。性に合っているのかもしれないと。
「ところで、ニアス。これは何だ? 置物なら少しばかり頭以上に美的感覚を疑うぞ?」
四階まで上がり最初に目に入ったのは胸を貫かれた一つの死体だった。
狂気はおそらく拳で、前から抵抗も出来ずに即死させられたのがその死体から得られる。
「今はそこまで趣味の良い奴はいねぇよ。あー。ルカだなこりゃ。まだ俺らに手出すのが居たっつーか、ああ。アンタ狙いかもな」
「恨まれてる自覚はあるが、流石に知らない奴に殺される筋合いはない」
「うちの部隊は恨まれてるかんな。他の部隊の奴らは俺らに手出しても殺されるからその腹いせだろ。つーかちゃんと処理しろよなぁ」
返る言葉を理解するのは容易だが納得できるかと問われれば否と応えるしかないものだ。
部下の不始末が隊長の責任だとしても、過去の責任まで負えると思う程リーゼは部下に対して誠実でいようとまで思わない。
「……それはそれとして、処理はしないのか?」
「勝手に誰かがやってくれんだろ。それが仕事の奴も居るしな。……何してんだ?」
軽々とその死体を踏み越えて歩くニアスが怪訝そうに振り返れば死体の腕や足を整え、目を瞑らせている。好奇の視線を向けられるも、首を横へ振る事で誤魔化し死体の横をとおり僅かに先へ進んだ背を追う。
「いや。……墓碑職人なんて呼ばれてるからな。自己満足ぐらいはいいだろ?」
「死人のためになるなんて言ったら殺そうかと思ったぜ。なら別に構わねぇよ」
選択肢を間違えれば即死だったという事は背中を、そして胃を重くする。しばらく通路を歩いた先に見えたのは、扉が三つ。
左の壁に一つ。右の壁に二つ。用途は少々、中身を見なければ予想がつかない。まさか死体居ればとはニアスも言わないにしても。
「左のは隊長さんの部屋だ。好きに使えよ。んで、右の奥が倉庫で左が風呂とトイレだな。好きに使えよ」
「お前らの部屋が奥って言うことは、名目上監視も兼ねてるって事か。太刀打ちできる気はしないが」
「話が早くて助かるぜ。でもアンタ、それで死に掛けた事あんだろ」
「さて。そうだったとしても言えないだろうよ」
中へ入れば、物は簡素に置かれていた。ベッドの上には先ほどウィニスが着ていたものと同じ軍章が縫われている青い軍服が三着。そして、もう二着は先日見た黒い色をした何もない軍服だ。
「軍靴まであるのか。……荷物は全て置いていってもいいのか、ニアス!」
「そこはアンタが判断しろよ。俺は生憎と何でも知ってるわけじゃねぇんだぜ?」
言葉の通りであるし、加えてニアスの言葉が信用できるかも怪しい部分がある。しかし武器を携帯すればそれも不用な諍いを招く可能性を考え、結局リーゼは先日手に入れた短剣を手に持つだけで準備を終える。
「……机とベッド。後は服を掛ける棒だけか。殺風景で嬉しくなるな」
最低限、寝ることが出来れば当面を凌げるだろう。後の家具は必要になれば買えばいい。
それだけを確認し、着替えを後に回して扉に手を掛けたところで、扉が突然砕かれ赤い人影が中へと入る。
「あはははは! 新しい人だ! さっきの人だよね? 貴方が隊長さんだよね、貴方は私を痛くしてくれる人なの? それとも殺す人なの? どっちでもいいよ!」
赤い影はいきなり抱きついてリーゼを押し倒す。予想以上に強い力で抱きしめられ、剥がすことが出来ず甲高い笑い声が耳元で喚かれた。
「おいおいルカよぉ。いきなりはしゃぐなっつーの」
紫煙を吐き出しながらその人影をニアスが剥ぎ取れば。
「……鬼族か」
首根っこを捕まれた小さな、子供の鬼族がリーゼの前に突き出される。
捨てた女 …… 言われたら結構凹む台詞ではないだろうか。
噂 …… 7割真実みたいなもんである。
アヴェト鉱石 …… 王国ではよく取れる鉱石。術式で弄れないのできちんと加工しないといけない。炎槍とか食らうと溶ける。
婚約者居る …… フラグみたいなもん。