いたんだこころ ①
一方ニアスさんが泣いていた頃、ルカさんは。
「あはは! イニーもっと飲もうよ~」
酷く酔っていた。ルカが珍しく、とても酷く酔っていた。普段から酔っているようなものだが、今日のルカは機嫌の良さがいつも以上らしく楽しそうに飲んでいる。
それは先日キーツと再会する事が出来たのも原因の一つなのだろう。
とは言え。だからと言って隙を見せるルカではない。
「あはは。危ないよ~? でもイニーは傷つくの嫌いなのになんで人を殺そうとするの~?」
「ルカは自分が傷つくことが好きな理由を言えますか?」
近寄った途端に鼻先を掠めるイニーの短剣を寸前で避ける。当てる気はあっただろう。それを楽々と避けてみせる手並みは見事。
酔っていても危機に対しては敏感だ。
「えへへー。イニーは面白いねぇ~?」
それでも抱きつこう試みるルカとイニーの熾烈な争いが幕を開けた。
そし十秒で決着した。
立ち回りが我流というのもあるが、イニーの真価はもう少し広い場所での撹乱だ。部屋の中では避ける範囲も短剣を繰り出せる場所には限界がある。
溜息をつきながらルカを引き剥がすだけに留めるのはこれ以上が無駄だと思ったからだろう。
逆にルカは抱きつけたのが嬉しいのかにやけた顔で引き剥がされた。
「おい、ルカ。もう少し落ち着けや」
ニアスがそんなルカの頭を軽く叩いて自分のベッドの上に投げる。ベッドに座っていたヒロムテルンはそれをうまく受け止め、苦笑気味にその身体を横にした。
柔らかいベッドの上に横になったルカはそうして、すぐに寝息を立て始める。
もぞもぞもと動く上にシーツが被せられて、心地よい温かさに包まれて、ルカは夢を見る。
特務部隊に来る前の夢を。
まだルカがアイルカウだけではなかった頃の夢を。
「ねね、そこの君。君だよ、顔可愛いねぇ。ちょっとお兄さんといいことしよう。お小遣いあげるからさ」
路地裏で座っている鬼族の幼子を見た男がごくりと喉を鳴らし、薄っぺらな優しさを覗かせる笑みを浮かべた。
細い首。華奢な腕。やけの整っている顔。静かに伏せられた目。
何故だかわからないが、その姿が男を捕らえて離さない。魔性とでも言うべきか。もしもあの口を、手を、身体を自由に扱えるならと想像を掻き立てる。いや、その想像は達成できるものだと男は思う。
相手は鬼族と言えども子供。ならば捕まえて、どうにでも出来る。
息を荒くして男は抵抗のしない子の腕を強引に捕まえて歩き出す。
「君さぁ、男の子? 女の子?」
何も喋らず無表情で引かれる子供が気になった、というよりは沈黙さに耐えかねたのだろう。
もしくは、何かを喋らせてこれからの愉しみに華を添えようとしたのか。
しかし子供は何の反応もしない。まるで死体のように。
「……ちっ」
舌打ちと共に男は子供を汚い自分の部屋に連れ込みベッドの上に投げ捨てる。
ここまで来たら会話など必要はない。いや、もしくは抵抗も何もしようとしない姿に薄気味悪さでも覚えたのか。
「つーか、テメェもここまで来たんだ。ヤりなれてんだろ? はは、ガキだってのに」
吐き気のするような醜悪そのものである笑顔を浮かべて男は子供の上に覆いかぶさる。
片手で下半身を曝し始める男を、子供は冷めた目で見つめて手を出した。
抱きしめるような形で出された手をなんと感じたのか下卑た笑いのまま顔を引き寄せ、唇を重ね合わせて子供の小さな口内を蹂躙する。
子供の冷えた指を喉に感じたのは一瞬。
「ギッ」
作業は一瞬。小さな手は、指は男の頚椎を折ってから更に首を後ろまで捻る。
そして力を無くして覆い被さる男を横へどけた。
口を拭い汚いものを唾と一緒に吐き出すような仕草をしながら男の身体を漁り小銭を見つけ出す。更に部屋の中を漁り金になりそうなもの、隠されている金を出来るだけ手に持って外へと出た。
表情も何も浮かんでいない。人を一人殺したところで、子供にとってそれは今更だ。
容易く人を殺した子供の名はアイルカウ・ルゾスティック。
これはまだルカがアイルカウではなかった頃の物語。
ルカにとって世界は三つだ。
殺そうとする者と、殺される者と、父親。
殺そうとする者は銀色の刃でルカの頭を狙い突き刺そうとする。殺される者は、ニヤニヤとした笑いを浮かべながら複数人で抑え路地裏へと連れ込もうとする。
だが、結果だけを見るならば変わらない。
殺そうとする者はその短剣で単調な突きをするなり、長剣で切りかかるなりして、避けられ両足を潰され、頭を砕かれる。
たったそれだけ。幼いルカが行なうのは、それだけだ。
殺される者はもっと簡単だ。アイルカウの服を破いた所で頭を引き抜かれ、周囲の男たちは呆然とした顔で見る。その間に緩慢な、気だるげな動作でルカは必ずと言っていいほど居る、呆然としている男の腹部を突き破る。
そうした後にまだ男たちが居れば逃げるか、叫びながら向かってくるか。
他には何も変わらない。ある程度のやんちゃをした後には父親はルカを殴り、また別の場所まで旅をする。その繰り返し。
それなりの規模がある街でルカはこうして殺した相手から金になりそうな物を剥いで暮らしている。
この行為には何もない。
後年のルカが甘受するような喜びも、痛みも、何も。ただ淡々と命じられたから行なうだけの存在でしかない。
顔は無表情だが顔だけは器量のいいルカだ。この時勢、顔が良ければ相手が男だろうが女だろうが見境のない者は存在する。
そもそもルカに手を出そうとするのはその類の者だけだが。
だから今日もいつもと同じように獲物がかかるのを待っていて、上手く引っかかった。
それだけの話だ。
「ただいま」
小さな汚い部屋に入る。町から外れた一軒家。周りの家も同じように汚く、薬を打っていたり、女房に働かせて酒を飲む男などが居る地区。
おそらく最低限と言ってもいい場所にルカは住んでいる。
「おせぇんだよこのガキ!」
空になったコップが投げられてルカの頭を割りかねない勢いで当たる。
更に男は近寄り、腹を殴った。顔だけは決して傷つけないように。
「あぁ。幾らだよ。金、早く出せよ」
二束三文の値で金に代えた分を渡せば、ルカを殴った男は舌打ちと共に蹴り飛ばす。
余りの威力にルカは壁まで吹き飛ばされる。それだけでは飽き足りないのか、男は更に近寄って渾身の蹴りと与えていく。
「あぁ? これっぽっちか? おい一日外に出てこの様かぁ? ちょろまかしてんじゃねぇだろうなぁ。誰がてめぇをここまで育てたと思ってんだ、感謝してんなら働けよアァ?」
蹴られるたびに声をが漏れるルカのことなど全く気にしないようにその男は、実の父親であるその男は容赦なく蹴りを加えていく。
苦しそうに咳をする合間でも関係なく。ただ己の憂さを晴らすためだけに男は暴力を振るう。
酔っているとは言え男は鬼族。その力で蹴られれば内臓が幾つか使い物になっていてもおかしくはない。
だと言うのに、容赦なく蹴り続け、最後に思いっきり足を踏み抜いて今日の暴力は終わった。
「何も言わねぇのか、相変わらず気持ち悪ぃガキだ」
倒れるルカに唾を吐き、コップを拾って男はようやく先ほどまで座っていた席に戻り、僅かな自分の酒を注いだ。
倒れるルカの表情は見えない。それでも立ち上がる。ふらふらとした足取り。咳き込み口に手を当てれば何度か血の混じったものが出てくる。
「おいクソガキ。さっさと酒買ってこい。早くしろ」
ルカが先ほど手に入れた金を全て投げると男は僅かな酒をちびちびと飲んでいる。
それに逆らうことなく頷いて、ルカは言われるがままに酒を買いに行く。
痛みがないはずがない。あれほどの暴力に曝されて、無事なはずがない。現にルカの足は折れたように妙な角度になっている。
それでも従うのは、彼女にとってあんな男でも父親だからだ。たった一人の肉親。
母についてルカは知らない。戦争が終わった後に亡くなってしまったことしか覚えていない。
大陸暦三百七年に終結した、王国、聖皇国、帝国、六連合。その四カ国を大国に伸し上げた戦争。その最中に起こった血族殲滅に巻き込まれて母親が死んだ、と父親が呟いたのを遥か昔に一度聞いただけだ。
とは言えそれはルカにとって瑣末には違いない。所詮は生きているルカの役に立つものでもないのだから。
酒を買うために貨幣を握り、震える足取りで大通りへと出て行く。姿にやや顔を顰める者はいるがそういう者は大分真面目な者だろう。
下手に声をかけないのは、正解だ。声をかけたところでどうにかできるものではない。
何事もなくいつも通りに酒を買った帰り道。
ルカはどこか緊張している兵を見る。交わす言葉の内容は「決起」「反乱」「実行」というもの。
重要な言葉だろう、しかし無意味なのだ。ルカにとっての関連のない言葉は耳に入るだけで通り抜ける。
例え目の前で人が死のうと何一つ思わず通りすぎるだろう。
父と自分。ルカの世界はそれだけで完結している。それがアイルカウという存在だった。




