墓碑職人と聖将軍 ③
月が完全に満ちるまで後三年、いや二年ほどだろうか。言い伝え通りならば、三百五十八年に何か大きな争いが起きる。それが法則かどうかは関係なく、何かを起こそうと思う者は丁度いい機会だとでも映るだろう。
「どちらの月が好きですか?」
静寂を味わいながら空を見上げていたリーゼに声をかけたのは、彼としては予想外の人物であり、よくよく考えてみれば当然の人物であり、まともに考えればありえない相手だ。
「月を見ていると責められている気がして、どちらも好きな方ではありませんね」
心に生まれた動揺を表に出さないよう振り向けば、聖将軍ユシナが微笑みながら立っていた。
城の明かりは少なく、周りには松明などもあまりない、暗闇に近い状況。
それでもユシナが光り輝くように錯覚してしまう存在感。そうだ、とリーゼは心の中だけで頷く。
英雄というのはこういう存在なのだと。
「友は月が満ちる日に私たちの隣へ立ち
死は月が満ちる年に私たちを見つめる
友よ 悔しければ隣で泣き声を届けろ
友よ 涙は二人で流すものなのだから」
「大帝国初期時代のヴォリオスカ・ビーエティンの詩ですか」
凛とした美麗な声が耳へと入り、まるで隣に死した友が居るように錯覚させる。
術式ではない。情感溢れる歌声が見せる幻とでも言うべきか。
「題名は『亡き友を嘲笑う』ですね。最近の『天まで届け我が心』などはやや迂遠な表現で苦手です。個人的には直接的な詩が好みですね」
「ああ。それは、失礼かもしれませんが聖将軍らしい。良くも悪くも聖将軍は率直な方だと思います」
「私も女ですよ?」
いたずらっぽく微笑み、二面性があるものだと言外に含まれた言葉にリーゼは苦笑するしかない。
聖将軍としての自分と個人としての自分を言っているのか。それとも女としての二面性があるといっているのか、それが判別できなかったからだろう。
どちらにせよ、言葉遊びに過ぎないが。
「詩についてはもう少し語り合いたい所ですが。貴方も時間を取れる立場ではないですね」
「残念ながら。ユーファさんは最近の詩が好みらしいですよ」
「アイツらしいですね。多分『英雄は天を仰ぎ、民は円を望む』あたりでは?」
「さすが、よく分かっていますね。妬けちゃいます」
「聖将軍と私のどちらを取るかと言われたらアイツは聖将軍を選びますよ」
互いに笑顔を見せながら、これから話す重大な情報を僅かばかり遠ざける。
心の問題だ。リーゼは心を落ち着けるために。ユシナは、必然自らを語ることになるために。だがいつまでもそうしては居られない。
互いに時間の惜しい身の上であり、時間というのは積み上げられた黄金でも取り戻せないものだ。
「神具を題材にした物語もありますね。征剣カリバスを題材にした」
「ええ、知っています。確か名前は『狂王』でしたか。剣の力に酔い圧政を敷いたといわれる」
笑顔は互いに崩れない。距離も一定を保ったまま。リーゼの視線とユシナの視線が合致する。
「真実です。征剣を使えば、同じような力を持つ主格神具でない限り勝利します。代償は使用者の精神」
一瞬、リーゼの呼吸が止まる。
「壊されるわけではありません。そこは安心して下さい。それに、使ったのは私の意志が負けたせいです。すでに二度使っているので干渉され易くなっているんですよ」
「干渉とは」
表情は互いに笑顔を保っている。まだ保っていられている。しかしリーゼの顔はやや青白い。それでも視線を逸らさず。ユシナもまた意志のこもった瞳で、笑顔のまま語る。
「剣による精神の乗っ取り……いえ、改変ですかね。私は私のままに別人になるんです」
理解したであろうリーゼの顔は、青ざめ、唇を噛み締め、無表情。
自分の失敗が起こした結果を噛み締めるように血が手の平から落ちるほどの強さで拳を握り締めている。
「何度も言いますが、安易に頼ってしまった私の責任です。それに……死ぬわけではありません」
ユシナは相変わらずの笑顔。だと言うのに、リーゼは笑顔に裏に涙を幻視する。
錯覚か、リーゼの心が生んだ幻か。
「ですが」
「あの時はアレが最善で。そして、相手はそれを上回った。反省と後悔が違うのはリーゼさんもわかっているはずです」
普段の寛容さではなく、ユシナはリーゼに対して初めて厳しさを見せる。
将軍として。上に立つ者として。
下に居る者を導く者として。
「……すみません」
言葉を理解する事は出来る。それでも、いや、だからこそと言うべきか。
リーゼ・アランダムは後悔をし、反省をし、そしてその悔やみを抱えて進む。
失敗を決して忘れないように。全てを背負うために。
性質が悪いのは他者がどう言おうともその罪を背負い、罰を求めるぐらいなら結果を出そうと動く事だ。
後悔も反省も己を動かす糧の一つにする。きっと世界を滅ぼすような失敗を犯そうと彼は前に進むのだろう。進めてしまうのだろう。
「面倒な人ですね。もう少し柔軟に考えることは……。出来ているなら英雄なんて呼ばれ方はしていませんね」
「ユーファにもよく言われていましたね」
呆れながら困った表情でユシナが言えば、泣く寸前のような顔でリーゼは笑った。
それでも変えられない。変える気がない。
背負う過去はすでに重すぎて下に降ろすことなど出来るはずがない。
悪癖と言えるその性格。だからこそ特務部隊なんて馬鹿の集まりを指揮する者として立っているのかもしれないが。
「……ですが、それが何故機密なんですか?」
疑問は最もだ。その程度、いや人格が変化するというのは大きいが、他国に知られたとしても積極的に狙うことはないだろう。
確かに聖将軍という名は強力だ。民からも平時の可憐さ、そして行軍時の凛々しさから人気がある。そんな将軍一人の損失は痛いが、だからと機密にした所で余り意味はない。
「……機密にする理由が機密なんです。ならいっそ纏めて隠してしまえば、何が本命なのかを隠せる。そう言っていました」
「申し訳ありません、意味のない事を聞きました。……最後に聞きたいんですが。今はそうでもないようですが、剣華と戦った後の挙動が不自然な気がします。あと、背も縮んでいるような」
「…………リーゼさんは策に優れている、というよりは洞察力と判断力が異常なだけでは?」
笑っているような、呆れているような、驚いているような。
なんとも言えない表情を浮かべていった言葉は、真理を突いているかもしれない。
策を練るには情報がなければ始らず。情報から得られる全てを見落とすことなく組み上げ、更には敵の心まで見通して初めて完璧な策が作られる。
無論、完璧な作戦などは全て机上の空論にしか過ぎないが。理想通りに動かすために戦場の将は作戦を遂行させるために動く。
実行するに欠かせない才能は多分にあるが、その中でも敵の動きを読む力と読んだ後にどうすか。戦場で問われるのはそこだ。
とは言え、才能の分析に意味なんてないのだが。
「俺に問われても、そうかもとしかお答えできませんが……」
「ですね。ええと。身長については……答えに困りますね。……うーん。言っても問題ないでしょう。異能についてご存知ですか?」
「はい。……本人の前でこういうのは失礼ですが、突然変異ですよね。術式とは完全に別系統の力を持つ力」
異能者、というのがこの世界に存在する。リーゼの言う通り、術式という力とはまた別種の力。術式のように紡ぐ必要もなく、ただ使おうと思うだけで使う事が出来る特異な力。
しかしその異能についての研究は余り行なわれていない。
まず異能者の数が原因。異能者は、一億人に一人で生まれると言われる。同時にもしも子供のうちに異能が見つかったならば、殺されるのだ。
異能者は災いを呼ぶと言われているために。
「はい。実際に災いを呼ぶのかはわかりませんが、戦いに巻き込まれやすいのは事実ですからね。殺した方が世のためになると言うのは納得できますね」
「……私はあまり信じれませんがね。そういう噂があるからそういう事が起きるのではないかと疑問に思いますよ。……でもわかりました。身長が縮んだせいで身体が動かし難かったんですね」
「リーゼさんはもう少し好奇心を抑えた方がいいと思いますよ?」
困った顔でユシナは微笑む。誰が見ても釘を刺したとわかる言葉と共に。
しかし、わかって居ても。
「内容を教えてはくれませんか?」
墓碑職人としてのリーゼはもしもの事態に備えて問いかける。
「後のためですか?」
「未来のために」
つまり、また道化師団と関わる場合があるのならば。そしてユシナを駒として使う機会があるならば知っておくべきだと判断したからだ。
代償があるとは言え、強力な異能。使わないに越した事はないがここぞと言う場面で使えば必殺の一撃となりうる。
「僅かな時間停止です。代償は若くなる」
「……なるほど。だから元に戻せないのですか。なら異能者は一定年齢で老化が止まるというのも真実で。……使い続けるともしや、完全に子供になりますか?」
今でさえユシナの身体は十代前半にしか見えないのに、これ以上小さくなってしまえば腕の短さや歩幅の小ささからろくに戦う事も出来なくなるだろう。
声の張り方も変わり、更には身体の動かし方、体重も変わってしまう。戦闘で大いに不利となるのは主格神具を持っていても変わらない。それでも格下ならば問題はないだろうが、同格を相手にするには難しい。
「はい。だからこんな身体ですしね。……このぐらいですかね?」
「そう、ですね。……しかし、何故許可が降りたんでしょう?」
一番の疑問点はそれだろう。
わざわざ一介の部隊長にしか過ぎない身分に聖将軍のことだけとは言え機密を漏らす意味。死への手向けと言われれば頷いてしまうだろう。
「多分。必要があったんだと思います。陛下の考えていることはわかりませんけれど」
「聖将軍にも、ですか」
師と呼ぶほどの付き合いがあると言うのに、しかしユシナは、深い仲ではないと否定する。
「わかりません。陛下の考えを理解できるのは……私の知る限り二人だけです」
「次期宰相と、もう一人ですか?」
順当と言えば順当。ユシナ、アナレス、もう一人エグザと言う男。三人を連れて王が旅をしていたというのは広く伝わっている。
だから当然、ユシナを抜けばその二人なのだが。
「いいえ。……前女王と、連合の四座です」
「……アズリア女王と、死神、ですか。……いえ、考えるべきではありませんね」
前女王アズリア。六連合最強、否。大陸で現最強の異名を持つ死神ムム。既に死亡していると言われる前女王はともあれ、大陸最強と繋がりがあるなど、他国が聞けば警戒を強めるだろう。
六連合とは不可侵条約と相互通行条約を結んでいる王国とは言え。これ以上に親密になられては帝国も聖皇国も今以上の危機意識を抱きかねない。
「国王陛下はここにおらずとも私の肝を冷たくしてくれますね」
「悪い人では、ないんです。ただ少し厳しい人なだけで」
ユシナの言葉にはリーゼでなくとも首を傾げる。大陸の過去を見ても善人が王として天寿を全うした事はなくとも、悪人が王となり生を謳歌した事例は数知れず存在する。
つまるところ、ユシナの個人的な願望が混ざっているのだろう。
「それでは、そろそろ仕事の続きをしなければならないので。お時間をとらせました」
「いいえ。こちらこそ貴重な時間を割いていただきありがとうございました」
リーゼが敬礼をすればユシナも笑みを浮かべながら礼を返す。
互いに、特に聖将軍はリーゼ以上に多忙な身だ。今回のような任務がない限りその道が交わることは数少ないだろう。
わかっていて、まだ互いに聞きたいこともありながらもここで終る。
だから最後に。
「聖将軍。ユーファのことを宜しくお願いします」
「ふふ。怒られますよ? ですが、はい。お任せください」
言葉を最後にユシナは飛び降りたのかどうか姿を消し、最初と同じ静寂が訪れる。
夜中とは言え、季節も季節。まだ風はそれほど冷たくはない。あと数ヶ月もすれば肌に突き刺さるような冷たさが襲うだろう。
三ヶ月後か、四ヶ月後か。どちらにせよ、夏季でも雪の降る場所がある帝国に比べればその程度の寒さは大した事ではないのだが。
「……冬が近いな。寒いのは苦手だから、出来るんなら何か起こるにしても来年にして欲しいもんだ」
リーゼが漏らした願いはおそらく叶えられることはないだろう。
物事はいつだって唐突にやってくる。
「おっす隊長さん。キーツでーす。まぁまぁそこに座って話でもしようぜぇ?」
だから、部屋に戻った際に三日月のように口を歪めた男が座っているのも、また当然なのだろう。
四座 …… 死神やら朱の女神やら二つ名が沢山ある。本編に出番はない。
猫族の女。どんだけ強いかって言うと特務級が一万居ても瞬殺できるぐらい強い。戦闘描写を書くと 術式を紡ぐと同時、全てが終わった。 で戦闘が終了する。ファジルさんと違って気軽に戦場に出ていく戦闘狂。六連合の総指揮官なのに前線いっちゃう困ったちゃん。武装は主格神具『再生杖クレピアオス』




