最終演目 墓碑職人と聖将軍 ①
南部に来た事による利益は少ない。
かろうじて王国に対して何らかの行動を起こそうとする者が居るという事と、大規模な組織である事、組織の長が主格神具を持つという事がわかったぐらいだ。
対して、損失は大きい。
熟練の騎獣兵を一人と一匹。秘密を外に漏らさない親衛隊の模範十人を失う結果。
決闘の結末は巷には流布されていないのが唯一の救いか。
「頭が痛いな」
「本当よ。あのキーツって言う奴もいつの間にか消えてるし。それに、ユシナ様が征剣を使ってしまったのも後々に響きそうで嫌ね」
ユーファの表情は不満を全面に押し出している。そりゃ、そうだろうな。特務は護衛の任務を上手く果たせずに居たんだ。
聖将軍が捕縛されなかったのは連れ去るのが面倒だったからか、それとも何か他の理由があるのか。
「何にせよ、厳しい話だな。イニーも捕縛するまでに南部の市民が六人も殺された」
「帰ったらどうするの? ユシナ様に剣を向けたらしいけど、死刑?」
「罪状から考えてそれが妥当なんだろうが、ギリギリで聖将軍を助けたのも事実みたいだ。俺が判断するのは難しいだろう。聖将軍に罰してもらうか、陛下の判断を仰げばいい。まぁ、でも処刑はないだろうな。やるんだったらとっくの昔に殺されるぞアレは」
確か何年前だったかは忘れたが、イニーを捕らえるのに二百人が犠牲なったらしい。
殺さなかったのは殺人血族なのかもしれないって言う可能性があったからか。
今じゃそうじゃないと証明されてるらしいが、それでも有用な事に変わりはない。ただ使う事による不利益を考えると始末した方が安全だよな、やっぱ。
「殺していい時は私に教えてね。この手を首を落としてあげたいわ」
立派な忠誠心だことで。個人に対してよくそんなに熱を上げられるもんだ。……俺が言えたことじゃないけどな。
「リっちゃんたちまた難しい話してるの? 海だよー! 水だよー! あははは! しょっぱい! 傷にしみて痛いよ! 楽しいよ!」
ルカは普段着のまま海で遊んでいる。服は後で買ってやらないとなぁ。金もないだろうから俺の手持ちからになるのか。南部の服は全般的に高いから買いたくはないんだが。
リベイラは水着を着ているが、なんというか。普段と同じような格好で目新しさがない。
いつも下着に白衣だけだしなぁ、アイツ。
「ほらほら。余りはしゃがないの。化膿しないように気をつけてね?」
海で遊んでいるルカを見てるとなんかどうでも良くなってくるな……。リベイラも保母か何かに見えてくる。
力が抜けるというか。やる気をそがれるというか。
どうでもよくなると言うか。
「……お前は着替えないのか?」
「ユシナ様が来たらそうしようかしら」
俺は剣こそ手放していないものの海用の衣服。水着は流石に、泳ぐために買うのは面倒だしな。
ニアスが囚人服のような水着を持っていたことは少し笑えるが。……なんでアイツあんなに乗り気なんだよ。
「……来るまでに真面目な話。ユシナ様がああなったのは、そっちの手落ちだって忘れないでね」
「ああ。処罰があるのかはわからないが、あったとしても受け入れるさ」
闘技場で倒れていた聖将軍を担いで帰り、執務室へ寝かせて数時間。朝まで聖将軍は目覚めなかった。
その間のユーファの姿は正直なところ、見ていられないほどに酷かった。頭を掻きながら落ち着かない様子で執務室の中を行ったり来たり。最終的にはリベイラが精神系術式で無理やり意識を奪わなければならなかったぐらいだ。
リベイラの術式にかかるほど混乱していたとも言える。
「本当にね。これからは、こんな失敗をしないでね。私も実力をつけるけど」
「肝に銘じる」
起きた聖将軍は、故だか片目の色が変化していた。透き通るような蒼い瞳から、やや錆びた銀色と呼べる色に。
身体的な変化だけではないだろう。内面的にも僅かながら変化が起きているはずだ。
主格神具を扱う代償、と聞く。あいにくと俺はそんな物を縁がないためわからないが。
「代償は?」
「陛下か将軍位でない者には教えられないって言われた事があるわね」
「ふぅん。……身長がほんの少しだけ縮んでたのは、何でだろうな」
起きた後に立っている姿を見て気づいたことだ。ほんの少し、小指の先ほどだが縮んでいるように見えた。
確証はない。ただ歩き方や挙動が少しだけ不自然に見える。
「気のせいじゃない? もしくは、剣華かあの子が言うところの道化師にでも何かやられたか……。でも身長を低くする術式なんてやってどうするのよ。身体変化で幾らでも変えられるわよ?」
その通り。だから、ありえる可能性としてみれば一つなんだが。まぁ、今は置いておくべきか。
「さて。聖将軍も来たみたいだ、着替えてくればどうだ?」
寝転びながら砂浜の入り口を見る。水着のことは詳しくないが下半身に外套のような物を巻くのは普通なんだろうか。
リベイラもルカも参考にならないからなんとも言えないが。
聖将軍の水着は青。自らを主張しないが水着の上からでもわかるぐらいに形がいい胸と腰のくびれ、足の形と完璧と言っていいだろう。
神が居るなら、渾身の一作という姿だ。ここまで綺麗だと性欲だって湧いてこない。
神聖なものを汚したいという趣味の奴以外は。居たとしても聖将軍に勝てる実力者なんて数える程しか居ないだろう。
「ユシナさん、どうぞ着替えてきてください」
「はい。じゃあ、リーゼ。見ていなさいよ」
「そこらに親衛隊が居るだろ」
海岸にはおよそ百人の親衛隊が偽装して遊んでいる。一般人も何人かいるもののここで争いなんて起こせば街の方に居るであろうもう百人の親衛隊も駆けつけてくるはずだ。
流石に剣華を打破できなかったと言うのに少人数で遊ぶなんて馬鹿な真似はできない。
遊ぶな、という話ではあるが。名目は休暇なのだから仕方がないだろう。
考えているうちに聖将軍が隣に座る。……少しバツが悪いな。
「申し訳ありません。色々と」
「貴女が謝ることではないでしょう。全ては私の責任です」
十一人と一匹の戦死も。征剣の使用も全て。
「いえ。私の実力が至らなかったのが原因です。まさか相手が主格神具を持っているなんて考える方がおかしいでしょう」
「言ってはなんですが、私は貴女が敗北する前提で物事を考えるべきでした。少々、読みが甘かったこちらの責任でしょう」
ニアスがあの騒動に気づいてなかったとは言い難いが、俺の命令に従いルカを止めていたのが原因とも取れる。
状況を聞く限りだとイニーを使う事態に入る前にニアスが助けに入れた可能性も高い。
俺が聖将軍の方へ付いていたとしたら殺されていたのは俺だったという予測も出来る。
全ては結果論に過ぎないが。
「ではキーツという方が悪い、という事で。建前はそうしませんか?」
「……それを言われたら、どうしようもないですね」
キーツと名乗った男が本当に味方で、あの男か女かわからない奴が本職の暗部であるのならば、俺たちに開示しなかったことが悪い。
言い訳に過ぎないが、そうしようと聖将軍が言うんだ。とりあえずは従っておこう。
「代償について、王都で聞きたいのですが」
「そうですね。陛下の許可が降りたら説明します。多分、道化師団とはもう一度争うことになりそうですし。リーゼさんも巻き込まれることになるでしょうね」
「……光栄なことですね」
死にたくなるほどに。雪辱を果たす機会があるのは嬉しいが、今度は相手の手の内を読み勝てってことか。
随分と厳しいことを言ってくれるお方だ。
俺の被害妄想だったらいいんだが。生憎、陛下は言った。『道化。山脈。夜。信奉。血。お前はどこまで見通せるだろうか。俺ですら見通せない先まで見通す事が出来るか』と。
道化は道化師団。なら山脈は未踏山脈。夜は不明。信奉は聖皇国あたりか。血となると意味がありすぎてわからないが、順当に考えて血族。順番はわからないがこれからが関連してくるんだろう。
あの時の占い師が道化だと仮定すれば、アレは占いではなく今回の件を示したんだろうな。影と弾はルカとキーツ。剣士は剣華のことで、夜は先日の闘技場。血の涙は、とうに聖将軍とユーファが怒りで流している。死に囁かれる言葉はどうせイニーに言った言葉か何かだろう。生と死の選択は、陛下と対面するかシルベスト将軍の問いで決まるあたりか。
全てを見透かされた結果が、これか。
頭の回転だけは悪くないと自負してきたつもりだが、こうも手痛い敗北を喰らうと身に沁みるね。
苦々しい。
「リーゼさん。余り気負うことはありません」
「……顔に出てましたか?」
「雰囲気に滲み出てました」
聖将軍にまで心配されてれば世話ないな。ったく、俺も未熟だ。才能云々、実力云々と自分に言い訳していたことをはっきりと自覚させられた。
アインスベの件はああなって当然、ある程度は手を回した結果だ。最後は結局毒頼み。
気を引き締めなおそう。
今更だが、これ以上の最悪は起こさないように。
「遊んできたらどうですか?」
「そうします。王都の近くには湖しかありませんからね。あっちとは風の匂いも空気も大分違っていて、少し開放的になりそうです」
「彼氏を作ったらユーファや親衛隊が泣きますよ?」
「あはは。変な人には引っかかりたくないですね」
笑う顔に翳りは見えない。隠しているだけなのだろうが、やはり年季が違うか。
将軍は記憶にある限り笑っているか無表情かのどちらかだ。兵の上に立つ以上そういう資質が必要とされるのだろう。
俺には届きそうもない領域だよ。
「ただいま。……アンタは行かないの?」
「……泳げないしな」
戻ってきたユーファを見て僅かばかり息を飲む。身体にある傷を消さないのは、俺へのあてつけか。それとも犠牲となった彼女たちへ捧げるためか。
額から耳にまで走る傷跡よりも、腹部や腕に残る傷が過去を想起させそうになる。
「何、見蕩れた?」
口元を歪めた言い方は俺の表情に出てしまった翳りを見て改めて罪を突きつけるためのものだ。それがわかってしまう程度には付き合いが長いというのが恨めしい。
「……ああ。綺麗な身体だと思うよ」
感傷を置いておけば、言葉に嘘はない。
やや筋肉質な身体は女性らしさを損なわず丸みを帯びている。胸が小さいのは常日頃から身体変化で大きくならないように気をつけているからだろう。
均整が取れている肢体と言うべきか。聖将軍は人形のようだと形容するならば、ユーファはさしずめ一体の彫刻だろう。美を探究して作られたものではなく、物語に出てくる英雄を模して作られたような。
「どうもありがとう。それじゃあ荷物はよろしくね。私も少し行ってくるわ」
聖将軍が撒いていた外套のようなものはなく、引き締まった尻につい視線が向かってしまうが、こればかりは仕方がない。
俺も男だ。むしろ美人を視線で追わないならそいつは男として間違っている。
もしくは美形で女に困らない野郎か。
「……隊長さんよぉ。幾ら女に不足してるからって、ガキを見るのはどうかと思うぜ」
「見てるのはユーファが主だ。というか聖将軍の身体を見ても興奮できないだろ」
「同感だ。ああいうのは俺でも手ぇ出しずれぇ」
何も持たず歩いてたのか。……まぁ、ここで何かをしでかそうとする気もないだろう。
あの都市に置き続けるより、まだ目の届く範囲に居られた方が安心できる。イニーを使えば取り返しの付かない被害が出るが、ニアスの場合は取り返しが付きそうに見える被害になる。
「お前にもそういうのが居るとは救われる話だ。王都じゃ結構な女を引っ掛けてるって聞くが?」
「おいおい、俺の寝顔まで把握しておきてぇのか? 勘弁しろよ。まっ、俺でも引っ掛ける女ぐれぇは見るぜ? 本気にされたら後々面倒くせぇだろ」
「屑の台詞だな。俺みたいな純情派からすると吐き気がするよ」
「知ってっか? 未練たらしい男は犯罪らしいぜ。そろそろてめぇも処罰されるんじゃねぇの?」
「はは。いい冗談だな。面白すぎて反吐が出る。……やめておこう。護衛が対象を見ないで楽しむのはいいことじゃない」
危ない。普通に殴り合っても俺が殺されるだけだ。……普段は余り気にしないが、ニアスの言葉に妙に反応するのは、敗北のせいかね。
未熟にも程がある。まだ内乱時の方が指揮官としてマシな頭をしていた、はずだ。
「俺は別に構わねぇがな。つーか、親衛隊の女は何で美人が多いんだよ隊長さん。テメェはああいうの作らねぇのか?」
「言ってどうするんだ。それに親衛隊の仕事は表に出るものが多いだろ。王都にも親衛隊は居るけど南部ほど質がよくないらしいぞ」
顔の質ではなく、兵としての質だが。南部で鍛えられているんだから当然か。聖将軍が居ない場合に代理で式典に出る事もあるだろうから、親衛隊長は大変だろうね。
シルベスト将軍が親衛隊を作らないのは面倒からだろうな。作る意味も薄い上に、護衛だけなら特務がある。数が必要なら恐怖で縛られた第四特務を使えばいい。
見栄えは最悪だろうが。……いや、第二や第三がその役割なのか?
「ああ、それだ。王都に戻ったら色々とお前に聞きたいことがある」
「あいよ。でも最近は何かしたつもりはねぇんだがな」
こいつの顔を見てるとこの世の全てが嘘なんじゃないかって思えてくるな……。
何でこんなに流暢に嘘を吐けるんだか。
「南部から王都までの道中は危険のないように手は打った。帰るまでが遠足ってな」
「嬉しい知らせだね。思わず欠伸が出るほど勤勉な時間になりそうだ」
「……お前もルカらのところ行ってくればどうだ」
「女とガキの中に入った男が邪魔になる法則を知らねぇのか?」
知ってるから俺もこうしてるんだっての。泳げないのもあるが。
遠めに遊ぶ四人を見る。
……ここで重要なのは、ルカは沖まで泳いでいるし、ユーファと聖将軍は風術か何かで波に乗っていて、リベイラも風術か何かを使って海の上に立っていることだ。
何でそんな無駄な高等技術を使っているのかわからない。絵画のように見えなくもないが、何故そこまでして海で遊ぶのか、それがわからない。
「それに俺はあんな所まで行く気になれねぇしな。そこらの奴と同じように玉遊びでいいと思うがどう思うよ」
「揺れるリベイラの胸を見て楽しみたいね」
息を吐きながら苦笑気味に言う。なんだかんだと、遠めに見る彼女らの表情は明るいものだ。少しでも怒りを忘れられればそれが一番だが。
楽な生き方を捨てたのは自分たちなのだ。決めた以上は仕方がない。けど、せめてもう少しだけ、休息があればいいと思う。俺らはともかく、聖将軍とユーファらだけには。
腰に巻いてる布 …… パレオ的なもの。というかまさしくそれ。リーゼさんの扱ってる商店は海関連の物を全く扱っていなかったようだ。




