蹂躙の蹄と道化師 ②
剣を振るえば紙一重で避けられる。
「何で防戦に徹しているの?」
術式を展開すれば器用に最小限に盾を作り防ぐ。
何かを待つように、いや突破を伺うように最小限の動きだけで防いでいる。余力を残すように。
しかし軽々と突破させるほどユーファは甘くない。
そして余力を残して倒せるほど弱くもない。
防戦でさえ実力が伯仲しているのならば本来、先に疲労するのはルカの方だ。
終わりが見えなければ精神的に疲弊する。先が見えなければ心が折れる。
「殺さないといけない人が居るんだよー」
応えは答えにならないものだ。期待していなかったとは言え、予想通り過ぎるそれに舌打ちをして、右へ飛び退き後方から来た暗殺者の攻撃を避ける。
「あら。避けられちゃった。じゃあルカ、今の内に行って」
「はーい」
タッと言う音ともに屋根を蹴り弾丸のように走るルカへユーファは屋根へと術式を展開しようとし、無挙動で突き出された手を避ける。
避けながら術式の展開が出来たはずだった。その腕がいきなり膨れ上がった獣のような手にならなければ。
「ッ!?」
「頬を傷つけちゃってごめんなさい。これ以上傷が増えたら、悪いものね」
「……心配はいらないわ。私はアイツからの傷以外は貰わないもの」
顔の片側に傷のあるユーファに対してそれは挑発だ。ルカを負わせないために、僅かな時間でもここで時間を稼ぐために言ったのだろう。だがそれを理解してようと浮かぶ感情に変わりはない。
歯を食いしばり、女へと殺意を向ける。ルカの姿はもう見えない。それはつまり、副将軍の身が危ないという事実に他ならない。
「一緒に行かない? 一人も二人も通せば一緒でしょ? どうかしら」
「ユーファ、向かうぞ! こいつらの目的はわからないが、それでも聖将軍を狙うことはないはずだ!」
断るために剣を構えると同時に、空気を読まず、または空気を読んで叫んだ。怒りの表情はそのままにしかしリーゼの言葉を頭の中で反芻し理性は納得する。
「あ、わかってくれたんですね。嬉しいです」
にこにことした顔の女を信用する事は出来ない。それでも優先順位を考えればユシナを先にするべきだ。
三人の目的は闘技場に二人が居ない場合の足止めと捕縛。しかし闘技場にわざわざ後から向かうのならば、何か理由がある。
その理由がリーゼらにとって良いものかはともかくとして。
「先頭はお前だ、ユーファ、いつでもこいつを殺せる位置に居ろ」
「ええ。――殺せるなら幾らでも」
「あらあら。でもそのぐらいは構わないわ。それじゃあ、早く行きましょう」
軽く弾むような足取りで女は笑い。その身が獣へと変化する。人型の一切を残さない獣型。両手両足どころではない。その全身は小柄ながら獣のものだ。
猫族ではない。猫族はここまで太い腕を脚を持たない。狐族ではない。狐族はここまで太い胴を持たない。いやおそらくどの種族を照らし合わせてもこの姿を持つ種族は居ないだろう。
「オイツケヨ」
声にならない声が聞こえると同時に、その獣は疾駆する。
一瞬そのあまりに想定外な変化に目を疑うが、すぐに気づき三人は後を追いかける。
「……可能か、リベイラ」
「一応は。ただ、狂ってるわよあんなの。自分を定義するものがないもの」
「部位ぐらいならわかるけれど、あれは、人を辞めてるわね」
薄気味悪そうな表情を浮かべながらも視線は先に居る獣に向けられている。あそこまで目立つような存在だ、容易く見失うわけがない。
それに目的地もわかっている。
わからないのは目的ぐらいだ。それが最も大切でリーゼらにとっては頭の痛いことだが。
「本当に聖将軍の味方ならいいんだがな」
苦々しい顔で言うのは誰かの手の平の上で対抗する術もなく踊っているという現状からくるものだろう。
ユーファとリーゼは同じ顔で、リベイラは唯一あの変化をやって何故理性があるのかを考えながら進む。
結果だけを言うならば。この判断は正解だった。
どうにか対抗できているのは『流動』が鞭を出す機会を見切ったからだ。
剣華が近くに居る時、または大きく離れた時。中距離に関しては自力で動かす必要があるのか僅かなズレがある。
そう判断したユシナの判断は間違いではなかった。
とは言え。だからと言って状況が好転するわけではない。精々が疲労の減少に役立つだけだ。
打破するための手。奥の手は先ほど使った時空間系術式に似た力。もう一つは征剣の力を使う事。
使えば勝利は確実。しかしそれを使えば、おそらく望まない未来が訪れるとユシナは知っている。それはもしかすると、ユシナが死ぬ以上に恐ろしい結果を招く。
「どうした、聖将軍。守戦の方が得意か」
その考えを知ってか知らずか剣華は前へ進む。いや知っていたとしても変わらない。
「守戦で名を馳せたつもりでした、が!」
大剣が翻り重い一撃が剣華にのしかかる。だがその先はどちらも知っている。
水の鞭が大蛇のようにユシナへと飛び掛り、それをユシナが避ける。何度か繰り返された光景。そしてもう幾度も繰り返されない光景。
すでに『流動』の術式は網目の数を三次元的に増やし動きを阻害している。風術で散らそうとするも膨大な量の水を簡単には散らせず、また散らしたとしても即座に復元する。
心臓部を叩いたところで剣華が生きている限り無駄に終わる。
攻略の要は大量の水を弾き飛ばすほどの火か風。それにした所でここに至っては遅い。
初手が間違いだった。術式を使わせる前に、もしくは最中にでも腕の一本を完全に奪うなりしておけば問題はなかっただろう。
水を用意されると考えながらもここまで大量の水を用意されていると考えられなかった。
その点で言えば、やはり油断があり、また多少なりとも混乱していたのだろう。だからと言って、聖将軍に許される話ではないのだが。
「降参しろ。そうすれば命までは取らんさ。いや、そうした方がいいのかもしれんがな」
初めてここで剣華は表情を動かした。先ほどまでの無表情から、苦々しい、何かを耐えるような顔に。
「安楽の生か死する贄か、どうする?」
「その言葉は早い、ですが、意味を教えてくれませんか?」
大剣が長剣を弾くが弾かれると同時に水平に持ち横へと薙ぐ。だがそれを大剣の腹で防ぎ、縦に切り上げ、腕力で押す。
僅かに大剣の狙う位置がずれる。そこを見計らい長剣と鞭が同時にユシナを狙い、前へと避ける。
すでに鞭の数は二桁。更に繰り出される長剣は一流の技量。
「敗者に権利はなく。勝者には義務がある。南部の諺だ」
聖将軍が防戦を得意すると聞いた者はこの光景を見て思わず笑いの声が漏れるだろう。
得意なんてものではない。守りに回ればおそらく二十座相手にも通用するだろうと。
「そろそろ決める。受けてたて、聖将軍」
状況を動かしたのは剣華。始終押している剣華にも弱点はある。術力だ。可能性の話でしかないが、夜が明けるまで、いやあと二時間も防がれ続ければ術力が無くなるだろう。
本来不可能だ。不可能だが、聖将軍の名が警戒させる。経た戦歴が慢心を生ませない。
可能性を引き寄せるのではないかと。言葉で幾ら相手を貶めようと実力を過小評価するほど剣華も愚かではない。それゆえにありえると考えてしまう。
理性だ。理性は、そう言う。
だがしかし。
「……貴方の『流動』に守り勝てと。……いいでしょう」
打算。勝率。可能性。それらを統合しても、このまま攻め続ければ剣華の有利。
それを崩したのは策謀か、いや、違うだろう。
「嬉しい言葉だ。死した後、剣は王に捧げよう!」
剣華が小さく笑みを浮かべる。ただ一介の剣士として全力をぶつけたくなったのだろう。
剣を一度を振るい距離を取り『流動』の術式が一つに集まる。闘技場の主戦場を覆っていた水の全てが。
小さな湖と言っていいほどの量。
まともに受ければ肉片一つ残れば恩の字というほどの量だ。
正気ではない。操るのにどれだけの術式を駆使しているのか。どれ程の歳月をかければこれほどの量を操れるようになるのか。
正気でないのは、もう一人。言うまでもなく、聖将軍ユシナ。
本来なら、死亡宣告とも取れるこの行動に対して、ただ笑みを浮かべる。
不安を抱いた個人として立っているのではない。
王の将軍として立つ彼女にそんなものは許されない。あるのは戦意。
だからこそ彼女は南部の将軍として配置された。才能こそ人並みでありながら、類稀な努力と、得難い師匠を持った者として。
「ありがたい。冥月で陛下の信奉者になって頂けるとは!」
巨大な水に対してユシナは持てる限りの術式を使い、使える限りの攻撃用の術式を展開し使える限りの補助術式を紡ぐ。
水術、闇術、光術を抜いた自然系の術式。そして物質生成は壁として。
巨大な炎の塊が作られ、土の腕が振りかぶられ、氷塊が上空に出現し、風が荒れ狂る。
肉体は限界まで強化され、僅かな雷が身体の内を巡る。
万全の状態で、両者は互いの全力をぶつける。
「流し去る!」
「押し通る!」
水が、押し寄せた。前に見れば津波としか形容しようのない規模。
心を折ることなく、ユシナは前に一歩進む。
氷が水に激突する。巨大な氷塊が削られるが、僅かの間その勢いを殺し、風が飛沫と共に量を僅かに削り取る。炎は飛沫を蒸発させ、激突。
それでも流れを消すに至らない。至らないまでも、道を開くことは出来る。
土の腕が突き出され水に谷間を作り出す。しかし、一手遅い。作り出すのが見えていたのだろう剣華はすでに走り出している。
それでもユシナは覚悟を決め、剣を振り下ろす。
交錯は一瞬、噴水のように血が噴出す。
そう、ユシナの片腕から。
「トドメだ!」
片足を軸にくるりと回転し剣華の剣がユシナの首へとめがけて振られる。同時に水を押し留めていた術式が突き破られ、水と剣の二つが前後から襲いかかる。
「ッ! ま、だ!」
大剣を片手で操り防ごうとするが、僅かに遅く。首の皮に剣が達し、肉まで感じたところで。剣華が吹き飛ぶ。
「ダメだよにーちゃん!」「そうそう、契約違反っつーわけだぜ」「うんうん。ダメダメだよー」「殺さず生け捕る、これ大事」「そういう事すると団長さんぷんぷんだよぉ」「私らがやりたいことぉをするのはさぁ聖将軍様が凄い必要だしね♪」
「つーわけで。剣華の旦那。幾らお優しいアンタでもそれはいけねぇぜ」
甲高い声。低い声。間延びした声。平坦な声。ふわふわとした声。調子の外れた声。
最後に厳しい子供の声。
統一感のない喋り方だが、全員に一致するのは子供の声だと言うこと。
突然現れたソレらに対し、親衛隊は厳しい顔で周囲を見る。傭兵団は苦々しい顔で観客席へと顔を向ける。
「危ない危ない危険危険!」「俺らの目的契約達成」「殺さず生かさず捕まえるー」「でも私たちだと難しいから貴方の役割」「ずっと見るのが私たちのお仕事ぉ」「どこでもぉ見てるんだよぉ、あひひひぃ♪」
「テメェら黙ってろ。んで、どうせ勝利は確定なんだからよ、さっさと捕らえろよ剣華の旦那」
観客席には七人の子供がいつの間にか座っていた。
甲高い声は鬼族らしき少年。低い声は狐族らしき少年。平坦な声は蝙蝠族らしき少女。ふわふわとした声は猫族らしき少女。調子の外れた声は有翼族らしき少女。
祭儀に、厳しい声を上げたのは人族らしき青年。
服装に共通点は見られない。南部ではどこにでもあるようなものだ。ただ共通しているのは、その顔に道化のような仮面を被っていること。
「挽肉作りも王子と姫君も準備は完璧だぜ。剣華の旦那も仕事をしねぇとダメだろ」
「……了承した。聖将軍、勝負に泥を塗られた形になるが、勝ちは貰っておこう。そして貴方も貰う」
「何を……!」
片腕から出る血を塞ぐも、切断された片腕は剣華の足元。腕の喪失は今後の戦闘を厳しいものにさせてしまう。
片腕をつなげなければ、また新しい片腕の感覚に慣れる必要が生まれる。そうなればまたかなりの時間を浪費することになるだろう。
「辱める気はない。同行を願う」
「突撃、聖将軍をお救いしろ!」
成り行きを見守っていた親衛隊がいよいよもって動き出す。決闘が終わったと剣華が主張するのならばすでにこのやり取りを見守る必要もない。
敬愛する聖将軍のために動き、そして騎獣兵の彼女は預かった棺を、開く。
最善の悪手を解き放つ。
「おや、何日経ったのでしょう」
殺意が溢れる。
「まぁ、構いません。聖将軍も、同等らしき実力者も手負いですし、全員殺すまたとない機会ですね」
普段は殺す事の出来ない相手を前に、殺意は絶好の好機とばかりに、ニタリと笑った。
子供たち …… 七人居る。後々触れるが炎の子供たちがコードネーム
挽肉作り …… 男。
王子と姫君 …… 男と女。




