幕間 月下の展望
「手助けをしなければ攫われていたか、それとも殺されていたが。しかし、彼はどこまで読んでいたのでしょうね」
広大な王城の敷地内には三つの防壁が円状に建てられている。そして、内部には小さな砦が七つ存在している。
いや、今は八つ。今年の始まりに国王自らの術式によって、監獄のような砦が作られていた。
「墓碑職人の名は伊達や酔狂で付けられたものではないという事でしょうか。僅かな状況から暴かれてしまう。いやはや、私が全てを知っていたのならば、早くも暴かれてしまったやもしれません」
嘲るような賞賛するような笑顔と声でリーゼを評するのは森人の青年、アナレスだ。
彼は語りかけるのは緋色の髪をした国王、ではない。
「シルベスト様。彼は毒薬ですよ。気を抜けば、貴方まで」
「将軍に対し不遜な物言いだ。奴の危険性と有用性。それを知らずに陛下の言葉に従う方だと思うか?」
執務を行なうのに不備のない最低限の物しか置かれていない部屋に殺気が満ちた。
腰に下げた曲刀に手を掛けるのは美麗と表現するのが相応しい二対の羽を持つ蝙蝠族の女だ。
「おや。機嫌が宜しくないようですね。やはり月の物でしょうか? いえ、しかしあの狂人共に対しては常にそうですね。となれば、一度医者に診て貰った方が宜しいのでは?」
「森人風情が私を愚弄するか――!」
踏み込みは一瞬。淡い紺色の三つ編みを揺らし、彼女は音もなく鞘に仕舞われていた曲刀を振り抜き首めがけて振りぬく。
「アナレス殿、幾ら陛下の右腕と呼ばれていようと彼女への戯れは控えてくれ。ウィニス、激するな。アナレス殿はこの程度ならば許されている」
先ほどまで無手だったシルベストの手から剣が伸びていた。何もなかったように見える空間から、分厚さを犠牲にした細く薄い刀身。
その刃がアナレスの剣を突き軌道が変化しアナレスの髪を僅かに切り裂くだけに留まる。
「いえ。こちらの失言でした。申し訳ありませんウィニス副将軍」
「……申し訳、ありませんシルベスト将軍」
涼しい顔で、そして悔しげな表情で二人はこの部屋の中央に座る八軍将軍シルベストへと頭を下げた。
銀髪の男、シルベスト。内乱時にたった一人で千人を押し留めた近接型術士。
「しかし流石は衛迅将軍。その剣の迅さは風に勝り、護衛に関して右に並ぶ者がないと呼ばれる剣の冴え。内乱から時が流れようと腕は衰えませんね」
「ふん。当たり前だ。シルベスト将軍は剣の腕ならば八将軍随一だぞ」
三つ編みを振り、曲刀を鞘へと仕舞い込みウィニスは己の主を誇るように笑う。
シルベストはそれに何の反応も見せることなく先ほどの話を続けた。
「リーゼ・アランダムが彼らに食い殺されるか否か。問題はそこか」
「……そうなったとしても構わぬでしょう。そこで死ぬならば、奴はその程度の男と言うことです」
先ほどまでの怒りとは違いウィニスの言葉に嫌悪が混じる。
悪意すら見えるその言葉に対しアナレスは首を傾げた。顔など合わせたことがないはずの人物に向けるには彼女の言葉には棘がありすぎた。
「ウィニス殿は彼の部下でしたか? 彼の退役と貴方の入軍は時期が違ったと記憶しておりますが」
「兄が奴の部下だっただけの話だ。恨みはない、気にするな」
納得がいったのかアナレスは頷きを見せる。墓碑職人リーゼ・アランダムの部下らの生存率は高い。その理由は、見捨てる者を然るべき場面で見捨てたからだ。
ならばその一人にウィニスの兄が居たとしても不思議ではないだろう。
「しかし、こちらとしては生き残って頂ける方が頭を悩ませることもなく楽なのですがね。これ以上は人材を殺されて欲しくないのが本音ですよ」
「ふん。あのゴミどもは性格はともかく有能だからな。内乱時に全員が死ねばまだ少しは楽だっただろうに」
同意するのも嫌そうに舌を打つウィニスに、アナレスも頷きを返す。
これからリーゼの部下となる者たちは実力者だ。王国軍の中でも指折りと言っていいほどの。その代償と言うべきか少々といわず頭の螺子が壊れている者しか居ないのだが。
「しかしウィニス殿が幾人か殺してしまった事は問題と言えば問題なのですがね。貴方に殺されているようならば不要と庇ったシルベスト殿に感謝してください」
「……それは、している」
「構うことはない。大した苦でもない」
淡々と書類を処理していたシルベストがどうという事もないように呟くがそれに甘んじていられる程ウィニスの忠誠心は弱くなかった。
だからこそここ数ヶ月の間は大人しく殺すまでのことはしていない。
「しかし、リーゼ・アランダムは陛下の計画の内だ。お前が殺す事を禁ずる」
「ッ。……はい。理解しております」
項垂れる姿を見ながら僅かに憐憫を向けるが、それは一瞬。アナレスは薄っすら微笑むと部屋の一室から空を見上げる。
「何はともあれ、でしょう。結局の所は彼が狂犬らに食い殺されるか否か。可能ならば無事でも祈りましょう。それぐらいならば」
私たちも気が楽になるでしょう。そう締めたアナレスに、ウィニスは鼻で笑う。微塵も心配を感じさせない命になんの意味があるのかとでも言うように。
「貴様は何に祈るのだ? 聖皇国の如く神に祈るような者でもあるまい」
「まさか。貴方こそ、祈るのならばどちらですか?」
逆に問いかける。問いは灰の冥府と赤の死神の名で呼ばれている双月、どちらに祈るのか。
「問うまでもない事でしょう」
「……趣味が悪いな」
シルベストがぽつりと漏らすが、その言葉にはどこか笑いが含まれている。
彼らがリーゼへと祈るのは赤い月。百年に一度その全身を見せる時、大陸全土に血を求めると言われる死の月。
「何。彼ならば上手く捌いてくれるでしょう。そうでなければ、呼び戻した意味はないのですから」
二年後には満ちるであろう赤い月はまるで何者かの死を求めるように色濃く輝きを放っていた。
蝙蝠族 …… 空を飛べる。蝙蝠の羽。身体系術式と闇術、風術に適正がある者が多い。
灰の月 …… 王国では冥府と呼ばれる月。一年周期で満月となる。
赤の月 …… 王国では死神と呼ばれる月。百年周期で満月となる。満月になると不吉な事が起きると言われている。事実かどうかはともかくテンション上がってやらかす奴は多い。