艱難辛苦の大混乱 ③
書類の束に埋もれながら二日が経過した。焦燥感はないものの、一向に情報が集まらないという現状に苛つくのは、仕方がないものだろう。
だからというわけではないがリーゼは書類を投げた。物理的に。
「やってられるか! 傭兵団の動向が不明なのをつかめたのは、まだいい。けどこのルカが二人居るって情報は何だよ。加えて孤児らしき子供が市場で盗みをやってるって、関係ない情報だろこれは」
不審な情報の選別からそもそも出来ていないのが現状。情報は集まった。だが求める情報は一向に集まらず妙な情報ばかりが届いてくる。
処理能力に自信のあるリーゼでも百以上の書類を全て精確に読み込んでその中から選別して成否を完璧に判定する、というのはやはり無茶がある。
「荒れているわね隊長さん。でも、仕方がないでしょ? どんな情報を集めろって指示を出しているわけでもない事だし。限定して情報の幅が狭まるのは得策ではないもの」
リベイラの言う事はもっともだ。どの情報がどこに繋がるのかわからない場合がある。水滴が岩を砕くことのあるように、些細な情報から正解へ繋がる道もある。
なんて事を言っても何の慰めにもならないが。
「わかってる。ただ、余りにも無関係なものばかりが来てもな。……何を読んでるんだ? 新作か?」
「リーク・バールマンの『獣たちの王』よ。前の巻で獣のリティヴァが狂獣を倒して獣たちに君臨したけど、今回は竜に挑む話らしいわ」
「ああ。バールマンのは邪道と見せた王道で面白いな。一巻のリティヴァの親が人族に殺される場面は良かったと思う。……帰ったら俺にも貸してくれ。……いや。違う」
「貸さなくていいの?」
「貸して欲しいが、違う。何でお前は果実酒を飲みながら悠々としてるんだ。少しは手伝え」
目の下に隈が見えている上司の居る状況で堂々と本を読むのは度胸があるというべきか。
案外、何も考えていない可能性もあるが。
「息抜きは大切よ。それに私はこれでも貴方を評価していてね、貴方がここまで調べて何もわからない以上、状況が動かないと無意味でしょ。貴方も少し疲れているんじゃないかしら。何で相手の動きを待つの? こちらから動いてもいいんじゃない?」
「……それは考えたが。目的がわからない以上は迂闊な手を打てない。聖将軍が狙いかもしれないと思い、護衛を付けて散策して貰ったが怪しい動きはない。ルカも最近は霍乱程度の動きしかしないしな。……考えられる目的は聖将軍の殺害か捕縛。もしくはこの都市への襲撃。だがそれを行なっても得られるものは少ない以上からないだろう。なら他に考えられるのは、俺たちをこの都市に縛り付けたいから、というのだな。そうなったら東部が本命の可能性もあるし、南部で別の動きをしている可能性もある。駒が限られている以上は下手に動けないのもあるんだが」
一気に話す事で考えていることを整理しようとしたのだろうが、結局は何の手も打てないという事を自白したに過ぎなかった。
目的がわからない以上、下手な動きをする事は出来ないという考えだ。
だがそれに、リベイラは反論する。
「いいじゃない。下手な手を打てば。動けばよくも悪くも状況は変化する。貴方が得意なのはその変化で最善の手を打つことでしょう?」
買いかぶりといえばそうだが。確かに一理あるのも事実。
二日間の間に考えなかったわけではないが、わざわざ悪手を打つのはリーゼの好みではない。
好き嫌いで策を練るものではないが。だとしても無為に犠牲者が出るものを打つほどに切迫した状況ではないのが、頭を悩ます。
「……問題は、追い込まれてるのが俺たちなのかだ。情報量の多さに音を上げるのを待つのも立派な戦術の一つだ。この状況で向こうも焦れてるなら、自然とこれは持久戦になる」
「逆にそう考えを仕向けて裏に向こうの動きが進んでいる場合もあるわよね。……そもそも『蹂躙の蹄』が敵という前提から洗いなおすのはどうかしら?」
一向に進まない状況だ。最初から全てを洗いなおすのも悪くはないかもしれない。だがそうなれば、残りの日付が不味い。
「護衛の仕事と考えれば、これも護衛の範疇だが。さすがにこれ以上の時間を使ってはいられない。あと三日で聖将軍の仕事も終わり、本来の捜索帰還である期間を全てこれに使うわけにもいかないさ。何より敵でないなら行方不明になる理由としてすでに消されたということになるからな。その方が厄介で考えたくもない」
南部で最強の傭兵団を消すような相手なんて考えたくもない、というより考え付かないのが現状だ。
例え東部へ現れた帝国騎士が南部へ来たとしても早々壊滅するような集団ではない。
いや、そんな脆い集団ならば南部最強と呼ばれることはありえない。
「……龍が出た可能性は? ウールガー・ゼンディアンの学術本では龍は稀に人の住む場所に現れるとあったわよ」
「それこそ運を天に任せるしかない。何より不確かな研究が当てになるか? 龍に会った奴なんぞ数える程しかいないだろ。まだ狂獣の大群に襲われたってのが信憑性はある。そんな報告は何処を探してもないが」
頭を掻いて、立ち上がる。確かにこれ以上はリベイラの言う通り無駄なことかもしれないと考えたからだ。
リベイラもそうだと思って色々といっているわけではない。多少は気を紛らわすため、後は会話でもして気を紛らわせるのが目的だったのだろう。
「外を歩く。お前も来るか? 読み進めるなら別にいいが」
「一人で歩いて襲われたら貴方の命が危ないでしょう? どうせだから誰か他に誘ってみたら? 息抜きをするならなるべく人の多い方がいいでしょう?」
つまりは護衛をもう一人連れて歩けということだ。
想定する敵は『剣華』とルカ。それに対抗するにはリベイラだけでは明らかに不足している。
だからと言って並みの兵を連れてところで対抗なんて出来るはずもない。
ならば後は、ユーファか聖将軍か、イニーぐらいのものだ。そして更に考えて、護衛をしてくれるのは。
「……ユーファか。まぁ、それしかないな」
副将軍を護衛に使うなんて贅沢な話だ。今は名目上休暇になっているため私人として扱って問題はないが。
「構わないでしょう。それに、両手に華よ?」
「棘どころか毒を含んでるのは確かだな」
苦笑気味に言いながらも、僅かに嬉しそうな部分が垣間見えるのはリーゼが男だからだろう。内面はともあれ、美女二人を連れて歩けるなんていう幸運は滅多にない。
「ダラングに比べれば薄味の毒でしょ?」
「アイツは無味無臭で気づかない内に人を殺す毒だろうな」
毒というのを否定せずに向かう場所は将軍らの暫定執務室。警備の兵が居ないのは用心がないと言うよりは、機密性の確保からか。それとも城の内部だから安全だということか。
「入るぞ」
ユシナはニアスを護衛に連れてこの都市を変装をして歩いている。ユーファも行くと言ったのだが、書類の処理を行なうために無理に残らされている。
実質的な面としては書類整理よりも軽く休めという意味合いが強い。
だが、リーゼの恋人だったユーファがそんな簡単に休むかといわれれば。
「……何? 女を同伴して私に何の用よ。今とても忙しいのだけど?」
目の下に隈を作り、疲れ果てた顔をして書類を処理する姿は先ほどリーゼの部屋で見た姿を連想させる。
似たもの同士と言うべきか、なんと言うべきか。
「ああ。息抜きで外に出てみないか? お前の方も正直、八方塞だろ?」
隈ぐらいなら身体系術式で消す事は出来る。だが疲弊した精神だけはどうにも出来ない。
言うリーゼもやや疲れた顔をしていることからどちらも手詰りなのはわかるのは、流石に幼馴染だけはあるからか。
「……そうね。まぁ、いいわ。少しぐらいならね。本当、こっちから打って出れればどれほど楽かわからないわよ。ちょっと出ていて着替えるから」
視線だけでリーゼらを叩きだし、言われるがままに外へ出た二人はやや苦笑気味に笑う。
遅々として進まないもどかしさに耐え切れる者など滅多に居ないのだ。
例えそれが副将軍だろうと同じ。戦場ならばまた別だが、情報戦を行なうにはまだ早いということか。
「さて。とりあえず市場にでも出てみるか。掘り出し物でもあればいいんだが」
「本屋とかはいいかもしれないわね」
歩く場所を適当に考える。ただ歩いているだけでも市場は楽しいが、時間制限があるのだから少しは絞ろうという考えだ。
そんな事を考えても女性が二人も居る以上、どれだけ計画を立てようが無意味なのはわかっているが。それでも考えたいのは墓碑職人と呼ばれた男として、予測だけはしておく癖がついているからだろう。
ただ女性の買い物に予定通りというのは少ないものだ。
「お待たせ。行きましょう」
執務室から出てきたユーファは女性らしさとは遠い格好をしていた。軍服ではないものの、革鎧と脚甲を付けている。精々冒険者と見られるのが関の山という格好だ。
腰には剣を二振り佩いているため戦闘になれば本気を出すのだろう。
全員にとっては好都合だが、なんとも色気のない話だ。
「ああ。とりあえず市場を巡って、軽く飯でも食べるか」
「いいわね。リベイラさん、どこかいい甘味屋はある?」
「そうね……。二つ三つぐらいはあるわ。一人である程度は歩き回っているから、おいしそうな場所は見つけておいたわ」
姦しいというわけではないが、どこか疎外感が否めないのは、やはり男特有のものだろうか。
他に英雄と呼ばれる男が居たらこういう状況でどうするのか聞いてみたいもんだと思いながらリーゼは女性二人の後ろを歩く。
そして、市場。
常に騒がしく警戒をしていなければ財布を盗まれる恐れのある場所へ辿り着く。というより、もう二回は盗もうとした男を退治した所だ。
リーゼが幾ら弱いからと言っても下には下が居る。歩き回りながら果物を買い、砂糖漬けの食べ物を買い。食べ歩きをしていたところで、妙な人物を見つける。
古い頭巾を被った老人。しわくちゃな顔を笑みの形にした、どこかつかみどころのない、どこにでも居るような、しかし何の変哲もないような老人。
部分部分は印象に残りそうなのだが全体を見るとどうにも記憶に残らない顔。
「そこ行くお兄さん。占いなんてどうかな?」
しわがれた声で明るい声色。何故か違和感が残る、印象深い声。だがやはり、声には年月を重ねた重みを感じない。
危険はないと直感も理性も本能も言う。しかし何故か引っかかる声。三人が同じ感想を持ったように不可解な顔をしてその老人を見る。
「おぉ、おぉ、どうしましたかなお嬢さんがた。占い師が珍しいのかい?」
珍しいといえば、珍しい。占いというのは、時空間系術式が発見されるまでのものだ。
未来を予測するのは時空間系術式の達人ならば不可能な事ではない。
しかし一般人にそんな逸材が紛れ込んでいるなんて事は、まずありえない。そういう事情から多くの占い師は紛い物である、というのが一般的だ。
大抵の者はそういう占い師に気休め程度の役割しか求めておらず、それを専業にして金を取るなんて者は滅多に居ない。
相談するものは後押しが必要な者か、本当に途方に暮れている者が投げやりに使うぐらいだ。
「……そう、ですね。今のところ、占い師を見るのは今日が初めてです」
なんとも言えない顔でリーゼが言えば、後ろの二人もそれぞれ表情は違うが胡散臭いものを見るような顔をしている。
「うむうむ。じゃろう、そうじゃろう。じゃが、どうやらお主らは何か心配ごとでもあるのではないかね? どれ、占ってあげよう」
何かを口にする前に老人は目の前にある明らかに純度が低いとわかる水晶玉に手をかざしながら妙な力の込め方をしている。別に術力の放出も感じられず術式を使っている感覚もない。
ただ、手をかざしているだけだ。
「おぉ、見えた見えた。お兄さんの運命が見えましたぞ。これから先、影と弾、更に道化の動きを見切る必要がありますなぁ。周りに剣士が見えます、夜にも注意せんといけませぬ。血の涙を流さぬようにするのが幸いへの近道でしょう。死に囁かれる言葉はお兄さんは聞こえませぬ、ともありますのぅ。最後に生と死を選択する場面が見えますぞ」
にこにこと笑いながら意味があるような、しかし全く意味がないようなことを言う老人にリーゼは苦笑する。
さすがに、ここまで出鱈目な事を言う占い師など居ない。つまりこの老人は妄言を口に出して金を取る哀れな男なのだろう。
どの言葉もきっと後から解釈すれば当てはまるように出来ているものだ。最後の生と死なんて普通に生きていれば何処にでも存在する。
「はいはい。どうも。それで、幾らですか?」
「……貴方もお人よしね。貴方の給料の使い道なんてどうでもいいけれど」
「人のためにはならないわね……」
同情に少しばかり否定的な反応を見せる二人を無視してリーゼは銅貨を一枚置いた。これだけあれば、数日は過ごせるだろう。
気をよくしたのか老人は笑みを見せて頭を下げる。
「ありがとうございます。んではここだけの話ですがね、あっちでさっき、巷で噂の暗殺者を見たって話がありましてなぁ。近づかない方がいいですよぉ」
内容を理解し、リーゼが走りだした時には後ろにいた二人はすでに示された方向へと走っている。
一人出遅れた形になるも、身体系術式で強化する後ろ姿を見送りながら占い師は、にこりとした笑みを浮かべ呟いた。
「憂鬱の炎に侍る道化に非ず。童話の王殺しの道化になりえるのか、かの華は。出来るのならば良し。出来ぬのならばそれも良し」
路上を歩く多くの人々がリーゼたちが走る方向を見た後に、占い師の方へ顔を戻せばすでにその姿は影も形もなくなっていた。
占い師 …… 詐欺師みたいなもんである。ただ客も騙される前提で占ってもらうので問題はないかもしれない。
基本的に耳障りのいい事を口に出すのがマナーである。




