艱難辛苦の大混乱 ②
「ユシナ様。どうやら『蹂躙の蹄』は最近、周辺地域の警戒を行なっていて滅多に戻らないようですね。一応は兵たちに捜索を行わせていますが。内部の犯行は狂犬の言う通りあの子が行なった事なのでは?」
城の一室。つい先日まで親衛隊長と第二大隊の隊長が居た部屋には元の主である聖将軍ユシナとその副将軍ユシナが居る。
王都の一室に比べれば小さいが、リーゼの部屋に比べれば差は一目瞭然だ。
「それは間違いないと思いますけど。でも、変ですよね。ルカちゃんがやったにしてはあっさりし過ぎてる。指示する者が居たとして何故かと言うのが問題です。それに、殺しているのはどれも」
言葉を止めて周囲の気配を探る。聞き耳を立てているような気配も、どこかに何かが潜んでいるという感覚もない事を確認したユシナは区切った言葉の先を口にする。
「どれも、国の害になるような人物です。国家のためという大義名分が立つ人物ばかりですよ。無論、法の下に裁くことになりますが、南部領民が調べれば白日の下に晒される。そうなれば無闇に処刑するわけにもいかない」
「……なるほど。聖将軍を襲った盗賊に関しては白を切ればそれで良い。いえ、こうなってくるとソレが別人の可能性もあるというわけに。もしかするとそうするのが目的の場合も、と考えるだけ無駄ですねこれは」
互いに溜息を吐き話す間も書類を整理する手は休めない。休暇のために来たと言っても溜まっている書類があれば整理する必要が出てくる。聖将軍らが来ているというのは念のため緘口令を出しているが。
「難しい問題ですね。傭兵団の裏づけも取れていない状況ですし。どうしたものか」
相手を殺すだけならば難しくはない。軍さえ動かせれば。政治的な状況が絡んできているからなおさらに厄介だ。
上に立つからと言って好き勝手できるような立場ではないのだ。
だから、机の上に突っ伏しただらしない姿でもある程度は許される。
「あの子を捕まえるのが先でしょうか。そうすれば一気に解決するのでは?」
捕らえるとなればユシナが直々に出るか、イニーという化け物を解き放つと同時にユーファが出るか。二対一なら捕らえる事は出来るだろう。問題はイニーがその際に周囲の人間を殺す事だろう。
かと言って下手な兵をぶつければその少なくない犠牲が出るのは明白。
他の証拠さえあれば遠慮なく殺せるのだが、唯一の繋がりがそこだけ。
本当に二人にとっては頭の痛い問題だ。
「難しいでしょうからね。陛下が、いえアナレス兄さんさえ居ればもう少し楽な気もします。あー、でもあの人は案外アレで短絡的で視野が狭い方だから微妙かなぁ」
ぶつぶつとどうでもいい事を呟く姿はどこか子供らしく思える。肉体的には子供なのだから仕方がないのかもしれない。
例え実年齢がユーファやリーゼの倍以上だとしても、姿だけは子供なのだ。
「ここに居ない人を言っても仕方ありませんよ。それにそういう頭脳労働にはぴったりの人材が居ます。戦闘は役に立ちませんけれどこういう状況では頑張ってくれるでしょう」
肩をすくめながら言うユーファには確かな信頼が見えた。それを、ユシナとしては少し羨ましく思ってしまうのは仕方のない事だ。
ここまで信頼できる異性と言うのはユシナにとって国王となったファジル。共に旅をしていたアナレス、エグザという男だけ。そして、同性で一人だけ。
最後の一人には運がよくなければ、いや良くとも下手をすれば一生会えない。
だから、ある程度の自由が効きいつでも会おうと思えば会える距離の二人を少しばかり羨ましく思う。同時に、二人の間に起きた事を知っているため愛を交わしあう事がないのもわかっているが。
「彼は頼りにしています。あの非情さは得難い武器ですよね。……ところで、甘い物が食べたいですね」
「……そうですね。果実でも貰ってきますか?」
「可能ならば砂糖も欲しいですね。振りかけて食べるか、煮詰めて舐めるかしたいです。頭を使うと甘い物が食べたくなるのは何故なんでしょうかねぇ」
「頭を使うと甘い物が食べたくなるのは世界の不思議ですね。リベイラさんなら知っていそうな気はしますが。では何か貰ってきましょうか? 誰かに言えば持ってきて貰えるでしょうし」
「そうですね。では、さっき言った物をお願いしますユーファさん」
言葉を背に受けてユーファが出て行き、そこで初めてユシナは完全に肩の力を抜いた。
今までは僅かにだらけた姿も見せていたものの、どこかに将軍としての貫禄はあったものの、今の彼女にはそう言った雰囲気はない。
ならば女の子としての雰囲気かといえば、そうでもなく。
「さて。面倒ごとは全部あの二人に投げちゃうとして。……ファジル師匠が私に望んだのはどちらなのか。そこが問題ですが、リーゼさんの采配次第ですかね。師匠が見通したのはきっと、此処が分岐点の一つだと言うことだけ」
纏う雰囲気は一流の術士のもの。先を見通す異形の術士とも違う、先を予測する策謀家ともまた違う。
誰かの剣として動く者。
「……私が私として居られるか。それとも、此処でまた一つ段階が上がるのか。どこが私の試練になるのでしょうかね」
どこか、何かを憂う表情をしたのは一瞬。切り替えるように頬を叩くと息を大きく吐く。
「考えるだけ無駄なら何も考えないで切り進む方が楽で、楽な道に進むより難しい道を歩く方が先に進める。どちらの師匠が言った言葉でしたかね」
息を吐き、頬を軽く叩く。そして聞こえてくるのは先ほど出て行ったユーファのものと思われる足音だと気づき纏う雰囲気が最初のものへと戻る。
決して違和感を抱かせないようにという配慮。トレクナルの時に比べれば随分と楽だが、と思いながら軽く書類に目を通して果物を待つ。
色々考えることはあるのだが、それはそれとして甘い物が食べたいのは事実なのだ。
少しだけ楽しそうな顔をしながら歩く音が近づくのを待つユシナであった。
「どうも。二年ぶりかしら。元気?」
歓楽街の一角。とある組織の長が居る屋敷に一人の女、リベイラが来た。この街に住む者として少々見過ごせない名を持つ女。
家宰の男は正門から現れた女に眉を潜め、粛々とその女を部屋へと通した。
「誰かが私の家に入ってくるまでは。何用だね? ヒストネクさん」
衣服は白衣の下に薄い肌着が一枚。履くのは膝下までしか長さのないジーンズ。少し目深に帽子を被っている姿はどこかの令嬢がお忍びで居るようにも思える。無論、腰に差している柄さえなければだが。
「ええ。南部の首都で悪事を働く一角にね、多少は挨拶をしてこうと思って。それに、貴方こそ私に用があるのではなくて?」
入り口に入ったまま動かずにやや冷たい笑みを見せる姿に、部屋の中でベッドに横たわっている初老の男は溜息を漏らして手を軽く動かせば光術で姿を隠していたと思われる男たちの姿が出現した。
数は五人。おそらくは、リベイラ以上の近接技術は持っているだろう男たち。
「流石ね。三大組織の一角だけあるわ。王都にも手を伸ばしてみたら?」
南部の首都に存在する組織。都市の裏に表に治安を守りながらも、麻薬を売りさばき、娼館を運営する。軍としては邪魔な存在でありながらも下手に潰しては無法な動きをするであろうという懸念から潰すに潰せない厄介な相手だ。
「王都で一角でも崩れるならそこで乱入したいがね。……君は先日来たばかりのようだが、例の『壊し屋』について何か知っているかい? 情報があるのならば謝礼は弾むが」
数日前から暗躍している殺人者。南部の一部ではその鮮やかな手並みから『壊し屋』と呼ばれる正体不明の殺人者について、男は問う。
視線に含まれるのは苦々しさ。自分の部下が幾人か犠牲になっているのだ、このまま放置するのは得策ではないと言う考えなのだろう。
「他の組織も三人程が犠牲になっているものね。一晩で八人も殺すなんて忙しい暗殺者よねぇ」
「御託は良い。……まさか、軍も掴めておらぬのか?」
「ええ。軍は中隊長は二人殺されてるわ。文官も数人。いったいどこの誰がどんな目的でやってるんだか。それよりも、私が医術士だって事を忘れていないかしら?」
「チッ。軍も使えんか。……礼は情報でよいかの?」
手だけで指図すれば五人の男たちは部屋の外から出て行く。だからと言って護衛が完全に居なくなったわけでもないだろうが、危害を加える気のないリベイラとしては逆に人の居ないほうがありがたい。
「私の部隊も捜索をしているわ。だから、そうね。一応、警告かしら。今回は私たちが片を付けてあげるから貴方たちは黙っていなさいな。こちらは軍でもある程度の権利がある部隊だし……『狂犬』が居るわ。それでわかるでしょ?」
笑みを崩すことなく正面から目を見る。しばらくの間は互いに逸らさずにいたが、観念したように男は息を吐いた。
「……上層部の者と交渉させてもらおう。それぐらいの得があってもよかろう」
「打診しておくわ。……身体の中身が不味いわね。術式は使った?」
「はん。術力による汚染が進んでおるからな」
「典型的な術力感染だものね。歳を取ると耐え切れないから仕方がないけれど。とりあえず術式は毎日でも使っておきなさい。そうすれば症状は緩和されるわ。痛覚遮断が出来ないな時のために薬は置いておくわ。まぁ、それぐらいね」
生き物に存在する、術式を使用するための術力は稀に身体が蝕むことがある。滅多に居ないが術力が急に増大した者、生まれながらに強大な術力を持つ者、年老いて身体が術力に耐え切れなくなった者。
抵抗力がなくなった場合に術力は身体を蝕み、肉体の五感を奪った後で命までも奪い去る。治療方法などは確立されていない不治の病。
「首だけになれば長く生きられるようになるけれど」
「君臨できぬ身に価値などあるまい。それで、だ。貴様は何の用でここまで来た。聖将軍の護衛だけではあるまい。あの狂犬まで連れてくるのならば何か相応の用があるのであろう」
当たり前といえば、当たり前の意見。ニアスの通り名である狂犬は、南部で情報に通じて言う者なら知っている。下手をすればその名に対する恐怖は将軍位を超える程に。
「私にそこまで言える権利はないわ。訊くなら隊長さんにどうぞ」
「……墓碑職人か。悪辣なる鬼謀の持ち主を相手にするのは少しばかり恐ろしいな」
そして勿論、リーゼを知る者も多い。内乱時に名を馳せた英雄。それも武ではなく知略で。積極的に情報を探ろうと得られる情報には限りがある。そして調べて奥深くまで探った者は多くの場合、関わらない方が安全だと判断を下す。
それ程までに怖い男がニアスと言う武力を配下にして動いているとなれば組織としては手を出して痛い目を見るわけにもいかない。
「ならいいでしょ。他の方にも伝えておいて下さいな。そうすれば、そうね。三組織と合同で会談が出来る場を用意することに吝かじゃないわよ?」
「チッ。この状況では仕方がない。ではその方向で頼むとしよう。今回の件、最悪でもわしらは沈黙する。……なんなら護衛を貸し出すが?」
「そこまで手数をかけるつもりはないわ。でも……そうね、暗殺者の盾にならなるのかしら? 貴方の所に来たら盾にして逃げなさいな。手並みを見る限り私より強い程度じゃ勝てないから」
言い捨てるようにしてリベイラは早々に屋敷から出ていく。おそらく屋敷の主である男は、表面上静観しながらも裏である程度の動きをするだろう。
それぐらいを平気でやれるような強かさがなければ組織の頂点で生き続ける事など出来はしない。だとしても、軽い牽制になったのは事実だ。
狂犬の名を出したのは教えるのではなくそれが札の一つになると言うことの強調。墓碑職人の名を相手が言ったのは、それぐらいは調べがついていると言う牽制。
本来は交渉を行なわないリベイラがわざわざ独断でこんな事をしているのはある程度はルカの事を心配しての行いだ。例え圧倒的な実力を持つルカと言えども、都市の全てを相手にして逃げ続ける事は出来ない。
二十座並みの実力さえあれば都市を敵に回しても生き残る事は出来るのだろうが、言っても詮無いことだろう。
「最善を尽くすには、最適な環境に居ることが大事なのだけれど。今のルカは良い場所に居るのかしら。それとも……。後は隊長さんに任せるしかないけれどね」
これからの状況をリベイラは読むことはできない。複雑ではないにしても、余りにも裏がありすぎる。何か正解かを見極めることが出来ない以上、下手に動くのは得策ではない。
今回の件にしたってもしかすると悪手だったのかもしれない、と言うのに動いたのが失敗か成功か。きっと終ってみなければわからないだろう。
ただそれでも。
無為に殺される人間が減ったのは、おそらく事実だ。ルカを捕らえようとすれば、最終的に捕らえられるとしてもどれだけの数が犠牲になるのか予想もつかない。
「さて。本来の護衛に戻りましょう。半分休暇みたいなものですし、何か面白い本でもあればいいのだけれど」
呟いて市場へと歩き出す。難しいことは相応の立場に居る者が考えればいいと判断して。
頭にあるのは幾つか考えていた本。
リベイラの密かな楽しみは空想本の収集である。
砂糖 …… 高級品。甘い。
分岐点 …… でも案外ファジルさんは適当な事を言ってるのかもしれない。
組織 …… 特に名前は出さないけど南部の首都に拠を構える組織。他の都市にも手を伸ばしている。




