番外 内乱前のとある一日 その2
これはリーゼがまだ英雄と呼ばれる前の時間。
内乱も起こっていない、血も戦いも策謀もない。
ただ平和な一日。
「アインスベさんよぉ。んじゃ喧嘩でケリつけっか? あぁ?」
「……リーゼ君。止めてはくれないか」
突撃槍が己の代名詞を持たず。海流がまだ鬼雷人とだけ呼ばれていたある日のこと。その喧嘩はいつも通りに起きた。
「申し訳ありません、アインスベ中隊指揮官殿。ええと、今回はどんな理由なんですか?」
リーゼの階級はその時はまだ中隊長代理という曖昧な階級だ。中隊長は実際にはおらず、常に居ないからリーゼが率いているという部分がある。
有事の際には上司となる男が居るには居るが常では書類の処理に追われて訓練などには顔を出さない。
「なんだったか、ベルグ君」
「君とか気持ち悪ぃなぁ。テメェが俺に眼くれてきたんだろうが。前々からよぉ、テメェの眼が気に喰わねぇってのもあるがよぉ」
完全にいちゃもんを付けているだけだと言うのは誰が見てもわかる。
アインスベの部下である兵たちは苦笑し、リーゼが率いる者たちも苦笑いで様子を遠巻きに眺めている。だが、その視線の中に僅かな期待がある事にもリーゼは気づいた。
娯楽の少ない砦での生活だ。リーゼはユーファや二人の部下が居る上に勉強と訓練の日々なため退屈は感じないが、やはり他の兵たいは娯楽を求めている。
しかし王都までは徒歩で十日。近くの街でも日帰りは難しい。せいぜい村なら近いが、そんな所に兵たちを満足させられる娯楽は少ない。
ならば、やはり。
「……アインスベ中隊指揮官殿。もしよければそこの馬鹿を躾けて貰えませんか? 本来なら私がやりたいんですが、子供というのを差し引いてもちょっと荷が重過ぎるんです」
笑みに少しばかり虚を突かれたようになるが、周囲の反応で同じ考えに至ったのかアインスベは溜息を吐いて頷く。
「わかった。未来の将軍殿に言われては仕方がない。試合を行なおう、ベルグ君。私は木剣で、術式は補助術式のみ。君は……全力で来ても構わないが?」
「ハッ。言うじゃねぇか、おっさん。俺も木槍で補助術式のみだ。あんま舐めた口きいてっと死ぬぜ?」
二人の合意に回りに居た兵士たちが沸き立ち、中には砦内部に入って他の者を呼びに行く者まで出始める。ならばリーゼがここでやるのは立会いと。
「あー、それじゃあ皆さん。ベルグに賭けるなら俺に金を、アインスベ中隊指揮官殿に賭けるならそこに居るユーファに金を渡してください!」
ほぼ全員が声を上げて合意を示し、ユーファはいきなり指名されてぎょっとした顔で離れた場所からリーゼを見て、駆け寄る。
「ななな、何してんのよアンタ! 砦の指令官に確認とか!」
「事後承諾で、ほら。もう二人が動いてくれてるしさ。それにやっぱり息抜きは必要だしね」
けろりとした顔で言うと自分とユーファの前に器を用意する。どうせこの金は後で村に誰かを向かわせ、その金で宴会を行なう事になるだろう。
だからどっちに賭けても問題はない。金なんてものは砦に居る人間には大して使い道もないものだ。
「それじゃあ、二人とも準備はいいですか?」
一杯になった金を置いてリーゼが立会人として中庭の真ん中に立つ。
中央を円形にし、後は回りで人が座っていたり立っていたり。砦の防壁部分に立っていたりと自分の見やすい位置に居る。
「それでは。ごほん。鬼雷人アインスベ・グレンダルト対、ベルグさんの試合を始めます」
リーゼの後ろに立っているユーファが言えば全員が沈黙し。
「それでは試合、開始!」
掛け声と共に、二人が駆け歓声が降り注ぐ。
初手を取ったのはベルグ。
細い槍をやや持て余した腕力で強引に振るう。
対してのアインスベはそれを難なく片手で受け流し、そのまま腕を狙い、木剣を振り下ろす。
だが、木だ。凄まじく的確に、鋭い一撃を持とうとも鬼族の身体には、本来は通用しない。
「ッ!」
咄嗟に身体ごと後ろに下がったベルグは苦い顔で無事な片方の手に槍を持ち返る。
「……今の何が起きたんだ?」
隣に座るユーファへと、同じように座っているリーゼが問いかければ呆れた表情。
「気づかないの? えーとね。雷術があるでしょ? それを使った一撃なのよ。アレを使えば一瞬で最高速まで速く出来るもの」
速度を増した、強化された一撃。ならば鬼族の頑強な肉体と言っても当てる所を選べば一時的に使えなくする事は出来る。
やはり鬼雷人と、人にそう畏怖をもって呼ばれるだけの実力はあるという事だ。
「やるなぁ、おい。ハハ、やっぱてめぇいいぜ」
「何、互いに本気でやっているわけではないのだ。軽い気持ちでやればよかろう」
言いながらも雷術での補助を絶やすことなくアインスベが動く。
一歩の速さがリーゼの目では追いきれない速さ。これで本気ではないのだ。
「右が甘いぞ!」
「どこの右だ!」
タッという音と共に、正面から走ってきたアインスベは言葉を放ち、左へ飛ぶ。
軽いフェイクだ。外から見ているリーゼらは普通にわかるが、もしも正面からやられては追いきれないであろう速度。
それに、ベルグは対応する。
「甘ぇよ!」
身体を半回転し、打ち付けられる木剣を強引に払い、指を器用に動かす事で穂先の向きを変えてアインスベの喉を狙う。
だがそれすらもアインスベは、防ぐ。
弾かれた剣を引き戻す動きすらも雷術による精密な補助を行い、視認すら難しい速度で迫る槍を受け流す。
術式の精密操作と肉体の使い方の上手さ。何よりも、一瞬の判断力。どれをとっても一流と言うべき強さだ。
「うおら!」
防がれた槍を引き戻し腕力での突き。流石にこれを受け流すのは無理だったのか正面から受ける羽目になる。
防いだ腕は痺れただろう。それほどの重さのある一撃。もしもこれが木槍でなく四格神具あたりであれば普通の剣では折れていただろう。
「ベルグ君、普通の槍では物足りないのではないか?」
突きが防がれても即座に回し石突の部分での突きを行い、更に柄の中ほどへと持つ手を変えて打撃する。
力だけの男ではない。確かに技術もある。
それなりの戦いを潜ってきているのだろう。その戦闘技術は軍で習うものではなく傭兵や狩猟民族のソレだ。
対してのアインスベは教科書にも乗りそうな程に堅実に行く。それは決して稚拙なものではない。実践で鍛え抜かれたその戦法はあらゆる物への対処を加えて鉄壁とも言える型だ。
一見して攻めるベルグの方が有利と見える。しかし疲弊しているのはベルグ。
「何でだ?」
「んー。私もあまりわからないけど、多分アインスベ中隊長が隙の合間合間に攻撃しようとしているんだと思うかな。ほら、今防いでて、でも一瞬だけ攻撃に転じようとした。指揮訓練でもそうだけどあの人はそういう緩急の使い方が上手いと思うな」
「ああ、それはわかる。なんか、流れを作るのが上手いよな。攻撃するかと思ったら何もしないし、防いでると思ったら攻勢に転じるし。敵に回したら厄介だよねあれ」
互いに戦う姿を目に焼きつけながら話し合う。
将来これを自らの物にしようと言う試みだ。
上手い人物からは貪欲に技術を盗む。リーゼは残念ながらそこまで戦闘は出来ないものの、この戦闘の流れを戦術に応用すれば厄介なものになるだろう。
「お」
「あ」
二人が、いや周囲に居る兵士たちも声をあげる。
繰り出された槍が、折れた。
防ぐ際に、受け流す際に同じ場所への攻撃を加えていたのだろう。最後に大振りとも言える打撃を加えることによって槍が折れて宙に飛ぶ。
「これで私の勝ちという事でいいかな?」
ニヤリとした笑みを浮かべ、アインスベは悔しそうな顔をしたベルグに問う。
ここでもしも拒否すればただの子供だ。それをわかっているベルグもまた諦めて息を吐く。
「……ちっ。……変に突っ掛かって悪かったなぁ。だがよぉ、次は負けねぇぜ」
つまり今回の負けで全てを終わらせるのではなく次も行なうという事だ。
「うむ。それも構わぬ。だが一月の間に三度までにしておいてくれぬか。私の身体がもたぬよ」
緩い笑みを見せながら言う言葉にベルグはもう一度頷く。勝者には逆らわないと自身に戒めているのだろう。
砦の士気を高める目的もあるし、たまには皆生き抜きが必要という事だ。
訓練とは違い、強者同士の戦いを見て燃えるのは男として滾るものがある。
訓練にも熱が入るだろう。リーゼがそこまで見越していたかはわからないが。
「……悪くない勝負ね。得るものもあったし」
ユーファが拳を握り締める。今の戦いを頭の中で再現するように。
まだ身体の出来ていないユーファではあそこまで戦いを行なう事は出来ない。行なえるとしてもあと三年、いや五年以上は必要だろう。
リーゼもまたあの戦いで得るものはあった。戦いの緩急、そして防御方法。戦う事が出来る才能がないと、恵まれた体格も術力もなく、才能もない。そう自覚するリーゼにとって自分の身体を守る戦いは確かな糧となる。
「うん。……頑張ろう、ユーファ」
騒ぐ兵士たちを背にユーファの手を取り、握り締める。応じるように弱弱しく、ユーファもまたその手を強く握り返す。
宴会の準備をする兵士たちを背に、二人はしばらくの間そこに立っていた。
本編内で戦う事があったとしたら多分アインスベの勝ち、だと思います。
安定して強いのがアインスベでムラがあるのがベルグって感じです。
ただその場の勢いがあればベルグが勝ってたかなぁ。実際にやってみないとわからん所です。
相性的にはアインスベさんが結構万能だから、うーん。まぁ天候とか地形にも左右されるから実際にやってみて決まる程度には実力が伯仲してます。




