狂宴 ⑦
「何を仕掛けていても、打ち破ります!
早く、高く。まるで空から落ちる石のように。
トレクナルは急降下し、術式を展開する。
「その気概は評価に値する。だから惜しい、貴方とは正面から戦いたかった」
ウィニスが空へと羽ばたいた。
これを避ければ、後ろに回られ上をとられる事になるだろう。
だから、トレクナルは否定する。それは駄目だ、取られては定石のままでいられないと。
「その言葉が罠なのでしょう?」
受け止め、思考に微かな違和感。だがそれを探る前に曲刀は振るわれ、一度の斬撃が二つに分離する。
一つは防ぐ。だが間髪いれず展開された二つ目の斬撃は防げない。ならば術式。いつの間にか凍てつかなくなった水術を使い身体を上へと押し上げる。
更に、ウィニスは攻めかかる。
右から緩やかに放たれる一撃を剣で防ぐ。
本来ならば、そのまま何かをした方がいい。はずだ。次の手を警戒していると見れば不自然ではない。
「蒼騎士、貴女は強い。私ではきっと十度やって六度勝てればいいだろう」
「自信家ですね」
もう一度、素早く振るわれた曲刀を弾く。弾かれた力を利用してウィニスはトレクナルの上へと舞い上がった。
上と下の位置は逆転していて、しかし焦りを見せないのはトレクナルの自信か。
いや、違う。
「現実を見るのは得意だ。その分、口が悪くなる」
ウィニスが操る剣は並だ。最初と比べて大した速度も出しておらず、術式による追撃もない。
それに対しトレクナルは反撃すらしない。ただ散漫とした意識で防ぐだけだ。
払う剣は泥のように鈍く。術式の展開などもせず。
「すまないな蒼騎士。口の悪さは八軍でも随一と呼ばれている」
「今更何を……?」
振るう剣を防ぐだけの単調な作業。それに疑問を感じられない時点で、すでにこの戦闘は終わっているのだ。
地面を見れば先ほどまで増殖していた刃の山は崩れ去っており。
「わからないならいい。だから、異名の通り静かに落ちるといい」
ウィニスの姿が掻き消える。その姿を、トレクナルは追う。
だが、何をすべきなのか。相手が何をするのか、それが理解できない。
当然の帰結として剣を持っていた腕は断たれ、背の翼も呆気なく切り落とされる。
「え?」
何が起きたのか、何が起きているのかわからない幼子のような表情。
疑問に対する問いかけすらもなくただ墜ちる。
三度跳ね、立ち上がる事が出来ない重傷ではないだろう。
身体強化系術式を用いれば回復も可能な程度の打撲だ。
だから回復を行なう。断たれた腕から噴出す血を塞ぐ。死んでしまうから。
けれどそれ以上は出来ない。そこから先に思考が繋がらない。
目的を思い出せず、破るべき障害も思い出せず。
トレクナルは思考の渦に飲み込まれ内面に向き合う事を選択する。
「やはり自分で組み上げた術式であるが気に喰わないな」
横たわる姿から二歩ほど離れた場所に降り立つとウィニスは自嘲するように溜息を吐いた。
「聞こえてないだろうが説明しよう。精神誘導系術式、有名だな。基本的な用途は声に織り交ぜて展開し、聞いた相手の士気を上げ、または下げるものだ」
まるで子供に説明するように、聞き分けのない子供を諭すように、彼女の術式は語られる。
「だがその程度だ。通常の精神に干渉するのは難しい。人間の干渉なぞ出来ない。心を折ってから自白術式を使うのが精々だ。とは言え心を折った時点で大抵は自ら話し出す」
例えば特務が捕まえた男のように。折った相手を廃人する勢いで使えばどんな情報も話す。だが、やはり所詮はその程度。
戦いの最中では相手の興奮状態から、集中力から通じる事はない。
「それでも、だ。水ですら岩を穿つ事があるように小さく織り交ぜた術式は相手の心に入り込む。最初は勝つための動きをしていたはずだ。だが気がつけば負けないための動きになっていた。自覚はなかったと思うが、感想をききたいものだ」
同じ副将軍として、こんな醜態をさらしているトレクナルへ僅かに憐憫の感情を抱く。
とは言っても、悪は彼女だ。裏切った者は何をされたとしても文句は言えない。今のトレクナルでは文句を口にする思考も出来ないが。
「さて、そこまで進行すればあっという間だ。思考は単純化し、過信する。過信から慢心へ至り後は不理解だ。ちなみにこれは精神誘導上位『退化』と名づけている」
奥の手の一つだが対処方法は幾つもある。
自身に別の精神誘導系を使うなりウィニスの術式を看破して違和感に気づく事、それが出きれば術式の効果は途切れる。
かかり易いのは真面目な者ほど。更に焦りがある状況ほどこの術式は精神を蝕んでいく。
「……どうしたらいいんだこれは」
しばらく説明を続け、念の為に四肢を全て切り離してから困った顔となrr。
相手はまがりなりにでも副将軍。ただの雑兵とはわけが違う。
王国に八人しか居ない内の一人。国内では上から数えた方が早いであろう相手だ。
これを放置して、無法者に殺されたなんて事が噂になれば軍の悪評は防げない。また裏切りがあったという事実が表に出れば民の心が揺れ動く。
内政面から考えても、外交面から考えても非常に不味い事体だった。
勢い余って転がしてしまったのが失敗と思えるほどに。
「……ああ。いや別に考えるのは奴に投げればいいな。責任はいざとなれば全てアイツに被らせればいい。もしもリーゼ・アランダムが処刑になるならば私が行なえばいいか」
一つ頷き、放棄する事に決める。
ウィニス・キャルモス。外見からでは想像はつかないが、その行動と思考回路から副将軍でも随一の脳筋と呼ばれている女である。
「あはははは! 楽しかったよ!」
神速の拳。技を使わず、術式を展開せず。
己の肉体のみで蹂躙する鬼。
己の血か返り血かもわからない程に全身を真っ赤に染めたルカは愉悦の声を上げた。
上げる手には両腕を無くした隻眼の男。傭兵団の団長たる男。
「化け物、め。月に召されろ」
剣を砕かれ両腕を捥がれ、十数人をたった一人で蹂躙した相手に対し心まで折られていないのは流石は傭兵団の団長と言うべきか。
「えへへー。ベイちゃん、どうするの?」
「そうね……。意識を刈って、そしたら傷を治しましょう。痛く治してあげるわね」
今にも飛び跳ねそうな喜びに染まるルカへとリベイラが優しく告げる。
言葉の通りに傭兵団長の意識を落としその場に落とし、足取りも軽く近寄ったルカの軍服を見て、血で染まった箇所を短剣で切り開く。
傷を見る眼は確かに医者のソレ。剣の刺さる箇所、深く切られた箇所、穿たれた箇所。
ソレらを眺めてながら深さを直接確かめるために指を突き入れていく。
「お、やっぱ終わってたか」
欠伸と共に屋根の上から降り立つのはハルゲンニアス。そして肩に乗っているダラング。
ダラングは尻尾と耳を動かしながら空間内の術式構成を細めた瞳で解析している。
「そっちは遅かったわね。遊んでたの? 怪我と、負傷者は?」
「他の奴らは死んだぜ。ヒロムテルンとムーディルの野郎がいねぇがそっちは大丈夫じゃねぇか? 行き合った暗部の奴に拾わせにいかしたが」
他のところでの戦闘はすでに決着しているだろう。
残る一つはリーゼの居る、いやイニーが戦っている戦場だけだ。
光景を思い浮かべたニアスは呆れた笑みを浮かべ、リベイラは大きく溜息を吐く。
戦闘中ならば、イニーが生き残るにしろ死ぬにしろ、しばらくは近づく事が出来ない。
イニーという存在が戦うというのはそういうことだ。
「生き残っている傭兵団は私たちが相手にした所だけね。あ、ルカ。動かないの」
談笑をしながらも動く手はぶれない。的確に破片を引き抜き、薬を塗る。細かい部分は落ちている人間の皮膚から作り出した糸で縫い合わせる。
自身で回復を行なうだろうが、あえて縫った方がその効率もいい。皮膚ならば回復する際に手助けにもなるだろう。
「イニー、楽しいかなぁ?」
戦っているであろう方向を微笑みながら見てルカは呟く。
対して、ニアスもリベイラもダラングも、意見は一致している。
「殺し合いだもの、あの子が楽しまないなんて自然じゃないわ」
押していた。当初はベルグが押していた。
繰り出される槍は確かに防がれ、その際に短剣は肉を深く引き裂く。
それは回復が可能。
しかし幾度か裂かれた肘は回復が不可能。
血は止まらない。まるでそれが正常であるかのように、肉体を元に戻すことが出来ない。
「ハッ、いい武器使いやがる」
この武器があったからイニーは接近戦を挑んできたのだろう。傷は炎で焼く事で止めてはいる。いるが、これ以上の傷を受けることはできない。
だからこそ攻めあぐねる。
「欲しいならあげましょうか?」
順当に考えれば振るわれる短剣はもはや受ける事が出来ない。受けてしまえば更に血を失い続ける可能性が高い。そのため防ぐ事から勝機を見出す――なんて、消極的な判断はしない。
この状態がイニーを殺せば終わりだという保障すらないのだ。ならば、殺してから考えればいい。
出した結論と共にこれまで以上の猛撃を仕掛けるベルグに、イニーは笑う。
守勢ではなく攻勢。判断は正しい。
言ってしまえばイニーはただ逃げているだけでも勝てる。
ベルグが付けられた傷は七つ。肉にまで達し、一つは骨にまで達している傷がそれだけあれば遠からず血を失い動きは鈍り、死ぬだろう。
だからと言ってここで背を向ければ、その背は胴体ごと穿たれて戦闘も人生も幕を閉じる。趣味である以上にここから逃げる事は出来ない。
「生憎と短期的に効果のあるもんが好きでな」
槍を繰り出し、その槍を腕から放して、更に一歩踏み込む。
一歩により肉薄。二人はすでに武器で互いに攻撃も出来ない程の距離。
巨体を生かしベルグは膝から蹴り上げる。まともに喰らえば衝撃は身を空へと投げ出す。その状態になってしまえば、いかに空を歩く術式を使おうと殺される範囲。
逆を言えば、これを防げばベルグの隙は大きい。
身を、半歩捻る。
犠牲にするのはその右腕。いや、だけではない。
「チィ!」
膝から振り上げられた足は肩から上を千切り飛ばす。この状態、切ることは出来ない。行なうのは刺突。瞬間的に差し込まれる短剣はベルグの肩と脇腹へと突き刺さる。
それでも更にもう一手。足を振り下ろすまでの間が惜しく、槍を手放した右腕を大きく振り上げる。
まともに喰らえばこれも必殺。腕を犠牲にすれば、ないものを復元する事は出来ない。
ならば。
ならば喰らうしかないだろう。
喰らう。
拳を振り切られる前に身を晒し、宙を飛ぶ。空へと舞い上がった以上、イニーに取れる手段は無い。
二本の短剣はベルグに身体に存在し、右の腕は空を飛んでいる。
槍を足で叩き、自身の手へと戻し、石畳が破砕するほどの力で跳んだ。
狙うは心臓と頭。炎の蛇が槍に巻きつく、例え槍が外れるような事があろうと焼き尽くすがために。
数瞬後には頭を穿たれるか、それとも身体のどこかを焼かれるか。絶命の状況で、イニーは笑う。
互いにこれから動く道は決まっている。不確定要素のない状況。
それこそ、イニーが求めた必殺の機会。
「終わりとしましょう」
「同感だ!」
宙で、吹き飛んだ腕を取る。身体は片腕分だけ安定していないが、それでも強引に掴むと同時に使うのは物質生成系。
腕を強く掴めば、皮膚から骨が飛び出し鎌の形を成す。
放たれた槍を重くなった片方に重心をずらす事で僅かに避け、半身が蛇によって焼きちぎられるも。
「――ハッ!」
顔を叩き斬っれた。
右上を断たれ、笑顔のままで、ベルグは最後に無邪気な笑みを浮かべ。
「悪くねぇ!」
最後の言葉を叫び、死んだ。
経験の差はベルグの方が上。
実力は同じ程度。
運も対して違いはなく。
執念も、先の見通しも同じ程度。
だから生死を分けたのはきっとどれだけ相手を殺す事に全霊を向けられるか。
己の命を無視してでも相手を殺す狂気だったのだろう。
「あら。気絶しててもいいのよ? 後はそこで転がっている副将軍さんを持ち帰って終わりなのでしょう?」
横になるリーゼに対しリベイラが転がっている腕などの部品を持ち無表情で確認を取る。
すでに戦闘は終わり捕縛者は纏められ、怪我人たちは自分で治癒を行なっている。
ルカは表面上に傷は見られず、イニーはぼろぼろになった腕を修復しつつ転がっている人間の肉体も使う。
暗部の者たちも幾人かは怪我を負っているためその治療中。
唯一その作業が出来ていないのはリーゼだけだ。
「ん。ああ、そうだな」
焼けた肉の痛みを味わいながらリベイラのよる治療を受け入れる。
すでに痛みも感じない腕の末端を丁寧に眺め、薬を塗りながら術式を展開する作業はいっそ芸術的ですらある。
神業を眺めながら、首は横に振られる。
「じゃあ、暗部は捕縛者を連れて城へ。トレクナル副将軍の剣と腕、あと本体は此処に置いてていい」
残った片腕で指示を出せば全員が怪訝そうな顔を浮かべる。
何故そんな命令を、と。
アレだけの戦いをした後だ、術力の底が尽きそうな者、はイニーしか居ないにしても。
余力のある者はニアス、リベイラ、ダラング、後はルカぐらいか。
ムーディル、ヒロムテルン、イニーの三人は半死半生と言う態で座っている。
この状態の彼らだ。更に動かそうなんていうのは正気ではない。
正気ではないからこその、特務部隊長。
「まぁ、お前らでも行く気になるだろう。何せ、シルベスト将軍に出て貰っているからな」
言葉にほぼ全員が口を開けて、全てを投げた顔になる。
様子に疑問を浮かべるリーゼに対してニアスは苦笑いを浮かべつつ手を横に振る。
「ハハ。アンタよぉ、あの人出てるんなら百人程度が相手じゃあもう終わってるぜ?」
友呼び …… 刃を振るった瞬間を別の場所に出す。言うと難しいけど
―――― ←これが普通の一撃だとすると友呼びを使った場合は
― ― というのを自動でやってくれる。便利。
― ―
骨喰い …… 四本一組。イニーの骨から作られた短剣。効果は『傷の平常化』と『腐る』というもの。ただ何度も全く同じ場所に傷をつけないと効果が発揮されない困ったちゃん。普通はこんなの使わないし作ろうと思わない。




