狂宴 ⑥
厚い刃を正面から受けるのは下作。
幾らウィニスの持つ曲刀が相手と同じ三格神具と言っても、相手もまた同格の武器。
ならばその形状から言って打ち負けるのは自分だ。交錯する一瞬で判断したウィニスは、上空へと飛ぶ。
背からは尚も無数の刃が追いすがるもそれに捕まるほど速度は遅くない。しかしもう地上へ降りるのは困難を極めるだろう。そもそも背から追いかけるのは百を越す氷の槍。これを全て抜けて不利な地上へ降りる利はない。
「ハッ! いいなぁ! 鮮やかだ! 素晴らしい、同格と戦うのは心が躍る!」
獣と言って違いない獰猛な笑みを浮かべ、鋼のような風を浴びて、なお笑う。
戦いだ。内心で、呟く。
内乱時には出ていけなかった死の近い戦いだ。内心、更に呟く。
サンヴェルトは内乱時には脅迫されて反乱軍として動いた。
帝国への備え、そして援軍を封殺した六軍の代わりに名誉のない死地へと借り出されたのはサンヴェルトの都市軍と傭兵団。
屈辱だ。名誉なき戦い以上に、反逆の一翼を担ったこと。そして、最も屈辱を感じたのは脅迫材料に使われた女子供だろう。
戦いを許されず戦場で死ぬことも許されず、男たちを死地へと送った屈辱は計り知れないものだ。
ウィニスはその中で、貴族でありながら戦場に出られなかった。戦場で死ぬことを誉とするサンヴェルトの貴族でありながら。
リーゼへの怒りはその点、矛盾するものだがウィニスとしては指揮官に囮として使われた者の妹としての感情だ。むしろ戦場で兄を使ったことには賞賛と感謝の気持ちもある。ただ恨みと憎しみもまた確然とあるが。
ウィニスがその時に感じたのは悔しさ。
兄が死んだというのに妹の自分は戦場に立てなかった。
武を重んじる貴族の一員として歯痒く、悔しい。
故に。だからこそ。
ウィニスは死と隣り合う八軍に見初められた。シルベストは一目見て、感じたのだ。
この女がいかに名誉だと言ったところでその血に流れるのは戦闘狂の血なのだと。
「楽しいよなぁ蒼騎士! 私は楽しい! 兄も生きていれば戦場で殺し合いが出来たろうになぁ!」
旋回。
迫る槍を調整した『風纏』で相殺し、曲刀で一部分だけ突出して迫ってきた無数の刃を切り開く。
「戦いの何が楽しと言うのですか!」
水流は渦巻く前に凍てつく。それを利用して氷の盾を幾つも展開し、ウィニスへと向けて放った。
打撃武器として用いられる盾に直撃すれば地に落ちる。だがそちらに意識を集中すれば増え続ける刃によって背中から裂かれる。
「生きていなければ楽しいとは思えないだろう?」
故に楽しい、と断言する。
展開する術式は中位氷術『氷刃』の術式。刃の形は分厚い剣。この天幕の下ならば氷術は常よりも強化される。
右手で曲刀を、左手に長剣を模した『氷刃』の二刀を構え、振るう。
迫る盾は曲刀で切り払い、増殖する刃たちは氷の長剣破り続ける。
「争えば人が死ぬというのにですか!? 夫も、息子も、あの戦いで死んだというのに!」
悲痛な叫びは喪失の慟哭だ。
無為に奪われ、失った者を想い、失った者に縛られる悲しみの怨嗟。
琴線に触れたのかと考え、内心だけで笑う。
嗚呼、サンヴェルトと他の地方では違うのだったか、と。
「悪いな、それは埒外だ。だが死んだのは弱いからだろう? 頭も心も、剣の腕も! 争わぬ者が何の準備もしていなかったなど笑える話ではないか! ハハッ蒼騎士よ、貴様の悲しみは私の都市では喜劇にしかならぬ!」
「家族の死を笑うのです貴方は――!」
「争いの果ての死こそ誉れ! 抗いなく死んだ者など惰弱! 後顧の憂いを持ち戦うなどと笑止千万。サンヴェルトではただの子ですら剣を持ち死を覚悟するぞ!」
ニ方向の攻撃を防ぐ合間にトレクナルがウィニスよりも上空から速度を付けて斬りかかる。
空を飛んでいる状態では踏ん張りは効かず、捌くには相手の技量がありすぎる。
避ければ追い込まれ、刃と盾、そしてトレクナルと三重奏がウィニスを破り捨てるだろう。
速度をつけた一撃。受け止めることは至難。
だから、わかった上で、受け止めることを選ぶからこそ戦闘狂。
「な!?」
「何を驚く!」
受け止めると同時に身体の力を抜いて地面へと墜ちる。上から押し込める力を利用し、迫る刃を巧みに避ける。
しかし地面に墜ちれば、刃の林とも言うべき場所がウィニスの身体に穴を増やすだろう。
曲刀と剣を十字にして受け止めている状態。これこそウィニスが望んだ最善。
「どう喰らう、蒼騎士」
刻まれた陣に術力を込め、右手に持つ曲刀で虚空を切り付ける。
陣の内容を思い出したトレクナルは苦い顔で上半身を強引に引き、ウィニスを蹴る事で退避。
蹴ったと同時にその足が僅かに切り裂かれ血の線が滲んだ。
「……国王から賜った三格神具『友呼び』です、か」
「ああ、私はともかくこちらは有名だ」
刻まれた陣は空間系術式。原理は不明、判明している効果は振られた軌跡をずらすものだ。
内容を脳裏に思い浮かべ、トレクナルは表には出さずに舌を打つ。アレは己の持つ『炎の夢』よりも厄介な刃なのだと。
ウィニスは地面に落ちる事なく再び空へと上がり、思考する。
視界の端では巨大な氷塊が浮かんでいる。誰が戦っているのか、トレクナルにはわからない。しかしあれだけの術式を扱う敵ならば傭兵に勝利はない。
ここで勝ったとしても、次の戦いでは勝てないだろう。それでも、目的がある。
いや、違う。トレクナルは負けられない。戦いを楽しむという者に負けることは己の過去が許さない。
「ですが。私に敗北は許されない」
ここで勝利して、その先に待つのが処刑でも。
計画のためならば、この国を正すためならば、失った命を無駄にしないためならば。
命すらも、惜しくない。
「そうか。許されない事を破るのは楽しいぞ? はは、私も昔はよく一人で狂獣を狩りに行って叱られたものだ。下手に狩ると成人の儀が行えない時もあるからな」
内心で固めた誓いを嘲笑うようなウィニスの語りを聞いてトレクナルは、確信する。
サンヴェルトの人間は頭の螺子が緩んでいるのだと。
だからこそ強い。そして、だからこそ惜しい。
ここで殺されないのならば王国を支える柱になっただろう悔やみ。
そこまで考え、自ら否定する。死者を侮辱する者ならば早々に死んで頂いた方が国のためになるだろうと。
「堅物でいいと、愛する男にも敬愛する聖将軍にも言われておりますので」
生成系術式への術力供給は止めておらず、奥の手も仕込み終わった現状、トレクナルに負けはない。
立ち居地も、ウィニスが下でトレクナルが上。この状況で負けるなんて事はありえない。
そして負けたとしても十分以上に手傷を負わす事は出来るだろう。
「惚気られたのか私は……? ああ、会話の最中に隙を伺うのは確かに正しいのだがなぁ。言ってしまっては何だが、蒼騎士、貴女は少し素直すぎる」
「何を……?」
「サンヴェルト人は誇り高く裏切りを許さない。清廉なる武人を相手にするならば正面から戦おう。だが、裏切り者を殺すのならば罠も仕掛けるという事だ」
ウィニスは笑う。術式は、最初から積み上げていたのだと。これから起こる展開はウィニスから見れば誰に言うのも恥ずかしくなる戦いでしかない。
裏切り者にはそれに相応しい死を与えるべきなのだ。
自分をそう納得させ、ウィニスは大きく溜息を吐いた。
食欲を失わせる臭いがリーゼの肩から漂う。一度嗅げば一日は食事が喉を通らなくなるだろう。
もしくはそれをおかずにして食事も捗るか。
「……は、は。新しく痩せる方法か?」
「全身の肉を削ぎ落とすのと血を抜くのがあんだが、てめぇに試す暇はもうねぇみてぇだぜ」
焼け焦げた腕から飛び退き、ベルグが突撃槍を構える姿は先ほどまでの戦いが遊びである事を示す戦意。
向けた身体の先に立っているのは血に塗れた人族の子供。
金の瞳は愉悦に歪められ、小さな唇は赤い月のように禍々しく。
両手に持つ二本の短剣を握る手は強く、視線に宿る殺意は尽きる事なく。
一目見てそれはただの子供でない事はわかり、感覚は悪寒を訴えてくるのだ。
其に立つのは人の形をした死なのだと。
「おいガキ。夜遊びは楽しかったかよ」
苦々しく、しかし笑って問われる言葉に子供、イニーは艶やかな笑みを浮かべ頷く。
「とても。中々、心を折るのに時間をかけてしまいました。ああいう方々は好きですよ。生き足掻く姿は感銘を受けますね」
リーゼは炭化しかけている片腕をそれこそ片手間で治療するが、ここまでなっていると常識的に考えて治療は不可能だ。行なっているのはとりあえずにしか過ぎない。
暗部の三人が近寄り、リーゼを屋根の上まで持っていき二人の戦いが眼下で見渡せる位置に座る。
「俺の部下だった奴らだかんな。全員か?」
「まだ貴方が残っていますが?」
術力が周囲に満ちる。
目で見えるわけではない、だがそれ以上に術力は本人の性質を物語る。
毒々しく触れれば腐り落ちるかのような術力はイニーのもの。対してこの世の全てを燃やしつくすとでも言わんばかりの溶岩の如き術力はベルグのもの。
この広間に充満するそれらは、後一歩のところで触れ合わない。
機を待っているからではない。隙を伺っているわけではない。
「ベルグ。突撃槍のベルグだ」
「イニー・ツヴァイ。面白い通称などはありません」
互いに態勢を取る。動く準備は出来ている。
殺しあう準備は最初から万全だ。
故に、互いに動けない。初手で殺す道はすでにふさがれている。多種多様な予測をベルグは行い、初手を取ろうとする直感がイニーをもって走らせるのを防ぐ。
互いに強者。互いに近接戦で一線を越える者。
先を読む二人は、そこですでに想像上の戦いを繰り広げている。
戦端は二人とは全く関係ない所から、天幕が砕ける瞬間に切られた。
イニーが駆けた。風よりも早く、羽よりも軽く。同時に地面から無数の槍、剣、短剣、ありとあらゆる刀剣類が展開されそれらはベルグの上下左右から殺到する。
身に炎を纏い槍に巨大な炎蛇を纏わせるベルグもまた駆ける。烈火の如き荒々しさで、山の如き重さを持ち一歩を踏み砕く。
風と炎の交錯は一瞬。
振るわれる槍は大気を食い荒らすように円を描く。炎の蛇は暴風と共に歓喜を得て、迫る生成された武器の類を全て溶かし自らも消え去る。
その一瞬の代償は腹部に刺された短剣が一本。
だがイニーとて無事ではない。刺した短剣を持っていた片腕が炎熱にさらされる事により皮膚は爛れ肉は雫となり地面に落ちる。
「美味しそうに仕上がりましたね。ただ肉に挟めるような形ではありませんが」
涼しい表情で呟いたイニーの顔に変化はない。先ほどと同じ愉悦が浮かんでいるだけだ。
何でもないように言って、本人曰く『美味しそう』になった腕を振るえばその腕は逆再生でもするかのように、肉は元の形状を取り戻し皮膚はやや焦げているが平常へと戻る。
合間にも動きは止めない。壁を走りながら壁から無数の刃物を展開し放つ。
「はん、身体変化か。そこまで極めるたぁな」
肉体を自在に操る身体変化。極めればイニーが用いたように損壊した肉体を自在に元の状態に近づける事が可能。だがその真価は、肉体を変貌させる事に他ならない。
人族以外の種族が人に似た姿形を取ることを可能にする術式。
壁を走るイニーへ上位炎術『炎熱』が展開され炎の渦が触れる先から壁を融解していく。
それらを器用に地面から生成した壁で防ぎながら、イニーは懐へと飛び込んだ。
今度は正面から、先ほどのような撫で合いではなく、戦い。
イニーが右上から振るった短剣をベルグは突撃槍を持ち上げる事で粉砕。
衝撃により同時に右腕も同じように砕けるが瞬時に復元される。左から放った抜き手をベルグは足を持ち上げる事で防ぐ、しかし足は骨まで貫かれる。だが身体強化を用いて回復力を強化、相手の腕ごと再生しようとして抜かれるが、手首だけで回された槍によってイニーの右腕はブチリという音を立てて千切られる。対して足でそれを拾い上げ、身体を動かす事で切断面を瞬時に付着。
傷を治す一瞬で槍に炎蛇が巻き付き攻撃を行なおうとしたところで、肩から生えた腕と治した両腕で掴まれた白い刀身を持つ短剣が四方から巧みな技術をもって振るわれた。
笑みを深くして相対するベルグはそれを蛇と槍で防ぎ、反撃を行なう。
痛みは戦いの延長戦だ。
迫る死は互いに移る鏡だ。
それこそが争いとベルグは戦意を燃やし、それでこそ殺し甲斐があるとイニーは狂喜する。
ベルグの槍が振るわれる度にイニーの身体は粉砕され即座に復元。イニーの四腕が振るわれる度にベルグは額に、腕に、足を深く切られ即座に回復。
無限に続くような文字通り身を削るような争い。
それに飽きたわけではないだろうが、イニーが背中から生える片腕を抉られそれを内側から爆ぜさせると同時に後方へと飛び去り、近寄るのを防ぐために地面へ『剣林』を展開。
強引にベルグは足を進める。地面に生える剣たちを長く持った槍でなぎ払い、その隙は蛇で埋めながら縦横無尽に突き進む。
突撃槍。敵を殺すまで突き進むその姿。
付けられた異名は、伊達ではない。
イニーも流石と言うべきか。突撃を敢行され動揺の一つも見せずに融解した壁の一部や無事な壁、破砕された欠片全てを使い、武器の嵐を作り出す。
四腕と武器ら全てを避けるのは不可能。理性的な判断が出来るのならばそう考える。
しかし、行なうからこその一流。行ない得るからこその突撃槍。
「――いい度胸してんなぁクソガキィ!」
踏み込む炎が荒れ狂う。首や胸、両腕を狙う武器だけを集中して溶かし、それ以外の全てを受ける。
「貴方こそ最悪をよくも避ける」
風が吹き払う。死地の中から突き出される槍を、蛇を、炎の渦を、その手に持つ白い短剣で切り開く。
ベルグの背に槍が刺さり、足に短剣がつきたてられる。
だが、その程度。無数に迫る武器とは言え一度に直撃する数は多くて十数個。ならば最低限防ぐのは難しい事ではない。
それでも多少は動きを封じられる形になるが、攻撃に集中すればそれすらも大した事ではない。
だからこそ、ベルグは嵐の中で戦い得る。
対してイニーにも限界は存在する。派手に術式を使っている事からくる消耗の激しさ。身体変化による傷の復元も完璧ではない。
何よりも、強化されているとは言え体力差だけは埋める事が出来ない。
四つの腕が不規則に動く。関節すらも無視した動き。自在に伸びるそれらは必殺を狙う一撃。それを防ぎ、燃やし、反撃を行なう。
難攻不落。隙を見せず、更にイニーの手をこの状況下で微かな足運びと位置取りで潰す手腕。伊達に内乱を生き残った男ではなく、異名を持つ男ではない。
だが。故に。
イニーは殺意を充実させる。
足を一歩右に動かす。ベルグは腕を動かしそれに合わせて左半身を前に出し、繰り出される槍はイニーの髪と耳を奪いさる。
放たれる必殺。動く四腕が耳の代償として奪うのは、額。
神速で放たれる刃は、先ほどから幾度も狙っている額を切り裂く。即座に治癒しようと術式を展開、しかし。
「……ここから本気か」
傷は塞がらず、流れ出る血はベルグの視界を赤く染める。
「ルッケンバス作三格神具『骨喰い』でして」
アネハクトラム・ルッケンバス。問題は数多く世に広まる程、超一流の鍛冶士。作り出す武具の多くは三格といわれているが、準格に届くのではないかとも評される鍛冶士。
強力な事である代償とも言うべき欠点は、意味のない条件を達成しなければ効果が発揮されない事だ。
「イカレ鍛冶の作を使うてめぇも正気じゃねぇな!」
槍を回転させながら引き戻しつつ、柄に近い部分で胴を払う。左二本の腕と白い短剣で巧みに防ぎ、更に左二本で攻めるも、更に槍を動かし迫る腕を牽制する。
もう少し離れていれば、ベルグの方が遥かに有利。だが下がらせないのは矜持だけではない。発せられる殺意。下がれば、下がるための動作をすれば、そこから一気に崩れる。
下がらないのは安全策と言っていい。このままの攻防を続けていれば、幾らイニーが回復を阻害する武器を持っていようともベルグの方が僅かに優勢にある。これ以上の付け入る部分を与えるのは愚策。
考え、考えた果て。現状のままに、押し通る。
槍と四本の短剣が繰り広げる応酬。
徐々にと、イニーは押され始めている。
惚気 …… やる方はいつだって無自覚なのだ。性質が悪い。
痩せる方法 …… 他にも方法があるが大抵は不評である。
アネハクトラム・ルッケンバス …… 特務部隊の出ていない一員。多分出る事はないし作者的にも出したくない。部隊員の武器は彼の趣味作である。




