狂宴 ④
「この雪……。馬鹿者共めまさか、いやありえるな。チッ、リーゼ・アランダムは何をしている」
イライラとした口調で三格神具である曲刀を操りながらウィニスは舌を打つ。
対峙する彼女をまるで意識の外においているかのような振る舞い。しかし、文句を言う合間にも隙を見せない。
「お仲間の仕業でしょうか」
剣を振るい、油断せずに一歩下がるのは五軍副将軍トレクナル。険しい顔に僅かな怒りが見える。
「仲間とも呼ばれたくない、不愉快だ。ああ、挨拶がまだだったな蒼騎士。会議の際に廊下で共に待った仲だ。下るのならばその四肢を切り落とすだけで許すが?」
剣を振るい、刃に付いた血を払う。二人の間には死体が一つ。
付けられた四人の暗部は居ない。邪魔だと考え別の場所にまで走らせたためだ。
対して、トレクナルにも部下はすでに居ない。ここに来るまでに二人、つい先ほど一人。そして残りの一人も先ほどの奇襲で首を断ち切られた。
「……その傲慢、流石は八軍の副将軍と言う所でしょうか」
ウィニスに二つ名はない。まだ表舞台に出る程の功績が上げて居ないためだ。
だがそれでも実力は本物。幾多の戦を潜り抜けたトレクナルをして楽には勝てないと思わせるだけの威圧があった。
「鳥に対して施す慈悲としては最上だろう。ああ、言葉はもう少し砕けても構わない。私と貴様は同格だ。しかし、聖将軍は私から見ても素晴らしいと思うのだが裏切る必要なぞどこにあったのだ?」
口から漏れる毒をトレクナルは受け止める。放たれた言葉は正論だ。誰が見ても彼女が正しいと口を揃えて言うだろう。
理解してなお、前を向く。
「ええ、その通りです。それと勘違いをなさらず、私は聖将軍を裏切っていません。この度の愚行は国のため、聖将軍のためになる行い。そう信じております」
剣を両手で持ちながら術式を展開。
集合しようとした水は、しかし凍てつき集まろうとする傍から大地に落ち、割れる。
「……水術の操作が難しい」
おそらくこの空間内全てがそうなのだろう。
水は凍り。ならば火は弱まる。
「作ったそばから凍るとは、厄介だな。やれやれ、全く。蒼騎士、すまないな。本気の貴様を屈服させる気だったのだが。これでは勝負になるまい。早く頭を」
垂れろ、と言おうとした傍から水の線、いや氷の刃ウィニスの首を掠る。
早くもと言うべきか。この順応性の高さ。
「凍るのならば、始めから完成させればいいのでしょう? 水ほど万能ではありませんが、やれない事はない」
「はっ。流石は蒼騎士。世に名高い空の水面を封じられてその戦意は見習いたい所だが、そうだな。いい加減、これを最後通告とするつもりだが。降らないか? 私が大々的に喧伝している『灰燼に口付け』は正直名前からして恥ずかしいが、アレの利便性は中々だ。ついでに言えばもう一つ、見た相手は殺してる術式もあってな、四肢を奪うのは冗談として受け取り、降れトレクナル副将軍。同格の誼だ」
実際にそれは最後通告。もしもこれを断れば後は、どちらが息絶えるまで続く死闘を繰り広げる事となるだろう。
切り札である『空の水面』を一気に完成までもっていく事は不可能ではない。だがその隙を見逃すウィニスではない。だが、しかし。
実践に慣れていない。いや、同格や格上との死闘を演じた経験の薄いウィニスは判断を過つ。
「礼を言います、ウィニス副将軍。貴方の甘さに。――生憎、生き汚い女でして」
剣を構え走る姿に嘆息したウィニスは、一瞬に表情を変え苦い顔でその場から飛び退く。
先ほどまで居た場所には無数の刃が突出され、更にその刃からまた無数の刃が生成される。
「物質生成系か。ああ、もう。私は甘い、判断が甘すぎる。くそ」
毒づき迫る刃を斬り払う。自動で動く刃ばかり意識を向けるわけにはいかない。更にいつの間にか後ろに回りこんだウィニスの剣が背に迫る。
地面を蹴りつけて飛び上がり、空を飛ぶ事でその剣を避けるが、相手もまた心得たもの。翼をはためかせて同じように宙へと飛び上がる。
「この程度だと思いはしませんね?」
「ああそうだろうな。あの程度で副将軍に上るならば暗殺者と名乗った方が相応しい」
自動で生成される無限増殖の刃。術力が供給される限り刃は増殖を続ける。
だが、浅い。所詮はただの補助術式。真の切り札として温存しておくには弱すぎる。
「では。互いに遊びは終わりにして」
「そうだな、殺しあおう」
片や苦い顔で、片や挑戦的な笑みで。
空の戦いは始まる。
風を押しつぶすように放たれた豪槍を間一髪の差で避け、たたらを踏みながら後方へ避ける。更に連続で放たれる槍をどうにか防ぎ、逸らす。
突撃槍。それは穂先に刃がついている物ではない。巨大な鉄の塊、本来は騎獣に乗っての突撃に適した武器だ。並の鬼族では身体強化をしても振り回せまい質量。
それを易々と振るうのは、流石は異名で突撃槍と称えられる程。
見てからでは間に合わない。常人では捉えられない動きで放たれる槍を、視線などの動作から予測する事でどうにか避ける。
「相変わらず防戦やらせたらしぶてぇなてめぇ」
最後に突き出された突撃槍を剣の横腹で叩き威力を殺してから斜め後ろへ飛び退く。いや、違う。押し込められたのだ。
防ぐために行なった動作ですら反動が重い。鬼族の膂力から繰り出される豪槍。まともに受ければ剣もろとも貫かれて終わりだ。
「弱者は弱者なりに必死でね」
空間内に雪が降るほどの冷気が満ちたのは行幸と言っていい。
もしもこの空間を支配する術式が展開されたままだったのなら中位炎術『炎蛇』が巻きついた槍による一撃で決着が付いていたかもしれない。
それ程の実力者。一流と二流。努力で生めるには少々遠い、才能の差。
「後ろの奴らも守ってる割にゃ厳しそうだからよ、援軍に行きてぇんだ。まっ、まだ何で戦闘になってんのかわからんねぇんだがよ」
楽しそうに笑う声には不満などはない。戦う事を至上とする男だ。戦いの果てに待つのが確実な死であろうと、今の戦いさえ面白ければそれでいいのだろう。
何より、今から殺す相手はかつての上官。いずれは殺し合いをしてみたいと密かに思っていた相手だ。
図抜けた武勇もなく生き残る男。ベルグの常識で考えればありえないと言っていい。
幾多の争いを、実力もない子供が生き残る。
守ったとしても死ぬ者は多く居た。その中で生きている存在ならばベルグを争う理由に足る。
「ここで俺に付けば生き残れるが?」
「んじゃ死ね」
身を低くして駆ける。身体は単体で鋼の弾丸。当たれば砕ける死の突撃。
受けるわけにはいかない。時間を稼がなければならない。故にリーゼは仕込んであった術式を展開。
地面が突如開き巨大な壁を形成し直撃を防ぐために立ちふさがる。
「脆ぇ」
砕け散る。目の前に作った厚い壁があっさりと砕け、土煙が舞う。
突撃槍のベルグ。ここまで凶悪な相手だと言うのは、わかっていた。
だから、生き残るための策は備えてある。それは万全とは言い難いが、時間を稼ぐことは可能だ。
「埋もれてくれ」
仕込んであった術式を三つ展開。破片は棘のある茨となりベルグへと伸びる。足元は腰まである深さの穴を展開。
他者が居る場所に術式を展開するのは不可能。
だが、予めそこに展開するように式を組み上げ、術式に力を流しこむ事だけを目的とすれば話は別だ。
完全に先読みをした上で、術式の構成を維持するために思考を裂くという手順は必要だが、その分、奇襲としての有用性は計り知れない。
「だからよぉ、脆ぇんだって」
茨が炎によって溶け消える。穴はまるでまき戻されるように塞がり、中に膝まで埋めそうになっていたベルグを押し上げる。
炎は蛇。槍だけでなく身体にも炎を纏ったベルグ。これを相手に更に時間を稼ぐ必要を考えれば、死線を幾つか潜らなければならない。
「さてな!」
ここまででお膳立ては整った。リーゼが扱える最高術式は中位『土槍』だが、低位術式でも使い道は、ある。
剣を構える。肉体はすでに限界まで強化されている。
使える術式を思考から模索する。術力の残量から考えて、中位術式ならば『土槍』を七つ。低位術式ならば三十程度。
それだけの術力量で、イニーが敵を殺し終えるまで相手しなくてはならない。
壁の向こうで僅かに聞こえてきた声はすでに途絶えている。ならばそれはもう終わっているのか、それとも遊んでいるのか。
イニーが来るまでどれ程かは読めない。しかしそう長くはないだろう。
「んで次はなんだ? 壁か? 茨か? お得意のそれら全部が破壊されてからの棘か? つーか無理だっての。妙な寒さのせいで確かに術力の消耗は激しいがよぉ。てめぇみてぇにアホかってぐれぇの術力量の少なさはねぇよ」
それは明確な才能だ。
術式を操る才は人並みだろう。適正が一種だと言うのもよくある事だ。
だがそれら全ての足を引っ張るのが術力量の少なさ。
「いいや、お前の知らない戦法を見せてやる」
組み上げるのは時間を稼ぐ手。殺すなんて高望みをするほど愚かではない。格上を殺すのならば周到に万全を備え、策を幾重にも弄す。
それを行わなかった現状。いや、違う。
ベルグに関して言えば一人で戦う以上、奇跡でも起きなければ決して勝ちの目はない。
「あいよ。んじゃ遊びに付き合ってやんよ」
踏み込み。腰を落としたそれは本気の証拠。
発せられる威圧感は獣以上。向けられる殺意は純然なままに。
だが。
威圧感は四日前に視た国王に劣り、殺意もまたイニーに劣る。ならば臆する必然など欠片もない。
「ほらよぉ!」
ベルグは後ろに炎槍を展開しながら同時に槍を突き出す。
対してリーゼは足から作り上げる盾によって炎槍を迎撃し、剣の横腹で槍の軌道を逸らす。示し合わせたような、戦いの常套手段。
だが敵はその戦いを百以上もこなした歴戦の戦士。更にもう一段、槍を這い登りながら三匹の蛇が喉を狙い伸びる。
この状態から取れる手段の模索。
無傷で切り抜ける方法――経験には存在しない。
命だけは生きながらえる方法。百以上。その内で、先に続く最善。三つ。
三択。選ぶのは一瞬。
「ッ!」
剣を振り捨てて踏み込む。すでにここは死地。ならば更に一歩進むことに何の躊躇いがあると言うのか。
そも、内乱時に生きていたのが不思議な身。ならば今度も死と正の境を泳ぎきればいい。
蛇の顎が首元を掠り、長い身体が更に一度掠る。もう一匹は腕に絡まり絞め殺すように燃え盛り左腕が焼け焦げる。走る激痛を遮断。最後に一匹は足に突撃を行い、膝を焼く。
灼熱の痛みに声を上げそうになる前に痛みを全て遮断。地面を蹴る感触まで消失する。
ベルグの横を通りすぎ、転がる。一度の攻防。数秒を稼いだ。
更に紡いでいた術式を展開、土を槌の形に為し自分の身体を殴り飛ばし更に距離をとる。ベルグが反転しリーゼへと槍を突き立てるまでの時間はおそらく三秒。起き上がるのに四秒は必要なためこのままならば死は確定する。
「少しは喰らえよ?」
形にした槌をベルグに向けて破裂させる。向かうのは百あまりに分解された石の棘。
おそらく筋肉や鎧に阻害され致命傷どころか裂傷を与えられるか程度。だが、少しでも刺さるのならば。
「悪ぃ、美味くも不味くもねぇもんは喰らわねぇ信条だ」
その棘を物ともせずに、ベルグは地を踏みしめ瞬き程の速さでリーゼに迫る。
直線に跳ぶベルグへ階段上に石畳を隆起させ槍を上へと飛ばし、顎を強打。あの速さで、下からの攻撃。一度跳んだ時点で防ぐのは難しいだろう。
それでも大した痛みはないのだろうが。
「っと、先読みの上手さはすげぇな」
空中で一回転し、態勢を崩す事なく着地される。飛ばされた槍を炎蛇の術式を使い手元に運ばせる姿を倒れたままに見つめる。
すでに八秒ぐらいは稼げた。だが未だイニーはこちらへ来ない。
全くもって、ままならない。作戦ならばベルグをこちらで引きつけ分断。イニーは半数を殺した時点でリーゼの助力に来させるつもりだった。
半数も殺せば戦意が挫かれる。それができずとも圧倒的な殺戮は戦う者の心にヒビを入れる。そうなれば数は少なくとも暗部でも対等に戦える、という目論見だったのだが。
いや、だが。前向きに考えればこの状況は悪くない。
暗部の四人は未だ戦闘中。これは相手の実力が高いという事実だ。つまりイニーが相手の六人に手間取っている。もしも九人を相手にしていたのなら更に時間がかかったかもしれない。
「ベルグ、降参するなら、今のうち、だぞ?」
言葉と共に血が吐き出される。左腕は動かず、剣もない。足も肉まで焼けているのでろくに走れもしない。
痛覚を遮断していなかったら喋る事も出来ないだろう。動いても途中で足が無くなっている可能性があるため派手な動きは出来ない。
「時間稼ぎてぇなら言えよ。そこまで大盤振る舞いはできねぇがよ」
警戒をしながら一歩一歩と歩みを進めるベルグの足を止める事は、難しい。
学者二人から渡された陣を使うにも遠すぎる。用意した仕掛けは半分以上が無駄になった。
「聞きたい事がある。この傭兵団、ほとんどが退役者であってるよな?」
「全員だっつーの。言ったろ。あ? 言わなかったか? だから俺も声かけられてこんな楽しい事をやってんだ」
俺まで後三歩。それで槍を頭に突き立てて終了。
腕を失う覚悟で庇えば一撃は防げるがその後の一撃で確実に赤い月が微笑むだろう。
「んで、言い残す事ぐれぇは聞いてやる。三秒以内な……終わりだ死ね」
炎蛇が巻きつく槍が、落とされる。
最後通告 …… 大抵は死亡フラグになる。
時間稼ぎ …… 実際リーゼにしては十分頑張ってる方である。
術力量 …… 毎日術式を使っていれば少しは増える。一年で最高MPが10→11になる程度だけど。基本産まれで決まってる。




