5話 私は愚かなのだろう
「ふむ。確かに手紙の原材料は大帝国が作られた時代のものであるが、時間の経過が緩いのは面白い。時の流れをどのように切り抜けたのかは我としても気になる所であるな」
「僕はどうでもいいよ。それより隊長? 陛下が北進して三日だけど、どうするんだい」
部屋は相変わらずの一等地。東の大都市といわれる都市に特務部隊はまだ駐屯していた。
三日前にイニーやルカが動いたものの、特に成果はなく。適当に罪人をイニーのエサとしてごまかしながらの三日。単純計算として三人だが、生憎とリーゼが処理した書類上では七人の犠牲者が出ている。一般人が居ないのは救いではあるのだろう。
「人形使いの目撃情報が東に半日の砦周辺にあった。確実に罠だろうが、行かないとそれはそれで問題があるだろう。こっちの軍も今は手一杯だとさ。嬉しい報告だろ?」
「ああ、喜ばしい報告ですね。王国とも遠くなり、聖将軍らへと確実に仕掛ける道化師団から離れ、更にはルカの狙っているキーツさんの目撃情報からも背を向ける。確かに愉快です」
心を突き刺すようなイニーの言葉だが、だからと言って打てる手があるわけでもない。
いや、すでに打っているというべきか。ウィニスらはすでに、他の血族を追撃して西へと向かい。聖将軍らは王都へ帰還する最中に、何故か逃亡戦に似た状況へと移行した。
身体変化を巧みに使ったキーツの手腕なのは間違いがない。それにした所で聖将軍が易々と嵌りすぎているため、逆に罠を仕掛けているとリーゼは見ている。
遠く離れた場所なため詳細を知る事はできないが、だとしても予測は可能だ。
「厭味の切れ味が鈍いのは膠着状態のせいか? 安心しろ。明日にはおそらく、人形の血族と殺しあえる。犠牲者は今のところ五十人。相手の戦力は万全だろうからな」
「? なんで相手が万全だと、戦えるの? いつもは準備できてないところで攻めるのに」
問いかけに答えるのはリーゼではない。これぐらいのことならば隊長の思考を煩わせるまでもない、と考えたわけではないにしろムーディルの口が開かれる。
「ふん。自虐童子よ。一つ教えるとだな、奴らは己の術式に絶対の誇りを持つ。血族であるが故にな。ならば、その術式が最大限に発揮されるように誘導すれば奴らは逃げぬのだよ。罠の血族が逃亡している理由はそこであろうな」
追えば逃げる。だが、追わなければ己の最高術式が必殺であると自負する者ほど、その術式が最高の状態で扱えるような場所を整える。
それが相手によって誘導されたものだと気づいていたとしても、逃げるのは誇りが許してくれないものだ。特に血族などという特別製のものたちは。
「必勝の勝ち筋があるんだろうね。僕らを殺せるか、どんな状況に追い込まれても逃げられるような。とは言っても、僕らは戦うだけだよ。相手が何をしてきてもね」
「お前らが変に有能だから俺は指示を下す暇がなくて詰まらないけどな」
強がりではないだろうその言葉に全員は無反応。わざわざ言葉にする意味もないということなのだろう。実際にリーゼが下すのは大まかな方針と警戒の単語のみだ。
相手が余程な策を仕掛けているのでもない限り、特務は個々の判断で窮地を切り抜ける。それだけの実力があるからこそ特務であるのだから。
「何はともあれ怪我だけは気をつけろよ。リベイラの奴が居ない以上は、下手をすると死ぬぞ」
「あははは。私は多分だけど死なないよー。でも三人は危ないんじゃないかな?」
「へぇ。ルカ、いつから危険かどうかを判別できるようになったんですか? 僕が殺す時も止めるようになりましたし。心境の変化ということですかね」
「んー? よくわかんないなー。私はあんまり変わってないと思うよ?」
言葉の内容は、三人としても頷けるものがあった。リーゼはまだつきあいが短いため判別の難しい部分があるが、他の二人は内乱以後からの付き合いだ。
その二人が同意を示す表情をしているのならば、間違いではないだろう。また同時にイニー自身にもかかることでもある。
丸くなったという言葉では僅かに違和感が残るこの状態は、いうなれば。
「……子供じゃなくなった、ということなんだろう。好きな事をするには変わらないけどその他の事も目端が効くようになったって事じゃないか?」
「まるで僕らが今まで子供であったかのような言い分ですね。貴方より長く生きていますよ?」
「……お前がどう思っていてもいいんだが、そういう風に見えるってだけだ。実際のところはともかくな」
内面と外面の年齢が違うとしても、生物の多くは外面に性格が引き摺られる。
数百年を生きて一周したと嘯く二十座の一人を見た後では多くの者がそう思うだろう。それとも力ある者は傲慢さから子供のような部分があるものなのか。
「そういう事にしておきましょうか。もう一度言ったら警告なしにその首を切り落とします。さて早く移動しましょう。人形使いに万全以上を整えさせる気は隊長さんにもないでしょう?」
険しい目をしながら、軽く投げられた短剣をどうにか避けたリーゼは口を動かすことなく頷いた。自ら首を差し出すほどの勇気を持ち合わせていない事は本人にとって幸運だろう。
「あー、ルカ。お前は暗部の奴を二人ほど引き連れて少しばかり先行してくれ。ただ一人で突っ込むなよ。殺せそうに見えてもだ」
「あはは。わかったー、でもわかんないよー?」
言葉を聞くや否や、ルカはすぐに窓の外へと飛び出していく。これでイニーを抑える者も、どころか最悪キーツがルカを引き抜きに来た場合、打つ手はない。
「妙なところで賭けにでますね? 僕がそこまで甘いと思っているんですか?」
「お前は合理的だから、俺をここで殺すより従ったほうがより多く殺せることを知っているだろ。ルカには、まあ会ったらどうするかを聞かせておいた。アイツの望みになるようにな」
それが何かを問おうとイニーが口を開きかけるが、先にリーゼが動く。その背を見た三人は問いかけるだけ無駄だと思い準備を開始する。
問えば、教えるぐらいはしただろう。しかしわざわざ互いにそうしなかったのは互いの管轄が違うと感じたためだろうか、後ろ暗い策謀はリーゼが行い、実行するのはイニーたちだ。その理由を一々考えて次に得られるものがあるかと言われれば首を傾げるものだろう。
各自で世界を敵に回す予定があるのならば、覚えておいて損はないが今はまだその予定は誰も持っていない。
「何はともあれ僕らは戦うだけさ、イニー。君が殺してくれれば僕らは楽で嬉しいかな」
「で、あるな。数が頼みの人形使いの目論見は疲弊させる事であろうが、我らには然程の苦ではなかろうな」
「そこまで愚かな相手ではないでしょう。そんな血族ならとうの昔に滅んでいます。疲弊させるのは目的でしょうけど、隊長の言い分ではありませんが何を目的としているかで厄介さも変わってくるでしょう」
三人は軽く言い合いながら部屋を出て行く。部隊単位ならばともかく、個人単位の戦闘でリーゼが口を出す必要はない。あるとしたならば緊急事態とでも言う時だけだ。
「こっちは問題ない、聖将軍のところは僅かな不安要素。副将軍らは、心配するだけ損だな。しかし、千年監視者も忠告ならまともなものを出してくれればいいものを。俺の躊躇いが世界を変える、なぁ」
頭を抱えながら歩き。リーゼも静かにこの部屋から出て行く。
暗部の男が手配したのか、出て行った後にはもうその部屋には彼らが居た痕跡は何もなくなっていた。
―――――――
「ああ。面倒くさい。苛々する。憂さがたまるばかりだなあの敵は!」
追いかける。まるで女が男を追うように。いや、その表現は正しすぎて、全く正しさとは外れている。
「副将軍! つーか、一応連れてきた第四特務の奴ら全滅しましたよ!?」
「あっははは! もう私たちもやんなっちゃいますよ!」
「不愉快ね、この状況は。追えば追うほど被害が広がる、下策ではないかしら?」
すでに罠の血族の影は四人の視界から消えている。どのような手段を用いてかまではわからないが。
問題と言うべきものではないが、それでも違和感があるのは未だ罠の全てに術式が使われていないところだ。
術式陣を扱うか、それとも時限要素を組み込んだ術式を使うか。それを警戒していたのが裏目に出たというべきか。仕掛けられていた罠は全てが手製。
一度嵌れば即死する罠の大盤振る舞いだ。
「穴の底に即席の剣を敷き詰めるのは見習いたいものだな。アレは戦場で使えそうだ」
「いや、さすがに厳しいんじゃないっすかウィニス副将軍。罠をかける暇とかないっすよ」
「どうだろう? 土術と物質生成で巨大な罠を作れるんじゃないかなー。厳しいかな?」
会話の合間にも罠が降りかかる。無数の見えない糸が腕を切り裂き、それを即座に拾いくっつける。木で作られた槍が頭上から降り注ぎ炎で焼き払う。左右から土の塊に木の槍を指しただけのものが放たれ、双子の片腕を奪っていくが、即座に身体系術式により修復される。
先日から繰り広げられている逃亡劇。時間稼ぎのように、いや、まさしく時間稼ぎをされているとわかっていながらもこうして追いかけるしか手がない。
放置するには余りにも不安要素が大きい。だが、追いかけるのも被害を拡大する。
追いつくのが最上だが追いつかせない手腕は見事と言う他ない。そのための方策を考え付ければなお良いのだが。
「流石に殺されることはないが、どうすればいいのか。お前らは思いつかないのか?」
「難しいっすね。物量で囲むのは無理で、空からも厳しいっすからね。地面も無理でっとなると眠らずの追撃だったんすけど」
「最初に向かわせた三十人が一気に罠で死んだのが怖いのよねぇ……」
思い出すのは、進めば進むほど増えていく死体だ。逃げようとした死体すら嘲笑うように破壊されていたのは罠によるものに違いない。
本人にまだ会ってはいない。そもそも顔すら見ていない。それでも、会えばそいつだとわかるような確信が全員にある。
「きっと追ってる罠の血族は性格悪ぃっすね」
「だと思うよー。底なし沼みたいな罠を作るような性格で陽気だったら逆に怖いって」
双子の会話に、前と後ろを走る二人は何も言わない。ならばそれが四人の統一見解だ。
性格の悪い、罠の血族。おそらく男、理由はリベイラが罠に残る僅かな残り香や罠から見て取れる心理からの推察。加えて体格や、どのような武器を所持しているのかも見当は付いている。
「追いつけば殺せる。だが、追いつけない。あの男が居れば楽だったろうにな」
「そうね。緑の血族ならどのように追えばいいのかを最短経路をして見分けられるから楽なのに。向こうもそれを承知の上で仕掛けているのでしょうけど」
罠を避け、または破壊しながら一行は進んでいく。終わりはすぐに見える。罠の血族が逃げるのは西にある『不眠の街』の名で知られる都市だ。
王国でも治外法権と名高い都市のひとつ。先日の騒動では、双子と医術士であるリベイラは立ち寄っていた。もしすればその時には何かしらの細工があったのかもしれない。
「……あの都市は面倒だな。入られる前に片をつけたいところだが、やれると思うか?」
「いやぁ、俺は考えられねぇっす。……お前はどうだ?」
「私も無理ですねー。手が足りないですよ。リーゼ部隊長ならアレで何かしらは考え付きそうな気はしますけどねぇ」
例えば。相手の意識をこちらに向かすのではなく先んじて目論見を見破っていると見せ付けることで追い込む方法や、意識を次に向けさせたままで捕縛する方法がある。
事がここに至ってはリーゼと言えどもそうするのは難しいのだが。
「相手の思惑に乗るもの癪だ。犠牲を覚悟で行くぞ」
「……ま、副将軍の命令には逆らえませんからねぇ」
「それにリベイラさんが居るなら死ぬことはないですよねー、多分」
ウィニスの言葉に乾いた笑みを浮かべると、二人は加速する。そして、ウィニスは一人空へと羽ばたく。阻むために仕掛けられた幾つもの罠を文字通り切り抜けて。
そして最後尾をゆっくりと、リベイラは溜息をつきながら進んでいく。
「何にしろ、ね。ええ。何も失わずに済むにはどうすればいいのかしら」
問いに答える声は当然、存在しない。