3話 何をしているのかと君は問うだろう
国王が東北部へと向かう。この報告はある意味、王国を揺るがせた。いや王国以上にむしろ他国の方が影響は大きいだろう。
帝国などは気が気ではない。二十座が八座である帝国の竜も国境付近に陣取り、監獄国もまた帝国との境界に二十座が三座を送り込むだろう。
その他にも水面下での動きは無数に生じている。数え切れない動きは混沌を作り出すかのようであり、だがしかし同時に道化師団が現れるであろう南部は凪の状態に移行する。
五連盟との会談。それも、王国の領土で。受けた五連盟も五連盟だが、彼らの成り立ちを考えればそれもまた策の一つなのだろう。更にこの状況である程度の儲けを見込んでというのも否定は出来ない。
王国の国王が動く。否。二十座でも二から十座が動くというのはこれだけの影響を発するものだ。一人で万軍を相手に出来るといわれる者なのだから、いっそ当然とも言える警戒態勢だ。そしてならば、王国もこの機会に攻めてくる可能性のある他国への警戒を行わざるを得なず。
国王が動く。
言葉は軽い。国王もまた腰が軽いため頻繁に動く事がある。しかし、公式の場で動くという事はそれだけの大事に発展してしまう。良くも悪くも騒動の中心になってしまうのは、王という地位以上にその実力が余りにも高すぎるためだ。
「最初の内は、実力が地位に直結していたんだろうな。今は、上に立つのに能力こそ必要だが実力は然程は気にされない。これは人の学習なんだろうか」
王が百人程度の兵を連れて王都を離れていく光景をリーゼは苦い顔で見送る。
言葉に答える者は、当然のように誰も居ない。部屋には少なくない人数が居るというのに。信頼がないと言うよりは答える気にもなれないのだろう。
「ねーねーリっちゃん。さっきね、暗部の人から聞いたんだけどー」
「……ああ、大丈夫だ。わかってる。まあ、こっちに来るだろう。裏切ったとしてもそうじゃないとしてもな」
此処にきて、リーゼを悩ませるというべきかそれとも頭痛の種と言うべき問題が浮き上がった。
真実はどうかは判別が出来ないところだが、キーツが裏切った。これが仕事の一部なのか。それとも本当に裏切ったのか。リーゼとしても考える情報が少なすぎるが。
検討をつけるのならば。
「完全に裏切ったという前提で進める。警戒はしておいてくれ。ルカ、お前はアイツの変化を見破れるんだったな。警戒してくれ」
「はーい。でも殺さなくてもいいんだよね? あんまり殺したくないよー?」
そこはどちらでも殺しにかからなければならない部分だろう。計画ならば疑念を持たれてもいけない。真実ならば早い段階で殺すのが最善。
何より、キーツは一度道化師団へと潜入している。経緯などは不明だったとは言え二度も嘘の入団を許すほど甘い集団であるのならば長く存続しているはずもない。
「……そこら辺は任せる。逃がさなければお前の好きにしていいぞ」
「はーい。わかったー。頑張って捕まえるね?」
最終的に殺す事になるだろうに、とはリーゼも口にはしない。捕らえれば内情を聞くこともできるのだから。
ここでの問題は、ルカが裏切る可能性が少なからずあるという事実になるが。そこはイニーやヒロムテルンを使う事で牽制に回すしか手はないと言うものだ。他にあったとしても短時間で打つ手では穴が出る。破れるのを前提として消耗をするよりも行わないことで警戒をする事で消耗を回避する。それが基本的にリーゼの思考だ。
「当面は、東に向かうことにする。ウィニス副将軍らは西だな。途中までは、陛下の護衛も兼任する事になるぞ」
「……何だと? それは、非常に面倒な事態であるな。だが何故我らは今ここに居るのだ?」
「僕らを民の前に出したくないからでしょう。僕は自分で言うのもなんですが、人に不快感を与えない自信がありませんよ?」
「あはははは。イニーちゃんと身体洗ったり服をきちんとしないからだよぉ」
楽しく会話をしながらも殺意をぶつけるイニーのことは視界に入れることすらせずにリーゼは頷いた。
理由は間違いがない。同時に、僅かでも隙を見せて誘うというのも狙いなのだろう。
二十座が七座に挑むような愚か者が居るのならば、だが。
「東、か。しかし縁があるな。俺はあそこに呪われてるんじゃないか?」
「ふむ。確か貴様の初陣もあそこだったか?」
「初陣はもう少し北部寄りで盗賊退治だ。知ってる奴は少ないだろうし、調べる奴も居ないだろうがな。ただ面倒ごとは東で起きるのは多いかもな」
これから向かうのは東。そしてリーゼの直感では残念ながら、何かが起こるとすれば東の砦近辺だった。
予測では更にもう少し東が怪しいが、どちらも信じるに値する。
「……砦周辺から警戒を強くするぞ。何かがありそうな気がする。陛下が居る以上、そう面倒な事態にならないとは思うが、陛下の護衛が終わる東の都市あたりは危ないだろう」
「ああ、わかった。そうだね、とりあえずは五連盟を見つけ出して捕縛しないとだね。そうすればあの道化への道が開けるだろうから」
戦意をむき出しにするヒロムテルンは不安要素となっている。告げなければ良かったかとリーゼの脳裏によぎることがあれど、それでも何も知らない状態で相手の口から聞くのとどちらが良いかは、やはりその時になって見なければわからない事だっただろう。
「……まあ、いいか。道化師団ばかりにも構ってられない部分じゃあるんだがな。帝国騎士、残党なのかそれとも新しい集団が潜ってきているのか。聖騎士のあの二人だけとは思えない部分がある。六連合はある程度を見逃す必要があるからな」
「何故、我に言う。いやだが、消去法か。確かに我にも貴様にも残念なことに、まともな会話が出来るのは我しか居ないようであるな」
「ああ、それは俺としても頭の痛い問題だ。ニアスでもいればまだ頭の中で纏めやすいか、いい意見が聞けたはずなんだが。言っても仕方がないな、それじゃあそろそろいくぞ」
立ち上がれば他の隊員も同じように立ち上がり部屋から出始める。リーゼの命令を素直に聞く、ばかりではない集団。
「……もう少し聞き分けのいい奴らが部下だったらなぁ」
「おや。僕らは十分でしょう。貴方に危害を加えていないのですからね」
言葉は確かに頷けるものではあったが、それでもリーゼは納得が出来なかったのは言うまでもない事なのだろう。
―――――――
「もしも今の状態を誰かが見下ろしてたらどう見えるんですかね、キーツさん」
「さぁてなぁ。そんな事が出来るような奴に心当たりはねーからなぁ。もしも居たとしたら俺らの動きは小さすぎて見えねーんじゃないか?」
自分たちが足元の虫を気にしないように、とキーツは言って、ディーニアスは苦笑を返し、ルエイカは淡く微笑む。
裏切りのキーツ。一度は道化師団へ入り、しかし裏切られるのがわかっていたかのように道化師団長は何も伝えなかった。
そして二度目。裏切られたことなど気にしないように、彼らの団長は目的を伝えた。そしてキーツという男はあっさりと王国を裏切る事を決意したのだから、笑えない。
「成程。でも、俺らは小さい動きが気になりますよね。それで特務部隊はどうするんですか? 放置ってわけにもいかんでしょ」
「いいや、それでいいでしょ。下手にちょっかいかけたらこっち死ぬしねー。幾ら俺でもさぁ、ルカとイニーの怖さは知ってるもんよぉ」
笑う彼の言葉に炎の子供たちの筆頭、ディーニアスは僅かな不信を胸の内に隠して頷く。そしてルエイカは内心を見せないためかはわからないがやはり笑みを見せるだけだ。
それとも、これから行う事に緊張しているのかどうか。
「……俺はさぁ、最近入ったばかりでいまいちわかんねーんだけど。本当にその子だけで平気なのか? そりゃ陛下が居ないから少しは警備が緩むかもしれねーけどさぁ。あの不死者と宰相と警備兵を抜けるのは容易じゃないぜぃ?」
心配する言葉は軽い。やはりそれは、彼の性質からくるものなのだろう。本音のように聞こえない本音。逆に言えば、どんな言葉でも虚偽を疑われる。上手く使用すればそれは確実な武器となる。
「大丈夫ですよ。私なら、ええと。その、はい。きっと幸運が味方をしてくれますから」
計画とも言えない計画。しかし、その成功率は零か百の二つしか存在しない。そもそも、彼女はこんな時のために術式を鍛えた存在でもある。
聞いた時はあまりにも、キーツでさえも眉を顰める程に愚かな計画ではあったけれど。
「運命操作、なぁ」
口に出すのは、四大術式が一つ。適正を持つものがあまりにも少なすぎるために研究が進みようのない術式。
それは、運命すらも覆す。
「操作なんて大仰な扱いはできませんよ、キーツさん。私はただ、僅かばかり運を良くする事が出来るだけですから」
「それだけでも相当な話だと思うんだよなぁ。普通は運が良くなかったかどうかなんてわかるもんじゃないだろー?」
「そう、言われればそうですね。あ、今日のキーツさんは幸運寄りですから多少の無茶は平気ですよ。私は不運な方ですから怖いですけどね」
だから計画の実行日は違い日なのかと内心で二人は頷いた。当日に運が良くなるのを待つわけにはいかないが、その時は無理にでも幸運を呼び込むという事なのだろう。
どうにせよ、道化師団の三人は歩く。南部から北へと。今の状況こそが好機だと知っているのだから。
「特務が居たら、その時は逃げないといけないけど流石に遭遇する事はない、はずだねぇ」
「奴らは国王の護衛に行くってアンタの言葉だよキールさん」
「その通りだった。物忘れが激しいからさぁ俺。こっちに居るのは聖将軍だろうからその対処をしておかねーとなぁ。シルベスト将軍もいるから厳しいもんだ」
言葉とは裏腹に楽しそうな表情をするキーツに、ディーニアスは何故かと表情だけで問いかけた。声にならない問いかけ。
何故、勝てない相手に挑まなければならないのにこんな表情なのかと問うものだ。
「死ぬ覚悟はないんだがさぁ」
気づいたのか、それとも内心を吐露して信頼関係を得ようとでも思い立ったのか。おそらく本人でも内心がわからないままに、言葉は紡がれる。
「言ってみれば慣れと強がりなんじゃないかなぁ、俺がこうして此処に居るのは。まっ、信頼を示すってのもあるしねぇん。どうせ、死ぬわけはねーんだろ?」
「まあ、そうですね。信じてるなら死なないと思えるんじゃねーっすか。あの死なないってのは俺、どこまで信じていいかは疑ってますから」
道化師団として長く、キーツよりは長く在籍しているディーニアスの言葉は僅かな驚きを生む。
いや、だがしかし言葉は当然だ。道化師団の団長である男の言葉は「決して死ぬことはない」の一言。
原理は僅かに説明されたのもある。そして運命操作を持つルエイカまで隣に居る。それを理解していれば確かに死ぬことはないとキーツは納得をした。だが、それは思考停止の一つだったのだろう。
「うぅん。俺が君ぐらいの時はもうちょっと素直だったんだがねぇ」
「いやだって、死ねばそれまででしょ。俺らはそうだと思って生きてますよ」
「……でも、団長さんのいう事はきっと嘘じゃないと思うな」
聞きとがめたのか、それとも自分の心を守るためにだろうか。ルエイカは控えめに言葉を形作る。
本心かどうかはどうでもいいだろう。大事なのは、彼女がこう表明した事でディーニアスがどう打って出るかだが。
「あー。すまねぇ。言うべきじゃなかったな」
その言葉で話題は打ち切られる。
続けていればきっと僅かでも不和の原因となり得るかもしれないと判断したのだろう。僅かな亀裂程度で砕けるような仲でないとはいえ、これから始める仕事を前に無駄な亀裂を作る必要もない。
「ううん。私こそ、ごめんね。そういう事に気づいてあげられなくて」
「……気にするなよ。俺もお前も、立場があんだからよ」
キーツを起きざりにするような。忘れているような会話に苦笑を浮かべながら彼は二人にルカとの関係を思い出す。
一言で表せないようであり、唯一残った家族と表現できるような間柄。それがどう推移するか。
「誘って、来るなら楽なんだがなぁ」
口の中だけで呟かれた言葉に理性は否定を返す。ルカはその程度で動くような相手ではないと知っているからだ。
ならば何で動くのか。キーツを殺す事はおそらくないとは言え、今のルカを裏切らせるのはおそらく並大抵の事ではないだろう。
「まあ。その時になってからでいいかね。うし、お二人さん。そろそろ進もうぜ」
「あ、はい。すみません。……そう、ですね。ここで時間を無駄には出来ませんね」
「これから俺らが行くのは城だもんなぁ。無事に潜入できればいいんだがよ」
言い合う一行は聖将軍を霍乱するキーツと城へと侵入する炎の子供たちの二手へと別れる直前行動を共にする。