血族 ④
「よう。疲れたような顔してんな。遊びに行こうぜ」
「え?」
そうやって、この人は私を連れ出した。別に、嫌な気分じゃないですけど。ですけど、この人の言うとおりに動くのは少しだけ好きじゃない。
なんだか自分が子供に見られているみたいで、少しだけ癪な気持ちになってしまう。
「本当なら街にでも繰り出したい所なんだがな。アンタはちょっと身体が弱くて無理だわなぁ」
「無理やり連れてきた癖に、言いたい放題ですね。それに私にはミランデルネートという名前があります。アンタではありません」
少しだけ、これは本気で嫌だから、言う。身体こそ弱いけれどせめて心だけは気高くありたい。何より私は猫族だから。
例え金の血族がいるために最上位に上り詰めることができないとしても。私の心は私のものでありたい。
「そりゃすまねぇな、お姫さん。しっかし別にやりたいことがあるわけじゃないんだよ。単純にお姫さんが暇そうな顔してたからな」
「……否定はしません。けれどアレも仕事の内ですから」
誰かと会話をするのも、嫌いな人と話をするのも私の義務。次期族長の責任がある。
けれど、無理に行わなくてもいいのは事実だから、こうしてこの人に付いてきてしまったのですけど。
「まっ、どうせしばらくはこれが続くんだろ。初日が居ないぐらいで丁度いいんじゃね。焦らせるのもいい女の条件だって話だからなぁ。ところでよ、ムーテの奴がなんか馬鹿になって帰ってきたんだが何があったんだ?」
「それを聞くのが目的でしょう? 彼女と会った方は多くがあのような状態になります。美しいのもまた毒という例ですね。あそこまで重症なのは私も初めて見ましたけど」
「はぁん。太陽の美しさがどうとか言ってたけどそれが原因かよ。……無意味だろうによぉ。金と緑じゃあ違いすぎるだろ」
格も、序列も、運命さえも。余りにも差がありすぎているから。想いはきっと実ることなく枯れ落ちてしまう。
ヒロムテルンさんに対して軽い同情はある。私も一度は通った道だから。男女の区別なく魅了する美貌。君臨する者としてこれ以上ない程に整いすぎた容姿。
人族なのに。私たちのような猫族でないのに。
「本当に。いずれヒロムテルンさんも気づくでしょうから、今は幸せな夢を見てもいいのではないかと」
「傷付くのは後でいいってか。まっ、それもそうだな。後で失うからって捨ててたら今すぐ死ねって話になっちまうからな」
「経験は重要って事だな。一度経験しておきゃいい事もある。つー事でよ、俺に処女くれるのはどーよ?」
「……別段、それを大事にしているわけではないですが知性ある生き物として貴方を好みません」
いきなりふざけた事を言うのはこの人の癖でしょうか。するりと人の心に入り込む手腕は見習いたい。笑顔と口調と、声質はどうにもならないけど。
でも、人の上に立つような人じゃないと思う。どちらかと言うと率いる方。
「そりゃあ残念だ。……あー、ところでよ。ムーテと金の姫様が無理だってのはもしかすると撤回する必要があるかもしれねぇ。まあ、美人だってのはわかったんだが」
「……? どういう事ですか?」
ふと見れば、彼の瞳には緑が色濃く出ていた。千里眼を使っている、という事? 警戒のため? それとも趣味の良くない事のため?
「んー。まっ、アンタならいいだろ。ほい、暴れるなよ」
いきなり手を掴まれて、抱きとめられる。抵抗しようとした所で、視界が切り替わる。
「え?」
「皆には内緒だぜ?」
意識が遠くへ行くような感覚と共に眼に映るのは。
驚愕を顔に浮かべるヒロムテルンと、金の姫だった。
―――――――
木の上で風に当たりながら少しだけ心を冷ます。
「……わかっては、居るんだけど。それでもと夢見ちゃうものだよね」
外に向けている感情の熱は嘘じゃない。
燃え盛るような、とは言えないけど燻る火種は今も僕の胸に在る。
でもだけど、これでも僕は次期族長だから現実的な判断は出来る。何も本当にこの恋が叶うと思うぐらい馬鹿じゃない。
とっても残念だけど。
「夢を見るのは、此処に居る間だけ。だから、それまでは」
それまではせめて夢に漬かりたい。こうしてこっそりと金の天幕の近くに居るのもそういう気持ちの表れだ。
……護衛の人たちに殺されないように気をつけるの大変だけどね。
「あはは。こんな気持ち、初めてだ。僕が子供なだけだと思ってたのにな」
きっとこの先に恋をする事があっても、今日感じた気持ち以上はない、と思う。
大人になったら忘れていく事かもしれないけど。
「初めてというのは楽しいものだと思いますよ。ヒロムテルン・ドランクネル」
夜に太陽が現れた。そう思った。
少しだけ見蕩れて、かなり慌てて、だから木の下に落ちる。無様にも。
恥ずかしい。とても、恥ずかしい。
「ひ、姫!? 何で、いや、何故、こんな所に!?」
今も宴は行われている。金の姫ともなれば特別に拵えられた玉座と見まごうばかりの椅子に座り後の配下となる者の忠誠を受け取っているはずなのに。
僕も一応、それぐらいはするけど、序列最下位の血族。だからそこまで重要じゃない。
「ふふ。そんなに慌てていると、幼く見えますそ。しかしそれもまた、愛らしい」
微笑まれて、身体が熱くなる。変な風に熱い。風邪でも引いたみたいだ。
困る。諦めようと思っているのに。こうして会っちゃうとやっぱりそれが辛くなる。
「愛らしいって、その、困ります。勘違いしそうに、なってしまいます」
しどろもどろに言葉を吐き出す。不敬かな。でも、うん。困るんだ。好きな人にそんな事を言われたら、やっぱり。心臓に悪いから。
「勘違い、しても良いですよ。さて、ヒロムテルン。貴方に問います。貴方は、何を求めますか?」
焦って何も考えられない頭が少しだけ冷める。緩やかな視線と綻ぶような口元。だけど、声は真剣だ。
僕が何を求めるのか。僕は、血族の繁栄を求めるべきだと思う。それを口にするのはでも間違っているような気がする。この方が問いかけたのはきっと僕の意思だから。
「――その、まだ、わかりません。でも今は、貴方のために頑張りたいです」
黄金色の瞳を見つめる。今は出せない答えだけど。きっといつかは出してみたい。
出さないと、いけない。僕が何を指標とするか、聞きたいのはそういう事なんだから。
「可能性の塊。まだ己を決めていない、だからどんな未来でも受け止められる。それはやっぱり、面白いですね。答えた褒美、と言い訳しますね」
近づく、姫様が近づいてくる。だから膝を折ろうとして、首を横に振られて。
「……………………!? ……!?」
唇が、奪われた。
「頑張ってください。血族の序列など関係なく、私は貴方の瞳に心を奪われたのですから」
よくわからないまま、縦に首を振った。千切れそうなほど早く振って。
姫様が去っていく姿を見送って。
何もできんずに呆然としていた。そして、あの方が紡いだ言葉を意味を理解したのは結局、自分の家に帰ってきた時だった。
―――――――
「東、推定五百の一団。練度は低いよ!」
「んじゃ東を強行突破だな。族長は?」
「もう坩堝に向けて移動してる。赤と青と緑の集団で黒、銀、金の主要人物を連れていくってさ!」
僕は森の中を獣の形態で駆けて行く。人族の姿で駆けるのも、利点はあるけど。でも速度という点では獣の形態に及ばない。
今の状況は速度が必要だから。イルと僕。孤立させられた血族へと救援に向かう二人。
「でも、何でこんな事に! イル、君は各国を巡ってたよね!」
「さぁてな。三年ぐれぇしか巡ってねぇからわかるわけねぇって! ただよ、殺人血族が滅んだのが契機だと思うぜ!」
あの殺人血族が滅んだという言葉に唇を噛む。
数多存在する血族の中でも最悪と称される殺人血族。殺人王を筆頭に上位の術士たちの集団でもある彼らが滅んだ事による波及が広がった。そう考えるのが正解なのかもしれない。
けど見えない。誰かが糸を引いてるはずなのに。そうじゃないと血族を滅ぼすなんて流れになるはずがないのに。
「んじゃ、頭を討ち取れよ。この距離なら問答無用で殺れるだろ?」
殺す。人を殺す。その葛藤はもう通り過ぎた。姫のためにとは言わない。姫を守る僕の意思で殺すのだと。
だから、術式弾を紡ぐ。術力の大半を眼に喰われるから、最低限の力で紡いだ必殺の術式弾。
放てば、視界の向こう。指揮をしていた人の頭が弾けて騎獣から崩れ落ちる。そして、周りに居た人たちが悲鳴を上げた。収集をつけようとする副官らしき人へ更にもう一発。
これでこっちの一団は大丈夫。
「……これで、東から南下しよう。赤と青が今南側へ行ってる、んだよね?」
「ああ。俺なら見えるぜ。……ちょいとよ、銀の所に行ってきてもいいか? 胸騒ぎがすんだよ」
ここで二手に別れる言うイルの気持ちはわかる。なんだかイルはミランネートさんとよく会ってるみたいだから。
遊び、じゃないんだきっと。この眼を見ればなんとなくわかる。僕も、あの時に言葉にされた事を信じて今も想いを捨ててないから。
「じゃあ、ここで別れよう。また無事に会えたら、うん。その時は宜しくね」
坩堝で会えるかわからない。今の状況だとどうなるか、本当にわからないから。それでも会えたらきっと幸運だ。
「ああ。そうだな。んじゃお前も、無事に助け出せよ。んじゃな」
まるで今生の別れみたいに、けれどまた会えるような気軽さでイルが駆けて行く。
僕も出来るなら金の血族へ行きたい。姫の無事を確認したい。でもそれをしてしまったらケルンとブラウさんが危ない。あの二人も僕と同じ族長だ。生き残ってくれれば血族はまだ終わらない。
「急ごう。早く、できるだけ早く」
山脈の向こうに抜ければ六連合がある。異種族だけの彼らは聖皇国から逃げてきた人も多い。だから、六連合は僕らの敵には回らないでいてくれる。
連合の領土に入ることさえ出来れば。
「焦るなよ、僕。ヒロムテルン」
速度を増す。死なないで欲しいと願いながら僕は平原を駆ける。そして。
一日を賭けて辿りついた時には青と赤の血族は他国の兵とすでに戦いを始めていた。
「前線部隊下がって第二部隊と交換! 第四部隊左翼に突撃!」
ケルンが前線で声を張り上げて指示を下す。血族の瞳は全て色が濃くなっている。赤の瞳は術力をそのままにぶつけるというもの。
防御を無効とする絶対の圧殺だ。
「第三部隊、放て!」
言葉が矢のように放たれて、第三部隊の人たちが瞳の赤を増す深紅となって。
敵の正面部隊がなぎ払われた。
「うっし、そのまま俺らは内部から切り崩しちまえよー」
空いた部分に青の人たちが入り込んで内部を蹂躙していく。正面を確実に壊せるから行える戦法だ。でも乱発は出来ない。
ここぞという時に使わないといけない戦法だ。毎回こんな事をしていたらここを乗り切ることが出来ても次が危ない。
「ケルン、ブランさん。久しぶりです。次に行くべき進路は、西へ。王国は幸いこちらに手出しをする気配がないみたいだから」
戦場の中で入り指揮官の二人に近寄る。今は錬度の低い敵だからどうにかなってるけど、これ以後にちゃんとした軍団が来たらもう終わりだ。
「ロム! でも、コイツらは?」
「多分新兵と傭兵の混合部隊だから蹴散らしたら後は放っておくのが得策かな」
「だから手ごたえなかったのかね。いひひ。いい情報をくれたなぁ。ありがたいねぇ、多分俺ら捨てられた側だから親父ら驚くだろなぁ」
捨てられた? え? 聞いてる情報と違う。僕の聞いてる情報だと。
「望んで、壁となったって、金の血族を逃がす囮になったって聞きましたけど」
あれ。でも、そうすると。何で赤と青の二人は囮に? 本当に、金の姫を逃がすため?
それならおかしい。よく考えると不自然だ。それならここには、精強な軍団が居ないと筋が通らない!
「まさか、いや、でも」
「……まっ、アンタの考えてる通りじゃない? 赤と青と緑。何か企んでいるような気はしたけど。便乗して、金の血族、というより上位三族潰すつもり、とかね」
ケルンの顔は苦いものだった。当たり前だ。父親に捨石にされたんだから。でもそれ以上に、下位三族の大半が逃げられる事になるのは間違いない。
だって、上位三族を囮にしているんだから!
「僕は、すぐに金の血族が居る方向に向かう。赤と青は、このまま東南方面の移動へ変更!」
「そうね。それが、最善でしょうね」
「うーん。こっちとしても手助けをしたいんだがよぉ。無理だな。とりあえず東南方面に向かえば敵とは会わないって事でいいのかぃ?」
周囲を見渡す。うん、多分平気だ。罠を張ってるのは東と南。その中央は危ないけど、強行突破すれば抜けられる。少しでも抜ければ王国の防衛軍だって居る。
他の国も王国とは事を構えたくないだろうから、そこまで逃げられればきっと大丈夫。
「会ったとしても突き抜けて。戦闘は少なくて済むと思う。……二人とも、坩堝で会おうね。僕は、姫を連れてくるから」
見据えるのは遥か先。きっとまだ北部に居る金の血族。
間に合うか間に合わないかじゃない。間に合わせる。僕の命が尽きたとしても。
「ロム。ヒロムテルン、坩堝で待ってるわね。だからアンタも必ず来なさいよ。何をしてでも、絶対にね?」
「――うん。きっと」
僕は走り出す。大人たちの思惑なんて知らない。僕は、僕の愛しい人を助けたいだけだから。