21話 夜霧に迷い、朝日も見られず
「痛いな」
諸々の処理を終えて。リーゼら特務部隊は王都へと帰還した。最初にシルベスト将軍へと報告をしての第一声が、それだった。
「はい」
「ダラング・ハーベーの死は痛い。奴の齎した術式陣は計二百八十。軍の幾人かに配られているものだ。以後新しい物がないとなれば、それは厳しいだろうな」
「はい」
ダラングの死。見事なまでに、荒々しく首を刈り取られて居た死体。
リュミールの死体が綺麗に、殺すことだけを考えた結果ならばダラングの死体は怒りのままに首を刈り取られた結果だ。
不可解なのは。
「その復讐者の所在がつかめないか」
「はい。アイルカウの方には行かず、ダラングを殺しただけで満足したと見るのは不可解かと」
自身の獣が殺されたと言うのに何の仇も討たずに逃げるようには見えなかったと付け加える。
不自然なところはそれだけではない。
「あの少女が戦略級術式の可能性があったのはこちらでも裏が取れている。だが、奴らの目的をどう見る?」
全てが終わった後だから見えるものがある。渦中で目前を、いや三つ前のことを処理していては気づかない事も多角的に見れば理解できる事もある。
例えば不要な情報であったり。例えば無関係に見える情報であったり。
「道化師団の一人の暴走により、帝国騎士と衝突したと見れば全ては解決しますが」
この騒動を一つの線に纏めてみれば、騎士の目的が僅かながら見えてくる。
王国に被害を与える目的もあっただろう。八軍の実力を探る目的もあっただろう。どのような手を打つかを見るのも目的の一つだっただろう。
しかし計画は一つも成功していない。術式陣は未完成であり。少女は途中で殺され。送り込まれた騎士は一人も帰らない。
そもそも最初から全員が死ぬために派遣されている。同時に、南部で敵対した『蹂躙の蹄』が王国領内に出るという報告。
最後に。何者かが、否。五連盟の血族が五人王国へ侵入したという報告。それと同時に、陛下が道化師団の長と争い、その途中に少年が北部へと逃げたという報告。
ならば。騎士と道化には密約があったのではないかと思考が動くのは当然と言える。
「蹂躙の蹄が王国内に潜入する。どうやってかはわからないが、道化師団は血族らの助力を得る。そして、奴らが次に狙うのは何だ?」
復讐者を失った代わりに血族を得ようとしたのか。それとも捨てるつもりで血族を得たのか。
だがソレらの武力を使い狙うのは何だと言うのか。そして、国王から逃げられる実力があるというのに、まだそれ以上の力を必要とするのか。ではやはり、何故か。
「……奴らは、聖将軍を狙っていました。ならばあの方を得るためではないでしょうか」
「ふむ。……千変万化は、見ていないと言ったな?」
「はい。すれ違ったということはないかと思いますが。……もしかすれば、あの男が復讐者を殺した可能性もありますね」
ダラングを殺した直後。油断や隙ではなく全てを達成したと感じる直後ならばキーツでも殺すことが出来るだろう。いや、その状況ならば確実に殺せる。
誰にも言わずに姿を消した理由は復讐者ヲルトルの姿を借りて道化師団へと潜入するためという考えも生まれる。
「妥当だろうな。報告は以上か?」
「以上です」
頭を下げ部屋から出て行こうとするリーゼの背をシルベストは呼び止める。
初めてだ。例えどのような事であろうとも、彼は話を合理的に進める。だというのに、一度会話が終わった状態で呼び止めるなど。
「今回の功績を考えれば、貴様は次期八軍将軍だろう。私が不在時には八軍の指揮を執れ。ウィニスの指揮も取ってよいものとする」
「――――はい? 何を言っているのか、理解しかねます」
「貴様は将軍代理の権限を与える。ウィニスは指揮に向かない。奴は誰かの右腕として使われるべき者だ」
唐突に言われる言葉は将軍による任命だ。陛下が任せた八軍、その代行。本来ならば副将軍を任命する時にしか使われない。慣例通りならば、将軍と副将軍に何かがあった際には第一大隊長が指揮を執ると決まっているために。
ならば、確かに。第一特務が第一大隊と同じならばこの任命は納得いくものではあるが。
「……陛下に、許可を?」
「取った。私の許可なしにこの部屋の資料を閲覧する許可も与える。王城にある禁書庫の一部も閲覧しても構わない」
破格といってもいい程の権限だ。同時に、これほどの権限を与えるという事は。
「何があると言うのですか」
「聖将軍の護衛を私が担当する事になるだろう。その間の全てはお前とウィニスに任せる。特務の補充も可能ならばしておけ」
もうこれ以上を語る事はないと言う風にシルベストは口を閉ざし、解決しきれない疑問を胸にリーゼは部屋を退室する。
部屋に戻らずリーゼはリベイラの部屋に向かいながら現在の状況を整理する。
ニアスは城の監獄内で捕縛されており、ムーディルはダラングの残した研究資料の解析。双子は変わらず護衛であり、ルカやイニー、ヒロムテルンは警戒こそしているが常に変化がない。
「リベイラ」
「調査は終わっているわよ。材料は脳と心臓。そこから作った術力の暴走を誘発する薬と言った所かしらね」
ことりとおかれたのは三つの薬。一つはシルベストが持ってきたもので。一つはラウベイルフが持っていたもので。最後の一つはリュミールの身体を調べた際に得たもの。
「全てか?」
「いいえ。真ん中のはそれを抑える薬ね。材料は同じだけれど、彼女の血とかから作られているもの。それで彼女の身体を調べたけれど、本当にダメだったようね。麻薬に侵されていたのと似ているかしら」
脳はもろく。骨ももろく。肉体は半ば朽ち果てて。生きていたのが、動いていたのが不思議な程と言外にリベイラは言う。
あの弱いだけだった少女は、無理に生きていたのだとそう言っている。
「哀れだな。それで。他には?」
「あら。感傷的な言葉を期待したのに残念ね。それ以外は、特には。心臓さえ潰せば生き残れた可能性もあったとは思うけれどね」
「……それはお前の生であの子の生じゃない、と思うがな」
「あの子の願いはわからないわよ。それに、今際の言葉を聞いたのは貴方でしょう。殺し方から見てそれぐらいの猶予はあの子にもあったと思うけれど」
死体を見ただけでリーゼの拙い殺し方を悟られ、苦い顔を向ける。だがそれはすでに、もう終わった事でしかない。
例え終わらせていない者が居るとしても。
「しばらくすればまた別に任務が入る。その時はまた頼む」
「はいはい。なるべく誰も死なないようにして頂戴ね」
僅かな会話には嫌悪は残らない。彼女の切り替えが早い事だけは幸いと呼べるだろう。
何も考えず、ニアスとも会わず。リーゼは護衛を連れずに砦の外へとでた。雨季だと言うのに星が瞬く空は珍しい。
雨でも降っていればと思うのは、僅かな負い目か。
「あら。どうしたのリーゼ。そんな顔をして。彼を犠牲にした時みたいな顔ね」
ふと後ろから声が響く。水晶を思わせる透き通った声。どこかで、会いたいと思ったのだ。理由はきっと自分でもわからないが。
「ああ。ユーファか。……聖将軍が狙われる可能性がある、というのはもう聞いたか?」
機密ではないだろう。だとしても副将軍である彼女は知らなければならない情報だ。
もしもの時には彼女が五軍の指揮を執らなければならないのだから。
「いいえ。でも、予想は付くわね。顛末は聞いたから。それで貴方は何故そんな顔をしてるのよ。いまさら後悔でもしているの?」
何にと彼女は言わない。知っているからだ。それとも、過去に追いつかれたと思っているからか。リーゼには判断が付かないがどちらでも変わらないと結論付ける。
今だろうと過去だろうと同じなのだから。
「――していない。俺は、後悔をしないと決めた」
友を切り捨てた時から。ユーファを駒と見た時から。リーゼ・アランダムに後悔は許されない。行う全ては王国のためにすべきなのだ。
その一点だけは決して違えて居ない。死した者のために。殺した者のために。
「なら良かった。後悔なんかしていたら殺していた所よ」
笑う顔に嘘はない。夜の闇でも輝きそうな笑顔はそのことを明確に告げている。
それは二人の契約だ。あの内乱の時に誓った唯一の約束。犠牲にした者たちを忘れないように。犠牲にした事を忘れないように。
「それをするほど恥知らずじゃない。まさかそれを言いに来たのか?」
呆れたように笑って。どこか泣いているような口調で言って。
気づきながらもユーファは何も言わない。リーゼ本人がそれに気づいて居ないと知りながら。
「ええ。それじゃあ。ダラングさんの事は残念だったわね。誰か貴方たちの部隊にふさわしい人が居たら紹介するわ。じゃあね」
どこから聞いたのか、最後にそれだけを言ってユーファは堂々と去っていく。
姿を見ながら、苦笑が漏れた。厳しい女だと。
「ああ。当たり前だ。後悔なんかするかよ」
リュミールが最後に突きつけた言葉を思い出せば、後悔などした所で意味はない。彼女の最後の言葉は永遠にリーゼの脳を侵食するだろう。
『嘘つき』
何にかかった言葉なのか。それとも、聞こえたと思えた幻聴なのか。
言葉は呪いのように思い返されると予測ができてしまう。だから再度、後戻りは出来ない。助ける道の無かった彼女を殺めた後なのだから。
「ああ。そうだ。これ以上は嘘にできない」
抱きしめた冷たい身体の感覚も。浴びた血の熱さも思い出せてしまうから。
リーゼ・アランダムはもう、後戻り出来ない。
―――――――
其処は王城の中でも最も尊き部屋だ。入る者が限られる部屋だ。
「王たる資質とは何だと思う?」
一つの演目は終わった。何もかもが予想通りではなく。僅かばかり国王たる彼の書割を飛び出したものの大筋では変化はない。
「やれやれ。そんな事を僕に聞くかい? 言っておくがこちらは君のように暇な身分じゃないんだが」
国王が問うのは森人の青年だ。国王の雑務を一手に引き受けている青年は目の下を隈がある。
「……はぁ。そうだね。君を見ていると王っていうのは絶対的なものがあるんじゃないかな。魅力とか、力とか、譲れない願いとかね」
書類を高速で片付けながら森人の青年は溜息を吐く。
しかし、その程度ならば王国には十人以上はいるだろう。例えば、八将軍。彼らには力もあり魅力もあり願いもあるだろう。例えば副将軍。彼らの中、幾人かはその資格を持つ者がいるだろう。例えば商人や各都市の長。
王たる資格を持つ者は多い。王たる器を持つ者も多く居る。それでも、その中からファジルという男が選ばれた。
「でも、そうだね。君を見ているとわかるけれど愛国心はいらなさそうかな」
「選定の器が選ぶのはお前の言った者だ。間違いはない。その中から最も国のためになるであろう人物が選ばれる」
あっさりと、神具に選ばれた男はその条件を口にする。
「あの神具は悪辣だ。王足る者の命を吸い、使用される時を待つ」
「使用される時?」
アアンレスが問う僅かな疑問に王は答えない。推測をするならば、王を選ぶという効果が随時効果であり他にもう一つ使用効果が存在するのだろう。命を代償として。
「次代の王はすでに決まった。最大の資格を、あの男は投げ出した」
「最大の資格? ……後から答えを言うのは君の悪い癖だ。ユシナも君の言葉に首を傾げていただろう」
「最大の資格は奇跡を起こす事だ。王国の王は常に行えない事を起こす。逆に言えばそれを起こせない者は王足る資格を失う」
ならば、その条件ならば王になる者は大分絞られる。
例えば。八人の将軍だとか。例えば。内乱の英雄だとか。
「逆説だ。順当の結末を辿る程度の男ならば、王にはなりえない」
言葉は王の計画を表す。アナレスはそれに気づき、それを知り。
思考が停止する。
「なるほど。だけれど、それをしてどうする。ユシナを、あの子を王として。何が変わるというんだ」
枝葉を切り捨てて、ユシナを王とする計画。だが、王となった所で何の意味があると言うのか。この世界の何が変わるとでも言うのか。
「さてな。この話は終わりだ。次代の王はすでに決まった」
「……まあ、いいけれどね。君にそこらを期待する方が間違いだ」
溜息と共にアナレスは再度書類に向かう。
小さな窓から外を見るファジルは何も言わず、何も語らず。
しかし呟く。
「だが、あの道化の企みは何だ?」
何も理解できない、何も悟ることが出来ない。世界を相手に仕掛ける詐欺なのだということは朧気に理解できるものの。それが何なのかまでは国王ですら予想は付かず。
言葉は宙に漂い霧散した。




