20話 嵐の終わり
ハルゲンニアス・ワークという男は天才だ。大抵のことを要領良くこなし、並の人間を嘲笑うかのように高みへと登っていく。
特務に来たことで加速したソレは周囲がまた天才と呼ばれる人種だったからなのだろう。
それでも。過酷な大地に生まれ苛烈な主に攻め抜かれた彼女はもっと高みに居る。
「稽古はこれで終わらせていいかなぁ?」
とぼけた口調は最初から一貫して変わらない。腕と足が一本無くなったニアスの姿は死を待つ罪人のようだ。
これまで行ってきた罪が多すぎる。だから、此処で殺されるといても当然の事でしかない。何の意味もなく死ぬのだから。
「そっちはどうー?」
「予想以上に苦戦しましたが、どうにか。まだ、死んではいないようですが」
双子もまた敗北している。最初に殺したのも合わせて二人も殺せたのだから双子にしては大殊勲だ。代償は、腹部から生えている剣と、断たれた両足で贖わせられたとしても。
「うん。悪くない、悪くない。ルハエーラが死んでないなら良いけどそこまで高望みは出来ないかな。それじゃあ、あの子を連れて本来の目的地に行こう。薬を飲ませればまだしばらくは抑えられるだろうし」
――それとも、もう殺されてるかもねぇ。とは口に出さない。その可能性は高いと見ているのだが。リーゼ・アランダムが王国よりも個人の命を重視しているかどうかにより変化するだろう。
「こいつらはどうしますか?」
「んー。そうだねぇ。余り、脅威にはならないだろうから生かしてもいいかなぁ」
嘲笑する笑みを向けられるニアスは唇を噛み切る。馬鹿にされているのだ。
誰だって殺せる程度の相手なのだからと。後でいつでも殺せるのだと。
怒りを抱くのは敵にではない。力の無い己に対してだ。守ると言いながらこうしてむざむざと行かせようとしている。かつてのように間に合わなかったという事ですらない。
強さを求め、多くを切り捨てて来た。それでも届かない。守りたいと思った者を一人すら守れない。
「ああ。いい目だね。そういう目は素敵だなぁ。私が憎いかな? それとも、私を倒したいかな? でも、残念なんだけどね。私はここで死ぬから、君はもうその気持ちを抱えるしかないんだなぁ。ふふ、絶望しなよぉ?」
ニアスは、理解する。それは遅いものであったが、それでも理解した。ラウベイルフは拭えない敗北を刻みたかったのだと。
死ぬ者が残そうとする傷跡なのか、嫌がらせなのかまでは判断できなかったが。
「テメェッ!」
双子もまた同様に。伸びる芽を摘むことならば誰でも出来る。だが、むざむざと生かされた挙句に救いたい者を救えない。その疵は治ることなく膿み続けるだろう。
「じゃあねぇ、えぇと、名前も知らない誰かさぁん」
手を振って、ラウベイルフは一歩歩み。
「間に合った!」
闇から現れたルカが腕を振るい、帝国騎士の二人を路傍の石のごとく捻り殺す。
「ルフちゃんだよね! あははは! 遊ぼう! 私をたくさん痛くしてくれる人だもん、たくさん遊ぼうよ! 動物だとあんまり楽しくないしね!」
二人を両腕で撲殺すると同時、ラウベイルフを押し込むようにルカは走る。
勢いが強い。そして、ニアスとの力量差ならばともかくルカのような実力者と争う場合代用の腕では手が余る。
「あははぁ。復讐者さんは、死んだのかなぁ?」
「わかんない!」
言葉少なく答えだけを返しルカは笑いながら拳を突き出す。全てを砕く『虚砕き』を前にしては、その拳を避けるのが正解だ。
双子の妹が持つ大斧を先に取っていれば良かったが、己の趣味を優先した結果という事だろう。
「これは困ったなぁ。ねぇねぇ、戦うのはやめない? 私ねぇ、痛いの嫌いなんだよぉ」
「嘘はダメだよー? だって、ルフちゃんは私に痛いこと沢山してくれたよね? 私がお願いしなくてもそうしてくれたんだから、痛いの好きなんだよ!」
会話が通じない。言葉を交わすことが出来るが、どこか一つずれている。
例えるならば異次元の生物と話しているような違和感が付きまとっていた。
「あぁ、そうなんだねぇ。君はやっぱりぃ、どこか壊れてるんだよねぇ」
身体を両断されてなお修復できる存在が正気だと思うのが間違いだ。内部に存在する常識だけで動く。なまじ会話が出来てしまうから誰もが誤解してしまうが、アイルカウはそちら側の人種だ。
「あははは! 私は普通だよ! イニーみたく笑ったりしないもん」
不安定な足場でなお重い拳が放たれ、更に光術。舌打ちを飲み込みラウベイルフが斧を振るえば、肉を切り裂く感触が手に返る。
幾度も振るい、そして残る感覚は腕を一つ切断したと教える。だが、それで油断をしていれば負傷するのが前回の一撃で十分に理解できている。
「イニーというのは誰かわからないけどぉ、君はすごい怖いかなぁ」
死を恐れずに進み、確実に殺さなければ即座に傷を癒すことが出来る。それでいて、傷を受けようとするかのような行動。
ちぐはぐな印象に拍車をかけるかのように、小柄な身から繰り出される拳は重く鋭い。何もかもとまでは言わずとも、何か一つが歪であるため全体が狂ってみえるのだろう。
やけに冷静に分析してしまうのは、ラウベイルフの癖なのだろう。これから確実に死ぬというのに、先に続くものがあるわけではないのにそうしてしまう事に笑みを抑え切れず笑う。
「そうなんだー。あははは! 私あんまりそういう事は言われないよ! ねぇねぇルフちゃん! 早く私を楽しませてよ!」
そして、ルカの拳は振るわれる。
これより後はニアスが見て、誰もが予測する通りに語る意味も薄い殺し合い。順当に、当然のように、傷ついたラウベイルフでは番狂わせのような逆転劇は起こるはずはなく。
死の際に呟かれた「誰かを楽しませるばかりの人生だったなぁ」という言葉を記憶に残したのは、ニアスだけだった。
――敗北を刻まれた本人に対しては、最大の皮肉でしかなかったが。
――――――
戦は終わった。ダラングもすでに帝国騎士を倒し後方の彼らへと援護をしに走っているだろう。そこに意味はない。だが、治療という本来の領分で役に立つのは欠片も疑うことはないだろう。
「リュミール。お前のことを教えてほしい」
覚悟を決めて、彼女の前に立つ彼は剣を抜いている。殺そうと思えば、いかに彼が弱くとも彼女を殺すことは容易だ。
武器もなく、術式もろくに使えない少女なのだから。
「何で、ですか?」
雨の冷たさは感じる器官が失われているのか。それとも恐怖が冷たさを覆い隠しているのかまではわからない。
わからないまでもどこか冷静な頭は問いかける。聞かれた事にただ答えるような少女ではない。しかし何故かという理由に思い至る程に経験を積んではいない。
「誰にも知られないのは寂しいかと思っただけだ」
酷く感傷的だ。けれど、それは何故か共感できた。けれど、ならば。
「友達は、オルヴィン、ルビラット、フェイジル、カルヴァング、ペタ、トルアイという男の子が、居ました。みんな、研究室の子で」
少女は語る。彼女のことではない。途中で死んでいった友人のことを。
様々な理由でこの世から消えた彼らのことを。時間が過ぎるたびに胸の痛みは増していく。記憶を渡すことで命が削られていくような錯覚を少女へと与える。
「女の子も、みんな、仲が良くて。エイリーンという女の子は、みんなのお姉ちゃんで」
最初はそれなりに幸福だった生活だ。誰かが消えるのは、きっと幸せだから帰ってこないんだと誤魔化していたけれど、それでもまだ幸せだったのだろう。
少女は語る。彼女のことではない。途中で死んでいった友人のことを。
話して。喋って。記憶の限りを尽くして。その言葉が段々と枝葉に伸びていく。
彼は剣を向ける。
それ以上の言葉は、無駄だと言うように。聞くべきことは聞いたと告げるように。
「……それ以上は無様になるぞ」
「わ、私は」
「帝国では死後に英霊になると聞く」
「私、は」
「墓も作ろう。帝国の葬儀も知っている奴が居る」
「私は」
「お前の名前も、お前の友人も、名は覚えた。償いは出来ないがお前らは忘れない」
「私は!」
「……最後に、言いたい事は?」
「死にたく、ない」
「…………」
「死に、たくないよ。た、たす、助けて」
初めて、彼の前で少女は涙を流す。その光景を見てもリーゼは何も言わず。
しかし剣をぬかるみに落とし。
涙を流す彼女を緩く抱きしめた。
「――寒いよぉ」
思えば、これまでが気丈なものだった。周囲に見放されるぬようにという打算もあったのだろうがそれでも少女は努力していたと思える。
こうして死にたくないというのが少女の素だ。どこにでも居るただの少女だ。
「安心しろ」
どこか優しい声がリュミールの耳にまで届く。落ち着かせ安心できるような低い声だ。
身体の感覚はすでになくなっていて痛みすら感じられず。
「もう、大丈夫だ」
リーゼの剣がその胸を貫いたのもきっと、わからなかったのだろう。




